【コミカライズ配信中!】 婚約破棄後の悪役令嬢~ショックで前世の記憶を思い出したのでハッピーエンド目指します!~
33話:支え
ダラン様の様子は、他の負傷者と比べて圧倒的に悪かった。
顔色はすっかり青褪めて血の気がなく、肩に当てられた白い布には血が滲み、そこから黒い蔦のようなものがいくつも出て、体に巻き付いている。
傷のある左肩が一番ひどく、首の辺りから左の肘辺りまで、ゆらゆらと呪いが蠢いていた。
「ダラン…?」
動けない私とラインハルト様の前で、痛みに呻いた彼が横たえられていた長椅子から転げ落ちた。
「ダラン様!!」
思わず叫んで、意識のない彼の側へ駆け寄る。
落ちた時にちょうど傷から落ちてしまったようで、苦しそうに表情を歪めている彼の肩を掴んで持ち上げて、仰向けにする。
いくらここが、貴族の使用を前提として柔らかい絨毯が敷かれている部屋とはいえ、床に怪我人を寝かせ続けるわけにはいかない。が、残念なことに、自分より上背のある男性を再び長椅子の上に運べるほどの膂力も繊細な魔法の技術も私にはない。
ならせめて楽な姿勢にと、近くのクッションを持ってきて仰向けに寝かせる。
「ダラン様……」
固く瞼を閉じたまま荒い呼吸を繰り返すダラン様の額には、何粒もの汗が浮かんでいた。
それを拭き取って立ち上がり、私は固まったままのラインハルト様の目の前まで行く。
私の印象の中の彼は、いつも表情に乏しくて、何事も平然と受け止める人だった。
けれど、考えてみれば当たり前の話だ。どんなに冷静そうに見える人でも、大切な友人が傷つけらているのを目の当たりにして、淡々とその事実を受け入れられるはずがない。
「ラインハルト様」
そっと彼の名前を呼びかける。
「きっと、お辛いことと思います。ですが、今この場でダラン様を救えるのはラインハルト様しか……」
「無理だ」
掠れた声で告げられたその言葉を理解するのに、私は三秒ほどかかってしまった。
「……無理、とは」
「無理だ。僕には……僕には、ダランを、治療する資格なんて」
何を、と私が尋ねる前に、ラインハルト様は堰を切ったように話し出す。
「僕が関わらなければ、きっとダランが怪我をすることもなかったんだ。他の人達もきっとそうだ。僕に彼らを治療する資格なんてそもそもなかったはずなのに……」
「落ち着いて下さい、ラインハルト様」
混乱したように自分を責め始めるラインハルト様は、自分の髪をぐしゃりと掴むと、誰かに突き飛ばされたかのようによろめく。
「僕がいるからみんなが不幸になる。僕なんて一生魔法を使わずに自室に引きこもっていれば良かったんだ。僕なんかが生まれたせいで、ダランのように傷つく人が出てくる。他人と関わろうとした僕が間違ってたんだ。魔法を使おうとした僕が間違ってたんだ。僕なんて要らない存在で、人を助けられるだなんて思い上がり……」
「一回口を閉じて下さいます!?」
考えるよりも先に出てしまったその言葉は、自分でもびっくりしてしまうくらい部屋に響いて、己の内側に閉じこもろうとするラインハルト様に私のことを意識させるのには十分な声量だった。
「良いですか、ラインハルト・ウィンドール様」
フルネームでその名前を口にした瞬間、目の前のこの方が王族であるということを思い出させられてほんの一瞬気後れするが、今ここで言わなくてはと気合いを入れる。
「まず資格のあるなしについてですが、我が国の法律においては、呪術を含む一部の特殊な魔法攻撃に対する治療は、その場で即座に治療を行わなかった場合、負傷者が命を落とす、あるいは後遺症が残ると判断されれば、後から責任を追及されることはありません」
「……ちが、いや、僕のしてる話は」
「そしてこれは大声でできる話ではありませんが、あなたはこの国の王子です。王子が人を救ったことに対し、後から資格の有無を理由にケチをつけるなんて真似をする愚か者、この国にはいませんわ」
あえて悪戯っぽく言った私に、ラインハルト様が首を振る。
「違う、僕が言いたいのは、そういうことではなくて……」
そこで言い淀むのであれば、私の判断は間違っていなかっただろう。
