【コミカライズ配信中!】 婚約破棄後の悪役令嬢~ショックで前世の記憶を思い出したのでハッピーエンド目指します!~

弓削鈴音

39話:散らかり

 私は物心ついた時には、自分が今の自分ではない誰かの記憶を持っていることを知っていた。
 狭い孤児院での生活の中で、何かのために駆け出したい焦燥感に常に襲われていて、その正体を知りたくて、ずっとずっともどかしかった。

 ある日、その"何か"が妹であることに気付いた。

 姉妹揃って孤児院に捨てられた二人を見ていたら、唐突に思い出せた。
 私もかつて、あの姉のように、手を引いてあげていた妹がいたのだと。


 初めて無断で孤児院を抜け出したのは、四歳の時だった。
 まだ幼い頭では満足に思考をすることはできなかったから、きっと妹も近くにいるはずだと、根拠もなく信じて、夜に壁を越えて森へ走り出した。

 四歳児の体力だから、当たり前のようにそんな遠くにはいけず、月明かりを頼りに足場の悪い森を進むことはできなくて、その日から魔法を練習するようになった。
 自分が魔法を使えることは、なんとなくわかっていた。驕るような言い方かもしれないけど、才能があったのだと思う。

 前世の記憶のお陰で集中力が高かったこともあり、すぐに文字を学んで、小さい頃から本を読めたのも大きかった。
 本に載っている色々な魔法を、大人達の目を掻い潜ってこっそり練習し、体力をつけていく中で、少しずつ成熟した私は、前世の記憶を徐々に思い出していった。

 全てを最初から覚えていたわけではなかったのは、単純にまだ脳が成長していなかったというのもあるし、無意識の内に辛かった記憶を抑え込んでいたというのもあるだろう。
 それでも、一つずつ扉が開くように、記憶を少しずつ思い出していった。


 決定的な出来事を思い出したのは、六歳の時だった。
 孤児院の午後の自由時間。
 魔法の練習のために、壁に土の出っ張りを作って、ボロい屋根の上に駆け上がって、ふと下を見た瞬間、溢れ出す記憶のせいで見事に自由落下した。

 それから丸一週間、熱を出して吐きまくっていたのは、周りの大人は怪我のせいだと思っていたらしいけど、実際は記憶への拒否反応だった。
 認めたくない自分の過去への嫌悪感を吐き出そうとしても、当然そんなことはできなくて、私をこの世界に生まれ変わらせた神様がいるのだとしたら、なんて性格が悪いんだろうと呪いたくなった。

 せめてこの記憶さえなければ、最期の一年の記憶さえなければと、きつく閉じた瞼の裏にあの光景がフラッシュバックする度に考えて、その度に自分の罪を忘れたい浅ましい自分が嫌になった。
 生きる意味がわからなくなって、でも一つだけ確かだったのが、今度こそ妹を守り抜きたいという気持ちだった。

 物心ついた時から━━━いやそのもっと前から、私は妹を守りたいと思っていたというのは、言い訳がましく聞こえるかもしれないけど本当のことだ。
 前世の私は、その方法を間違えた。
 だから今世こそ、ちゃんと守るのだと、そう思っていたのに。



「……はぁ」

 扉がノックされる音で、頭に三重くらいかかっていたベールが二重くらいにまで減る。
 立ち上がっても頭がぼんやりとするのは、一夜中寝ずに考え事をしていたからだ。

 ずっといた居間からそのまま玄関へ向かうと、ここ数日ですっかり顔見知りになった屋敷の侍女のポリナさんが立っていた。

「おはようございます、セルカ様。本邸にいらっしゃらないのでお食事をお持ち致しましたよ。……あら、顔色が優れてらっしゃらないようにお見受けしますが」

 その言葉で、ぼーっとしていたまま朝食の時間にも過ぎていたことに気付いた。
 雲が出ているせいで一見しただけではわからなかったが、確か日もだいぶ高いところにある。これでは朝食か昼食かわからない。

