偽装結婚を偽装してみた

小海音かなた

Chapter.109

 夕方、攷斗は早めに仕事を終えて車に乗り込み、ひぃなに帰宅の旨を電話した。
「もしもし? そっちどう?」
『うん、外間さんと桐谷さんが来てくれてるから大丈夫だよ』
「そっか、良かった。あと30分くらいでそっち着くと思う」
『うん……待ってる……』
 普段ならただ嬉しいだけのその言葉に、いまは少しの不安もよぎる。
 まだまだひぃなの心の傷は癒えていない。この先、傷痕がきれいに消える保証もない。
「すぐ帰るね」
 安心させるように優しく言って、電話を切った。
 渋滞もなく予告通りに自宅へ到着すると、自宅ドアの前に桐谷が立っていた。
「あっ。お疲れ様です」
「お疲れ様です、いつもありがとう」
「いえいえ、お仕事ですから」
「外の警護、もう大丈夫だよ。寒いでしょ、中で暖まってから戻って」
「いやいや、勤務中ですし」
「雇い主からの依頼です」
「……はい、かしこまりました」
 二人は笑って、部屋へ入る。
「ただいまー」
 中へ声をかけると、
「おかえりー」
「おかえりなさい」
 ひぃなと一緒に外間が玄関口まで出迎えに来た。
「……なんか変な感じ」
「仕方ないじゃないですか。そこは勘弁してくださいよ」
 外間が笑いながら攷斗に言う。
「いや、いいんだけどね?」
 玄関に入った桐谷が、ドアを閉める。念のためチェーンロックもかける。
「飯食ってく?」
「そこまでお邪魔するわけにはいきませんって!」
 桐谷が慌ててそれを辞退した。
「そうですよ。それに昼間けっこうオレら、おくさんに良くしていただいてたんで、それで充分です」
 時間制で交代しながら室内と室外の警備をしていた外間と桐谷に、自宅待機を命じられて手持無沙汰なひぃながホットドリンクを出したり差し入れを作ったりしていたので、攷斗が思っているほど冷えたり飢えたりはしていない。
「あ、そうなの? じゃあいいか。まぁ、一旦座ってお茶でも飲んでいきなよ。今後の話も少ししたいし」
「はい、ありがとうございます」
「私、お茶淹れるね」
「いいよ、俺やるよ」
「大丈夫だよ。やることやりつくして手持無沙汰なんだよね……」
 確かに、日に日に部屋全体が綺麗になっている。
「そっか……じゃあ、お願いしようかな」
「なにがいいですか?」
「旦那さんと一緒で大丈夫です」
「俺、アイスコーヒーなんだけど」
「あ、すみません。ホットで」
「僕もあったかいのがいいです」
 桐谷と外間が口々に言ったのを聞いて、攷斗が少しだけ口を尖らせた。
「はーい」
 その光景を見ながら笑って、ひぃなはキッチンへ移動する。
 実は途中でやめていた資格取得の勉強なんかもしているのだが、それでも往復の通勤時間と業務時間が丸々空いているので、日々の時間に余裕がある。
 子供がいればその仕事で忙しいのだろうけど、棚井家には子供はいない。というか、いまだに性交渉がないので、出来るはずがない。
(今後の話……)
 攷斗が警備二人に使った言葉を思い返す。
(私たちも、ちゃんとするべきなのかな)
 今回の件で、ひぃなは攷斗に相当の労力をかけてしまったことを心咎めている。
 もっと早く相談するなり対策するなりしていれば、ここまで大きな話にはならなかったはずだ。
 プリローダだって、急な退職者と休職者が出て業務にしわ寄せが出ているだろうし、社内の空気だっていままでとは少し違ってしまっているかもしれない。
 堀河を始めたくさんの人に心配をかけたし、何より攷斗には本当に心労をかけてしまった。
 一緒にいることで相手を不幸にするくらいなら、いっそ離れたほうがいいのではないかと思う。でも、これまでの生活が、攷斗との様々な出来事が、それを実行させる気持ちを鈍らせる。
「ひな?」
 背後から声をかけられ、ハッと我に返る。
「大丈夫? やっぱ俺やろうか?」
 とっくに湧いたお湯と、出てくるはずのお茶とのタイムラグを気にかけて、攷斗がキッチンへ様子を見に来た。
「あ、ごめん。ちょっと考え事してた」
「一緒にやるよ」
「お話、だいじょうぶ?」
「うん、もう終わったよ。マンションのセキュリティも強化されたし、そろそろ自宅警護は解除しても大丈夫そうって。今日これから社長も来るし、ひぃなの職場復帰の時期も相談しよう」
「……うん」
「あ、でも、しばらくは俺が送り迎えするけどね?」
「そんなに迷惑かけられないよ」
「迷惑だなんて思ってないから。ほら、お茶淹れよ」
 笑顔の攷斗が手をあげてひぃなの頭を撫でる。その動作に、もうビクッとはならない。
「うん……」
 ひぃなが勝手に迷惑をかけたと思っているだけで、攷斗にとっては当然の行動だったのかもしれない、と思い直したりする。それでもやっぱり、と自分の意見が勝ったり、いやでも~、と負けたりを繰り返す。
(やっぱり、今後の話、しないと……)
 自分が中途半端なことをして攷斗を宙ぶらりんの状態で待たせている可能性は高い。
 外間と桐谷のコーヒーを淹れたカップを、攷斗が入れた自分用のアイスコーヒーと一緒にトレイに置く。ひぃなの紅茶が入ったカップも一緒に置かれているので、そこそこ重そうだ。
「持ってくよ」
「ありがとう」
 リビングへ戻ると、カウンター越しに一部始終を見て聞いていた外間と桐谷がニヨニヨしながら攷斗を出迎えた。
「……見てた?」
「「いえ?」」
「聞こえてたでしょ」
「「いえー?」」
 まったく同じ動作と言葉で外間と桐谷が攷斗の問いを否定する。
「えぇなー。俺も優しくて可愛い奥さん早く欲しい~」
 桐谷が身もだえるように言うと
「おまえはまず彼女を見つけんとやな」
 外間が言って笑う。
「なに、こないだまでいたんじゃないの?」
 カップをそれぞれの前に置きながら攷斗が問う。
「こっちの仕事が不規則すぎて振られたらしいですよ」
「ちょっ! お前ー、言うなよー」
「ええやん、ほんまなんやし」
「シフト組んでやりくりできるくらい社員いるんでしょ?」
「いますけど、緊急の呼び出しとかもありますし」
「彼女とデート中にどうしても行かなあかん案件の電話かかってきたんですって」
「まぁそりゃしょうがないよね」
 社長業の“休日”など、あってないようなものだ。
「棚井さんだって時期によっては不規則でしょう?」
「うん、出張とかもちょこちょこあるしね」
「そういうとき奥さんなんも言わないです?」
 桐谷がひぃなに向かって聞いた。
「えっ、そうですね……。一応同じ業界で働いてますし、彼が在社中にどんな仕事してたか知っていて、想像はつくので、仕方ないかなって……」
「ほらー、優しいー」
 桐谷は再度身もだえる。
「料理も上手やしマジうらやましい~」
 一人分の昼食を作るのも面倒だし、一人だけ食べるのも気が引けたので、外間と桐谷の分も作って振る舞っていた。
「はやく見つかるといいね、可愛い嫁さん」
 攷斗は余裕の表情で桐谷にわざとニヤリ顔を見せた。
「うわー! むかつく! 先輩やけどマジむかつく!」
 桐谷の素直な反応に、外間とひぃなが笑った。

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