このまま畳み掛けようと、口角を上げて笑いかけてから、パッと開いた扇子で口元を隠す。
「もしそれでもあなた様の行いに文句を言う頑固者がいたら、簡単です。人のいないところに連れ出して、利権をちらつかせてから、そういえば何か言いたいことはないか、と尋ねれば良いのですわ」
「違うんだ。僕は、僕は……」
目を伏せるラインハルト様の注意を引くために、開いた扇子をわざと音を立てて閉じる。
「私は、ラインハルト様とダラン様の間にどのようなことが起きたのか、過去に何が起きたのか、存じ上げません」
私の言葉に、ラインハルト様がわずかにたじろぐ。
ということは、やはり過去の二人の間で、魔法に関する何らかの事件があったのだろう。
そして。
「私は、それを無理に聞き出したいとも思っておりません」
きっとラインハルト様は、私にそれを伝えたがっていない。
ひょっとしたら、意識を失う前にラインハルト様と私以外にこの部屋から退出するようにと伝えていたダラン様は、この二人きりの状況でラインハルト様が過去の重荷を私に吐き出してくれることを期待していたのかもしれない。
けれど私は、話を聞き出すことだけが、心の傷への寄り添い方ではないことを知っている。
変わらず接してくれること、励ましてくれること、大事にしていると伝えてくれること。
「ただ私は、あなたが苦しんで、大切な人を助けたいのに一歩踏み出せていないのであれば、励まして、支えたいだけです」
「…………でも、僕は過去に」
ラインハルト様が、苦しそうな声を絞り出す。
「魔法で、ダランを傷つけたことがある」
「わざとではないのでしょう?」
「あぁ。でも、傷つけた過去は変わらない」
「それと同時に、先ほどまでラインハルト様が負傷者達に真摯に向き合って治療を行っていたのも、動かしようのない事実です」
変に事情は深掘りはせず、ただ今の私に言える言葉を紡ぐ。
「ラインハルト様には、ダラン様を救う力があり、ダラン様を大切に想える優しさがある。それで十分ではないでしょうか」
「十分、なのか…?」
答えを求めて縋るような、いつも果断ではっきりとした物言いのラインハルト様からは想像のできない弱々しい声に、私はお腹に力を入れてはっきりと言い切る。
「十分です。ダラン様もきっとそう思っているから、ラインハルト様お一人に治療を任せる選択をなさったはずです」
「……」
「過去と今を、一旦切り離して。今のあなたにできることを考えて。その上でもし、一人では不安になりそうだと言うのでしたら」
息を吸って、真っ直ぐラインハルト様に向き合う。
「私が側で支えます」
不安そうに揺れていた橙色の瞳が見開かれて、私を映す。
そう、今だけは私を見てくれればいい。
こんな言葉で、私というちっぽけな存在で、ラインハルト様が過去を完全に克服できるなんて思い上がりは最初からない。
ただ、誰かが側にいるというだけで力になることを知っているから、今この時だけは、ラインハルト様にとってのその"誰か"になりたいと、そう願ってしまう。
なぜなら、彼の瞳の奥に、立ち上がりたいと訴えてくる確かな強さがあったから。
「…………心強いな」
ふっと、ラインハルト様がかすかに口角を上げて息を漏らす。
「ありがとう。改めて、アマリリス。僕の側にいてくれないか」
「喜んで、ラインハルト様」
こうなれば大丈夫だろうと、膝を折って礼をする。
私が立ち上がったのを見て、軽く頷いたラインハルト様は、そのままダラン様のところへ向かい、魔法で彼を浮かせて長椅子の上に横たわらせる。
私は部屋の端から水差しを持ってきて、ラインハルト様の横に並んだ。
「すまないダラン。すぐ治療するから」
小さく呟いたラインハルト様の顔にはもう不安や怯えは全く見当たらず、どこか吹っ切れたような表情を浮かべていた。
彼の橙色の双眸には静かな決意が宿っていて、ダラン様の全身の様子を確認すると、一切の迷いなく複数の魔法陣を次々と描いていく。
「……水は」
「こちらに」
私から水差しを受け取るとそこに魔力を込める。傾けられた水差しから、魔力が込められて発光する水が流れ出し、黒い呪いに触れるとジュッと音を立てて蒸発した。
「水はまだあるか」
