【コミカライズ配信中!】 婚約破棄後の悪役令嬢~ショックで前世の記憶を思い出したのでハッピーエンド目指します!~

弓削鈴音

62話:侍女の過去

 朝目を覚ますとまず感じたのは、温かい布団の感触。

「……ん」

 瞼を閉じていてもわかる太陽の光に眩しさを覚えながらわずかに目を開けると、穏やかに微笑む見慣れた顔と目が合う。

「あ……エミー?」

 何回か瞬きをすると、ぼやけていた視界がはっきりしてきた。

「はい。ただいま戻りました、お嬢様」

 幼い頃から私に仕えてくれている彼女が、しばらく暇をもらっていたことを知ったのは、私が前世の記憶を完全に取り戻して数日寝込んだ後だった。
 送り出す際に挨拶もできず、戻ってくる日程も誰も知らず、また会えるとは頭ではわかりつつもどこか不安を感じていた。

 朝一番、彼女に声をかけてもらって起き上がる日常が、こんなに嬉しいものだったなんて。

 段々と覚醒してきた脳が、彼女が戻ってきてくれたということを噛み締めると同時に、驚きで覆い隠されていた違和感に気付く。

「……エミー、その髪」

 紗のカーテンで柔らかくなった陽の光に透けるのは、見慣れた茶色ではなく、薄紫。
 夜が近い夕焼けの空のような澄んだ綺麗な色に、思わず見惚れてしまう。

「あぁ……きちんと、お話しなくてなりませんね。ひとまず、朝のお支度を」

 私が昨日、椅子の上に置きっぱなしにしていたブランケットを手にしていたエミーは、綺麗にそれを畳んで置くと、起き上がった私に手を貸してくれる。
 布団から出た私に肩掛けを羽織らせてくれた彼女は、そのまま白湯を差し出した。私はそれを受け取って、スリッパに足を入れて立ち上がる。

「昨晩も遅くまで起きていらしたと聞きましたよ。今は何を調べてらっしゃるのですか?」

「ララティーナ・ゼンリルについて、ちょっと。……彼女の魔法学校での成績や評判、出生を洗い直していたらどんどん気になることが出てきて」

「ほどほどになさってくださいませ。お嬢様のお身体が一番大切ですので」

「……えぇ。ごめんなさいね、心配かけて」

「いえ。出過ぎたことを申しました。私の方こそ、ご挨拶もなくしばらくお側を離れてしまい、申し訳ございませんでした」

「そんな。あなたの存在は私にとってかけがえのないものよ、エミー。戻ってきてくれてありがとう」

 私のことをずっと近くで支えて、時には諌めるような言葉もくれた彼女は、とても大切な人だ。
 本心から出た笑みに、エミーも笑い返してくれる。
 髪色はやっぱりまだ見慣れないけれど、その優しい表情はいつも通りだ。

 ただ不思議なことに、初めて見るはずのその髪色をどこかで見た覚えがある気がするのはなぜだろう。

「そういえば、しばらくヘレナ一人に業務を任せていたため、今日は彼女に休養をとらせております。よろしかったでしょうか?」

「大丈夫よ。私が言うべきことなのに、ありがとうね」

「いえ。ヘレナとは既に引き継ぎを済ませております。本日も、セルカ様と朝食を?」

「そのつもりよ。そろそろ来ると思うのだけど……」

 チラリと柱に掛けられた時計を確認すると、コンコンと扉がノックされた。

「どうぞ」

「おはよ、アマリリス!」

 そう言って入ってきたのは、朝食の入ったバスケットを持ったセルカだ。
 人手が足りていないからと、毎朝別邸からここに来る途中に厨房に寄ってくれる彼女は、両手にバスケットを持ちながら、器用に魔法でドアを開けた。