「おはようございます、ポリナさん。昨日は、ちょっと眠れなくて」

「まぁ。体調が優れないのでしたら、医者をお呼び致しましょうか?朝食はお召し上がりになります?」

「ありがとうございます。多分、朝ご飯食べて休んだら良くなると思うので」

 左様ですか、と言いながら心配げにポリナさんが眉毛を下げる。
 私の母親が今もいたのだとしたら、きっと彼女と同じくらいの年齢なんだろう。

 どんな人で今どこで何しているのか、生きているのかさえわからない今世の両親のことなんて普段は考えないのに、頭の中に浮かんでくるのはやっぱりまだ昨日のことを引きずっているからだ。

「では、また昼食をお持ちする時に食器を」

「お願いします。ありがとうございました」

 優しく微笑んだポリナさんは、そのまま本邸の方に戻っていく。

 本当なら私の身支度を手伝ったりもしてくれるらしいのだが、性に合わなくて辞退させてもらった。
 ただでさえ客人として、今は客人兼護衛としてこんな豪華な住処を与えてもらって、三食美味しいものを食べさせてもらっていて少し肩身が狭いのに、自分の支度まで手伝わせるなんて、平民の私には畏れ多い話だ。

 居間に戻って、両手が塞がっているから乱雑な机の上のものを魔法でどかして、トレーを空いたスペースに置く。
 クロッシュを開けると、野菜の良い匂いがふわっと広がった。

「今日も美味しそう」

 クリスト家で出される料理は、さすが公爵家という感じで見た目も綺麗で味も美味しいし、レオナールやシルヴァンが食べ盛りなこともあってしっかり量もある。

 パンを小さくちぎって野菜のスープにつけながら、昨日上の空で自分が書いていたメモも読む。
 何度も魔法のアイディアを書いてはグチャグチャな線で消していたのだけど、同じことを繰り返し書いていたのに、昨日の私は気付いていなかったらしい。
 これでは何も進んでいないのと一緒だ。

「……はぁ」

 溜め息をついて、窓の外を眺める。
 昨日の昼頃から降っていた雨は朝には止んでいたようで、でもまだ晴れとは言えないどんよりとした天気だ。

 せっかくの美味しい食事なのに、どうにも楽しめない。

「楽しめない、なんて……」

 まるで被害者のセリフのようで、笑えてきてしまう。

 実際はそんなことなくて、被害者はアマリリスなのに。
 そして私は、加害者だというのに。

「……あ」

 さっきポリナさんに会った時に、アマリリスの様子はどうか聞けば良かった。

 後悔すると同時に、チャンスを見送ったことに安堵している自分もいる。
 アマリリスが今どうしているか聞いて、どうすると言うのか。慰めるのか、謝るのか、それとも逃げるのか。

 昨日までは、合理的な理由で危険が迫っているアマリリスの側にいられて、しかもお給金も貰えるこの状況を、ありがたく思っていた。
 しかし今となっては、自分の一番目を背けたいことを突きつけ続けられることが、どうしようもなく苦しかった。

「……んぐっ」

 考え事をしながら大きなパンの欠片を口に放り込んだら、喉に張り付いてむせてしまう。

「ごほっ、けほ……っ」

 息が上手く吸えなくて視界に涙が浮かんでくる。
 胸をバンバンと叩きながら立ち上がって、滲む視界で飲み物を探した。

 机の上に物が多すぎるせいで、なかなか見つからない。
 手を伸ばして色々触っていると、石や鋏が手に当たって少し痛い。それでもとりあえず何かを飲まないことには解決しないからと、マグカップを手探りで探していたら、ガラス玉が落ちる。