「いえ、今ので最後のようで。持ってきましょうか?」
「いや、大丈夫だ。ないなら……」
言葉を切ったラインハルト様が自分の耳に手を伸ばし、焦げた耳飾りに触れる。
「どうするかな……」
「何かお探しですか?」
「触媒を……あ」
ラインハルト様の視線が、私の持つ扇子に刺さった。
試しに持ち上げると、そのまま目線がつーっと上がる。
魔法の触媒に関しては学校の授業で基礎科目として習った程度しか知識がないから、どうこの扇子が適しているのかが私にはわからないが、ラインハルト様の様子からするとぴったりの物らしい。
「どうぞ」
「いいのか?」
「もちろんです」
私が渡した扇子は、ごくごく一般的なデザインのものだ。飾りとして真珠が縫い付けられて羽根がついているから、少し豪奢とも言えるしれない。
彼は真珠に触れると、顔を上げて私に尋ねる。
「この真珠を取り外してもいいか?」
「構いませんわ」
決して安物でこそないけれど、ダラン様を救うためなら全く気にもならない出費だ。
私の返事を聞いて、ラインハルト様は小さな風の刃で縫い止められている箇所を切ると、ダラン様の傷口の近くに置く。
「これから本格的な解呪を始める。かなり強力な呪いで、僕達に飛んでくる可能性もあるから、もっと僕の近くに来てくれ」
「え、あの」
私達の距離は拳二つ分ほど。
異性の、それも婚約していない相手への距離としては、十分すぎるほどに近い。
どうすればいいかわからず横を見上げるが、もう既にラインハルト様は集中しているようで、こちらには目もくれない。
仕方なく足をずらして彼の隣に行くと、ぐっと引き寄せられる。
肩を抱き寄せられたことに一気に緊張感が溢れ出すが、ダラン様の苦しそうな呻き声ですぐにそんな気持ちは霧散した。
申し訳なさと心配で、組んだ手に力が篭る。
見守ることしかできない自分への不甲斐なさを噛み殺しながら、ただ無事を祈ることしか今の私にはできない。
「解呪を開始する」
無数の重なり合う魔法陣が一気に現れ、ダラン様の傷口を中心に覆う。
目でその数を数えようとしてもすぐに消えて新しいものが出てきて、正確な数はわからない。が、ゆうにもう百は超えているだろう。
こういった高度な魔法の治癒を目にするのは人生で初めてだ。
何がどのような効果を持つのかわからないが、ダラン様の苦しそうな表情が少しずつ和らいでいくのを見て、確実に解呪が進んでいることはわかった。
抵抗するように蔦から蛇のような鳥のような顔が飛び出してきては、ラインハルト様の魔法で浄化されていく。
なぜか行程が進むにつれてむしろ膨張していく呪いの塊に、何度も質問をしたくなるが堪えた。私のせいで集中力を切らすなんてことがあってはならない。
ぼこぼこと膨んでいく呪いは赤や緑や紫が混じった毒々しい黒で、思わず身を引きたくなるが、その度に自分の肩に回された腕の安心感に、きっと大丈夫だと思わされる。
「……あ」
突然ラインハルト様が声を漏らした理由は、聞くまでもなかった。
触媒として使用していた真珠が割れ、ダラン様の傷口から呪いの塊が飛び出し、私を目がけて飛んでくる。
この呪いに罹ったら死ぬと、直感的に思った。
そして、私には避けることはできない、とも思った。
音も感じれないくらいの、ほんの短い時間。
粘液状に広がりながら飛んでくる呪いがやけにゆっくり見えて、いつもなら反射で目を閉じてしまうのに、どうしてか私の目は大きく見開いたまま。
人間本当に恐怖を感じると叫ぶこともできないのだと教えてくれたのは、母上だったか、それとも兄上だったか。
目を閉じることさえもできないとまでは教えてくれなかったなと、こんなどうでもいいことを考えてしまうとも知らなかったなと、思考が何巡かして。
目の前に魔法障壁が広がり、刃の形状になった呪いがぶつかって、キーンという高い金属音が鳴る。
呪いに張り付くように新たに魔法陣が生み出されて、穏やかな光が溢れたと思えば、呪いの塊が消えてゆく。
「アマリリス、ゆっくり息をして」
「……っは、はぁ、はっ」
知らない間に息を止めていたようで、声をかけられて初めてそのことに気付く。
「落ち着いて。これに合わせて」