「……あ、初めまして…?」

「アマリリスお嬢様専属侍女のエミーと申します。セルカ様のことは伺っております。どうぞよろしくお願いいたします」

「こちらこそよろしくお願いします。……そんなかしこまらなくて、大丈夫ですよ」

「私はお嬢様に仕える身でございます。お嬢様のご友人とあれば、敬意を払うのは当然のことですが……ヘレナからも、そういったことはお好きでないと聞いています。同じお嬢様の安全を守る者同士、よろしくお願いします。こちら、預かります」

「あ、お願いします」

 エミーが朝食の準備をしてくれている中、二人で机に並んで腰掛ける。

「おはよう、セルカ。魔法具の方は順調?」

「ぼちぼちかな。違う材料を組み合わせる時って、時間をかけて馴染ませないといけないから。三日後に間に合うかどうか」

 うーん、と唸りながら背伸びをするセルカに、私は「お疲れ様」と声を掛ける。

 王家とクリスト家を狙う不穏な影。それへの糸口であるララティーナ・ゼンリルを捕らえるための罠としてサーストン殿下が彼女を呼び出す日程が、三日後、ハーマイル陛下が外遊から帰ってくる日に決まった。
 陛下の帰還に合わせて、王城全体の警備体制の見直しが予定されている。その移行でばたつくだろうから会いやすい、という口実で、ララティーナを呼び出すのだ。
 実際は、新体制で普段よりも緊張感があり、蟻一匹通さないような警備が敷かれているが、落ち合う予定の外苑はわざと人員を減らすように、ユークライ殿下が手配をするそうだ。

 当日は、サーストン殿下がまず一人で直接接触し、ララティーナ・ゼンリルがどのような出方をするか━━━具体的には、どのような魔法を使うのかを確認する。命に関わるような危害が及びそうになるか、引き出せるだけの情報を得た後に、近くに隠れていたセルカと兄上が彼女を捕縛する。
 二人で対処しきれなかった場合のために、ユークライ殿下の護衛騎士のイレーヴ殿と、ラインハルト様の護衛騎士のアレックスも付近で待機をするという、厳重な体制だ。

 同時に、ラインハルト様とセルカが、急ピッチで捕縛用の魔法具の開発を進めてくれている。
 そんな中、直接貢献できることのない私は、ララティーナがどのような出方をするのかを考えるために、彼女の経歴や血筋を調べていた。

 今のところ新しい情報は得られていないが、いくつか怪しい点は出てきていて、頭を悩ませているところだ。
 どうやって情報を集めようかと考えながら、セルカと他愛もない会話をしながら食事を終えて、紅茶で一息つく。

「……お嬢様」

 机の上を片付け終わったエミーに声をかけられて、私は顔を上げる。

「お時間よろしいでしょうか」

「もちろんよ。……セルカは、どうする?」

「あぁ、外そうか?」

「いえ。いずれ皆様にお話ししなくてはならないことですので」

「わかりました」

 腰を浮かせていたセルカが再び座ったのを確認してから、エミーが深くを頭を下げた。

「本題に入る前に……お嬢様。長い間、私の出自に関して何もお伝えせず、大変申し訳ありませんでした」

「いいのよ。気にしないで」

「恐れ入ります。……お伝えできなかった理由は、私の出自と旦那様に拾っていただけた経緯に深く関わります。それを今から、ご説明させていただきます」

 顔を上げたエミーは、後ろにまとめた自分の髪をそっと触る。

「この髪の色、そして瞳の色も、一般には珍しいかと思います」

 真っ直ぐに私を見つめる双眸は、彼女の薄紫色に少し紅を垂らしたような、そんな桃色。

「この色は……私の一族特有のものです」

「一族…?」

「はい。……勇者ガイラルは、ご存知でしょうか?」

「かつて、魔獣の大量発生の際に王都を守り抜いたと言い伝えられている人物よね」

 二百年ほど前、王都に押し寄せる無数の魔獣を、五日間寝ずに倒し続け、王都の人々を守り抜いたとされているのが、勇者ガイラルだ。
 武勇に優れ、慈しみ深く、その有り余る力をただ人々を守るためだけに使ったとされる彼については、その功績から歴史書に載っているだけでなく、いくつもの劇や詩、歌が作られ、今に至っても子供から大人にまで知られている。

