【コミカライズ配信中!】 婚約破棄後の悪役令嬢~ショックで前世の記憶を思い出したのでハッピーエンド目指します!~
50話:説得
「……アマリリス」
「お邪魔するわね、アイカ」
にっこりと笑いかけると、アイカは息を吐いた。
「うん、とりあえず中に」
「ありがとう」
二人で一緒に居間まで行くと、彼女は私に椅子を勧めてくれる。
私がそこに腰掛けるのを見ると、アイカも無言で私の対面に座った。
前に見た時は机の上は随分と散らかっていたが、今は綺麗になっている。
「……片付けたの?」
「あぁ、うん。……出て行けって言われるかもって思って、だったら早めに片付けとこうって」
「……なんで」
思わず声を荒げそうになるが、貴族として感情を制御する訓練を受けてきたことが功を奏して、でもそれでも不満の声は漏れてしまった。
「なんで私が、アイカを追い出すの」
「だって……だって、嫌でしょ。私が、近くにいるの」
俯いたままのアイカが、ポツポツと話す。
「私が近くにいたら、あの頃のことを思い出させちゃう。最後のことも。……今のアマリリスには、素敵な家族がいるから、私なんて忘れた方が、きっと、絶対いいんだよ」
「……」
「ここ数日、ずっと考えてて、それでわかったの。私がアマリリスを幸せにするなんて、そんな考えおこがましかったんだって。私は、加害者で、アマリリスは……天音は、被害者で、だから、私が近くにいて、ずっとあなたを傷つけ続けることは、許されることじゃないって」
「……」
「…………ぁ、だから、調査隊は仕方ないし、警護も、まだ契約が残ってるから、やるけど、できるだけ、アマリリスの視界には入らないようにしようと、思って……」
段々語気が弱くなり、小さく縮こまるアイカは、最終的に黙り込んだ。
カーテンは閉められていて、そこから漏れ出るかすかな光が、ぼんやりとアイカの丸まった背中の輪郭を写し出す。
椅子の上で足を抱えて体育座りをする姿に、不安になるとこうする癖は変わらないのだなと、なんだか喉の奥が苦しく詰まるような気がした。
私は一度大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。アイカがこれ以上言葉を発そうとしないのを確認してから、口を開いた。
「アイカの気持ちを伝えてくれてありがとう。……私の話をさせて欲しいの。聞いてくれる?」
「……うん」
アイカに伝えようと、天音と話したあの場で決意したことを、ちゃんと言葉にしよう。
天音もアイカも救う。
そのために、周りの人の力を借りることを。そのために、言葉を尽くすことを。
前世の私達も……今世の私にも、できなかったことを。
「……私はアイカと違って、今まで自分の前世のことを知らないまま生きてきた」
「……うん」
「クリスト公爵家の長女として生まれて、生活には不自由なく大切に育ててもらった。……この瞳の色のせいで、色々言われたこともあったけれど」
アイカが、ぎゅっと自分の膝を抱えたまま、わずかに顔を上げる。
「初めは、家族のために……第三王子殿下と、あの人と出会ってからは、あの人のために、誰にも負けないようにずっと努力してきた。結果を出すことが、私が大好きな人達への一番の罪滅ぼしで、恩返しだと思っていたから」
未だに偏見が根強く残る黒持ち。
そんな私というお荷物を背負った家族と、そんな私とも婚約を結んでくれた初恋の人に、私はどうしようもない感謝と罪悪感を抱いていた。
ただでさえ、私と関係があるということが負担になっているのに、私自身の至らなさのせいでさらに損をさせてしまうことは絶対に嫌で。
「だから弱音も吐かないと決めていたし、辛い時は一人で耐えなければいけないと思っていたの。……けれど、違かったのね」
今まで、考えたくなくて思い出さないようにしていた、前世の私がプレイした『アメジストレイン』━━━この世界と酷似した乙女ゲームの世界での、第三王子サーストンルート。
