【コミカライズ配信中!】 婚約破棄後の悪役令嬢~ショックで前世の記憶を思い出したのでハッピーエンド目指します!~
37話:いかずち
「お嬢様、おはようございます」
「……おはよう、ヘレナ」
まだぼうっとする頭で、カーテンを開けてくれるヘレナに返事をする。
差し込んでくる日の光が眩しい。
「まだお疲れでしょう。朝食はお部屋でとられますか?」
「下に行くわ。水だけくれるかしら」
「こちらに」
重たい体を起こして、テキパキと動いてコップに水を注いでくれるヘレナにありがとうと言いながら、いつもより少ない人影に首を傾げる。
「エミーは?昨晩はいたのに」
昨日の夜、かなり遅くに帰ってきた疲労困憊な私を出迎えてくれていたはずのエミーがいないことに言及すると、ヘレナがドレスを持ち出しながら説明してくれる。
「昨晩、お嬢様がお眠りになった後に奥様に呼び出されて、別の屋敷に二週間ほど行くことになったそうです」
「なんでそんな急に」
「申し訳ありません、私も詳しくは聞いておらず。ただ、奥様のご実家の方に向かわれるとのことで」
「そう……」
母上の実家は、ノートル侯爵家だ。
社交シーズンに、侍女などの人手が足りなくなって親戚に頼るのはそう珍しいことではない。しかし、わざわざ私の専属のエミーを連れて行くのは少し不自然だ。
朝食の時に聞こうと思いながら、ヘレナが選んでくれたドレスに腕を通す。
今日は後で事件についての聞き取りのために魔法師団の人が来ることを聞いているから、部屋着よりも少し豪華な、けれど動きやすい紺色のドレスだ。
とりあえず朝食を食べながら母上にエミーのことを聞こうと思いながら、私はあくびを噛み殺した。
結局、いつもより遅い時間に起きてきた私が朝食をとる時には家族全員食べ終えていたらしく、寂しい朝食を終えたらすぐに魔法師団の人が来て、使用人のみんな以外に今日初めて会ったのは、別邸にいるアイカだった。
私が一人で別邸に訪れて扉を鳴らすと、黒いシャツに茶色のスカートで、髪を乱雑にまとめたアイカが出てくる。
「あ、ごめんアマリリス。会いに行こうと思ってたんだけど、これやってたら没頭しちゃって」
「これって……魔法具?」
通された居間の机の上には、複雑な図案や式が書かれた紙や、大量の石が広げられている。
その中にある不思議な輝き方をする水晶を見つけてそう尋ねると、ピンポーンとアイカが言う。
「昨日のあれが悔しくて、相手の動きを止められるものを作ろうと思って。あ、ちゃんと下に木の板敷いてやってるし、机に絶対傷はつけないから」
「良いのよそんな。自宅だと思って使ってくれて構わないから。……それ、どんな効果なの?」
アイカの隣の椅子に腰を下ろして尋ねると、彼女はきらきらとした笑顔で話し始める。
ちょうど、後ろの窓から穏やかな陽の光が差しているのも相まって、とても楽しそうに見えた。
「土属性で、発動したら蛇の形をするようになってるの。これが、私の登録した対象を自動的に追尾して、破壊されてもまだすぐ再生するようになってて、相手を拘束したら周りに二重にカプセルみたいに壁を作るようになってるんだ」
「絶対逃さないって執念を感じるわね」
「ふふ、そうでしょ?」
そう言って笑ったアイカが、あーあと伸びをする。
「昨日私が捕まえられてたら、魔法師団の人も仕事が減ったのかな」
「そんなことしたら、それこそ師団長が面目丸潰れで怒っちゃうんじゃない?」
「確かに。そしたらこれ使って足止めして逃げようかな」
二人でくすくすと笑い合う。
笑いが収まった頃に、アイカがふと真面目な表情になる。
「……ねぇ、あの眼鏡の人が言ってたの、どう思う?」
「リズヴェルトのこと?」
「多分その人。……あれって、ユークライ殿下とラインハルトが競いながら、あの事件の襲撃犯を追うってことだよね?」
「そうね。そういうことだと思うわ」
リズヴェルトが告げた、陛下からの言葉。
今回の襲撃の背後にいる王家とクリスト家を狙う何者かを捕縛せよ、という実父であり国家の頂点である陛下の命令に、いつもは何を言われても表情を変えることのないラインハルト様でさえ、どこか緊張した面持ちだった。
「……危険だよ」
ポツリとアイカが呟く。
「王家とクリスト家が狙われてるんでしょ?ってことは、ユークライ殿下とラインハルトも狙われてるってことなのに自分達で調査するなんて、余計に危険を増やしてるだけじゃん」
「……それは、そうね」
「アマリリスにも危険が迫ってるわけだし、早く総力上げて捜査して欲しいのに……」
はぁ、と大きく溜め息をついたアイカに、私は苦笑いをするしかない。
「陛下のお考えは私では推し量ることはできないけれど……きっと何か理由があるはずよ」
無駄を好まず政務は迅速。臣下からの信頼は厚く、国内外問わず評価が高い。
ハーマイル陛下は、状況を見極める速さが異常なほどに早い。そして、時折博打のように見えるそれらの判断は、全て見込んでいた通り、あるいはそれ以上の成果を生み出している。
そんな陛下が、ユークライ殿下とラインハルト様に任せると明言したということは、二人ならば反逆者を捕縛できると確信しているのだろう。
「……ララティーナ・ゼンリル」
「誰、それ?昨日いた人?」
