【コミカライズ配信中!】 婚約破棄後の悪役令嬢~ショックで前世の記憶を思い出したのでハッピーエンド目指します!~
60話:新たな関係
「……あなたは、俺に何を求める?」
立ち上がったままのサーストン殿下が、私にそう尋ねる。
その声には今までの刺々しさのようなものはなく、穏やかなものだった。
「……かつてのように」
言葉は自然と出てきた。
「ご自身の正しいと思われる道を、迷わずにお進みください。……ご自身の理想に恥じない生き方をしてくだされば、私から申し上げることは何もありません」
「はっ……厳しいことを言うな」
彼は表情を緩めて、私はそれにからかうような笑みを向ける。
「これくらいの意趣返しはお許しください」
「もちろん受け入れよう。……俺は、きちんと罪を背負う。もし俺が助力できることがあれば、いつでも呼べ」
そう言ってサーストン殿下は、少し赤くなった目元を何度か擦ると、扉の方まで歩いていく。
ドアの前で立ち止まった彼は、振り返ると「兄さん」と私の隣に座っているラインハルト様に声をかけた。
「同席してくれて感謝する」
「あぁ。……少し待て」
ラインハルト様は立ち上がると、キョトンとしているサーストン殿下の側まで行き、彼の目元に軽く手をかざした。
手の甲に魔法陣が浮かんだかと思うと、すぐに消える。
「……別にいいのに」
「そうか?すまなかった」
「いや……ありがとう」
見れば、サーストン殿下の目元の腫れが引いていた。
相変わらずラインハルト様の治癒魔法の腕はすごいなと思いながら、私は兄弟の可愛らしい掛け合いに思わず小さく笑ってしまう。
相手の言葉をそのまま受け止める兄と、プライドが高く正面から礼を言えない弟。
二人の性格が上手く噛み合って、サーストン殿下が素直になっている。
もし、もっと早くにラインハルト様が表舞台に戻って、二人の間に交流があったとしたら。
そうしたら、ララティーナの魔法にももっと早く気付けて、サーストン殿下があのような行動に至ることもなく、今も私が彼の横で婚約者として立っていた未来も、ひょっとしたらあったのだろうか。
……もっとも、そんなことを今更考えても、もう私は彼に恋愛感情を抱くことはないだろうから、考えるだけ無駄なのだけれども。
「サーストン殿下」
「なんだ、アマリリス」
立ち上がって名前を呼びかけると、すぐに振り返って私の名前を呼んでくれる。
こうやって、晴れやかな気持ちで再びこの方と言葉を交わすことができるなんて、想像もしていなかった。
思い出さないようにしていた傷は、ひょっとしたら長い時間をかければ自然と治ったのかもしれない。しかし、多少の痛みを伴ったとしても、今こうして傷を癒すことができたことを、私は後悔していなかった。
「……もしよろしければ」
立ち直るために時間をかけていたら、この場できっとこのことを言い出せなかったであろうから。
「私の友人になってくださいませんか?」
「……俺が?」
「えぇ。あなたが」
不思議そうな顔をするサーストン殿下に笑いかける。
「友人として尊敬できるあなたになってくださると信じておりますから」
「……ふっ」
サーストン殿下は口角をニヤリと上げると、私に背中を向けて片手を上げるとひらりと振った。
私はそれに、見えていないのは分かっていても丁寧にカーテシーを返す。
これでまた一歩、踏み出せた気がする。
ガチャリと開けられた扉の音が、私達それぞれが前に進む音のようで、なんだか嬉しくなってしまう。
サーストン殿下の姿が見えなくなったところで、ラインハルト様が一度扉を閉める。
「アマリリス、大丈夫か?」
「えぇ。側にいてくださってありがとうございます」
「そうか。……君もサーストンも、吹っ切れることができたようで良かった」
いつもと変わらない表情なはずなのに、どこか微笑んでいるように思える彼は、スタスタと机の側まで歩いてくると、置いてあった茶器を魔法で宙に浮かべる。
ふわりと浮かび上がったティーポットやカップが、かすかにボッという音を立てながら、空中に描かれた魔法陣を通って行った。
「……ラインハルト様、ひょっとして」
「洗浄が完了した。戻せばいいか?」
「え、えぇ」
第二王子にこんなことをさせてしまうなんて、と顔から血の気がサッと引いていくのを感じる。