とんとんと、優しく一定のリズムで肩を叩かれる。
息を上手く吸い込めなくて焦りが生まれてくるが、ラインハルト様の温度でその焦りが溶けていく。
「その……すまない。……怖い思いを、させてしまって」
そんなことないと、謝らないで欲しいと言おうとするが、まだ息が乱れていて言葉を発することができない。
だからせめて首を振るけど、首を横に振り返される。
「側にいてくれと言ったのは、僕の方だから」
「いっ、い、え。……わた、しが、言い出した、こと、で」
「無理に喋るな。……すまない。自分も襲われて、周りが混乱している中で、僕の治療を手伝わせてしまって」
喋ろうとすると余計に息が上がってしまい、首を振ることで違うと示す。
「……呪いは、恐ろしいものだ」
ラインハルト様が手を伸ばし、ダラン様のおでこに触れる。
いつの間にか治療は全て終わっていたらしく、乾いた血がこびりつく服を除けば、すっかり顔色も良くなっていた。
ラインハルト様の指が、汗で張り付いたダラン様の前髪を優しく流す。
「呪いだけではない。誰かから攻撃されるというのは、それ自体が身を竦ませるようなことだ。僕はそのことを誰よりも知っているはずなのに、君からそれを遠ざけることができなかった」
「守って、くださいました。さっきも、その前の……ダンスの、時も」
ラインハルト様の普段と変わらない声を聞いていたら落ち着いてきたのか、少しずつ息が整ってくる。
ダンスの時。
いきなり視界が真っ赤に染まったのは、今思えば炎だったのだろう。魔法障壁で熱からも守ってくれて、
「それに、風呼びの宴の時も」
「……僕が何かしたか?」
「卑屈になるなと、私は幸せになれる、なるべき人だと言って下さったでしょう?」
あの時感じた感謝を、その場の私は上手く受け入れることができなかった。私が私を認めるなんてこと、できないと思っていた。
けれど、自分を否定して、責めて、要らない存在だと叫ぶラインハルト様を見て、やっと理解できた。
「私を、私から守って下さった。感謝してもしきれません」
思えば、私にとって自分なんて、あってないようなものだった。
貴族達から投げつけられる誹りや嘲笑の刃で痛みを感じないように、私は微笑みを顔に貼り付ける術を学んだ。
決して婚約者である第三王子を否定してはならないと、己を押し殺して理想の婚約者を演じ続けた。
彼が私から離れて行った時も、負の感情を表に出しては足を引っ張られるだけだと、気丈な振る舞いを続けた。
私にとっては、アマリリス・クリストという人物はどこまでも他人によって規定されていて、だから会話の中で自分を蔑ろにすることや否定することにも、痛みを感じなくなっていた。
でも、本当はそんなはずなかった。
私はずっと傷付いていて、だから今まだ完全には立ち直れていない。
けれどそんな自分を受け入れられるようになったのには、ラインハルト様の言葉が大きかったのだと、こんな状況だけれど気付く。
「ふふっ。正直、突拍子もない言葉ではありましたが」
思い出すと自然と笑いが漏れてしまう。
「それは……忘れてくれ」
「忘れません。私はあの言葉に、助けられたので」
「そうか」
私の肩を叩く手は止まっていて、どちらも喋らなければ、部屋には静寂が降りる。
生まれた思考の空白に、ダラン様はいつ目を覚ますのだろうとか、他の怪我人はどうなったのだろうとか、兄上はちゃんと仕事をしているのかとか、アイカはどうしたのだろうとか、色々な疑問が湧いてくる。
それらを解消するためにも、そろそろ会場へ向かわないといけない。
一旦ここを離れましょうと提案しようとした時、ラインハルト様が口を開いた。
「……ありがとう、君の存在に助けられた」
その言葉に顔を上げると、いつも通りの無表情を少し和らげたラインハルト様と目が合う。
黒の睫毛に縁取られた透き通る橙色は、吸い込まれそうなくらい綺麗で。
その橙色が思ったより近くにあって、しかもその人が自分の肩に手を回していることを思い出して、諸々の感情よりも先に驚きが来て。
「ごめんなさい、僕一回退出しても大丈夫ですか?」
「あぅっ、だ、ダラン様!?」
その驚きを上回る驚きに大声を上げてしまった私を、一体誰が責められるというのだろうか。
