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【コミカライズ配信中!】 婚約破棄後の悪役令嬢~ショックで前世の記憶を思い出したのでハッピーエンド目指します!~

弓削鈴音

48話:気付き

「ダラン」

「こちらに」

 ラインハルト様が声をかけると、ダラン様が懐から小さな黒い箱を取り出した。

 机の上に置かれたそれは、カタンと硬い音を立てる。

「これは?」

「僕が昔使っていた、魔力の制御のための魔法具だ。……使ってみせるから、見ていてくれ」

 ラインハルト様がそう言って箱を手に取って、私に見えるように手のひらに載せて見せてくれる。
 黒に塗られた箱の上には等間隔の九つの窪みがあり、そこには石が嵌められていた。

 一体どのように使うのだろうと思って見ていると、石が九つ同時にぽわりと光る。

「わっ…!」

「適量な魔力を継続的に流すと石が光る。多かったり少なかったりすると消えるし」

 ラインハルト様の声に合わせて、石がパタリと光らなくなる。

「安定して流せないと、断続的になったり、全てが点灯しなくなる」

 今度はチカチカと点滅した。

「最初は一分間、中央の石を光らせ続けるのを目標にやってみてくれ」

「わかりました」

 手渡されたそれを持つと、思ったよりも重量があって緊張する。
 両手でしっかりと持って魔力を込めようとした時、ふとアイカのことを思い出した。

 前に彼女の部屋に通してもらった時に、こうやってアイカの魔法の訓練用の魔法具を触らせてもらった。
 あの時触らせてもらったものは、わざとその場の魔力を乱していて、これよりもよっぽど難易度が高いものだった。

 思えば、私の身近な魔法使いは、みんな努力家ばかりだ。
 兄上もふざけているように見えて、幼い頃から毎日欠かさずに魔法の練習をし、精霊との対話をしていた。

 私と全く違う人間のように思えるのも、それは私が想像もし得ないくらいの努力がきっとあったからで。

「……ラインハルト様は、どのくらいこれを使っていらっしゃたのですか?」

「基礎練習として、結局二年以上使っていたと思う。順番に光らせたり、わざと点滅させたりとか、色々応用が効くからな」

「そうなのですね」

 そんな風に長く使っていたものを私にも使わせてくれるのが、なんだか気を許してもらっているようで嬉しい。

 私は改めて箱を握りしめて、一度大きく息を吐いて魔力を込める。

 意識した途端、私は自分の魔力が、まるで自我を持ったかのように暴れ出すのを感じた。

「……っ」

 魔力が一気に溢れそうになる。もしそうなったら目の前にいるこの人達を傷つけてしまうかもと思うと、余計に感情が乱れて、自分の中に眠っていたぐつぐつと煮えたぎる魔力が、体の奥から迫り上がってきた。
 緊張と興奮で息が早くなり、

 反射的に抑えつけようとしたが、ラインハルト様に手を握られる。

「アマリリス」

 名前を呼ばれて、ハッと我に返った。
 大きくてひんやりとした手が、私を落ち着かせるように何度もポンポンと優しく叩いてくれる。

「焦らなくていい。ゆっくり」

「……っ、はい」

「大丈夫。君ならできる。何かあっても僕が対処する」

「はい……やってみます」

 今朝一度できたから今もできるはずだと、それにラインハルト様もついてくれていると自分に言い聞かせて、自分の魔力に意識を向けた。

 周りのものを全て壊さんばかりの勢いで溢れ出そうとする魔力を、少しずつ、少しずつ宥めて、自分の手から箱に向けて、優しく魔力を流していく。
 気分が若干落ち着いたからか魔力自体も大人しくなって、私の流れて欲しい方向にきちんと流れてくれる。

「……あっ」

 少しずつ魔力の量を調整しながらじっと箱を見ていたら、真ん中の石が光った。
 嬉しさでコントロールを失いそうになって、慌てて再び集中する。

 石の光が強くなったり弱くなったりしているのは、私の魔力制御の未熟さゆえなのだろう。
 魔法の家庭教師の先生も、魔法学校の先生も、安定した出力の重要性をよく口にしていた。魔法が発動されるそれぞれの段階での魔力量にばらつきがあると、魔法が不安定になるらしい。