 パリンと割れた音が、思ったよりも大きく響いた。

「んっ……けほっ」

 ガラス玉は失敗作だったし、後で魔法を使って手で触れないように回収すればいいやと思いながら、続けてコップを探す。

 これは紙、ペン、石、これは木材と心の中で唱えながらペタペタと机を触っていると、ついに触り慣れた丸い陶器が見つかった。
 持ち上げるとある程度の重さもあって、水がまだ入っているのだと安心する。この状態で自分で水を注ぐなんて出来る気がしないから。

「んぐっ……」

 やっと水を飲めて飲み下す。

 ふぅ、と深く息を吐いて、ふと後ろを振り返ると、腰に手をかけたユークライ殿下と、杖を持ったヴィンセントさんと目が合った。

「…………あー、えっと」

 ヴィンセントさんが杖を下げながら、頭をポリポリと掻く。

「なんか、なんかが割れる音がして、なんか起きたかなーって」

「あ、ごめ……けほっ」

 まだ喉にパンが残っていたみたいで、声を出すと再び咳が出てしまう。
 慌ててもう一度マグカップに口をつけて水を飲んだ。

「……ぷはぁ。ごめんなさい、その……パン食べてて、むせちゃって」

「良かった……」

 私の言葉に、ユークライ殿下が剣の柄から手を離した。

 どうやら心配をかけてしまっていたみたいで、申し訳なくなって思わず二人の方に頭を下げる。

「なんか、勘違いさせてしまったみたいで……」

「いやぁ、こういう状況だからピリピリしちゃってな。なんもなくて良かった。俺、一回外出て声かけくるよ、ユークライ」

「うん。よろしく」

 手を振って一度居間から出て行ったヴィンセントさんに、よくわからないまま手を振り返すと、ユークライ殿下が苦笑する。

「ごめんね。あの音で何か襲撃でもあったんじゃないかと思って、俺の護衛騎士に周りを警戒させてるんだ」

「ご、ごめんなさい。私の行動で色々ご迷惑をおかけしてしまって……」

「いいんだよ。何事もなくて本当に良かった。……魔法、いい?」

「あ、はい」

 何も考えずにそう返事すると、ユークライ殿下が手のひらに魔法陣を描いて、何もない空中を掬い上げる。
 すると、床に落ちていたガラスの破片を包むように土の膜が現れ、それが固まっていった。

「……すごい。こんな高度な魔力操作」

「土属性と火属性だけなんだけどね。ヴィンセントや本職の騎士や魔法師に比べると、大した腕前じゃないよ」

 そう言って笑った彼は、触っても安全になった土の球を床から取り上げて机の上に置く。

「これ、まだ使うの?」

「あ、いや。失敗作だったので。今、爆発に対応できる魔法具を作ろうとしてるんですけど、なかなか上手く行ってなくて」

「そうなんだ。ごめん、魔法具に関してはそこまで詳しくないんだけど、頑張ってることはわかるよ。……根を詰めすぎなんじゃない?」

「え?」

「隈」

 そう言いながら、ユークライ殿下が自分の目の下を指差す。

「結構濃いよ。あんまり休めてないんじゃない?」

「……あ」

 そういえば、一昨日の夜は夜会で襲撃事件が起きたから帰りが遅くて、そのまま魔法具を作ろうとして、朝方に少しだけ寝た後にアマリリスとの一件があったからずっと今まで眠れていない。
 夜更かしも徹夜も慣れてはいるが、二十四時間以上起きっぱなしでしかもずっと後ろ向きなことばかり考えているから、疲れが顔にも出てしまっているんだろう。

「あはは、すいません。見苦しいものを」

「……何か、あった?」

 そう優しく訊ねるユークライ殿下と目が合う。

「ただ疲労が溜まってるだけのようには見えないけれど」

「いや……まぁ、ちょっと」

 前世のことは誰にも言えないし、言うつもりもない。
 そもそも私が誰かに吐き出して楽になろうだなんて、甘ったるいことこの上ないし、あまりにも我儘すぎる。

「随分と散らかってるね。片付け、手伝うよ」

「え、あ、いや、そんな!王子様に、させられませんよ」

 ろくに見えない状態で机の上を漁ったせいで、元々汚かった机がさらに大惨事になってしまっていた。
 見るに耐えなかったのだろう。
 紙を一枚一枚重ねていくユークライ殿下に、そんなことさせられないと思って私も急いで手を伸ばす。