顔色はすっかり青褪めて血の気がなく、肩に当てられた白い布には血が滲み、そこから黒い蔦のようなものがいくつも出て、体に巻き付いている。
傷のある左肩が一番ひどく、首の辺りから左の肘辺りまで、ゆらゆらと呪いが蠢いていた。
「ダラン…?」
動けない私とラインハルト様の前で、痛みに呻いた彼が横たえられていた長椅子から転げ落ちた。
「ダラン様!!」
思わず叫んで、意識のない彼の側へ駆け寄る。
落ちた時にちょうど傷から落ちてしまったようで、苦しそうに表情を歪めている彼の肩を掴んで持ち上げて、仰向けにする。
いくらここが、貴族の使用を前提として柔らかい絨毯が敷かれている部屋とはいえ、床に怪我人を寝かせ続けるわけにはいかない。が、残念なことに、自分より上背のある男性を再び長椅子の上に運べるほどの膂力も繊細な魔法の技術も私にはない。
ならせめて楽な姿勢にと、近くのクッションを持ってきて仰向けに寝かせる。
「ダラン様……」
固く瞼を閉じたまま荒い呼吸を繰り返すダラン様の額には、何粒もの汗が浮かんでいた。
それを拭き取って立ち上がり、私は固まったままのラインハルト様の目の前まで行く。
私の印象の中の彼は、いつも表情に乏しくて、何事も平然と受け止める人だった。
けれど、考えてみれば当たり前の話だ。どんなに冷静そうに見える人でも、大切な友人が傷つけらているのを目の当たりにして、淡々とその事実を受け入れられるはずがない。
「ラインハルト様」
そっと彼の名前を呼びかける。
「きっと、お辛いことと思います。ですが、今この場でダラン様を救えるのはラインハルト様しか……」
「無理だ」
掠れた声で告げられたその言葉を理解するのに、私は三秒ほどかかってしまった。
「……無理、とは」
「無理だ。僕には……僕には、ダランを、治療する資格なんて」
何を、と私が尋ねる前に、ラインハルト様は堰を切ったように話し出す。
「僕が関わらなければ、きっとダランが怪我をすることもなかったんだ。他の人達もきっとそうだ。僕に彼らを治療する資格なんてそもそもなかったはずなのに……」
「落ち着いて下さい、ラインハルト様」
混乱したように自分を責め始めるラインハルト様は、自分の髪をぐしゃりと掴むと、誰かに突き飛ばされたかのようによろめく。
「僕がいるからみんなが不幸になる。僕なんて一生魔法を使わずに自室に引きこもっていれば良かったんだ。僕なんかが生まれたせいで、ダランのように傷つく人が出てくる。他人と関わろうとした僕が間違ってたんだ。魔法を使おうとした僕が間違ってたんだ。僕なんて要らない存在で、人を助けられるだなんて思い上がり……」
「一回口を閉じて下さいます!?」
考えるよりも先に出てしまったその言葉は、自分でもびっくりしてしまうくらい部屋に響いて、己の内側に閉じこもろうとするラインハルト様に私のことを意識させるのには十分な声量だった。
「良いですか、ラインハルト・ウィンドール様」
フルネームでその名前を口にした瞬間、目の前のこの方が王族であるということを思い出させられてほんの一瞬気後れするが、今ここで言わなくてはと気合いを入れる。
「まず資格のあるなしについてですが、我が国の法律においては、呪術を含む一部の特殊な魔法攻撃に対する治療は、その場で即座に治療を行わなかった場合、負傷者が命を落とす、あるいは後遺症が残ると判断されれば、後から責任を追及されることはありません」
「……ちが、いや、僕のしてる話は」
「そしてこれは大声でできる話ではありませんが、あなたはこの国の王子です。王子が人を救ったことに対し、後から資格の有無を理由にケチをつけるなんて真似をする愚か者、この国にはいませんわ」
あえて悪戯っぽく言った私に、ラインハルト様が首を振る。
「違う、僕が言いたいのは、そういうことではなくて……」
そこで言い淀むのであれば、私の判断は間違っていなかっただろう。
このまま畳み掛けようと、口角を上げて笑いかけてから、パッと開いた扇子で口元を隠す。
「もしそれでもあなた様の行いに文句を言う頑固者がいたら、簡単です。人のいないところに連れ出して、利権をちらつかせてから、そういえば何か言いたいことはないか、と尋ねれば良いのですわ」