 小さい頃からずっと練習をしてきて、それでずっと上手くいかなかったのが今少しできるようになったのは、すぐ側に信頼できる人がいるからなのかもしれないし、もしくは眠っていた「私」が目覚めたからなのかもしれない。

 そんなことを考えながら箱に視線を落としていると、段々ずっと魔力を流しているのが辛くなってくる。
 まだ集中は切れていないのになんで、と思いながらも必死に魔力を流すが、石の光が弱くなっていき、ついには光らなくなってしまった。

「一旦これくらいにしよう」

 ラインハルト様の声に顔を上げると、彼の穏やかな双眸と視線がかち合う。

「一分二十秒も光っていた。上出来だ」

「お疲れ様です。ぜひ甘いものでも召し上がってください」

「ありがとうございます」

 にこりと笑うダラン様に勧められたクッキーを口に運ぶ。

 さっきまで気を張っていたからか、口の中に広がる糖分に思わず頬が緩んだ。
 ラインハルト様が甘党になってしまう理由も、わかるかもしれない。

 これを手作りするなんてダラン様はすごいなと思いながら、ふと視線を感じてそちらを向くと、肘をついて私を見つめるラインハルト様と目が合った。

 普段は表情を表に出さない彼の口角が少し上がっていて、それに釣られて私までさらに口元が緩んでしまう。
 するとラインハルト様が一瞬で真顔になり、軽く咳払いをした。

「こほん……あー、その」

「はい」

 ひょっとして、何か気に触ることでもしてしまったかと思いながら姿勢を正すと、ラインハルト様も椅子に座り直す。

「こほん……魔力出力の持続時間についてだが」

 その話かと、どうやら不敬なことをしたわけではなさそうだと安堵する。

「魔力を流し続けるのには慣れが必要だ。こればかりは練習を重ねるしかない。さっきの様子を見た限り、ちょうど一分を超えた辺りからが限界のようだった。だから、しばらくは一分流し続けるのを五回やるようにしてくれ」

「五回まで、ということでしょうか?」

「いや、この道具で使う魔力量は大したものではないから、君の魔力量ならいくらでもできる。ただ、漫然と繰り返すよりも、しっかり集中を保たせてやった方がいい……と僕は思う」

「わかりました。……ありがとうございます」

 集中力が切れたら効果がない、と脳内にメモをして、私は座ったままではあるが頭を下げた。

 王族で、しかも魔法大学に研究室を持っているような優秀な魔法の研究者に、わざわざ個別で指導をしてもらえるなんて、大金を積んでもできるかわからない。

「このお礼は必ず。もし私の力が必要でしたら、いつでもお呼びください」

「いいんだ。僕がやりたくてやっていることだから」

 そう返してくれるラインハルト様の声は、やっぱり平坦ではあったけれど、どこか優しいものだった。








 私、ヘレナ・コパルトとアマリリスお嬢様は、一応縁戚に当たる。
 私の母親が、お嬢様の母君であるフローレス奥様と従姉妹で、八年前に年の離れた兄が家督を継いだ際、婚約者がおらず行き場を失くした私を拾っていただいた。

 初めてお会いした時、私は十六歳で、アマリリスお嬢様は十歳だった。
 その時には既に、サーストン第三王子殿下との婚約の話が水面下で進んでいて、お嬢様は将来王族に嫁ぐ身だった。

 朝、日が昇ると同時に起きて国内外の地理や歴史、政治の勉強、朝食を摂ってからマナー講座、昼食の後にダンスや楽器の授業、夕方には武芸の訓練、夜も寝るまでまた勉強。
 そんな自由時間が全くない日々を過ごすお嬢様の侍女になった私は、その生活を間近で見守ることになった。

 こちらが心配になる程日夜自己研鑽に励み、休日も茶会で親戚や付き合いのある家と交流し、休みなく常に動き回りながらも、接するどんな相手にも穏やかに微笑みながら接するお嬢様は、私にはもはや異質な存在にさえ感じられた。
 まだ年端もいかない少女がどうしてそこまでするのかと、当時もう既にお嬢様に仕えていたエミーに聞いたことがある。