そもそも、身分の高い人が手ずから茶を淹れることは相手をもてなす場合であって、本来我が家にいらしているラインハルト様に任せていいことではない。片付けなんて、もってのほかだ。
「あぁ、気にするな」
私の顔色を見て気付いたらしいラインハルト様が、そのまま茶器に直接触れずに全て元通りに仕舞うと、棚の戸を閉じる。
「ここには僕と君とサーストンしかいなかった。誰も気にしていないし、こうやって元の状態に戻せば誰もわからないだろう」
「いえ、しかし…!」
「いいんだ。君達の話し合いに、わずかでも貢献できただろうか?」
そんな言われ方をしてしまっては、彼の助力を否定することなんてできない。
随分とずるい言い方をするようになったものだ。
「もちろんですわ。本当に、ありがとうございました」
「なら良かった。……待たせてすまない。そろそろ行こう」
「えぇ」
そういえば、お昼を一緒に食べるという話があった。
みんなを待たせすぎてはいけないと思いながら部屋を出ると、廊下の壁にもたれかかっている人物が「お」と顔を上げる。
「お疲れ、アマリリス」
「待っててくれたのね。ありがとう、セルカ」
「いえいえ。護衛ですから」
軽やかに私の横まで駆け寄ってきたセルカは、私の顔を覗き込む。
「……うん、平気だったみたいだね」
「えぇ。心配してくれてありがとう」
「ヴィンセントさんに言ってあげて。あの人、ソワソワしすぎてて、見かねたユークライ殿下に連れてかれたから」
「あぁ……」
正直、その様子が簡単に想像できてしまう。
兄上には本当に、ずっと心配をかけっぱなしだ。
「ラインハルトもお疲れ」
「あぁ。ダランは?」
「先に行ってるって。ご飯用意してもらってるらしいよ」
「ご案内しますわ」
セルカはここしばらくこのタウンハウスで生活しているものの、私が最近部屋や庭で食事をとることが多いため、基本的に別宅と私の部屋しか行き来していないから、あまり屋敷全体の構造は把握していない。
私が先導しようと歩き始めると、すぐに反対側からやってきたヘレナに出くわす。
私と目が合ったヘレナは、後ろのラインハルト様に一礼すると、すぐに私に駆け寄ってきた。
「お嬢様…!」
「来てくれてありがとう、ヘレナ。……私は大丈夫よ」
幼い頃からずっと侍女として私を近くで見守ってくれて、魔法学校に通っていた間も側にいてくれたヘレナは、私とサーストン殿下の仲をずっと案じてくれていた。
きっと他の使用人から、私が彼と直接話したことを聞いたのだろう。
私がそう伝えると、ヘレナは深く息を吐きながら胸を押さえた。
「左様ですか……安心いたしました」
「私が騒いじゃったせいで余計に心配かけてごめんね、ヘレナさん」
「いえ。門番からすぐに、王子殿下方がいらっしゃったと伺いましたので。ご歓迎の準備に追われ、なかなかお伺いできず申し訳ありません」
「気しないで。人が足りてないのだから」
襲撃の恐れがあるとわかり、この王都のタウンハウスから母上と二人の弟が領地に戻ることになったタイミングで、使用人の半数ほどはそれについて行った。また、臨時で雇っていた者達にも屋敷の外での仕事に移ってもらったため、屋敷には本当に最低限の人員しかいない。
「申し訳ございません。……お食事の用意は既に整っております」
「そうなのね。ラインハルト様のお口に合えばよろしいですが」
私がそう言うと、少し後ろをゆったりと歩いていた彼は「あぁ」と相槌を打ってくれる。
「北部の料理は塩味が強いと聞いた。初めて食べるが、楽しみだ」
「きっとお楽しみいただけると思いますわ。王城では日頃どのような料理を召し上がっているんです?」
「……あー」
普段は言い淀むことのないラインハルト様が、珍しく言葉を濁す。
すると、私の横でセルカがクスッと笑いを漏らした。
「普段の食事、適当だもんね」
「お前に言われたくはない、セルカ」
「それって暗に認めてるじゃん」
「きちんと食事は摂らないとお体に障りますわよ?」
私がそう言うと、ラインハルト様は目を逸らしながら首に手を当てる。
「……だが、最近はダランが戻ってきたし、三食きちんと食べている」
「でしたら安心ですわ。セルカも最近は私と一緒に食べていますし」
