偽装結婚を偽装してみた

小海音かなた

Chapter.86



 攷斗の看病のおかげで夜には熱もすっかりひいて、日常生活が出来るようになった。


 翌日、通常通り出社して帰宅したひぃなを、攷斗が出迎えた。
「あれ? 早いね。今日もおうちでお仕事?」
「うん。ちょっと、ひなに伝えたいことがあって」
 いつになく真面目な顔で攷斗が言った。
「な、んでしょう……」
 ドキリとギクリ。
 期待と不安が入り混じった動悸を感じて、血が廻ったり血の気が引いたりして一瞬めまいがする。
「とりあえず、座ってよ」
「うん……」
 おなかの中が冷えるような感覚。
 いつか別れを告げられたときと同じそれ。
 熱に浮かされて何かしでかしたかと考え、ギュッと肩にかけたバッグの持ち手を握りながら重い足取りを進めていると、
「あ」
 と攷斗がひぃなを振り返った。
「別れ話とかじゃないからね?!」
 何故か重くなった空気を察知して、先に可能性を閉ざした。
 見透かされたような気分になるが、同時に安堵もする。
「……そっか……」
 間の抜けたような返答しか出来ない自分に少し呆れてしまう。
「そんなの俺からは絶対言わないから、ひぃなからも言わないでよ?」
 少し怒ったような口調で攷斗が言って前を向く。
「…うん…」
 ひぃなは少し照れくさくて、うつむいて攷斗に続いた。
 先にリビングへ入った攷斗がソファに座り、その隣を手でポンポンと叩く。ひぃながそこへ座ると、攷斗が口を開いた。
「相談したいことがあって」
「うん?」
「いままで俺、仕事では顔出ししてなかったんだけど」
「うん」
「ひなにもやっと言うことができたし、不便なこともあったりしたしで、公表、しようかなと思って」
「…うん」
 驚いて、目を丸くして、でもひぃなは否定をしない。
「もしかしたらその流れで色々詮索されるかもしれないし、ひなにもなにかしら影響があるかもしれないから、相談、なんだけど」
「うん。いいと思う」
「え、そんなあっさり」
「コイトさんのレベルならもう心配ないと思うけど、信用問題とかやっぱり、開示できる情報はしておいたほうがいいと思うし」ついつい仕事目線になってしまう。「コウトがいいなら、私が止めることはしないよ」
「うん。ありがとう」
「名前は?」
「代表者の名前をそもそも俺の本名で登録してるから、ペンネームみたいな感じで今まで通りやってくつもり」
「そっか。応援します」
「ありがとう」
「コウトは顔もかっこいいから、女性のファンの人増えるかもね」
「えっ」
「あ、デザインももちろん素敵だけどね? そういうの重視してる人も少なからず存在するから」
「いや」
「ん?」
 あまりにもナチュラルすぎて本人は至って気にしていない様子だが、攷斗はひぃなに容姿のことをストレートに褒められた記憶がない。
 自分で聞き返すのもどうかと思うが、もう一回褒めてもらいたい気持ちもある。しかし。
「なんでもない」
 ナチュラルに出たからにはきっと本心であろうその言葉を胸に刻み付けて、後追いをやめた。
「特にないとは思うけど、迷惑かけるようなことがあったら教えてね。対処します」
「ありがとう。なにかあったらお伝えします」
「うん。あー、安心したらハラ減った。手伝うよ、なにからしようか」
「今日はもう下ごしらえできてるから、あと焼いたりするだけだよ」
「え、マジで? 今日なに?」
「今日はねぇ、お味噌を使った和風タンドリーチキンと、温野菜サラダとわかめとお豆腐のお味噌汁。と、白いご飯」
「あー、もう、幸せ」
「それは良かった」
「手伝うね」
「うん、じゃあねぇ……」
 言いながら、二人並んで夕食を作る。下ごしらえ効果もあって、通常よりもだいぶ早く支度が完了した。
 夕食を食べ終わりくつろいでいると、隣でタブレットをいじっていた攷斗が「うわマジか」とつぶやいた。
「どうしたの?」
「これ」
 そのタブレットにはネットのニュースサイトが表示されている。
「えぇ?」
 そこにツナミの写真が掲載され、そのすぐ下に『トップモデルがIT系社長と婚約』という見出しが書かれていた。
「…………」
 二人とも言葉がすぐに出ず、顔を見合わせてしまう。
「これの報告しに来たのかな」
「いやいやいや……」
 攷斗の予想にひぃなが苦笑する。
(たぶん)
 ここからはひぃなの予測。
 ツナミは攷斗に好意を抱いていて、“IT系社長”との婚約を決める前に、攷斗の気持ちを確認しに来たのではないか――。
(たぶん…ね)
 それが真実かどうかもわからないし、本人以外から伝えることでもないと思うので、攷斗には言わない。
 きっと婚約に至るという結果は同じだったろうけど、宙ぶらりんな気持ちに決着をつけるかどうか、その点が大事なのだ。
「会社でなにかお祝い出さなきゃ……」
 攷斗は後頭部を掻きながら、タブレットのメールアプリを開いた。

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