 口数の少なかったエミーは、仕事の合間に投げかけた私の質問に、無言で自分の目を指差した。
 それだけで理解した。……理解できてしまった。

 この国に残る黒持ちへの深い偏見と差別、それに抗うためなのだと。
 そしてそれらの障害を乗り越えて、婚約者である第三王子殿下に並び立つためなのだと、普段仮面のような微笑みを貼り付けているお嬢様が、彼と一緒にいる時だけ心からの笑みを浮かべていることで分かった。

 そんなお嬢様に、侍女として一生仕えるつもりはあるのかと、勤め始めてから一ヶ月経った時奥様に聞かれた。

 正直、そこでそう言われるまで、私は二、三年勤めてから適当な貴族の次男や三男と身を固めようと思っていた。だから「一生」という言葉はとても重たい、鎖のように絡みつくもののように思えた。しかし、たった一ヶ月ではあったものの、お嬢様のお側にいることは心地よくやりがいもあって、その「一生」の鎖も悪くないとも思ってしまった。
 相反する感情のせいで返事ができなかった私に代わって声を上げてくださったのが、アマリリスお嬢様だった。

『私はヘレナに、ずっと私の侍女でいて欲しいわ。でももしヘレナが途中で辞めたいと思ったら、それは主人としての私が至らなかっただけ。だからヘレナ。あなたが私に仕えたいと思う限りは、私の側にいてくれないかしら』

 そう言って微笑まれたお嬢様は、ほんの十歳ではあったのに、私がそれまでに出会った誰よりも気高く、強く、お優しい貴族だった。

 それから私は、アマリリスお嬢様にお仕えし続けた。
 結婚適齢期に入っても、ずっとお側にいた私に、お嬢様は何度か、それとなく私の意志をお尋ねくださったことがある。
 けれど私の意志は固まっていた。
 アマリリスお嬢様に望まれる限りは、お側にずっと居続けようと。

 努力家で勤勉で自分に厳しく、そしてその厳しさをもってしても簡単には打ち勝てない大きなものに立ち向かうお嬢様。
 年下だとか、そんなことは関係なかった。私はアマリリスお嬢様の生き方に心を打たれて、このお方のために仕えたいと心の底から思った。

 だから、魔法学校の在学中、お嬢様がどんどん擦り切れていくのを見るのがとても辛かった。
 普段なら私達の前でも気丈に振る舞っているお嬢様が、自室に戻られた瞬間に糸が切れたように何度も崩れ落ちるのを見て、何もできない自分が歯痒かった。

 使用人の間でも、第三王子殿下の心離れは何度も話題に上がった。
 まだ殿下もお若いから仕方ないと、卒業すれば件の女生徒とも関わりがなくなるから大丈夫ではないかと、直接には何もできない私達は、そうやって希望的観測を口にするしかできなかった。

 しかしそんな淡い希望も、打ち砕かれた。
 人前での婚約破棄なんて、聞いたことがない。しかも王族によるものなんて。

 その場に居合わせることができず後から話を聞いた私は、深い怒りと同時に、わずかな安堵感を覚えてしまった。
 今までの目標が達成する前に消えてしまったのは本当に残念ではあったけれど、これ以上お嬢様が擦り切れることはないと思えば、喜びが勝ってしまった。

 もうアマリリスお嬢様は、第三王子殿下の婚約者ではなくなった。
 お嬢様を大事にしない相手に、お嬢様がこれ以上縛られる必要はないのだと。これからは、もっとご自由に、お嬢様自身の人生を気楽に生きていけるのだろうと。

 しかし、私のこんな希望も結局は叶わず、クリスト公爵家が何者かに狙われ、お嬢様の命も狙われる事態となってしまった。しかも、お嬢様はただこの危険に巻き込まれただけではなく、それを解決する立場にもなってしまった。

 意識を失ったお嬢様に対し、陛下から調査隊への招集がかかっていて、その補佐として私を推薦したいのだと伝えてくださったのは、ヴィンセント様━━━若様だった。

 危険が迫っているからついていかなくてもいい、ここで辞めてもいいと、いつもと同じ親しげな微笑みで、しかしその目には鋭い光を宿しながら若様は告げた。八年前に奥様に選択を迫られた時のことを思い出しながら、私は全く躊躇いもなく返事をした。