「私は彼の直系の子孫にあたります」

「……子孫?」

「ガイラルは王都を救った後、自分が家族を助けきれなかった身寄りのない人々を連れて、エゲール山の奥に里を開きました」

 エゲール山は、クリスト公爵領の南東に位置する高く険しい山で、魔力が安定しておらず魔獣が跋扈することから、人が踏み入れない領域だ。
 まさかそこに住んでいたなんて、驚きだ。

「ガイラルは闘いの精霊の愛し子で、とても深く寵愛を受けていたとのことです。そのため、元々金だった彼の髪は、精霊様のものと同じ紫色へと変化し、それが今も受け継がれおります。同時に、身体能力の高さも受け継がれており、エゲール山の厳しい環境もあって、我が一族は戦いに秀でた血筋として、先祖の誇りを胸に生きておりました。……しかし、十二年前。全てが壊されました」

 今までに聞いたことのない彼女の低い声からは、押し殺しきれない怒りが滲み出ていた。

「奴隷狩りでした。……里は山奥で部外者が入って来れる環境ではないとはいえ、時折山を下って、街でしか手に入らないものを買いに行くことがございました。その際に、我が一族のことが漏れてしまったのでしょう。私達は……一夜にして、全てを、失ったのです」

 拳をきつく握り締め肩を震わせるエミーに、私は思わず立ち上がった。
 しかし、他でもないエミーが首を振り、座るように促す。

「……忘れもしない、雨の日でございました。魔獣に追われ、必死に逃げ惑ってここに辿り着いたと話す若い青年達を、里の者は警戒しながらも優しく迎え入れました。雨風を凌ぐための場所と身体を温めるための食事を提供した我々に、彼らはお礼として称して酒を差し出しました。当初は受け取るつもりはなかったのですが、何度も勧められ、彼らが実際に飲んでみせたこともあり、里の者達はその酒を飲んでしまいました。……そこに、毒が仕込まれていたとは知らずに」

 警戒している相手に毒入りのものを飲ませるために、自分達がまず口にする。あらかじめ自分の容器に中和薬を仕込んでおいたり、事前に解毒薬を飲んでいたりすれば可能な手口だ。
 貴族であれば身を守るための知識として教えられるが、長い間外部との交流が乏しかった里の人達にそれを求めるのは酷な話だろう。

「毒を盛られたのは、里の中でも戦闘力に秀でていた直系の子孫の男達が中心で、毒が回ったちょうどその時に、近くに潜伏していた仲間達が姿を現し……抵抗したものの相手にも手練れが多く、子供が人質に取られてしまい……売れないと判断された、老人や過去の狩りで深い傷を負っていた者、抵抗の意志が強い者はその場で殺され、女は足の腱を切られ、子供は鎖に繋がれ人質となり、荷台に詰め込まれ……残りの男達は、奴隷狩りが無事に山を降りるために、魔獣と戦わされ、その多くが道中命を落としました」

「……」

「……ひどい」

 あまりのむごたらしさに、言葉が出ない。
 隣に座っているセルカが小さくこぼしたのがエミーの耳に届いたようで、彼女は何かを堪えるような表情のまま軽くセルカに向かって頷く。

「……そうやって山を下り、里の者は別々に売られていきました。私は里が襲われた二日後━━━その日もひどい雨でしたが、二人の妹と共に馬車でどこかへ運ばれておりました。……そこで、奇跡が起きたのです」

「奇跡…?」

「私達が乗っていた馬車が突如竜巻に襲われ、壊れたのでございます。その際に拘束具も外れ、私が奴隷狩りを引き付けている間に妹二人は逃げることができ……あの二人を守れたのなら本望だと思ったその時に」