「あの、大丈夫です。自分でできるから」

「いいんだ。少し休みなよ」

「いやでも、だから、王子様にさせられないですよ」

「気にしないで。ほら、休みなって」

「いや気にしちゃいますよ。これくらい大丈夫なので」

「いいから。座って水でも飲んで」

「殿下こそ座って……あっ」

 お互いヤケになって遠くのものにも手を伸ばしていた時のことだった。

 片足で身体を机の上に乗り出していたら、バランスを崩してしまう。
 このままだと、色々なものを巻き込んで転んで大惨事だ。

 机の上にある食器や実験器具を壊すわけにはいかないと、反射的に体重を後ろにかけようと思った瞬間。

 グッと、力強い腕に抱き寄せられる。
 抱きかかえられて、ふわっと優しく香ったのは香水なのか、それとも石鹸か何かなのか。

 ちょうど私の耳が、彼の心臓の辺りで。
 聞こえてくるトクトクと少し速い拍動に、男らしくしっかり硬い胸板に、優しく抱き止めてくれる腕に、私も心臓が速くなる。

「……怪我は、ない?」

「はい。大丈夫、です」

 頭の上から降ってきた優しい声に、私は動けないまま返事をする。

 早く離れた方がいいと、不意に思った。
 相手はこの国のトップの王子。私のような孤児なんかが、こんな近い距離でいていい相手じゃない。

 でもなぜか、離れたくないと、そう思ってしまう。

 少しだけならとこっそり体重を預ける。
 少しだけ、今だけ。

「……嫌じゃ、ない?」

 何が、とは明言せずに聞かれたその問いに、私は声を出さずに頷いた。

「……この状況が不安?」

 一瞬迷うが、首を横に振る。

「そっか。じゃあ、他に悩みが?」

 すぐに頷いた。

 背中に回された手から、穏やかな温かさがじんわりと広がっていく。
 全身を包まれているみたいで、鼓動は早くなっていくのに、不思議と心地いい。

「俺には話せない?」

 前世のことは、アマリリスのことは、絶対に話せない。
 でもこの人に対して、突き放すようなことは言いたくない。

 どう答えればいいのか頭が悩んでいる間に、気付けば喉が、なんでかしゃくり上げていた。

「っは……」

「大丈夫?」

「だ、いじょう……っは、うぅ……」

 なんでか一度涙が出てしまうと、抑えられない。
 どうしようどうしようとパニックになる私を抱き締めてくれている腕が、少し強くなる。

「ぐすっ……うっ、話せ、なくて……っ、ご、ごめんな、さい」

 泣いているのに、心の中は苦しいままなのに、どうしてか安心して涙が止まらない。

 ぐちゃぐちゃの思考がだんだん遠ざかって、トクトクという心臓の音と私を包む温もりだけが世界に残る。

「本当は話して欲しいけどね。無理矢理聞き出すなんて、したくないから」

「ごめんな、さい……」

「ううん。思いっきり泣いて。全部吐き出して」

 大きな男性らしい骨張った手が、私の頭に添えられる。
 髪をまとめていた髪紐が解かれて、長いしなやかな指が、何度も何度も私の髪を通っていった。

「……っ、ありが、とう、ございます……」

 どうにか絞り出した言葉に、一度手が止まる。

「どういたしまして」

 優しく囁かれた声を聞いて、私は目を閉じた。

 誰かにハグしてもらうなんて何年ぶりだろうと、お互いの心臓の音を聞いて、力強さと温もりを感じながら、私はしばらく彼の腕の中で涙を流した。

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