「ごめんなさい、ちょっと独り言」
リズヴェルトは昨日、ララティーナに反逆罪の疑いがかけられていると言った。
もう既に容疑者がわかっているのであれば、確かに王子にそれを捕まえるよう命じるのもおかしな話ではない。
けれど私はどうしても、魔法学校で接していた時の彼女が、人の命を奪いかねないような行動をするようには思えないのだ。
「婚約者は奪われたわけだけれど……」
隣にいるアイカにも聞こえないくらいの小さな声でそう自虐する。
彼女は生徒会で好き放題して、私の婚約者を奪って、今も小規模な夜会などには顔を出しているらしい。
正直彼女のことは許せないが、個人的な感情を一旦置いておいて冷静にララティーナ・ゼンリルという人物のことを考えると、途端にわからなくなってしまう。
それには、前世の記憶も関係しているのかもしれない。
前世、日本人として生きていた時にプレイした乙女ゲーム『アメジストレイン』で、ララティーナ・ゼンリルというのは主人公の名前だった。地方の子爵家の令嬢で、光属性に適性があるという背景も、現実に酷似している。
ゲームの中の主人公は、仲の悪い両親の元で育った愛を知らない少女だった。
人の温もりに憧れがある彼女が、魔法学校の生徒会で出会ったメンバーと恋愛をするというのが主軸の物語で、ストーリー内の彼女は自分が受け取れなかった分の愛を人にあげたいという気持ちで、攻略対象者に向き合っていた。
現実の彼女がどうであったかは、事務的な会話か注意しかしてこなかった私にはよくわからないが、ほぼ毎日接していた彼女が王家だけでなく自分や家族の命を狙っているとは、考えたくない。
考えたくないし、考えられなかった。
生徒会としての職務の大半を放り出し、周りからの悪評などを気にせずに男子生徒の輪の中で笑っていた彼女が、ここまで大それたことを計画できるようには思えないのだ。
魔法学校の中でさえ、大局的に見れば上手く立ち回れていなかった彼女が、本当は王族の命を狙うような計画を立案して遂行できる、理性的かつ冷酷な人物だったのだろうか。
「……そういえば」
思考に沈んでいた私に、アイカが声をかける。
「護衛のこともう聞いた?」
「護衛…?」
「こういう状況だから、アマリリスの側に護衛としていてくれって、今日の朝夫人から頼まれたの。だから滞在もしばらく延ばすことになって、その諸々の関係で今日の午後くらいに一回ドロッセル様の屋敷に行こうと思ってる」
今まで魔法学校に通っていた私には、専属の護衛がいない。
外出する時には、クリスト家に仕えてくれている護衛の中で手が空いている人がついてきてくれていたが、こういった状況だから専属の護衛をつけようとしてくれているのだろう。
「今初めて聞いたわ。今日、まだ母上に会えていないの」
「あーそういえば、この後なんか城に行くとか誰かに会いに行くとか言ってたよ。なんかバタバタしてて、シルヴァンもそれについて行くって。警備体制がどうとか?」
「そういうことね……」
屋敷全体がばたついた雰囲気で、家族が誰もいない理由に納得する。
「まぁだから、アマリリスが外出する時は声かけてね。ついて行くから」
「ありがとう。お願いするわね」
「もちろん。……前の転落事件と同じやつが裏にいたとしたら、爆薬とかの搦め手も使ってくるから、念入りに準備をしないと」
そう言いながら、アイカが蝋燭に火を付けて、いくつかの石を順番にかざしていく。
「同じ、なのかしら」
「時期的にも、多分黒幕は一緒なんじゃないかなって思うよ。どっちにも逃げられてるの悔しいなぁ」
材料の名前の横に、迷いなくどんどんバツをつけていくアイカが、乱雑に石を横に押し退けていく。
そういえば前世の時も、姉は目の前の作業に熱中すると、片付けも食事も全部忘れて没頭する人だった。
そんなところは変わっていないのだなと思いながら、近くにある空き箱に、不要そうな石を入れていく。
「転落事件の時は、襲撃があったのと追跡を始めたタイミングにタイムラグがあったけど、昨日は単純に追いつけなかったんだよね……」
「でも最後は取っ組み合いに持ち込めたんでしょう?」
「多分、撒けないと思ったから直接戦闘に持ち込んだんだと思う。私のことを叩きのめせるって踏んでね……あ、ごめん、片付けやらせちゃって。自分でやるからいいよ」
「これくらいやらせて。昔もよくやったでしょう?」
私が笑いかけると、アイカの表情が固まった。
変なことを言ったつもりはなかったのに、みるみる彼女が表情を曇らせていく。
「ごめんなさい。何か変なこと言ったかしら?」
不安になってそう尋ねると、アイカは小さく声を上げて首を振った。
「いや、なんでもないよ。……あ、これ」
蝋燭の火に近付けた青色の石が光り出し、視線がそちらに吸い寄せられる。
火から離すと光は弱まり、近付けると強くなる。
それを何度か繰り返し、今度は自分の指先で生み出した火でも同じようになることを確認して、アイカはふぅと息を吐いた。
「とりあえずこれで、爆薬対策はできそうかな」
「爆薬対策?」
「うん。魔法と違って、爆薬は事前に察知するのが難しいから、爆発が起きてから自動で対処してくれる魔法具を作ろうとしてて、で、今その疑似的な効果が上手くこの石に付与できたって感じ。発光は条件として割と簡単だから、次にこれを魔法障壁になるように……って、不満げな顔」