主人公との会話でのある言葉で、私は気づかざるを得なかった。
『弱いところも含めてお前だろう?俺に隠し事はするな。全部受け止められるに決まってるだろ』
推しではなかったのに、そのセリフがやけに残っているのは、きっとかつての私が誰かにそう言って欲しかったからだろう。
あの頃は純粋にときめいたこの言葉に、思わず乾いた笑いが漏れてしまったのは皮肉なことだ。
私は彼のために、完璧な私であろうとした。弱み一つ見せない、隙のない私に。
そのせいで彼の心が離れてしまったということに気付いた時には、もう遅かった。
そして、弱みを見せることが駄目なことではないと家族に教えてもらったのも、つい最近のことだった。
「常に優秀な自分でいることが相手のためだと思っていたけれど、そうではなかったの。私の周りの人は、私が助けを求めるのを待ってくれていた。……不思議よね。なんだか前世のアイカと似てて」
俯いたまま、視線だけ私の方に向けてくれているアイカと目が合う。
「"私"はずっと、"お姉ちゃん"を助けたかったよ」
「……っ」
「でもできなかった。……だから今伝えたいの」
助けたかった側にも、助けを求めたくなかった側にもなったことがあるからこそ、私はこれを言葉にしなくてはならない。
「私にあなたを助けさせて、アイカ」
「……助けさせて、って……私は……」
「あなた自身の人生を生きて」
私がそう口にすると、彼女はビクッと肩を震わせた。
「あなたが好きなことを、楽しいと思えることを選んで。あなた自身の心の声を聞いてあげて」
「……そんなこと、許されないよ。だって、だって私は……」
「あれは天音の選択。その責任を天音から奪って背負おうとするのは、傲慢よ」
あえて選んだ強い言葉に、彼女はたじろぐ。
しかしこれは紛れもない、"私"の本音だ。
「……でも、でもあなたに持ちかけたのは私だったの!私が悪いの、私が……っ」
「お願い、自分で自分を傷付けないで」
私は立ち上がって、机を回り彼女の前に膝をつく。
濡れた目で私を見つめる彼女の手をとって、自分の手に重ねた。
「あの結末は、私達が二人で選んだもの。……でもあなたは、あの結末を後悔している」
「だって、私のせいで━━━」
「未来を奪ったから?」
私が彼女の言葉を引き継ぐと、一瞬目を見開くが、すぐに頷いた。
「そう。天音の未来を、奪ってしまった」
「天音の未来を奪ったのは天音自身。……今私が話したいのは、後悔している理由の方」
理由、と口の中で呟いて戸惑うように眉間に皺を寄せる。
「後悔は、だって……」
「未来に幸せがあったかもしれなかったから、その幸せを掴みたかったから、後悔しているんでしょう?」
言葉に力を込めて、そう尋ねる。
「あったかもしれなかった人生がなくなってしまったことが悔しいんでしょう?」
「……っ」
「私も同じ。……だからもう、後悔をしたくない。後悔をしないための選択をしたい」
私を不安げに見つめる双眸は、日本人離れした鶯色。
その高い鼻筋も、切れ長な目尻も、赤みを帯びた焦茶の髪も、全部記憶の中の藍佳とは違う。
「……セルカとして、生きて」
その一言で、きっと私の言わんとしているところを理解したのだろう。
苦しそうに目を細めて弱々しく首を振る。
「無理だよ……私は、だって……」
「やり直しましょう、私達の人生を。過去は変えられないけれど、縛られる必要なんてないのだから」
「…………でも、でも…!」
「忘れる必要はないわ。時々、あの頃の話をしたっていい。けれど私は、セルカに前世を背負って欲しくないの」
「……そんな卑怯なこと、できないよ」
「卑怯じゃないわ。……そうだ」
私は口角を上げて、悪戯っぽく笑いながら問いかける。
「ユークライ殿下に聞いてもらう?」
「えっ!?何、言ってるの!?」
今日一番の大きな声を出す彼女の手をぎゅっと握り、私はますます笑みを深める。
「前世の辛かったこと、苦しかったこと。ずっと暗い話ばかりしたら不安にさせてしまうだろうから、楽しかったことも」
