【コミカライズ配信中!】 婚約破棄後の悪役令嬢~ショックで前世の記憶を思い出したのでハッピーエンド目指します!~

弓削鈴音

40話:急降下

「…………ん」

 目を開けた時、そこは見慣れない天井だった。

 何度か目を瞬いて、左右を向いて辺りを見渡して、やっとここが別邸だとわかる。
 用意してもらった別邸は私一人が使うには広すぎて、ずっと居間で過ごしていたから、二週間以上ここで過ごしているというのに、このベッドから見える景色は全く知らないものだ。

 寝る前のことを思い出そうとしても、どうにも頭が重くてなかなか記憶が手繰れない。
 睡眠のために自分でこの寝室に来るはずがないのに、おかしいなと思いながら、ベッドサイドに置かれているレモン水に手を伸ばした。

 冷やしてから飲むと、少しずつ頭がしゃっきりしてくる。
 そういえば一徹明けだからなと思いながら身体を起こすと、記憶が途絶える前のことを唐突に思い出した。

「あ……」

 転びそうになってユークライ殿下にハグしてもらって、挙句にそのまま泣き疲れて寝てしまうなんて。

「うっわ……」

 恥ずかしさが込み上げてきて、思わずベッドの上で膝を抱える。
 ここまで運んできてくれたのも彼かもしれないと思うと、余計に羞恥心が湧いてきた。

 慌てて自分の着ているものを見ると、あまりにも平凡なシャツとスカートで、でも私が着ているものにしてはマシな方で、とりあえず良かったと息をつく。

 ホッとしたところで、状況は何も変わっていないのだけど。

 前世のことも、アマリリスのことも、正体不明の襲撃者のこと、そして新しく加わったユークライ殿下のことも。

 寝ていないとはいえ、荷物置き場としてありがたく活用させてもらっているこの寝室には、着替えや生活用品の入ったトランクがある。
 トランクの蓋を閉めたままで良かったと思いながら、とりあえず着替えるためにベッドを降りた時だった。

「……あれ」

 椅子の上に置かれていた小さなカードを取り上げる。
 そこには綺麗な字で、私宛てのメッセージが書かれていた。

「『ゆっくり休んで。今日の日没までは本邸にいるから、元気になったら顔を出してくれる?』って……もう夕方!?」

 窓の外を見ると、日は既に沈もうとしていて、辺りを赤く染めていた。
 私は急いで着ていた服を脱ぎ捨てて、ドロッセル様から貰ったワンピースを頭から被る。

「やばいやばい……」

 靴を引っ掛けて、窓を開けた。
 この寝室の窓はちょうど本邸の方に面していて、二階なこともあって様子がよく見える。
 とは言っても、もう既にユークライ殿下が帰ってしまったかはわからない。

 一度、姿見の前に立って全身を確認すると、髪の毛がボサボサなままのことに気付く。

「あーどうしよう、どうする……あ」

 そういえば、夜会のためにと貰ったヘアオイルがあったことを思い出し、トランクから引っ張り出してそれを付ける。
 自分でヘアアレンジができるほど私は器用ではないから、下ろしたまま悪く見えないようにオイルを馴染ませながら、窓枠に足をかけた。

 ちょうど風が吹いて、少し足がすくむ。
 克服したとはいっても、やっぱり高いところから落ちるのはいい気分がしない。

 小骨が刺さったような、そんな違和感を痛みを無視して、魔法を発動しながら勢い良く外に出る。

 重力が身体を地面に引っ張って、内臓がそれに逆らってフワッと浮く違和感に、ふとアマリリスから言われた注意事項を思い出す。

「敷地内で大規模な魔法は極力控えろ、だったよね」

 言われたことを忘れているなんて駄目な姉だと思いながら、本当はこのまま屋敷の方まで飛んで行くつもりだったけれど、着地のためだけに魔法を使うことにした。

 地面に足がついて、そのまま駆け出す。

 走りながら、ふと、もしアマリリスがいたらどうしようと、そんな不安が頭に過ぎる。
 さっきまで上向きに上昇していた気分が、一気に暗く沈んだ。

 まるで、ジェットコースターにでも乗っている気分だ。

 存在を思い出して、大好きな妹に会いたいとそう強く思って、でもあの出来事を思い出して突き落とされて。
 何年も経って実際に会ったらなんと覚えていなくて、なのに私との接触で思い出しちゃって。
 それでもあの出来事は覚えていないって言っていたのに、私は動揺してそれと結びつけられるようなことを言っちゃって。