そんな風に他愛もない会話を続けていると、ふと芳しい香りが鼻腔をくすぐる。
いつの間にかついていた晩餐室の扉の前に立っている使用人が、私達に気付いて深く一礼し、扉に手をかけた。
「……お、来たか」
ドアが開かれると、兄上の声が響いた。
机の上に並べられているのは、いくつもの色とりどりの大皿。
王族を招いていることもあって普段よりも豪華な昼食には、北方の料理だけでなく中央の料理も用意されている。
私はもう既に昼ご飯を済ませているものの、それでも食欲が刺激されてしまう。
「リリィ、ここ」
「えぇ」
兄上に隣の席を示されて、私はそこに腰を下ろす。
同時に入室したセルカは私の後ろに立ち、ラインハルト様はユークライ殿下の隣に座った。
何気なく前を向いた時、目の前の光景に軽く目眩がしそうになる。
三人の次期王太子候補。風呼びの宴の時でさえ、この三人は揃わなかったというのに、ただの昼下がりに我が家で食事の席に一緒についているなんて。
「ラインハルト、これ美味しいよ」
「ありがとう。食べてみる」
「兄さん、これも」
「あぁ、ありがとう」
自分の左右を挟む兄弟から、多くの料理を示されて頷くラインハルト様は、順番に一つずつ口に運んでいく。
相変わらず表情はあまり動かさないが、ナイフとフォークが止まらずに動いているのを見ると、どうやら気に入ってもらえたらしい。
取り皿が空く度に、先に食事を始めていたユークライ殿下とサーストン殿下が次のものを勧め、ラインハルト様は時折気に入ったらしい料理を何回も取りながら、色々口に運ぶ。
その様子を見ていたらなんだか私も小腹が空いてしまって、近くのサラダに手を伸ばした。
「それで、リリィ」
ちぎったパンを片手に、兄上が私の名前を呼ぶ。
何か話があるのならと、一度食事を止めて食器を置いたのだが、耳に入ってきたのは私の肝を冷やすような問いかけだった。
「失礼なことはされなかった?」
「兄上。食べ物を手に持ったまま話すのも、そのようなことを言うのもやめて」
一応主語はぼかしているけれど、誰のことについて話しているかは明白だ。
厳しい声で強めに言っても兄上はどこ吹く風で、ひとまずパンだけは口に放り込む。
「……んぐ。言っておくがリリィ。俺は、あのことを許すつもりはないぞ。これはこいつも知ってる」
「兄上!」
「いいんだアマリリス」
そう口を挟んできたのは、サーストン殿下本人だった。
彼は一度カトラリーを置いて何故か頬に手を当てると、軽くふっと笑う。
「自分のしたことはわかってる。簡単に許されるよりも、憎まれる方が這い上がりがいがあるものだろ」
「……まぁ意欲に溢れてるのは結構なんじゃないすかね。な、ユークライ?」
「そうだね」
鷹揚に頷いたユークライ殿下が、「実は」と切り出す。
「アマリリス嬢にまだ伝えていなかったことがあるんだ」
「なんでしょう」
「まず、ララティーナ・ゼンリルの闇魔法についてなんだが……ラインハルトから聞いたか?」
「えぇ。先ほど伺いました」
ララティーナの闇魔法が、サーストン殿下に作用し、感情の制御を難しくさせていたという事実。
最初聞いた時はかなり衝撃だったが、冷静に彼女の周りにいた男子生徒の様子を思い返してみると、そこまで突拍子もない話なわけではない。
「うん。だったらわかっていると思うけれど、サーストンは理性を半ば失ったような状態にされていた。そして、その状態はしばらく前まで続いていた」
その言い方で今更だが、いつどうして魔法の効果が切れたのだろうという疑問が浮かんでくる。
私がその疑問に行き当たったのを見透かしたように、ユークライ殿下が話を続けた。
「数日前、サーストンがララティーナから贈り物として受け取っていた置物を壊してしまった際に、一気に効果が下がったらしい。その魔法の詳細や他の持ち物については、まだ検証中だったっけ?」
「僕だけでなく、魔法師団の呪術師にも確認させているから、もう少し時間がかかるらしい」
「ということだ。ただ現時点では、置物などに刻んでいた魔法陣が魔法の効果を持続させていたと考えている」
確かに、そう考えるのが一番妥当だ。
つまりどういうことかと考えた時に、兄上のさっきの「意欲に溢れているのは結構」という発言をふと思い出す。
「……まさか、囮に?」