「そんな……そんなこと言っても、信じてもらえないし、意味ないよ」
「殿下はセルカの言葉を頭ごなしに否定する方ではないわ。それに意味はある」
婚約破棄の後、家族や家のみんなが側にいてくれて、そのお陰で前を向くことができたこと。
事情を知っている誰かが側にいて支えてくれることの強さを、私は知った。
そして、時には全てを話さなくても。
「無理に全部話す必要はないわ。自分の伝えられる範囲だけ話すだけでも、伝えられた側は嬉しいの。自分を信頼してくれているこの人を支えたいと、そう思うの」
誰か大切な人から投げかけてもらえる言葉が一歩踏み出す原動力になることも、私は知っている。
「『あなたは幸せになれる、なるべき人』よ、セルカ」
「……っ」
「きっとユークライ殿下もそう言ってくれる。その手助けをしてくれるわ」
「……そんな、虫のいい話……」
「だったら、セルカもユークライ殿下を支えればいい」
あ、と声を漏らしたセルカに、私は笑いかける。
「それが、人と人との関係でしょう?」
「……でも」
「もちろん私もセルカを支えるし、逆に私を助けてもらう時もあるかもしれない。そうやって一緒に感情と時間を共有して、過去の苦しかったことも、未来への希望も一緒に話して、明日を楽しみにする……そんな日々を、私はセルカに送って欲しい」
これが、私の出した結論だった。
今すぐに、セルカに過去を忘れてもらうことや乗り越えてもらうことはできない。そして、たとえ時間があったとしても、結局のところ私にしかこの話を共有できないとしたら、天音への罪悪感を抱え続けることになる。
だから、信頼できる他の人にも前世のことを話し、あの時の苦しさと後悔に、時間をかけて折り合いをつけていく。
前世を切り捨てず、誰も見捨てない唯一の道。
これが私の選ぶ、これからの私とセルカの進む未来。
私が口を閉じると、部屋には沈黙が降りた。
窓も扉も閉められて風も通らず、まるでここだけ時間の流れに置いて行かれてしまったかのように、物音一つない。
ただ、私が握っているセルカの手から感じられる微かな拍動だけが、私に時間が止まっていないことを教えてくれる。
「…………いいの、かな」
しばらく黙っていたセルカが、ポツリと口を開いた。
その声は震えていて、見れば瞳は潤んで揺れている。
「私が、幸せになって、いいのかな…?」
細い声で告げられたその問いかけに、私は迷わず力強く頷いた。
「いいに決まってるわ」
「……ほんとに?」
もっと早くに出会えて、この言葉を伝えられていたら良かったと、今までの年月一人で苦しんできたであろうセルカを見ると思ってしまう。
だからこそこれからの日々は、精一杯、言葉だけでなく行動でも、伝えてあげたい。
「本当」
私は心からの笑顔を向ける。
「……大好きよ、セルカ」
私は立ち上がって、セルカを抱き締めた。
彼女の息遣いと温かさ、そしてトクトクと動く心臓が近くに感じられる。
私も彼女も、生きている。
だから今こうやって互いに触れ合うことができているのが、たまらなく嬉しい。
「…………あま……」
「ん?」
「……アマリリス」
セルカが、ぎこちない様子で私の背中に腕を回す。
「アマリリス」
「えぇ、ここにいるわ」
「うん、アマリリス。…………私は、セルカ」
「……えぇ」
たった一言、名乗っただけ。
それだけでも、そこに込められている重さに、私は思わず腕に力がこもる。
「セルカとして……アマリリスと、友達に、なってもいい?」
目の奥が熱くなり、堪えるために思わず目を細めた。
「っ、もちろん!……もちろんよ、セルカ」
「ありがと……本当にありがとう、アマリリス」
セルカが私の背に回した腕に力が込められる。
私もそれに負けじと、もう二度と離さないという決意を込めて、強く彼女を抱き締めた。
「こちらこそ。私と友達になってくれてありがとう、セルカ」
「うんっ…!」