「違うんだ。僕は、僕は……」
目を伏せるラインハルト様の注意を引くために、開いた扇子をわざと音を立てて閉じる。
「私は、ラインハルト様とダラン様の間にどのようなことが起きたのか、過去に何が起きたのか、存じ上げません」
私の言葉に、ラインハルト様がわずかにたじろぐ。
ということは、やはり過去の二人の間で、魔法に関する何らかの事件があったのだろう。
そして。
「私は、それを無理に聞き出したいとも思っておりません」
きっとラインハルト様は、私にそれを伝えたがっていない。
ひょっとしたら、意識を失う前にラインハルト様と私以外にこの部屋から退出するようにと伝えていたダラン様は、この二人きりの状況でラインハルト様が過去の重荷を私に吐き出してくれることを期待していたのかもしれない。
けれど私は、話を聞き出すことだけが、心の傷への寄り添い方ではないことを知っている。
変わらず接してくれること、励ましてくれること、大事にしていると伝えてくれること。
「ただ私は、あなたが苦しんで、大切な人を助けたいのに一歩踏み出せていないのであれば、励まして、支えたいだけです」
「…………でも、僕は過去に」
ラインハルト様が、苦しそうな声を絞り出す。
「魔法で、ダランを傷つけたことがある」
「わざとではないのでしょう?」
「あぁ。でも、傷つけた過去は変わらない」
「それと同時に、先ほどまでラインハルト様が負傷者達に真摯に向き合って治療を行っていたのも、動かしようのない事実です」
変に事情は深掘りはせず、ただ今の私に言える言葉を紡ぐ。
「ラインハルト様には、ダラン様を救う力があり、ダラン様を大切に想える優しさがある。それで十分ではないでしょうか」
「十分、なのか…?」
答えを求めて縋るような、いつも果断ではっきりとした物言いのラインハルト様からは想像のできない弱々しい声に、私はお腹に力を入れてはっきりと言い切る。
「十分です。ダラン様もきっとそう思っているから、ラインハルト様お一人に治療を任せる選択をなさったはずです」
「……」
「過去と今を、一旦切り離して。今のあなたにできることを考えて。その上でもし、一人では不安になりそうだと言うのでしたら」
息を吸って、真っ直ぐラインハルト様に向き合う。
「私が側で支えます」
不安そうに揺れていた橙色の瞳が見開かれて、私を映す。
そう、今だけは私を見てくれればいい。
こんな言葉で、私というちっぽけな存在で、ラインハルト様が過去を完全に克服できるなんて思い上がりは最初からない。
ただ、誰かが側にいるというだけで力になることを知っているから、今この時だけは、ラインハルト様にとってのその"誰か"になりたいと、そう願ってしまう。
なぜなら、彼の瞳の奥に、立ち上がりたいと訴えてくる確かな強さがあったから。
「…………心強いな」
ふっと、ラインハルト様がかすかに口角を上げて息を漏らす。
「ありがとう。改めて、アマリリス。僕の側にいてくれないか」
「喜んで、ラインハルト様」
こうなれば大丈夫だろうと、膝を折って礼をする。
私が立ち上がったのを見て、軽く頷いたラインハルト様は、そのままダラン様のところへ向かい、魔法で彼を浮かせて長椅子の上に横たわらせる。
私は部屋の端から水差しを持ってきて、ラインハルト様の横に並んだ。
「すまないダラン。すぐ治療するから」
小さく呟いたラインハルト様の顔にはもう不安や怯えは全く見当たらず、どこか吹っ切れたような表情を浮かべていた。
彼の橙色の双眸には静かな決意が宿っていて、ダラン様の全身の様子を確認すると、一切の迷いなく複数の魔法陣を次々と描いていく。
「……水は」
「こちらに」
私から水差しを受け取るとそこに魔力を込める。傾けられた水差しから、魔力が込められて発光する水が流れ出し、黒い呪いに触れるとジュッと音を立てて蒸発した。
「水はまだあるか」
「いえ、今ので最後のようで。持ってきましょうか?」
「いや、大丈夫だ。ないなら……」
言葉を切ったラインハルト様が自分の耳に手を伸ばし、焦げた耳飾りに触れる。