 そこで言葉を切ったエミーが、泣きそうな顔で微笑む。

「旦那様がいらっしゃったのです」

「父上が…?」

「左様でございます。……ここ数日、例を見ない大雨が続いている。民が心配だから兵を多く巡回させて欲しいと、ご息女にせがまれた旦那様が」

「あ……」

 そう言われて、うっすらと思い出す。
 クリスト領は元々雪が多い地域ではあるが、夏に何日も連続して雨が降ることはあまりなく、当時おそらく六歳前後だった私は、それがなんだか不吉なことの印のように感じたのだ。

「……ごめんなさい。昔のことで、あまりよくは思い出せなくて……父上は、どうしたの?」

「旦那様は、私をお助けになり、奴隷狩りを捕らえ、事の顛末を把握なさいました。そして私に、奴隷狩りを根絶することを約束して下さり、お屋敷に連れ帰ってくださいました。……さらには、恩人であるお嬢様への恩返しの機会もいただき、使用人としての訓練を積み、目立たないように髪を染めて名前を変え、お嬢様の侍女としてお仕えするようになりました」

 あの日のことは、よく覚えている。
 私の七歳の誕生日。これからは少しずつ大人になるための準備をするのだと、それを手伝ってくれる専属侍女だといって紹介されたのが、エミーだった。

「……そう、だったのね」

「あの日から十二年。旦那様からは時折捜査や裁判の進捗について伺っておりまして、ブレデル家があの襲撃の裏にいたと聞き及んでおります」

「ブレデル家が…!?」

 驚いて、思わず声を上げてしまう。

「……彼らが、家族を、里を奪っただけに留まらず、恩人であるお嬢様の命をも狙っているかもしれないと旦那様から聞き及び、誠に勝手ながら奥様のご実家で、最低限の戦いの勘を取り戻して参りました」

 母上の実家のノートル侯爵家は、武家の名門だ。
 門下も含め、騎士団にも軍部にも優秀な人材を多く輩出している。戦闘の訓練にはきっと事欠かないだろう。

「改めまして、このような重大な秘密をお話しできず、大変申し訳ございませんでした」

「いいのよ。父上から口止めされていたのでしょう?」

「……左様でございます」

 人身売買、奴隷の取引という我が国では決して許されない重罪。
 それに関わった者達を全て引き摺り出すために、最低限の人数で秘密裏に捜査を進めてきたのだろう。

 もし私がこのことを知っていたら、きっと止められても首を突っ込もうとするに違いないだろうから、父上はエミーに口止めをしたのだ。

「微力ながら、今までの侍女としての業務に加え、護衛としても、お嬢様のために力を尽くしていきたい所存でございます。何卒、よろしくお願いいたします」

 そう言って深く頭を下げる、私の大事な大事な侍女に、私は立ち上がって歩み寄った。
 目の前に立っても腰を折ったままの彼女の手を取って、顔を上げるように伝える。

「ねぇエミー、顔を上げて。一つ聞いてもいい?」

「どのようなことでも喜んで」

「名前を変えたって言っていたでしょう?あなたの本当の名前を、教えてくれないかしら」

 私の申し出に、彼女の濡れた瞳が一瞬驚きで揺れるが、すぐに笑顔になる。

「……レルエミア・ミカ・ガイラル。レルエミアが名で、ガイラルが姓。ミカは母の……最後まで戦い続けた誇り高き母の、名です」

「そう。できるなら、ご挨拶したかったわ」

 私がそう言うと、彼女は唇を噛んだままゆっくりと頷く。
 私は、握った彼女の手を優しくきゅっと握り、微笑みかけた。

「レルエミア・ミカ・ガイラル。改めて、あなたの力を私に貸してくれないかしら」

「もちろん……もちろんでございます、アマリリスお嬢様」

 とても暗い過去を持ちながらも、ずっと笑顔で尽くしてくれていた彼女が恥じないような、そんな主でありたいと。
 同時に、大事な彼女から大切なものを奪っていったブレデル家や奴隷狩りを、必ず捕まえて白日の下に晒そうと強く決意した時だった。

「…………あのー、ひょっとしたら、私、エミーさんの妹、知ってるかも、なんて……」

 私の横で話を聞いていたセルカが、そう言ったのは。

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