「話が早くて助かるよ。そういうことだ」
「危険ではありませんか…?そもそも彼女の狙いには王家が含まれていて、魔法が解けているとわかった際に再びかけられるだけならまだしも、命を狙われる危険性も」
「……これは内密な話なんだが」
ユークライ殿下が声を潜める。
「陛下が今外遊なさっているのは知っているかな?」
「えぇ。メイスト王国とファゼル帝国を訪れていらっしゃると聞き及んでおります」
「その通りで今メイスト王国にいるんだが……どうもあの国は、俺達三人の資質を疑っているらしく、王太子選に干渉してこようとしているようなんだ」
メイスト王国はウィンドール王国の西に位置する国で、川を隔ててはいるものの、比較的人や物の交流が盛んな国だ。
独特の精霊信仰が根強く、どちらかというと閉鎖的な国だが、今の国王は積極的に他国への影響力を伸ばそうと考えているらしい。
「長男は未だにふらふらと婚約者を決めようともせず、次男は病み上がりで表舞台に戻ってきたばかり、三男は婚約破棄騒ぎを起こした問題児、と思われているそうだよ。同様の評判は、ファゼル帝国でもあるらしい」
「あながち間違ってねぇな」
「ちょっと兄上」
「残念ながら、ね。だから俺達は、彼の国が侮れないくらいの成果と結束を見せつけなければいけない」
ユークライ殿下はにっこりと口角を上げる。
「王族や公爵家を狙う不届き者を、三人の王子がそれぞれの天分を生かし協力をすることで、迅速に捕らえる。それによって、国内外の不穏分子を全て押し付けるのが目標だ」
そこで言葉を切ったユークライ殿下は、兄上と私、そしてセルカの顔を順番に見渡す。
「改めて、王家のため、そしてこの国のために力を貸して欲しい」
「ララティーナ・ゼンリルは俺の家族も狙った。今すぐにでも捕まえたいのは俺も同じだ」
「……そうね」
ララティーナは、私から婚約者を奪い、大事な家族の命を脅かし、敬愛する王族をも狙っている。
「一刻も早く捕えられるよう、私も微力ながらお力添えをいたします」
今一度そう決意した私を見るサーストン殿下の目が、彼自身への怒りで一瞬揺れたことに、私は気付かなかった。
立ち上がったままのサーストン殿下が、私にそう尋ねる。
その声には今までの刺々しさのようなものはなく、穏やかなものだった。
「……かつてのように」
言葉は自然と出てきた。
「ご自身の正しいと思われる道を、迷わずにお進みください。……ご自身の理想に恥じない生き方をしてくだされば、私から申し上げることは何もありません」
「はっ……厳しいことを言うな」
彼は表情を緩めて、私はそれにからかうような笑みを向ける。
「これくらいの意趣返しはお許しください」
「もちろん受け入れよう。……俺は、きちんと罪を背負う。もし俺が助力できることがあれば、いつでも呼べ」
そう言ってサーストン殿下は、少し赤くなった目元を何度か擦ると、扉の方まで歩いていく。
ドアの前で立ち止まった彼は、振り返ると「兄さん」と私の隣に座っているラインハルト様に声をかけた。
「同席してくれて感謝する」
「あぁ。……少し待て」
ラインハルト様は立ち上がると、キョトンとしているサーストン殿下の側まで行き、彼の目元に軽く手をかざした。
手の甲に魔法陣が浮かんだかと思うと、すぐに消える。
「……別にいいのに」
「そうか?すまなかった」
「いや……ありがとう」
見れば、サーストン殿下の目元の腫れが引いていた。
相変わらずラインハルト様の治癒魔法の腕はすごいなと思いながら、私は兄弟の可愛らしい掛け合いに思わず小さく笑ってしまう。
相手の言葉をそのまま受け止める兄と、プライドが高く正面から礼を言えない弟。
二人の性格が上手く噛み合って、サーストン殿下が素直になっている。
もし、もっと早くにラインハルト様が表舞台に戻って、二人の間に交流があったとしたら。
そうしたら、ララティーナの魔法にももっと早く気付けて、サーストン殿下があのような行動に至ることもなく、今も私が彼の横で婚約者として立っていた未来も、ひょっとしたらあったのだろうか。
……もっとも、そんなことを今更考えても、もう私は彼に恋愛感情を抱くことはないだろうから、考えるだけ無駄なのだけれども。
「サーストン殿下」