「どうするかな……」
「何かお探しですか?」
「触媒を……あ」
ラインハルト様の視線が、私の持つ扇子に刺さった。
試しに持ち上げると、そのまま目線がつーっと上がる。
魔法の触媒に関しては学校の授業で基礎科目として習った程度しか知識がないから、どうこの扇子が適しているのかが私にはわからないが、ラインハルト様の様子からするとぴったりの物らしい。
「どうぞ」
「いいのか?」
「もちろんです」
私が渡した扇子は、ごくごく一般的なデザインのものだ。飾りとして真珠が縫い付けられて羽根がついているから、少し豪奢とも言えるしれない。
彼は真珠に触れると、顔を上げて私に尋ねる。
「この真珠を取り外してもいいか?」
「構いませんわ」
決して安物でこそないけれど、ダラン様を救うためなら全く気にもならない出費だ。
私の返事を聞いて、ラインハルト様は小さな風の刃で縫い止められている箇所を切ると、ダラン様の傷口の近くに置く。
「これから本格的な解呪を始める。かなり強力な呪いで、僕達に飛んでくる可能性もあるから、もっと僕の近くに来てくれ」
「え、あの」
私達の距離は拳二つ分ほど。
異性の、それも婚約していない相手への距離としては、十分すぎるほどに近い。
どうすればいいかわからず横を見上げるが、もう既にラインハルト様は集中しているようで、こちらには目もくれない。
仕方なく足をずらして彼の隣に行くと、ぐっと引き寄せられる。
肩を抱き寄せられたことに一気に緊張感が溢れ出すが、ダラン様の苦しそうな呻き声ですぐにそんな気持ちは霧散した。
申し訳なさと心配で、組んだ手に力が篭る。
見守ることしかできない自分への不甲斐なさを噛み殺しながら、ただ無事を祈ることしか今の私にはできない。
「解呪を開始する」
無数の重なり合う魔法陣が一気に現れ、ダラン様の傷口を中心に覆う。
目でその数を数えようとしてもすぐに消えて新しいものが出てきて、正確な数はわからない。が、ゆうにもう百は超えているだろう。
こういった高度な魔法の治癒を目にするのは人生で初めてだ。
何がどのような効果を持つのかわからないが、ダラン様の苦しそうな表情が少しずつ和らいでいくのを見て、確実に解呪が進んでいることはわかった。
抵抗するように蔦から蛇のような鳥のような顔が飛び出してきては、ラインハルト様の魔法で浄化されていく。
なぜか行程が進むにつれてむしろ膨張していく呪いの塊に、何度も質問をしたくなるが堪えた。私のせいで集中力を切らすなんてことがあってはならない。
ぼこぼこと膨んでいく呪いは赤や緑や紫が混じった毒々しい黒で、思わず身を引きたくなるが、その度に自分の肩に回された腕の安心感に、きっと大丈夫だと思わされる。
「……あ」
突然ラインハルト様が声を漏らした理由は、聞くまでもなかった。
触媒として使用していた真珠が割れ、ダラン様の傷口から呪いの塊が飛び出し、私を目がけて飛んでくる。
この呪いに罹ったら死ぬと、直感的に思った。
そして、私には避けることはできない、とも思った。
音も感じれないくらいの、ほんの短い時間。
粘液状に広がりながら飛んでくる呪いがやけにゆっくり見えて、いつもなら反射で目を閉じてしまうのに、どうしてか私の目は大きく見開いたまま。
人間本当に恐怖を感じると叫ぶこともできないのだと教えてくれたのは、母上だったか、それとも兄上だったか。
目を閉じることさえもできないとまでは教えてくれなかったなと、こんなどうでもいいことを考えてしまうとも知らなかったなと、思考が何巡かして。
目の前に魔法障壁が広がり、刃の形状になった呪いがぶつかって、キーンという高い金属音が鳴る。
呪いに張り付くように新たに魔法陣が生み出されて、穏やかな光が溢れたと思えば、呪いの塊が消えてゆく。
「アマリリス、ゆっくり息をして」
「……っは、はぁ、はっ」
知らない間に息を止めていたようで、声をかけられて初めてそのことに気付く。
「落ち着いて。これに合わせて」
とんとんと、優しく一定のリズムで肩を叩かれる。
息を上手く吸い込めなくて焦りが生まれてくるが、ラインハルト様の温度でその焦りが溶けていく。