アイカが手にしていたペンと石を置く。
顔に出していたつもりはなかったから、彼女にそう言われて微笑みで取り繕おうとしたが、もう既に遅かった。
「ごめん。私のせいだよね。つまんない話しちゃって」
「違うの。そうではないの。……大丈夫、私は待てるから」
前世の話をする度に、アイカは苦しげな色を瞳の奥に宿して、それとなく話を逸らそうとする。
虫食い状態の前世の記憶の、靄がかかって思い出せないピースを、アイカならば持っているのではないかと何度も思った。
この数日、アイカと一緒にこの別邸でマナーの講義やダンスのレッスンをしながら、何度訊きたいと思ったことか。
それでもそれを口に出さなかったのは、今世では血の繋がりがなくても守りたいと、そう言ってくれた優しい彼女に、辛い思いをさせてまで話させたくなかったから。
彼女が話したいと思うタイミングで話してくれれば、それで十分だと、自分に必死に言い聞かせてきたつもりだった。
しかし、ララティーナに反逆の容疑がかかっていて、何か前世と今世の関わりがあるような気がしてならなくて、そのはやる気持ちで上手く表情を作れていなかったらしい。
一度出してしまったらきちんと説明しないといけないと思って、でも、今もアイカの目を見ると、胸を締め付けられるような感覚になる。
「……待てるって、何を?」
アイカが恐る恐る、といった様子で口を開く。
言うべきか、言わないべきか。
私はもう既に一度、過去の姉であるアイカよりも、今の家族を優先したいと前に言ってしまった。アイカは私のために、これまでの年月を過ごしてくれていたのにも関わらず。
恩知らずな自分に嫌気が差すと同時に、それでも家族を守るために前世のことを思い出したい気持ちが抑えられない。
どうして前世であの乙女ゲームがこの世界と酷似しているのか、それを知るためにも、私はかつての「私」がどう生きたのか、完全に思い出さないといけない。
「…………知りたいの」
声に出すと、数秒前に待てると言ったにも関わらず、その気持ちがどんどん強くなる。
「アイカにとって、言いたくないことだっていうのはわかってる。無理強いするつもりはないし、辛い思いもさせたくない。だから待ちたい。……でも、でも知りたいの」
「……」
「私の前世を、全部」
「っ……」
「どうやって生きて、どうやって成長して、どんな人間で、どんな人と関わって…っ」
そうだ。
私はずっと知りたかったんだと、改めて知る。
アマリリス・クリストとしての私を助けてくれた前世の「私」を。
ゲームの記憶だけでなく、ほんの僅かに覚えている姉の温もりだけでなく、かつての「私」の人生を。
全部知りたい。思い出したい。
前にアイカが屋敷に訪れた時には、ゲーム以外の断片的な記憶を思い出せただけだった。
それだけでも頭が割れるように痛んだし、どこか心にぽっかり穴が空いたような虚無感があって、取り返しのつかないことをしてしまった後悔があった。
きっと全てを思い出したら、それ以上に苦しむことになるのだろう。
それでも私は知らなければいけないと、靄の向こうの「私」が叫ぶ。
「"お姉ちゃん"とどうやって一緒に生きてきたのか……」
「やめて!!!」
突然の大声に、鼓膜がビリビリと鳴り、体がびくりと震える。
「やめて、お願い…っ」
アイカが俯いて、両手で顔を覆う。
彼女の声に嗚咽が混じり、指の間から透明なしずくが落ちていく。
さっきまで晴れていたはずなのに、いつの間にか外は曇って、カーテンが開いているのにも関わらず室内は薄暗い。
灯りもなく、近くにいるお互いの顔もよく見えない中で、アイカの啜り泣きが響く。
「っは、ごめんなさい、ごめんなさい…!私のっ、私のせいで、あなたを……天音を、殺してしまって……っ」
雷が、落ちた。
「……おはよう、ヘレナ」
まだぼうっとする頭で、カーテンを開けてくれるヘレナに返事をする。
差し込んでくる日の光が眩しい。
「まだお疲れでしょう。朝食はお部屋でとられますか?」
「下に行くわ。水だけくれるかしら」
「こちらに」
重たい体を起こして、テキパキと動いてコップに水を注いでくれるヘレナにありがとうと言いながら、いつもより少ない人影に首を傾げる。
「エミーは?昨晩はいたのに」
昨日の夜、かなり遅くに帰ってきた疲労困憊な私を出迎えてくれていたはずのエミーがいないことに言及すると、ヘレナがドレスを持ち出しながら説明してくれる。
「昨晩、お嬢様がお眠りになった後に奥様に呼び出されて、別の屋敷に二週間ほど行くことになったそうです」
「なんでそんな急に」
「申し訳ありません、私も詳しくは聞いておらず。ただ、奥様のご実家の方に向かわれるとのことで」
「そう……」
母上の実家は、ノートル侯爵家だ。
社交シーズンに、侍女などの人手が足りなくなって親戚に頼るのはそう珍しいことではない。しかし、わざわざ私の専属のエミーを連れて行くのは少し不自然だ。
朝食の時に聞こうと思いながら、ヘレナが選んでくれたドレスに腕を通す。
