【コミカライズ配信中!】 婚約破棄後の悪役令嬢~ショックで前世の記憶を思い出したのでハッピーエンド目指します!~

弓削鈴音

58話:告げられた真実

「……」

「……」

「……」

 わずかな衣擦れ以外は、靴の踵の音さえカーペットに吸収され、腕を少し振るだけでも自分の立てる音が気になる。
 住み慣れた自分の屋敷なはずなのにこんなに緊張するのは、私の数歩前を迷いなく進んでいく彼のせいだろう。

「……ここだよな」

「え、えぇ。そちらです」

 数分とも数十分とも思える沈黙が、応接室に着いたことで破られる。
 私の返事に、自分でドアを開けた第三王子は、そこでそのまま止まった。

「どうした、サーストン」

 私達二人に同行してくれているラインハルト様が、部屋に入ろうとしない弟にそう声をかける。
 あー、何かを躊躇するように背を向けたまま数秒唸っていた第三王子は、やがて「兄さん」と口を開いた。

あのこと・・・・に関して、兄さんの口から説明して欲しい。俺が説明するのは、筋違いだろ」

「わかった」

「頼む」

 そう短く言って、第三王子は部屋に入っていった。
 彼が手を離したために閉じていく扉を、ラインハルト様が押さえて私に視線で入るように促してくれる。本来なら、身分の高い彼にこんなことをさせてはならないのだが、緊張で上手く働かない頭では、好意を甘んじて受け入れるしかない。

 公爵家のタウンハウスには、応接室がいくつか存在し、相手の身分によって使い分けている。
 もちろん、第三王子がよく知っているのは、王族ほどの位の高さの方々をお通しする、一番豪華な部屋だ。

 一人がけの、かなり深めのソファにクッションがたくさん置かれているのは、北方で寒さが厳しいクリストの風習だ。
 窓は、建築の手間などもあって実家とは違い一重で、開かれているそこから入ってくる風で、カーテンが軽く揺れている。

 閉めた方が、と思って振り向いたが、今この場には三人しかいないことを思い出す。
 私は、先にソファに腰を下ろした第三王子と目を合わせないようにして、早足で窓の近くに向かった。

「……ふぅ」

 窓枠に手をかけて、二人に聞こえないように小さく息を吐く。

 正直、未だにこの状況を飲み込めていない。
 あんなことがあったにも関わらず、第三王子があの頃のようにこの屋敷に来て、応接室のいつもの場所に座って、そして私に謝罪をしたいと言ってくれている。
 色々な考えと感情が混じり合って、ごちゃごちゃに絡み合って、ただそれでも一つだけ確かに持っているのは、きちんと自分の気持ちに整理をつけたいという決意だ。

 どのような顔をして向き合うべきなのか。
 もう少しだけ一人で自分に向き合いたいと、緩慢に窓を閉める私の後ろで、ラインハルト様が口を開く。

「……サーストン、どこまで僕が説明する?」

「ララティーナの能力のことは、ひとまず兄さんに説明して欲しい。……そこだけ話してもらえたら、十分だ」

「わかった」

 二人は声を潜めていたようだが、緊張しているからかいつもより聴覚が鋭敏で、耳が自然と会話を拾ってしまう。

 ララティーナの能力、とは一体何のことなのか。

 パッと思い出されるのは、魔法学校時代に自分が実際に関わったララティーナという人物。
 天真爛漫で好奇心旺盛、誰に対しても分け隔てなく笑顔で接し愛される彼女のその人当たりの良さは、ある意味能力と言っても差し支えないかもしれない。
 あるいは、もっと"能力"という表現にそぐうものを考えるのであれば、彼女の光属性への適性だろうか。魔法学校の中でも珍しいその才能に、魔法師団への勧誘も受けていると聞いたことがある。

 私の前世の記憶の中の乙女ゲーム『アメジストレイン』でも、彼女には魔法師団に入団する道があった。
 他にも、地頭の良さと根気強さで、結ばれることになる攻略対象を、精神的にも実務的にも支える選択肢もあったはずだ。

 結局、どうして『アメジストレイン』と似て非なることが起きているのか。
 何度も頭によぎったその問いをどうにも直視することができなかったのは、自分の運命が決められているものと思うのが恐ろしかったからだ。
 だから、ララティーナについて考えるのもどうにも嫌だった。

 けれど、これから絶対にその話も出てくるはずだ。

「……よし」

 大丈夫。
 前世のこともこれから乗り越えていこうと前向きに思うことができた。
 きっと婚約破棄のことも、ちゃんと直視して向き合えるはず。

 一度胸元に手を当てた。
 そこにはラインハルト様にいただいた、紐に通してある魔法具がそこにある。
 急激に魔力が放出された時に、術者と周囲の間に障壁を自動で生み出すそれについてセルカに話したところ、外部からの魔法攻撃にも反応するということを教えてもらった。
 かなり精巧な魔法具らしく、こんな良いものを頂いてしまったことになんだか恐縮してしまう。
 けれど、そのお陰で今、あの時魔法で傷つけられそうになった第三王子を前にしても恐怖を感じないと考えると、感謝しかない。

