偽装結婚を偽装してみた

小海音かなた

Chapter.50

 自席で会議資料を作成している攷斗に、スマホが震えて着信を報せる。
「お」
 発信者は井周だ。
「はい、棚井です」
『どうも、井周です』
「お疲れ様、どしたの?」
『できたよ、マリッジリング一式』
「え? 早くない?」
 約束の納期は明日だったはずだ。
『作るの楽しくて早く終わっちゃった』
「マジか、ありがとう。助かる」
『いつ来る? 今日都合悪かったら後日でもいいけど』
「いや、今日行くよ。19時くらいになっちゃうけど」
『いいよ。待ってます』
「うん、ありがとう。お願いします」
 通話を終えて、デザイン画から立体になった姿を想像する。同時に渡したときのことも想像して
(ひな、どんな顔するかな)
 にへら、と表情を緩めた。
「なにかいいことあったんですか?」
 ちょうど企画書を持参した社員に声をかけられる。
「うん、ちょっとね。書類ありがとう、見るよ」
「お願いします」
 それから社内のデスクワークを終わらせ、打ち合わせや商談に出向くべく席を立つ。今日は直帰の予定だ。
「じゃあ、打ち合わせ行ってきます」
「はーい。お戻りは?」
「今日は直帰します。なにかあったら連絡ください」
「はーい」
「お疲れ様でーす」
 社員たちが口々に言い、見送ってくれる。ワンフロアのオープンオフィスならではの光景を、攷斗は気に入っている。
(プリローダもこういう環境だったら、もうちょっと違ってたのかな)
 それとも、同じ環境で時間を共にすることで満足してしまっていただろうか。
(指輪渡すとき、改めてプロポーズしようかな……)
 ビルを出て、すぐ近くにある専用駐車場から車を出そうと自分の車に乗り込んで、思いついたようにスマホを取り出した。
『今日の夜、少し遅くなるかも。19時半くらいには帰れると思います。』
 ひぃなのアカウント宛にメッセを送る。
 夕飯を作ってくれているだろうし、待たせるのも申し訳ない。
 ほどなくして、ぴよっ♪ と通知音が鳴った。運転中なので手が離せず、ソワソワしながら信号待ち中に確認すると、
『わかりました。気を付けて帰ってきてね。』
 ひぃなから返信が来ていた。
(うわ~、なにこれ。幸せ)
 デレデレとゆるむ口元を隠す間もなく信号が変わったので発車させる。
 もう一回正式に結婚を申し込んで、もし“そういうんじゃないんで”と断られたらこの状況も終わってしまうのでは? と急に不安になる。
(もうちょっと、いいかな……)
 でもさぁ、と気弱になった攷斗の脳内で【脳内攷斗】が異論を唱える。
((ちゃんと申し込んで承諾してもらえたら、もっと甘い生活が待ってるんじゃないの?))
 それは確かにそうだ。指一本触れられない(とか言いながら頭を撫でたりはしているが)生活に、いつまで耐えられるかわからない。十代、二十代のさかりは過ぎたとはいえ、そのあたりの欲求が消滅したわけではない。
(いやでも、ゆっくり行くって決めたし、いまは、一緒に生活して距離を縮められれば……)
((お前それ、いつまで耐えられんの))
(……ですよねー)
 脳内自分に打ち負かされ苦笑を浮かべると、脳内攷斗は((へっ))と鼻で笑って姿を消した。
(そうなんだよなー、実際一緒に住んだら、思ってたより耐久力が必要だったんだよなー)
 煩悩が流れ出ないようにする理性のダムを、ひぃなは叩き壊そうとする。ひぃなにその自覚は皆無だ。
(いいや、その時になったら対策考えよう)
 目的地が見えて来たので思考を切り替える。
 まだ社外での仕事も終わっていない。まずはそちらを終わらせてから、と来訪者スペースに車を停めた。

* * *

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