「その……すまない。……怖い思いを、させてしまって」
そんなことないと、謝らないで欲しいと言おうとするが、まだ息が乱れていて言葉を発することができない。
だからせめて首を振るけど、首を横に振り返される。
「側にいてくれと言ったのは、僕の方だから」
「いっ、い、え。……わた、しが、言い出した、こと、で」
「無理に喋るな。……すまない。自分も襲われて、周りが混乱している中で、僕の治療を手伝わせてしまって」
喋ろうとすると余計に息が上がってしまい、首を振ることで違うと示す。
「……呪いは、恐ろしいものだ」
ラインハルト様が手を伸ばし、ダラン様のおでこに触れる。
いつの間にか治療は全て終わっていたらしく、乾いた血がこびりつく服を除けば、すっかり顔色も良くなっていた。
ラインハルト様の指が、汗で張り付いたダラン様の前髪を優しく流す。
「呪いだけではない。誰かから攻撃されるというのは、それ自体が身を竦ませるようなことだ。僕はそのことを誰よりも知っているはずなのに、君からそれを遠ざけることができなかった」
「守って、くださいました。さっきも、その前の……ダンスの、時も」
ラインハルト様の普段と変わらない声を聞いていたら落ち着いてきたのか、少しずつ息が整ってくる。
ダンスの時。
いきなり視界が真っ赤に染まったのは、今思えば炎だったのだろう。魔法障壁で熱からも守ってくれて、
「それに、風呼びの宴の時も」
「……僕が何かしたか?」
「卑屈になるなと、私は幸せになれる、なるべき人だと言って下さったでしょう?」
あの時感じた感謝を、その場の私は上手く受け入れることができなかった。私が私を認めるなんてこと、できないと思っていた。
けれど、自分を否定して、責めて、要らない存在だと叫ぶラインハルト様を見て、やっと理解できた。
「私を、私から守って下さった。感謝してもしきれません」
思えば、私にとって自分なんて、あってないようなものだった。
貴族達から投げつけられる誹りや嘲笑の刃で痛みを感じないように、私は微笑みを顔に貼り付ける術を学んだ。
決して婚約者である第三王子を否定してはならないと、己を押し殺して理想の婚約者を演じ続けた。
彼が私から離れて行った時も、負の感情を表に出しては足を引っ張られるだけだと、気丈な振る舞いを続けた。
私にとっては、アマリリス・クリストという人物はどこまでも他人によって規定されていて、だから会話の中で自分を蔑ろにすることや否定することにも、痛みを感じなくなっていた。
でも、本当はそんなはずなかった。
私はずっと傷付いていて、だから今まだ完全には立ち直れていない。
けれどそんな自分を受け入れられるようになったのには、ラインハルト様の言葉が大きかったのだと、こんな状況だけれど気付く。
「ふふっ。正直、突拍子もない言葉ではありましたが」
思い出すと自然と笑いが漏れてしまう。
「それは……忘れてくれ」
「忘れません。私はあの言葉に、助けられたので」
「そうか」
私の肩を叩く手は止まっていて、どちらも喋らなければ、部屋には静寂が降りる。
生まれた思考の空白に、ダラン様はいつ目を覚ますのだろうとか、他の怪我人はどうなったのだろうとか、兄上はちゃんと仕事をしているのかとか、アイカはどうしたのだろうとか、色々な疑問が湧いてくる。
それらを解消するためにも、そろそろ会場へ向かわないといけない。
一旦ここを離れましょうと提案しようとした時、ラインハルト様が口を開いた。
「……ありがとう、君の存在に助けられた」
その言葉に顔を上げると、いつも通りの無表情を少し和らげたラインハルト様と目が合う。
黒の睫毛に縁取られた透き通る橙色は、吸い込まれそうなくらい綺麗で。
その橙色が思ったより近くにあって、しかもその人が自分の肩に手を回していることを思い出して、諸々の感情よりも先に驚きが来て。
「ごめんなさい、僕一回退出しても大丈夫ですか?」
「あぅっ、だ、ダラン様!?」
その驚きを上回る驚きに大声を上げてしまった私を、一体誰が責められるというのだろうか。

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