「……ふぅ」

 私は窓を閉じて、くるりと振り返る。

 先に席についていた第三王子と目が合ってつい視線を外すと、部屋の端に置いてある茶器にラインハルト様が手を伸ばしている姿が目に入った。

「ラインハルト様!?」

「どうした?」

「私がいたしますわ」

「いや、僕が淹れる。アマリリス、サーストン。僕はどの時点で外せばいい?」

 駆け寄ろうとしたのを制止され、茶器の中に水を生み出しさらに沸かし始めたラインハルト様は、慣れた手つきでお茶を淹れながらそう尋ねる。

「俺は、例のことについて話し終わってもらったらもう大丈夫だ」

「……私は、お二人さえ良ければ、ずっといていただきたいです」

 私がそう伝えると、第三王子が驚いた様子で目を見開くが、ラインハルト様はすぐに頷いた。

「わかった。僕は基本的には、求められた時にしか喋らないようにするから安心してくれ。サーストン、それでいいか?」

「あぁ。大丈夫だ」

 ついラインハルト様の同席を求めてしまったのは、やっぱりまだ怖い部分が残っているからだ。
 この怖さはきっと、自分ではどうしようもない。今できるのは、それをどうにか押し殺して、微笑みの後ろに押し込むだけ。

 私は第三王子の正面の席に、軽く礼をしてから腰を下ろす。

「……」

「……」

 第三王子が、何かを言おうと逡巡するような気配があるが、どうにも顔を上げることができない。
 いつまでも自分の手元を見つけるわけにもいかないとはわかっているが、タイミングを逃してしまって固まっている私の視界に、コトンとティーカップが置かれる。
 柔らかい優しい香りが広が理、自然と顔を上げると、魔法で自分の手元に茶器を浮かせたラインハルト様と目が合った。

「口に合うといいが」

「ありがとうございます」

「あぁ、ありがとう」

 温かいお茶に口をつけると気持ちが落ち着けられて、正面を向くことができる。

「……っ」

 久しぶりに近くで見る第三王子は、私でなくてもきっとわかるほどに憔悴していた。
 長い前髪の間からのぞく目の下には濃い隈があり、普段なら堂々と胸を張っているはずなのに、どこか疲れた様子で前屈みになって手を組んでいる。

「……アマリリス」

 名前を呼ばれて、「はい」と小さく返事をする。

「……俺の言動で、あなたをたくさん傷付けた。本当にすまなかった」

 そう言って、彼は深く頭を下げた。
 どう返答すればいいのかわからず黙り込む私に、しばらくそうやって頭を下げていた彼は、やがてゆっくりと顔を上げる。

 そうして合った双眸には、何度も見たことのある怒りが宿っていて、私は思わず身構えてしまう。
 この謝罪もまさか表面的なものなのかと、そう疑念が過ぎる。

「……今日は謝罪と、事の経緯の説明をさせて欲しい。ラインハルト兄さん」

「あぁ。このことに関しては僕から説明をする」

 そう口を開いたラインハルト様は、私の隣に腰掛けると、普段と変わらない様子でカップを一度口に運んでから話し出す。

「簡潔に確定している事実だけ説明すると、サーストンは魔法学校在学中に、感情の制御の一部を失っていた」

「感情の、制御…?」

「理性が弱くなっていたような状態だったと考えてくれ。そしてその原因が、ララティーナ・ゼンリルにある」

「なっ…!?」

 そんなこと、聞いたことがない。

 ララティーナは、確かに複数名の男子生徒と親しく、その上で第三王子にも近付いていたから、一部では魔性の女とも呼ばれていた。私自身、そのように発言したこともある。
 しかし、本当に彼らの感情に働きかけていたとは、ゲームの中でも言われたことはなかった。

「彼女は、おそらく闇魔法に適性があるか、あるいは闇魔法に精通した協力者を持っている」

「確かに、精神に働きかけることができるのは闇魔法ですわね……」

「あぁ。そして、その能力を以って、サーストンや他の生徒の感情を増幅させ、無計画な企画をさせたり、婚約破棄をさせたりしたというのが現時点での推測だ。彼女がサーストン達に贈ったものを全て調べた上で出した結論だから、ほぼ間違いないだろう」

「……え、あの、婚約破棄も?」

「あぁ。かなり時間が経過しているから必ずとは言い切れないが、当日にサーストンが着用していた衣服などに残留している魔力などを解析した結果、あの日にも相当強力な闇魔法が使用されていた可能性が高い。サーストンがかなり冷静さを欠いた判断をしていた状況証拠からも、僕達はそう考えている」

 つまり、それは。

「……あれは、サーストン様の、本当の気持ちでは、なかった…?」

「あぁ。サーストンもそう言っている」

「…………え」

 なんで、どうして。

「……どう、いう、こと…?」

 一緒に過ごした日々は、全部もう既に白黒になってしまった。
 白黒にすることでしか、自分を守ることができなかった。

 私にとって婚約者であった彼は、全ての行動の基準であり、指針であり、目標であり、原動力だった。
 心の底から敬愛していて、彼のために何かをすることが私の喜びで、生きる理由だと信じて疑わなかった。

 今思えば、私は完全に彼に依存していたのだろう。
 家族以外で唯一私を必要としてくれていた彼が、私を気にかけてくれていたのが本当に嬉しくて、だからこそ少しでも自分に落ち度があれば見放されてしまうかもしれないという恐怖があった。

 その嫌な予感が、現実となってしまったあの婚約破棄の日。
 あの日、前世の記憶を思い出したことも重なり、私は自分の大部分を喪失したような経験をした。
 家族が側にいてくれなかったらきっと未だに立ち直れていなかったくらい、あの日の出来事は私にとって衝撃的で、そしてその変化は大きすぎて、不可逆的なものだ。

「どうして、今更……」

 私を突き放した言葉が、彼の本心ではなかったと言われたところで、もう既に塞がろうとしている心の隙間に彼が入る場所はないのに。
 それなのに、彼が私の人生に入り込んでいた期間が長すぎて、ひょっとしたらまた彼が私の隣に立つ日が来るのではないかと思ってしまう自分を否定できないのが、どうしようもなく悔しくて、私は言葉を続けることはおろか考えることも、ろくにできなくなっていた。

コメント

コメントを書く

「恋愛」の人気作品

書籍化作品