「なんだ、アマリリス」
立ち上がって名前を呼びかけると、すぐに振り返って私の名前を呼んでくれる。
こうやって、晴れやかな気持ちで再びこの方と言葉を交わすことができるなんて、想像もしていなかった。
思い出さないようにしていた傷は、ひょっとしたら長い時間をかければ自然と治ったのかもしれない。しかし、多少の痛みを伴ったとしても、今こうして傷を癒すことができたことを、私は後悔していなかった。
「……もしよろしければ」
立ち直るために時間をかけていたら、この場できっとこのことを言い出せなかったであろうから。
「私の友人になってくださいませんか?」
「……俺が?」
「えぇ。あなたが」
不思議そうな顔をするサーストン殿下に笑いかける。
「友人として尊敬できるあなたになってくださると信じておりますから」
「……ふっ」
サーストン殿下は口角をニヤリと上げると、私に背中を向けて片手を上げるとひらりと振った。
私はそれに、見えていないのは分かっていても丁寧にカーテシーを返す。
これでまた一歩、踏み出せた気がする。
ガチャリと開けられた扉の音が、私達それぞれが前に進む音のようで、なんだか嬉しくなってしまう。
サーストン殿下の姿が見えなくなったところで、ラインハルト様が一度扉を閉める。
「アマリリス、大丈夫か?」
「えぇ。側にいてくださってありがとうございます」
「そうか。……君もサーストンも、吹っ切れることができたようで良かった」
いつもと変わらない表情なはずなのに、どこか微笑んでいるように思える彼は、スタスタと机の側まで歩いてくると、置いてあった茶器を魔法で宙に浮かべる。
ふわりと浮かび上がったティーポットやカップが、かすかにボッという音を立てながら、空中に描かれた魔法陣を通って行った。
「……ラインハルト様、ひょっとして」
「洗浄が完了した。戻せばいいか?」
「え、えぇ」
第二王子にこんなことをさせてしまうなんて、と顔から血の気がサッと引いていくのを感じる。
そもそも、身分の高い人が手ずから茶を淹れることは相手をもてなす場合であって、本来我が家にいらしているラインハルト様に任せていいことではない。片付けなんて、もってのほかだ。
「あぁ、気にするな」
私の顔色を見て気付いたらしいラインハルト様が、そのまま茶器に直接触れずに全て元通りに仕舞うと、棚の戸を閉じる。
「ここには僕と君とサーストンしかいなかった。誰も気にしていないし、こうやって元の状態に戻せば誰もわからないだろう」
「いえ、しかし…!」
「いいんだ。君達の話し合いに、わずかでも貢献できただろうか?」
そんな言われ方をしてしまっては、彼の助力を否定することなんてできない。
随分とずるい言い方をするようになったものだ。
「もちろんですわ。本当に、ありがとうございました」
「なら良かった。……待たせてすまない。そろそろ行こう」
「えぇ」
そういえば、お昼を一緒に食べるという話があった。
みんなを待たせすぎてはいけないと思いながら部屋を出ると、廊下の壁にもたれかかっている人物が「お」と顔を上げる。
「お疲れ、アマリリス」
「待っててくれたのね。ありがとう、セルカ」
「いえいえ。護衛ですから」
軽やかに私の横まで駆け寄ってきたセルカは、私の顔を覗き込む。
「……うん、平気だったみたいだね」
「えぇ。心配してくれてありがとう」
「ヴィンセントさんに言ってあげて。あの人、ソワソワしすぎてて、見かねたユークライ殿下に連れてかれたから」
「あぁ……」
正直、その様子が簡単に想像できてしまう。
兄上には本当に、ずっと心配をかけっぱなしだ。
「ラインハルトもお疲れ」
「あぁ。ダランは?」
「先に行ってるって。ご飯用意してもらってるらしいよ」
「ご案内しますわ」
セルカはここしばらくこのタウンハウスで生活しているものの、私が最近部屋や庭で食事をとることが多いため、基本的に別宅と私の部屋しか行き来していないから、あまり屋敷全体の構造は把握していない。
私が先導しようと歩き始めると、すぐに反対側からやってきたヘレナに出くわす。
私と目が合ったヘレナは、後ろのラインハルト様に一礼すると、すぐに私に駆け寄ってきた。
「お嬢様…!」
「来てくれてありがとう、ヘレナ。……私は大丈夫よ」