その返事は、少し鼻声で、けれど私が今まで聞いたことのある彼女の声の中で、一番底抜けに明るくて、嬉しそうな声色だった。
「お邪魔するわね、アイカ」
にっこりと笑いかけると、アイカは息を吐いた。
「うん、とりあえず中に」
「ありがとう」
二人で一緒に居間まで行くと、彼女は私に椅子を勧めてくれる。
私がそこに腰掛けるのを見ると、アイカも無言で私の対面に座った。
前に見た時は机の上は随分と散らかっていたが、今は綺麗になっている。
「……片付けたの?」
「あぁ、うん。……出て行けって言われるかもって思って、だったら早めに片付けとこうって」
「……なんで」
思わず声を荒げそうになるが、貴族として感情を制御する訓練を受けてきたことが功を奏して、でもそれでも不満の声は漏れてしまった。
「なんで私が、アイカを追い出すの」
「だって……だって、嫌でしょ。私が、近くにいるの」
俯いたままのアイカが、ポツポツと話す。
「私が近くにいたら、あの頃のことを思い出させちゃう。最後のことも。……今のアマリリスには、素敵な家族がいるから、私なんて忘れた方が、きっと、絶対いいんだよ」
「……」
「ここ数日、ずっと考えてて、それでわかったの。私がアマリリスを幸せにするなんて、そんな考えおこがましかったんだって。私は、加害者で、アマリリスは……天音は、被害者で、だから、私が近くにいて、ずっとあなたを傷つけ続けることは、許されることじゃないって」
「……」
「…………ぁ、だから、調査隊は仕方ないし、警護も、まだ契約が残ってるから、やるけど、できるだけ、アマリリスの視界には入らないようにしようと、思って……」
段々語気が弱くなり、小さく縮こまるアイカは、最終的に黙り込んだ。
カーテンは閉められていて、そこから漏れ出るかすかな光が、ぼんやりとアイカの丸まった背中の輪郭を写し出す。
椅子の上で足を抱えて体育座りをする姿に、不安になるとこうする癖は変わらないのだなと、なんだか喉の奥が苦しく詰まるような気がした。
私は一度大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。アイカがこれ以上言葉を発そうとしないのを確認してから、口を開いた。
「アイカの気持ちを伝えてくれてありがとう。……私の話をさせて欲しいの。聞いてくれる?」
「……うん」
アイカに伝えようと、天音と話したあの場で決意したことを、ちゃんと言葉にしよう。
天音もアイカも救う。
そのために、周りの人の力を借りることを。そのために、言葉を尽くすことを。
前世の私達も……今世の私にも、できなかったことを。
「……私はアイカと違って、今まで自分の前世のことを知らないまま生きてきた」
「……うん」
「クリスト公爵家の長女として生まれて、生活には不自由なく大切に育ててもらった。……この瞳の色のせいで、色々言われたこともあったけれど」
アイカが、ぎゅっと自分の膝を抱えたまま、わずかに顔を上げる。
「初めは、家族のために……第三王子殿下と、あの人と出会ってからは、あの人のために、誰にも負けないようにずっと努力してきた。結果を出すことが、私が大好きな人達への一番の罪滅ぼしで、恩返しだと思っていたから」
未だに偏見が根強く残る黒持ち。
そんな私というお荷物を背負った家族と、そんな私とも婚約を結んでくれた初恋の人に、私はどうしようもない感謝と罪悪感を抱いていた。
ただでさえ、私と関係があるということが負担になっているのに、私自身の至らなさのせいでさらに損をさせてしまうことは絶対に嫌で。
「だから弱音も吐かないと決めていたし、辛い時は一人で耐えなければいけないと思っていたの。……けれど、違かったのね」
今まで、考えたくなくて思い出さないようにしていた、前世の私がプレイした『アメジストレイン』━━━この世界と酷似した乙女ゲームの世界での、第三王子サーストンルート。
主人公との会話でのある言葉で、私は気づかざるを得なかった。