 多分あの様子だと、記憶を取り戻したのだろう。

 私自身もだいぶ取り乱していたけど、しばらく立ち尽くしてそのまま気を失ってしまったあの様子は、なんだか自分が思い出した時と似ていたから。

「……っ」

 会いたくないなと、そう思ってしまった自分に、心底腹が立つ。
 私のエゴで無理矢理アマリリスに接触して、前世を思い出させてしまったというのに、その責任から逃げようとしている。

 本当に、どうしようもない人間だ。
 今だって、アマリリスを心配する気持ちよりも、あのことを知ってしまった彼女にひどい言葉を投げつけられるかもしれないことを怖がる気持ちの方が、実は強い。

 でもその怖がる気持ちに、ユークライ殿下に会いたい気持ちが勝ってしまっているのだから、ますますどうしようもない。

 渦巻くモヤモヤにどんよりとする気分とは裏腹に、足取りはどんどん速くなって、屋敷の扉がすぐ目の前に見えてくる。

 ほんの数段の階段を一気に飛び越えると、扉のところに立っていた衛士の人が驚きに目を丸くしていた。

「あ……ごめんなさい、急いでて」

「いえ、お気になさらず。若様から、セルカ殿が来られたら自室に案内するようにと仰せつかっておりますよ」

「わかりました。……あの、来客があったと思うんですけど、もう帰ってます?」

「第一王子殿下でしたら、まだいらっしゃいますよ」

 顔見知りになった彼に感謝の言葉を口にしながら軽く頭を下げて、中に入れてもらう。

 ドロッセル様の屋敷では普段使用人用の裏口を使っているから、こういう風に正面の入り口から入るのには、少し慣れない。
 豪奢に飾り付けられているホールを通って、人が見ていないことを確認してから、緩く円を描く階段を一段飛ばしで上がっていった。

 この二週間ほど、魔力操作の指導のために何度かヴィンセントさんの部屋には行っているから、廊下の突き当たりということは知っている。
 さすがに廊下は走れないから、大股で彼の部屋の前まで行き、一度息を深く吐いてからノックをした。

「どうぞ」

 部屋主の声にドアを開けると、ニカっと笑って手を振るヴィンセントさんと、優しく微笑むユークライ殿下と目が合う。

「体調はもう大丈夫?」

「はい。ご迷惑、おかけしました」

 部屋に入って頭を下げる。
 パッと顔を上げると、ユークライ殿下が目の前の椅子を手で示した。

「どうぞ座って」

「もう帰るんじゃないのか?」

「伝えるなら早めの方がいいだろ」

 座りながら、自分が変に見えていないかが気になって、二人の会話が入ってこない。

 ドロッセル様がくれたこのワンピースは知り合いの試作品らしく、黒地にたくさんの白い花の刺繍が散りばめられていて、服にはあまり興味のない私でも可愛いと思えたものだった。
 ただ、残念なことに流行を知らない。特に、貴族社会は流行の移り変わりが激しいと聞いたし、余計に今の自分が野暮ったく映っていない自信がない。

「セルカ、これ」

 ヴィンセントさんに声をかけられて、意識が目の前に引き戻される。

 差し出された紙を受け取ると、そこにはいくつかの日付と単語が書かれていた。

「読んで頭に入れたら燃やしてくれ」

「……『特定』、『下見』、『逮捕』って……誰かを捕まえるんですか?」

「その通り。誰だと思う?」

「夜会で王家とクリスト家を狙った犯人?」

「正解。表向きはあの夜会での襲撃犯を捕まえることになっているが、実際は陛下のご命令で、君を含む少数のみで捜査をすることになった。危険なことに巻き込むことにはなるかもしれないけれど……」