幼い頃からずっと侍女として私を近くで見守ってくれて、魔法学校に通っていた間も側にいてくれたヘレナは、私とサーストン殿下の仲をずっと案じてくれていた。
きっと他の使用人から、私が彼と直接話したことを聞いたのだろう。
私がそう伝えると、ヘレナは深く息を吐きながら胸を押さえた。
「左様ですか……安心いたしました」
「私が騒いじゃったせいで余計に心配かけてごめんね、ヘレナさん」
「いえ。門番からすぐに、王子殿下方がいらっしゃったと伺いましたので。ご歓迎の準備に追われ、なかなかお伺いできず申し訳ありません」
「気しないで。人が足りてないのだから」
襲撃の恐れがあるとわかり、この王都のタウンハウスから母上と二人の弟が領地に戻ることになったタイミングで、使用人の半数ほどはそれについて行った。また、臨時で雇っていた者達にも屋敷の外での仕事に移ってもらったため、屋敷には本当に最低限の人員しかいない。
「申し訳ございません。……お食事の用意は既に整っております」
「そうなのね。ラインハルト様のお口に合えばよろしいですが」
私がそう言うと、少し後ろをゆったりと歩いていた彼は「あぁ」と相槌を打ってくれる。
「北部の料理は塩味が強いと聞いた。初めて食べるが、楽しみだ」
「きっとお楽しみいただけると思いますわ。王城では日頃どのような料理を召し上がっているんです?」
「……あー」
普段は言い淀むことのないラインハルト様が、珍しく言葉を濁す。
すると、私の横でセルカがクスッと笑いを漏らした。
「普段の食事、適当だもんね」
「お前に言われたくはない、セルカ」
「それって暗に認めてるじゃん」
「きちんと食事は摂らないとお体に障りますわよ?」
私がそう言うと、ラインハルト様は目を逸らしながら首に手を当てる。
「……だが、最近はダランが戻ってきたし、三食きちんと食べている」
「でしたら安心ですわ。セルカも最近は私と一緒に食べていますし」
そんな風に他愛もない会話を続けていると、ふと芳しい香りが鼻腔をくすぐる。
いつの間にかついていた晩餐室の扉の前に立っている使用人が、私達に気付いて深く一礼し、扉に手をかけた。
「……お、来たか」
ドアが開かれると、兄上の声が響いた。
机の上に並べられているのは、いくつもの色とりどりの大皿。
王族を招いていることもあって普段よりも豪華な昼食には、北方の料理だけでなく中央の料理も用意されている。
私はもう既に昼ご飯を済ませているものの、それでも食欲が刺激されてしまう。
「リリィ、ここ」
「えぇ」
兄上に隣の席を示されて、私はそこに腰を下ろす。
同時に入室したセルカは私の後ろに立ち、ラインハルト様はユークライ殿下の隣に座った。
何気なく前を向いた時、目の前の光景に軽く目眩がしそうになる。
三人の次期王太子候補。風呼びの宴の時でさえ、この三人は揃わなかったというのに、ただの昼下がりに我が家で食事の席に一緒についているなんて。
「ラインハルト、これ美味しいよ」
「ありがとう。食べてみる」
「兄さん、これも」
「あぁ、ありがとう」
自分の左右を挟む兄弟から、多くの料理を示されて頷くラインハルト様は、順番に一つずつ口に運んでいく。
相変わらず表情はあまり動かさないが、ナイフとフォークが止まらずに動いているのを見ると、どうやら気に入ってもらえたらしい。
取り皿が空く度に、先に食事を始めていたユークライ殿下とサーストン殿下が次のものを勧め、ラインハルト様は時折気に入ったらしい料理を何回も取りながら、色々口に運ぶ。
その様子を見ていたらなんだか私も小腹が空いてしまって、近くのサラダに手を伸ばした。
「それで、リリィ」
ちぎったパンを片手に、兄上が私の名前を呼ぶ。
何か話があるのならと、一度食事を止めて食器を置いたのだが、耳に入ってきたのは私の肝を冷やすような問いかけだった。
「失礼なことはされなかった?」
「兄上。食べ物を手に持ったまま話すのも、そのようなことを言うのもやめて」
一応主語はぼかしているけれど、誰のことについて話しているかは明白だ。
厳しい声で強めに言っても兄上はどこ吹く風で、ひとまずパンだけは口に放り込む。
「……んぐ。言っておくがリリィ。俺は、あのことを許すつもりはないぞ。これはこいつも知ってる」
