【コミカライズ配信中!】 婚約破棄後の悪役令嬢~ショックで前世の記憶を思い出したのでハッピーエンド目指します!~

弓削鈴音

59話:本音と謝罪

「……俺は」

 唐突に、第三王子が口を開く。

 いや、唐突ではなかったのかもしれない。
 一瞬で脳内に溢れた戸惑いのせいで、ほんの少しが永遠のように感じられてしまった。

「いくら他者から干渉があったとは言っても、あれは俺の行動だから言い訳をするつもりはない。今回兄さんに頼んで説明をしたのは、俺の行動について謝罪をする上で、その原因となったものをきちんと説明すべきだと思ったからだ」

 言葉がどうにも耳を滑る。
 確かに声は届いているはずなのに、鼓膜を揺らすその振動が、頭の中で上手く意味を成さない。

「……待って、ください、ませんか」

 辛うじて絞り出したその声は掠れていたが、静かな部屋の中では容易に届いた。

 あぁ、と肯定してくれるその声も、膜を隔てたように遠くのように聞こえてしまう。
 視界もぐらついて、思わずきつく目を閉じた。


 サーストン・ウィンドールが、私を拒絶したことが、彼の意志ではなかった。


 その事実だけでこれほどまでに動揺してしまう自分が情けなくて、彼がまだ自分に気持ちがあるのではないかと思ってしまうことに嫌気が差す。

 公衆の面前で婚約破棄をされて、家族もそのことに怒りを覚えていて、王家の側もその素行を問題視しているから、きっともう元には戻れない。
 そんなことはわかっているのに、もう好きではなくなったはずなのに、どうして期待してしまうのか。

「……っ」

 自分で自分を抱えるようにぎゅっと腕を掴む。

 閉じた瞳の裏に浮かんでくるのは、かつての思い出。
 幼い私に贈り物をくれたこと、二人で王城の庭園でお茶会をしたこと、入学式の前日に代表の挨拶の練習をお手伝いしたこと。
 年を追うごとに、彼の私に向ける視線と言葉が厳しいものになってきたことを感じつつ当時の私は戸惑っていたが、今ならわかる。

 サーストン・ウィンドールという人にとって、アマリリス・クリストという婚約者は、彼を精神的に追い詰める原因でしかなかった。
 だからあんなに私を避けて、顔を合わせなければいけない状況になるとすぐに退席して、生徒会の仕事の際もメモでのやり取りだけだったのだろう。

 そんなに私を疎んで、遠ざけて、憎んで、嫌っていた彼が、どうして今、私に対して直接謝罪をしようとしているのか。

「……アマリリス」

 ラインハルト様から名前を呼ばれて、パッと思考から浮かび上がった。
 彼は、普段と変わらない声の調子で、私に話しかける。

「腕を強く掴みすぎだ。跡になる」

「あっ……」

 言われて、自分が思っていた以上に手に力を込めていたことに気付く。
 震える手をゆっくりと離し、膝の上で組もうとする私に、ラインハルト様はお茶を注いでくれた。

「大丈夫か?」

「……はい、ありがとうございます」

 温かいカップを、マナー違反だとわかりながら、手で包むように持った。
 薄い陶器で作られたティーカップは、程良く温められた紅茶の熱をほぼそのまま私の掌に伝えてくれる。
 数秒そうやって手に温もりを感じてからお茶を口に運ぶと、その爽やかな香りに思考が若干明瞭になった。

「……第三王子殿下、お話を遮ってしまったご無礼をお詫びいたします」

「あぁ。……もう、続けても大丈夫なのか?」

「えぇ。大丈夫ですわ」

 とにかく、今の私は彼のことを知らなすぎる。

 直接関わってきた時には彼に距離を取られていたし、前世の記憶も結局あの乙女ゲームがこの世界を正しく映し取っている保証はない。

「……ご説明を、お願いいたします」

「あぁ」

 第三王子は頷いて、口を開く。

「さっきラインハルト兄さんが説明してくれた通り、魔法学校時代の俺は感情の制御を失っていた。……当時は自覚はなかったが、思い返すと確かに合理的でない判断をしてしまっていた。あの頃俺は、ララのことと、自分の理想のことしか考えられていなかった」