今日は後で事件についての聞き取りのために魔法師団の人が来ることを聞いているから、部屋着よりも少し豪華な、けれど動きやすい紺色のドレスだ。
とりあえず朝食を食べながら母上にエミーのことを聞こうと思いながら、私はあくびを噛み殺した。
結局、いつもより遅い時間に起きてきた私が朝食をとる時には家族全員食べ終えていたらしく、寂しい朝食を終えたらすぐに魔法師団の人が来て、使用人のみんな以外に今日初めて会ったのは、別邸にいるアイカだった。
私が一人で別邸に訪れて扉を鳴らすと、黒いシャツに茶色のスカートで、髪を乱雑にまとめたアイカが出てくる。
「あ、ごめんアマリリス。会いに行こうと思ってたんだけど、これやってたら没頭しちゃって」
「これって……魔法具?」
通された居間の机の上には、複雑な図案や式が書かれた紙や、大量の石が広げられている。
その中にある不思議な輝き方をする水晶を見つけてそう尋ねると、ピンポーンとアイカが言う。
「昨日のあれが悔しくて、相手の動きを止められるものを作ろうと思って。あ、ちゃんと下に木の板敷いてやってるし、机に絶対傷はつけないから」
「良いのよそんな。自宅だと思って使ってくれて構わないから。……それ、どんな効果なの?」
アイカの隣の椅子に腰を下ろして尋ねると、彼女はきらきらとした笑顔で話し始める。
ちょうど、後ろの窓から穏やかな陽の光が差しているのも相まって、とても楽しそうに見えた。
「土属性で、発動したら蛇の形をするようになってるの。これが、私の登録した対象を自動的に追尾して、破壊されてもまだすぐ再生するようになってて、相手を拘束したら周りに二重にカプセルみたいに壁を作るようになってるんだ」
「絶対逃さないって執念を感じるわね」
「ふふ、そうでしょ?」
そう言って笑ったアイカが、あーあと伸びをする。
「昨日私が捕まえられてたら、魔法師団の人も仕事が減ったのかな」
「そんなことしたら、それこそ師団長が面目丸潰れで怒っちゃうんじゃない?」
「確かに。そしたらこれ使って足止めして逃げようかな」
二人でくすくすと笑い合う。
笑いが収まった頃に、アイカがふと真面目な表情になる。
「……ねぇ、あの眼鏡の人が言ってたの、どう思う?」
「リズヴェルトのこと?」
「多分その人。……あれって、ユークライ殿下とラインハルトが競いながら、あの事件の襲撃犯を追うってことだよね?」
「そうね。そういうことだと思うわ」
リズヴェルトが告げた、陛下からの言葉。
今回の襲撃の背後にいる王家とクリスト家を狙う何者かを捕縛せよ、という実父であり国家の頂点である陛下の命令に、いつもは何を言われても表情を変えることのないラインハルト様でさえ、どこか緊張した面持ちだった。
「……危険だよ」
ポツリとアイカが呟く。
「王家とクリスト家が狙われてるんでしょ?ってことは、ユークライ殿下とラインハルトも狙われてるってことなのに自分達で調査するなんて、余計に危険を増やしてるだけじゃん」
「……それは、そうね」
「アマリリスにも危険が迫ってるわけだし、早く総力上げて捜査して欲しいのに……」
はぁ、と大きく溜め息をついたアイカに、私は苦笑いをするしかない。
「陛下のお考えは私では推し量ることはできないけれど……きっと何か理由があるはずよ」
無駄を好まず政務は迅速。臣下からの信頼は厚く、国内外問わず評価が高い。
ハーマイル陛下は、状況を見極める速さが異常なほどに早い。そして、時折博打のように見えるそれらの判断は、全て見込んでいた通り、あるいはそれ以上の成果を生み出している。
そんな陛下が、ユークライ殿下とラインハルト様に任せると明言したということは、二人ならば反逆者を捕縛できると確信しているのだろう。
「……ララティーナ・ゼンリル」
「誰、それ?昨日いた人?」
「ごめんなさい、ちょっと独り言」
リズヴェルトは昨日、ララティーナに反逆罪の疑いがかけられていると言った。
もう既に容疑者がわかっているのであれば、確かに王子にそれを捕まえるよう命じるのもおかしな話ではない。
けれど私はどうしても、魔法学校で接していた時の彼女が、人の命を奪いかねないような行動をするようには思えないのだ。
「婚約者は奪われたわけだけれど……」
隣にいるアイカにも聞こえないくらいの小さな声でそう自虐する。
彼女は生徒会で好き放題して、私の婚約者を奪って、今も小規模な夜会などには顔を出しているらしい。
正直彼女のことは許せないが、個人的な感情を一旦置いておいて冷静にララティーナ・ゼンリルという人物のことを考えると、途端にわからなくなってしまう。
それには、前世の記憶も関係しているのかもしれない。
前世、日本人として生きていた時にプレイした乙女ゲーム『アメジストレイン』で、ララティーナ・ゼンリルというのは主人公の名前だった。地方の子爵家の令嬢で、光属性に適性があるという背景も、現実に酷似している。
ゲームの中の主人公は、仲の悪い両親の元で育った愛を知らない少女だった。
人の温もりに憧れがある彼女が、魔法学校の生徒会で出会ったメンバーと恋愛をするというのが主軸の物語で、ストーリー内の彼女は自分が受け取れなかった分の愛を人にあげたいという気持ちで、攻略対象者に向き合っていた。