「兄上!」
「いいんだアマリリス」
そう口を挟んできたのは、サーストン殿下本人だった。
彼は一度カトラリーを置いて何故か頬に手を当てると、軽くふっと笑う。
「自分のしたことはわかってる。簡単に許されるよりも、憎まれる方が這い上がりがいがあるものだろ」
「……まぁ意欲に溢れてるのは結構なんじゃないすかね。な、ユークライ?」
「そうだね」
鷹揚に頷いたユークライ殿下が、「実は」と切り出す。
「アマリリス嬢にまだ伝えていなかったことがあるんだ」
「なんでしょう」
「まず、ララティーナ・ゼンリルの闇魔法についてなんだが……ラインハルトから聞いたか?」
「えぇ。先ほど伺いました」
ララティーナの闇魔法が、サーストン殿下に作用し、感情の制御を難しくさせていたという事実。
最初聞いた時はかなり衝撃だったが、冷静に彼女の周りにいた男子生徒の様子を思い返してみると、そこまで突拍子もない話なわけではない。
「うん。だったらわかっていると思うけれど、サーストンは理性を半ば失ったような状態にされていた。そして、その状態はしばらく前まで続いていた」
その言い方で今更だが、いつどうして魔法の効果が切れたのだろうという疑問が浮かんでくる。
私がその疑問に行き当たったのを見透かしたように、ユークライ殿下が話を続けた。
「数日前、サーストンがララティーナから贈り物として受け取っていた置物を壊してしまった際に、一気に効果が下がったらしい。その魔法の詳細や他の持ち物については、まだ検証中だったっけ?」
「僕だけでなく、魔法師団の呪術師にも確認させているから、もう少し時間がかかるらしい」
「ということだ。ただ現時点では、置物などに刻んでいた魔法陣が魔法の効果を持続させていたと考えている」
確かに、そう考えるのが一番妥当だ。
つまりどういうことかと考えた時に、兄上のさっきの「意欲に溢れているのは結構」という発言をふと思い出す。
「……まさか、囮に?」
「話が早くて助かるよ。そういうことだ」
「危険ではありませんか…?そもそも彼女の狙いには王家が含まれていて、魔法が解けているとわかった際に再びかけられるだけならまだしも、命を狙われる危険性も」
「……これは内密な話なんだが」
ユークライ殿下が声を潜める。
「陛下が今外遊なさっているのは知っているかな?」
「えぇ。メイスト王国とファゼル帝国を訪れていらっしゃると聞き及んでおります」
「その通りで今メイスト王国にいるんだが……どうもあの国は、俺達三人の資質を疑っているらしく、王太子選に干渉してこようとしているようなんだ」
メイスト王国はウィンドール王国の西に位置する国で、川を隔ててはいるものの、比較的人や物の交流が盛んな国だ。
独特の精霊信仰が根強く、どちらかというと閉鎖的な国だが、今の国王は積極的に他国への影響力を伸ばそうと考えているらしい。
「長男は未だにふらふらと婚約者を決めようともせず、次男は病み上がりで表舞台に戻ってきたばかり、三男は婚約破棄騒ぎを起こした問題児、と思われているそうだよ。同様の評判は、ファゼル帝国でもあるらしい」
「あながち間違ってねぇな」
「ちょっと兄上」
「残念ながら、ね。だから俺達は、彼の国が侮れないくらいの成果と結束を見せつけなければいけない」
ユークライ殿下はにっこりと口角を上げる。
「王族や公爵家を狙う不届き者を、三人の王子がそれぞれの天分を生かし協力をすることで、迅速に捕らえる。それによって、国内外の不穏分子を全て押し付けるのが目標だ」
そこで言葉を切ったユークライ殿下は、兄上と私、そしてセルカの顔を順番に見渡す。
「改めて、王家のため、そしてこの国のために力を貸して欲しい」
「ララティーナ・ゼンリルは俺の家族も狙った。今すぐにでも捕まえたいのは俺も同じだ」
「……そうね」
ララティーナは、私から婚約者を奪い、大事な家族の命を脅かし、敬愛する王族をも狙っている。
「一刻も早く捕えられるよう、私も微力ながらお力添えをいたします」
今一度そう決意した私を見るサーストン殿下の目が、彼自身への怒りで一瞬揺れたことに、私は気付かなかった。
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