「やります」

 ユークライ殿下の言葉に被せるように口にすると、彼は驚いたように目を少し大きくする。

「……命の危険がある」

「あの場に居合わせたし、直接襲撃犯を追いました。危ないってことはわかっています」

「正直な話、俺は君を巻き込みたくない」

「でも、私が必要なんですよね?これ渡したってことは、巻き込む気しかないじゃないですか」

 絶対に引くわけには行かないと、その決意を声に込める。

 私がここで介入しなければ、誰かが命を落とすかもしれない。
 少数しか関われないとも言っていたから尚更だし、それは彼らもわかっているのだろう。

「……悔しいことに、君の協力は不可欠だ。俺とヴィンセントで解決できたら良かったんだけど」

「そうだな。できればリリィも巻き込みたくなかった」

「え、アマリリスも?」

 予想外の名前に、思わず声が上ずった。
 彼女とのことが解決していないのもあって、変に心臓がバクバクする。

 そういえばこの部屋にいるのかと今更になって軽く視線を巡らせると、ユークライ殿下とヴィンセントさん以外には二人の騎士の男性がいるだけで、他は誰もいない。
 いて欲しかったのか、それともいて欲しくなかったのか。

 頭の中の整理はつかないけれど、今の時点で彼女に合わせる顔がないということだけはわかる。

「もちろんリリィを前線に出すつもりはないから、集めた情報の精査とか必要な物資の手配とかをしてもらうつもりだけどな。で、俺らは戦闘要員」

「はい。わかってます」

「おう。改めてよろしくな!」

「よろしく、セルカ」

 ヴィンセントさんとユークライ殿下と順に握手をしてから、改めてさっき渡された紙を目を通した。
 達成目標とその横に記された日付を三巡くらいしてから、火を生み出して灰にする。

「叔母上には話を通してある。君の助手のエストレイという人物も、明日にクリスト家の別邸に来る予定だ」

「あぁ、エストレイが」

「どういうやつなんだ?」

 ヴィンセントさんの質問に、どこまで話していいものかと私は言葉に詰まる。

「……強いよ、すごく」

「へぇ。じゃあそいつも戦闘要員?」

「多分そうなると思う」

 ふーんと足を組んだヴィンセントさんが、チラリと壁にかけてある時計を見やる。

「時間大丈夫か、ユークライ?」

「そうだね、そろそろ帰ろうかな」

 ユークライ殿下が立ち上がると、それに合わせて後ろの騎士さん達が動き出した。
 若い方の人が、「馬のご用意を」と言って部屋を出る。

 ユークライ殿下とヴィンセントさんも立ち上がるから私も席を立つと、ユークライ殿下が私を手招きした。

「少し二人で話したいんだけど、いいかな?」

「いいですよ」

「じゃあ俺ら先に玄関行ってるから、あんま遅れんなよ」

 ヴィンセントさんが笑いながら、もう一人の護衛の騎士の人と部屋を出る。

 パタンと扉が閉じた音が、やけに大きく響いた。
 妙に緊張して、私は息を吐きながらワンピースの裾を伸ばす。

「……セルカ」

「はい!」

 背筋を伸ばして返事をすると思ったよりも大きい声が出てしまって、お互い目を合わせて吹き出してしまう。

「ははっ。元気そうだね。よく眠れた?」

「はい。久しぶりにちゃんと眠れました。この二日くらい、ろくに休んでなかったので」

「そっか。隈も少し薄くなったかな」

 そう言いながら、自然とユークライ殿下の手が伸ばされて、私の頬に触れる。親指で優しく目の下をなぞられて、恥ずかしさで視線を合わせることができない。

 鼓動が速くなり、ぎゅっと拳を握り閉めた手に汗が滲む。

「……ぁ」

 視線を足下に彷徨わせていたけど、意を決して前を向くと、南国の海を映し取ったみたいなターコイズブルーの目の眦が憂げに下がっていた。

 心配してくれていたのだと、誰でもはっきりわかるくらい表情に出してくれていることに、急になんだか目の奥がツンとする。
 それを堪えるために息をぐっと吸うと、ユークライ殿下が突然手を離した。