現実の彼女がどうであったかは、事務的な会話か注意しかしてこなかった私にはよくわからないが、ほぼ毎日接していた彼女が王家だけでなく自分や家族の命を狙っているとは、考えたくない。
考えたくないし、考えられなかった。
生徒会としての職務の大半を放り出し、周りからの悪評などを気にせずに男子生徒の輪の中で笑っていた彼女が、ここまで大それたことを計画できるようには思えないのだ。
魔法学校の中でさえ、大局的に見れば上手く立ち回れていなかった彼女が、本当は王族の命を狙うような計画を立案して遂行できる、理性的かつ冷酷な人物だったのだろうか。
「……そういえば」
思考に沈んでいた私に、アイカが声をかける。
「護衛のこともう聞いた?」
「護衛…?」
「こういう状況だから、アマリリスの側に護衛としていてくれって、今日の朝夫人から頼まれたの。だから滞在もしばらく延ばすことになって、その諸々の関係で今日の午後くらいに一回ドロッセル様の屋敷に行こうと思ってる」
今まで魔法学校に通っていた私には、専属の護衛がいない。
外出する時には、クリスト家に仕えてくれている護衛の中で手が空いている人がついてきてくれていたが、こういった状況だから専属の護衛をつけようとしてくれているのだろう。
「今初めて聞いたわ。今日、まだ母上に会えていないの」
「あーそういえば、この後なんか城に行くとか誰かに会いに行くとか言ってたよ。なんかバタバタしてて、シルヴァンもそれについて行くって。警備体制がどうとか?」
「そういうことね……」
屋敷全体がばたついた雰囲気で、家族が誰もいない理由に納得する。
「まぁだから、アマリリスが外出する時は声かけてね。ついて行くから」
「ありがとう。お願いするわね」
「もちろん。……前の転落事件と同じやつが裏にいたとしたら、爆薬とかの搦め手も使ってくるから、念入りに準備をしないと」
そう言いながら、アイカが蝋燭に火を付けて、いくつかの石を順番にかざしていく。
「同じ、なのかしら」
「時期的にも、多分黒幕は一緒なんじゃないかなって思うよ。どっちにも逃げられてるの悔しいなぁ」
材料の名前の横に、迷いなくどんどんバツをつけていくアイカが、乱雑に石を横に押し退けていく。
そういえば前世の時も、姉は目の前の作業に熱中すると、片付けも食事も全部忘れて没頭する人だった。
そんなところは変わっていないのだなと思いながら、近くにある空き箱に、不要そうな石を入れていく。
「転落事件の時は、襲撃があったのと追跡を始めたタイミングにタイムラグがあったけど、昨日は単純に追いつけなかったんだよね……」
「でも最後は取っ組み合いに持ち込めたんでしょう?」
「多分、撒けないと思ったから直接戦闘に持ち込んだんだと思う。私のことを叩きのめせるって踏んでね……あ、ごめん、片付けやらせちゃって。自分でやるからいいよ」
「これくらいやらせて。昔もよくやったでしょう?」
私が笑いかけると、アイカの表情が固まった。
変なことを言ったつもりはなかったのに、みるみる彼女が表情を曇らせていく。
「ごめんなさい。何か変なこと言ったかしら?」
不安になってそう尋ねると、アイカは小さく声を上げて首を振った。
「いや、なんでもないよ。……あ、これ」
蝋燭の火に近付けた青色の石が光り出し、視線がそちらに吸い寄せられる。
火から離すと光は弱まり、近付けると強くなる。
それを何度か繰り返し、今度は自分の指先で生み出した火でも同じようになることを確認して、アイカはふぅと息を吐いた。
「とりあえずこれで、爆薬対策はできそうかな」
「爆薬対策?」
「うん。魔法と違って、爆薬は事前に察知するのが難しいから、爆発が起きてから自動で対処してくれる魔法具を作ろうとしてて、で、今その疑似的な効果が上手くこの石に付与できたって感じ。発光は条件として割と簡単だから、次にこれを魔法障壁になるように……って、不満げな顔」
アイカが手にしていたペンと石を置く。
顔に出していたつもりはなかったから、彼女にそう言われて微笑みで取り繕おうとしたが、もう既に遅かった。
「ごめん。私のせいだよね。つまんない話しちゃって」
「違うの。そうではないの。……大丈夫、私は待てるから」
前世の話をする度に、アイカは苦しげな色を瞳の奥に宿して、それとなく話を逸らそうとする。
虫食い状態の前世の記憶の、靄がかかって思い出せないピースを、アイカならば持っているのではないかと何度も思った。
この数日、アイカと一緒にこの別邸でマナーの講義やダンスのレッスンをしながら、何度訊きたいと思ったことか。
それでもそれを口に出さなかったのは、今世では血の繋がりがなくても守りたいと、そう言ってくれた優しい彼女に、辛い思いをさせてまで話させたくなかったから。
彼女が話したいと思うタイミングで話してくれれば、それで十分だと、自分に必死に言い聞かせてきたつもりだった。
しかし、ララティーナに反逆の容疑がかかっていて、何か前世と今世の関わりがあるような気がしてならなくて、そのはやる気持ちで上手く表情を作れていなかったらしい。
一度出してしまったらきちんと説明しないといけないと思って、でも、今もアイカの目を見ると、胸を締め付けられるような感覚になる。