 私の返事に若様は一瞬驚いた後に苦笑して、そして頼むと、そう一言だけ口にした。

 私はあくまで侍女に過ぎない。武門の生まれとして最低限武術の覚えはあるが、お嬢様を直接的な危害からお守りすることはできない。
 だから私が専念するのは、お嬢様のお心をお守りすること。日常を整えることもその一環だし、お嬢様に近付く方々のことを調べ、必要に応じてお嬢様や奥様、若様にお伝えすることもそうだ。

 私にお嬢様の交友関係を制限する権限はないし、そんなことをするつもりもない。あくまで敵意を持って近付く輩がいたら、情報をお伝えしてそれを遠ざけるお手伝いをするだけ。

 昔からずっとそういうことを続けていたから、風呼びの宴で親しくなったという第二王子殿下とフォンビッツ伯爵について調べたのも、私にとってはいつものことだった。
 しかし、特に第二王子殿下についてあまりにも情報が集まらないものだから、かなり困ってしまった。
 いくら病で療養していたということになっていたとしても、王族であれば関わりのある商人や使用人がいて、そこから情報は流れていくはずなのに、手がかりが全くなかった。

 突然王太子選に名乗りを上げた、今まで身を隠して生きてきた第二王子殿下。
 そんな人物が、第三王子殿下に婚約破棄されたばかりのお嬢様に近付いていることに、どうしても私は警戒心を持たざるを得なかった。だからこそ念入りに情報を集めようとしたのに、それでも何も出てこないことに、どんどん不信感が募っていった。

 手に入れられるのは、噂程度の話ばかり。

 黒持ちで冷血。誰の言葉にも顔一つ動かさない、仮面を被った氷のような王子。
 実際私が会話を横で聞いていた限り、感情を一切表に出さない人という印象が強かった。



 だから本当は、いくらアマリリスお嬢様自身に言われたとはいえ、お嬢様を第二王子殿下とその元従者しかいないところに置いていくのは不服だった。
 急いで戻ろうと、アレックス様に案内された食堂で手早く食事を済ませた私は、遂に気付いてしまった。

 普段のお嬢様は、誰かが近くに来れば必ずそれに気付く。私を含む使用人であってもだ。
 気付かないのは、ご家族と一緒にいらっしゃる、つまり心を許せる相手と一緒にいらっしゃる時だけ。

「……このお礼は必ず」

 会話をしているお二人の邪魔にならないように、静かにお嬢様の斜め後ろに立つ。
 私が後ろに控えても、お嬢様は私の方に一切意識を向けようとしない。完全に気が付いていないのだろう。

 お嬢様の手元に目を向けると、見慣れない黒い箱があった。
 「お礼」と表現しているということは、第二王子殿下から送られたものなのだろう。

「もし私の力が必要でしたら、いつでもお呼びください」

 その言葉に、私は思わず表情がこわばってしまった。

 必要ならいつでもと、それはお嬢様の第三王子殿下に対する口癖だった。
 昔は、ただ「いつでもお呼びください」と、甘えるように言っていた。それに照れるように笑い返していた第三王子殿下が、いつしかお嬢様の前で笑わなくなるようになった頃くらいから、そこに「必要でしたら」と付け加えるようになった。

 また同じことが起きてしまうのかと嫌な予感が過った瞬間、第二王子殿下の落ち着いた声が耳に入ってきた。

「いいんだ。僕がやりたくてやっていることだから」

 王侯貴族らしくない、感情の見えない平坦な声。
 どこか乱暴にも聞こえてしまうが、お嬢様の頬が緩んでいるのを見る限りそうでもないのだろう。

 私は色々な感情を飲み下して、茶器の側まで移動する。
 そこでフォンビッツ伯爵と視線で会話しティーポットを勝ち取ると、ふと会話の途切れたお嬢様が、「あぁ」と声を上げた。

「ヘレナ、戻っていたのね」

「ご歓談中で、お声かけできず申し訳ございません」

「大丈夫よ。……ちょうど良かった。ラインハルト様も、ぜひヘレナの淹れる紅茶を飲んでみてください。本当に上手なんです」

「そうなのか。頼む」

 もちろんでございます、と私は微笑んで返事をしながら、再び迫り上がってくる複雑な感情を無理矢理嚥下した。



 気付いてしまった。
 わかってしまった。
 誰にも言えない、まだ芽吹いていない主人の気持ちに。

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