 降ろされる手を捕まえることなんてできなくて、でも最後まで視線で追ってしまう。

「……ごめん。不用意に、触れてしまって。嫌だったよね」

「そんな、大丈夫ですよ」

「いや、申し訳ない。ヴィンセントにも、あまり不用意に近付かない方がいいって注意されたばかりなのに。豪胆そうに見えて意外と繊細だから、俺が王族だってことを気にするって」

「そりゃあ王族のことは尊敬してるし雲の上の人みたいに思ってますけど……でも、別に嫌じゃないし、仮に嫌だったら抵抗しますよ」

「……本当に?」

「本当です。ユークライ殿下だって、私が上の立場の人に結構反抗するって知ってるでしょう?」

 私がそう言うと、「そうだね」と笑いをこぼす。

「確かにそうだった。……じゃあ時々、今日みたいに君を抱き締めてもいい?」

 その問いかけに、朝の出来事が思い出されて、一気に心臓がぎゅっとなる。
 なんだか上手く息が吸えなくて、それでもどうにか返事を絞り出した。

「いい、ですよ」

「……やった」

 幼い少年みたいな笑顔でそう小さく呟いたユークライ殿下が、私の背中に腕を回す。

 私も別に身長が低いわけではないけど、長身のユークライ殿下とハグすると顔が肩に埋まってしまう。
 だから横を向くと、必然的に耳が心臓の辺りになるのは、私のせいではない。
 とくとくとくと規則的な音に、緊張しているのになんだか眠くもなってきてしまう。

 触れたところから温度が交換されているのと同時に、気恥ずかしさと、それ以上の嬉しい気持ちが溢れていって、表情が緩む。
 こんな顔誰にも見せられないなんて思いながら、目を閉じて鼓動に耳を傾けていた時だった。

「ユークライ、そろそろ!」

 扉の向こうから聞こえてきたくぐもった声に、二人同時にパッと離れる。

「今行く!」

 ユークライ殿下が声を張り上げて、扉の方へ向かっていく。

 スタスタと迷いのない足取りを見ながら、何度か深呼吸をして心臓を落ち着かせて、私もおぼつかない足でどうにか扉まで辿り着いた。



 そこから、馬に乗って颯爽と帰っていくユークライ殿下を見送るまで、私は変な動悸とふわふわした感じが治らなくて、だから友人を見送ったヴィンセントさんが溜め息をついた時も、何気なく尋ねてしまった。

「どうしたのヴィンセントさん?めちゃくちゃ疲れてそうだけど」

「実際めっちゃ疲れてんの。朝からユークライと会議して、色々人を手配して、医者の応対も俺がやらなきゃいけなかったし」

「医者?誰か病気なの?」

「あれ、聞いてない?」

 何か話が行き違っているのだろうか。
 首を傾げる私に、ヴィンセントさんが爆弾を落とした。

「リリィが高熱出して、魔力も暴走してるんだ。今はだいぶ落ち着いてるけど、昨日の昼に倒れた後からずっと、意識はまだ戻ってない」

「……え」

 全身から血の気が引いて、さっきまでの浮ついた気持ちが跡形もなく消えて、背筋がスッと冷える。

「医者の話だと、呪いとかの類ではないらしいんだけど━━━」

 ヴィンセントさんの声が、耳を通って言葉にならないまま流れ出ていく。

 なんでとか、どうしてとか、そういう疑問符も出てこない。
 だって誰の責任かが、すごく明確だから。


 私のせいだと、他でもない私が一番それをわかっていた。

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