「……待てるって、何を?」
アイカが恐る恐る、といった様子で口を開く。
言うべきか、言わないべきか。
私はもう既に一度、過去の姉であるアイカよりも、今の家族を優先したいと前に言ってしまった。アイカは私のために、これまでの年月を過ごしてくれていたのにも関わらず。
恩知らずな自分に嫌気が差すと同時に、それでも家族を守るために前世のことを思い出したい気持ちが抑えられない。
どうして前世であの乙女ゲームがこの世界と酷似しているのか、それを知るためにも、私はかつての「私」がどう生きたのか、完全に思い出さないといけない。
「…………知りたいの」
声に出すと、数秒前に待てると言ったにも関わらず、その気持ちがどんどん強くなる。
「アイカにとって、言いたくないことだっていうのはわかってる。無理強いするつもりはないし、辛い思いもさせたくない。だから待ちたい。……でも、でも知りたいの」
「……」
「私の前世を、全部」
「っ……」
「どうやって生きて、どうやって成長して、どんな人間で、どんな人と関わって…っ」
そうだ。
私はずっと知りたかったんだと、改めて知る。
アマリリス・クリストとしての私を助けてくれた前世の「私」を。
ゲームの記憶だけでなく、ほんの僅かに覚えている姉の温もりだけでなく、かつての「私」の人生を。
全部知りたい。思い出したい。
前にアイカが屋敷に訪れた時には、ゲーム以外の断片的な記憶を思い出せただけだった。
それだけでも頭が割れるように痛んだし、どこか心にぽっかり穴が空いたような虚無感があって、取り返しのつかないことをしてしまった後悔があった。
きっと全てを思い出したら、それ以上に苦しむことになるのだろう。
それでも私は知らなければいけないと、靄の向こうの「私」が叫ぶ。
「"お姉ちゃん"とどうやって一緒に生きてきたのか……」
「やめて!!!」
突然の大声に、鼓膜がビリビリと鳴り、体がびくりと震える。
「やめて、お願い…っ」
アイカが俯いて、両手で顔を覆う。
彼女の声に嗚咽が混じり、指の間から透明なしずくが落ちていく。
さっきまで晴れていたはずなのに、いつの間にか外は曇って、カーテンが開いているのにも関わらず室内は薄暗い。
灯りもなく、近くにいるお互いの顔もよく見えない中で、アイカの啜り泣きが響く。
「っは、ごめんなさい、ごめんなさい…!私のっ、私のせいで、あなたを……天音を、殺してしまって……っ」
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-
614
-
221
-
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16
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0
-
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56
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129
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56
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28
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14
-
1
-
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1,013
-
2,162
-
-
1,301
-
8,782
-
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17
-
2
-
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164
-
253
-
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4
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0
-
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2
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20
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17
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2
-
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10
-
46
-
-
2,799
-
1万
-
-
6,044
-
2.9万
-
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78
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310
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31
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9
-
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17
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14
-
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42
-
14
-
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30
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35
-
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6,199
-
2.6万
-
-
161
-
757
-
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5
-
1
-
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62
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-
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5
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0
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13
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0
-
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2
-
1
-
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16
-
12
-
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4
-
2
-
-
6,675
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6,971
-
-
4,194
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-
-
2,860
-
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-
-
3,224
-
1.5万
-
-
218
-
165
-
-
11
-
1
-
-
86
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-
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23
-
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-
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15
-
3
-
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7
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-
-
4
-
1
-
-
2
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1
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-
6
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-
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-
-
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1.5万
-
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34
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32
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