 理想、というのはきっと"平等"のことなのだろう。
 そう思い返していたら、ちょうど説明が始まった。

「ララは、俺の理想を……国民全員が平等に暮らすことを、素晴らしいと言ってくれていた。他の貴族生徒には呆れられ、冗談だと思われていたのに、あいつだけが同意してくれた。……俺に必要なのはあいつだと、本気で思うようになった」

 これは、乙女ゲームのシナリオ通りだ。

 誰からも相手にされない理想を、それでも追いかける第三王子サーストンの唯一の理解者となるのが、主人公のララティーナだった。
 ゲームの中のストーリーだと、彼が平等を志すようになったきっかけは、悪役令嬢のアマリリスだった。

「……どうして、平等をお求めに?」

 ついそう聞いてしまったのは、やはり自分が原因なのか気になってしまったからだ。

「俺が、自分が王族であることに疑問を持っていたからだ」

「……え」

 突然告げられたその言葉に、私は思わず驚きの声を漏らしてしまう。
 私の横に座っていたラインハルト様も、無言で腕を組んだ。

「俺は第三王子として生まれて、たくさんの大人に囲まれて育った。その大人達のほとんどは貴族で……私利私欲のために子供を利用する、汚い連中だった」

 彼は、拳をぐっと握って自分の膝の上に打ち付ける。

「幼い頃から賢く立ち回っていたユークライ兄さんを利用できないとわかり、黒持ちで魔法の才能に秀でていたラインハルト兄さんを恐れていた大人達は、俺に擦り寄ってきた。俺の機嫌を取るために、耳触りの良いおべっかばかり使って、大量の贈り物をしてきたあいつらは、誰一人として俺自身を見てはいなかった。あいつらが見てたのは、俺の肩書きだった…!」

 彼の感情が昂るのに伴って、部屋中の空気が震え始めた。
 ティーカップがカタカタと揺れ、肌がピリつく。

「サーストン」

 しかし、ラインハルト様が名前を呼んだ瞬間に、それが一瞬で収まる。

「……すまん、兄さん」

「あぁ」

 一度紅茶に口をつけた第三王子は、「すまなかった」と一言断ってから再び話し始める。

「そんな大人の態度が余計に悪化したのは、アマリリスと婚約してからだ」

「っ……」

 自分の名前が出てきて、思わず肩が強張る。

「公爵家との繋がりが出来たのは素晴らしいと、そう繰り返し言われて、王太子の座も近くなったと知らないやつらも声をかけてくるようになって……それが、貴族と繋がりがない、王太子になれない俺には価値がないことの裏返しなんじゃないかって思うようになった」

「……」

「そんな風に考えるようになってから、それは俺だけじゃなく他の貴族も、肩書きがなくなったら価値がない存在なんじゃないかと思うようになった。魔法学校に入って、下級貴族や平民出身でもひたむきに努力をする同級生と出会ってから、俺はより強くそう感じるようになった。だから」

 そこで一息ついた第三王子は、大きく息を吐きながら背もたれにもたれかかる。

「……あの時の俺は、貴族なんて要らないと本気で思っていた。……今考えると、それがおかしいってことはわかる。貴族制度はこの国を円滑に動かすために必要で、貴族の全員が全員、地位にあぐらをかいているわけじゃないことは、よく知っていたはずなのに」

 背中をソファに預けて天井を見上げている彼の表情は、長い前髪もあってよく見えない。

「……俺はあなたを尊敬していた、アマリリス」

「っ!?」

「子供なのに、遊ぶ時間も削って勉強して、マナーや教養を身に付けて、辛いはずなのに弱音を一切吐かずに俺の前ではずっと笑っていたあなたを、俺は本気ですごいと思っていた。……でも俺は……俺は、どうしようもなく、弱かった…っ」