『弱いところも含めてお前だろう?俺に隠し事はするな。全部受け止められるに決まってるだろ』
推しではなかったのに、そのセリフがやけに残っているのは、きっとかつての私が誰かにそう言って欲しかったからだろう。
あの頃は純粋にときめいたこの言葉に、思わず乾いた笑いが漏れてしまったのは皮肉なことだ。
私は彼のために、完璧な私であろうとした。弱み一つ見せない、隙のない私に。
そのせいで彼の心が離れてしまったということに気付いた時には、もう遅かった。
そして、弱みを見せることが駄目なことではないと家族に教えてもらったのも、つい最近のことだった。
「常に優秀な自分でいることが相手のためだと思っていたけれど、そうではなかったの。私の周りの人は、私が助けを求めるのを待ってくれていた。……不思議よね。なんだか前世のアイカと似てて」
俯いたまま、視線だけ私の方に向けてくれているアイカと目が合う。
「"私"はずっと、"お姉ちゃん"を助けたかったよ」
「……っ」
「でもできなかった。……だから今伝えたいの」
助けたかった側にも、助けを求めたくなかった側にもなったことがあるからこそ、私はこれを言葉にしなくてはならない。
「私にあなたを助けさせて、アイカ」
「……助けさせて、って……私は……」
「あなた自身の人生を生きて」
私がそう口にすると、彼女はビクッと肩を震わせた。
「あなたが好きなことを、楽しいと思えることを選んで。あなた自身の心の声を聞いてあげて」
「……そんなこと、許されないよ。だって、だって私は……」
「あれは天音の選択。その責任を天音から奪って背負おうとするのは、傲慢よ」
あえて選んだ強い言葉に、彼女はたじろぐ。
しかしこれは紛れもない、"私"の本音だ。
「……でも、でもあなたに持ちかけたのは私だったの!私が悪いの、私が……っ」
「お願い、自分で自分を傷付けないで」
私は立ち上がって、机を回り彼女の前に膝をつく。
濡れた目で私を見つめる彼女の手をとって、自分の手に重ねた。
「あの結末は、私達が二人で選んだもの。……でもあなたは、あの結末を後悔している」
「だって、私のせいで━━━」
「未来を奪ったから?」
私が彼女の言葉を引き継ぐと、一瞬目を見開くが、すぐに頷いた。
「そう。天音の未来を、奪ってしまった」
「天音の未来を奪ったのは天音自身。……今私が話したいのは、後悔している理由の方」
理由、と口の中で呟いて戸惑うように眉間に皺を寄せる。
「後悔は、だって……」
「未来に幸せがあったかもしれなかったから、その幸せを掴みたかったから、後悔しているんでしょう?」
言葉に力を込めて、そう尋ねる。
「あったかもしれなかった人生がなくなってしまったことが悔しいんでしょう?」
「……っ」
「私も同じ。……だからもう、後悔をしたくない。後悔をしないための選択をしたい」
私を不安げに見つめる双眸は、日本人離れした鶯色。
その高い鼻筋も、切れ長な目尻も、赤みを帯びた焦茶の髪も、全部記憶の中の藍佳とは違う。
「……セルカとして、生きて」
その一言で、きっと私の言わんとしているところを理解したのだろう。
苦しそうに目を細めて弱々しく首を振る。
「無理だよ……私は、だって……」
「やり直しましょう、私達の人生を。過去は変えられないけれど、縛られる必要なんてないのだから」
「…………でも、でも…!」
「忘れる必要はないわ。時々、あの頃の話をしたっていい。けれど私は、セルカに前世を背負って欲しくないの」
「……そんな卑怯なこと、できないよ」
「卑怯じゃないわ。……そうだ」
私は口角を上げて、悪戯っぽく笑いながら問いかける。
「ユークライ殿下に聞いてもらう?」
「えっ!?何、言ってるの!?」
今日一番の大きな声を出す彼女の手をぎゅっと握り、私はますます笑みを深める。
「前世の辛かったこと、苦しかったこと。ずっと暗い話ばかりしたら不安にさせてしまうだろうから、楽しかったことも」