 彼の声は、震えていた。

「ユークライ兄さんのように賢くもなく、ラインハルト兄さんのように魔法の天才でもない俺は、何をしても誰にも勝てない俺には……アマリリスが、眩しすぎた」

「っ、そんな、こと」

「その眩しさに、最初は励まされていた。俺も頑張ろうって思ってたはずなのに……俺には、なんの才能もなかった…っ!勉強も、武術も、魔法も、社交も、必ず誰かに負けていた!俺は、俺が……自分のことが、嫌いだった。でも……俺は弱くて、自分のことを嫌う勇気も、なかった…っ!」

 彼は、緩慢な動きで腕を上げると、自分の目元を押さえた。

「そこに漬け込まれて…っ、ララが、婚約者でも嫌いになることはあるって、そう言ったのに納得して、納得したふりをして、あなたを憎むようになった…っ!」

「……」

「俺は……っ」

 ふぅ、と大きく息を吐いた彼は、前を向くと乱暴に目元を拭い、立ち上がった。

「……あなたを嫌うことで、自分を守ろうとしていた。愚かなことをして、あなたを傷つけてしまった。俺は、馬鹿なことした……本当に、申し訳なかった…っ」

 ゆっくりと、頭を下げられる。

 部屋には静寂が降りた。
 その静けさが、耳にひどく痛い。

 どう返事をすればいいかわからず、膝の上で組んでいた手が強張る。

「……っ」

 固まる私の視界に入ったのは、ポタリと落ちる透明な雫だった。

 見れば、足の横できつく握られた拳はかすかに震え、耳を澄ますと彼の荒い息遣いが聞こえてくる。

 ふと、今日の彼の瞳を思い出した。
 その双眸の奥にあった怒りの光は、てっきり私に向けられていたものかと思っていた。

 しかし、今思えばあれは、きっと彼自身への怒りだったのだろう。

 彼は、そういう人だ。
 正しさを重んじ、誰にもおもねることがなく、過ちを犯した者に対しては、たとえ友人や自分自身であっても厳しい態度をとる。

 私は、彼のそんなところが好きだった。

 そう、好きだった・・・のだ。

「……私は」

 物音一つしない部屋の中に、私の声だけが響く。

「あなたの、正しさを求める高潔なお姿を、尊敬しておりました」

「っ…!」

「己を律し、ご自分の信じる道を突き進まれるあなただから、私は婚約者でありたいと思っておりました」

 この言葉では、自分の感情を制御できていなかった彼を責めているように聞こえてしまうだろうか。
 でも、これが私の偽りのない気持ちだから。

「……謝罪は、お受けいたします。その上で、どうか伝えさせてください」

「……っ、あぁ。なんでも、言ってくれ」

「私はあなたを、お慕いしておりました。ですが、今の私は……あなたを、これ以上慕うことはございません。尊敬することが、できません…っ」

 喉が突っかかりそうになるのを必死に堪えて、私は言葉を続ける。

「それがたとえ誰かのせいだったとしても、魔法学校でのあなたは、私の尊敬できるあなたではなかった…っ」

 押し込めていた本音が、初めて溢れた。

「あなたを好きだと自分に言い聞かせないと、孤独な学校生活で何を支えにすればいいかわからず……」

 学校で心の底から信じられる相手はおらず、仕事で忙しい父上や兄上は家に帰ってもなかなか会えず、普段学校の寮にいた上の弟のレオナールとも、領地にいた母上や下の弟のシルヴァンとは、もっと顔を合わせることができなかった。

 そんな中で、唯一私が心を開いて、信頼できていた相手が、第三王子だけだった。
 彼に縋るために、私は自分にも、彼にも嘘をついてしまっていた。

「……私も、誠意のない態度を取ってしまっておりました。申し訳ありま━━」

「謝らないでくれ」

 食い気味にそう告げてきた彼と、視線がかち合う。

 涙に濡れているその青の瞳に、私はどうしてか胸が痛くなった。

「……俺は、尊敬すべきあなたを傷付けた。本当に、心から反省している。……俺を許せとは言わない。ただ、俺は何も言わないなんてことができなかった」

「えぇ。……えぇ。あなたは、サーストン殿下はそういう方ですもの」

「……あぁ」

 そう言ってサーストン殿下はふっと表情を緩めて、私は本当に久しぶりに、彼の穏やかな表情を見ることができた。

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