「そんな……そんなこと言っても、信じてもらえないし、意味ないよ」
「殿下はセルカの言葉を頭ごなしに否定する方ではないわ。それに意味はある」
婚約破棄の後、家族や家のみんなが側にいてくれて、そのお陰で前を向くことができたこと。
事情を知っている誰かが側にいて支えてくれることの強さを、私は知った。
そして、時には全てを話さなくても。
「無理に全部話す必要はないわ。自分の伝えられる範囲だけ話すだけでも、伝えられた側は嬉しいの。自分を信頼してくれているこの人を支えたいと、そう思うの」
誰か大切な人から投げかけてもらえる言葉が一歩踏み出す原動力になることも、私は知っている。
「『あなたは幸せになれる、なるべき人』よ、セルカ」
「……っ」
「きっとユークライ殿下もそう言ってくれる。その手助けをしてくれるわ」
「……そんな、虫のいい話……」
「だったら、セルカもユークライ殿下を支えればいい」
あ、と声を漏らしたセルカに、私は笑いかける。
「それが、人と人との関係でしょう?」
「……でも」
「もちろん私もセルカを支えるし、逆に私を助けてもらう時もあるかもしれない。そうやって一緒に感情と時間を共有して、過去の苦しかったことも、未来への希望も一緒に話して、明日を楽しみにする……そんな日々を、私はセルカに送って欲しい」
これが、私の出した結論だった。
今すぐに、セルカに過去を忘れてもらうことや乗り越えてもらうことはできない。そして、たとえ時間があったとしても、結局のところ私にしかこの話を共有できないとしたら、天音への罪悪感を抱え続けることになる。
だから、信頼できる他の人にも前世のことを話し、あの時の苦しさと後悔に、時間をかけて折り合いをつけていく。
前世を切り捨てず、誰も見捨てない唯一の道。
これが私の選ぶ、これからの私とセルカの進む未来。
私が口を閉じると、部屋には沈黙が降りた。
窓も扉も閉められて風も通らず、まるでここだけ時間の流れに置いて行かれてしまったかのように、物音一つない。
ただ、私が握っているセルカの手から感じられる微かな拍動だけが、私に時間が止まっていないことを教えてくれる。
「…………いいの、かな」
しばらく黙っていたセルカが、ポツリと口を開いた。
その声は震えていて、見れば瞳は潤んで揺れている。
「私が、幸せになって、いいのかな…?」
細い声で告げられたその問いかけに、私は迷わず力強く頷いた。
「いいに決まってるわ」
「……ほんとに?」
もっと早くに出会えて、この言葉を伝えられていたら良かったと、今までの年月一人で苦しんできたであろうセルカを見ると思ってしまう。
だからこそこれからの日々は、精一杯、言葉だけでなく行動でも、伝えてあげたい。
「本当」
私は心からの笑顔を向ける。
「……大好きよ、セルカ」
私は立ち上がって、セルカを抱き締めた。
彼女の息遣いと温かさ、そしてトクトクと動く心臓が近くに感じられる。
私も彼女も、生きている。
だから今こうやって互いに触れ合うことができているのが、たまらなく嬉しい。
「…………あま……」
「ん?」
「……アマリリス」
セルカが、ぎこちない様子で私の背中に腕を回す。
「アマリリス」
「えぇ、ここにいるわ」
「うん、アマリリス。…………私は、セルカ」
「……えぇ」
たった一言、名乗っただけ。
それだけでも、そこに込められている重さに、私は思わず腕に力がこもる。
「セルカとして……アマリリスと、友達に、なってもいい?」
目の奥が熱くなり、堪えるために思わず目を細めた。
「っ、もちろん!……もちろんよ、セルカ」
「ありがと……本当にありがとう、アマリリス」
セルカが私の背に回した腕に力が込められる。
私もそれに負けじと、もう二度と離さないという決意を込めて、強く彼女を抱き締めた。
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