【コミカライズ配信中!】 婚約破棄後の悪役令嬢~ショックで前世の記憶を思い出したのでハッピーエンド目指します!~

弓削鈴音

32話:治療を

 後ろからラインハルト様の腕の中に抱き寄せられて、どうしてと思うよりも先に視界が眩い赤で埋め尽くされて、私は思わず強く目を閉じた。

 キーンと甲高い金属音が鳴り響いたと思うと、どこからか悲鳴も聞こえてくる。

 何が起きているかわからない恐怖で、目を開けることはおろか声を発することさえできず、体が震えてくる。
 ラインハルト様が抱きかかえてくれていなければ、怖くて叫び出していたかもしれない。

「もう平気だ、アマリリス」

 いつもと変わらない平坦な声でそう呼びかけられて、私はゆっくり振り返りがら目を開けた。
 私から手を離したラインハルト様は、険しい表情で辺りを見渡している。
 彼の髪から覗く耳飾りが焦げついていて、何があったのかと尋ねようとした瞬間、聞き慣れた声が響いた。

「私が襲撃者を追います!他の皆さんは安全確認と治療を!」

 アイカ、と思わず叫びそうになるのをぐっと堪えて声のした方を見ると、彼女はドレスを翻して扉の外へ走っていくところだった。

「魔法師団か騎士団に所属している者は、見習いも含めて一旦ここに集合!安全確認を行う!」

「では負傷者はこちらに!」

 声を上げたのはユークライ殿下で、それに追従したのはリズヴェルトだった。
 ユークライ殿下の方を見ると、その隣で慌ただしく走る兄上の姿が見えて、思わず胸を撫で下ろす。
 無事でよかったと息を吐きながら、会場を見渡す。
 ユークライ殿下達がいるところとリズヴェルトがいるところは、ちょうど私達を挟むようにして対角だ。

「……治療だ」

 そう呟いたラインハルト様は、混乱に声を上げている近くの集団に歩み寄っていく。

 私は彼について行きながら、兄上と合流するのはもう少し後になるなと考えた。
 きっと、魔法師団に所属している精霊術師である兄上は、こういった状況で走り回ることになるだろうから、私が横にいても邪魔になってしまうだろう。

 たった数秒で混乱に包まれた会場で、迷いない足取りで進んでいくラインハルト様は、人混みを突っ切って倒れた青年と彼に泣きながら縋り付く令嬢に向かっていった。

「スーウェン、スーウェン!!」

「っ……」

 スーウェンと呼ばれている青年には、胸から首のところにかけて真っ黒な蛇のような蔦のようなものが絡みつき、苦しそうに表情を歪めていた。
 縋り付いている方の令嬢に見覚えがあって、彼女の隣に行って声をかける。

「ベルベット様」

「っ、あ、クリスト、様」

 眦にいっぱいの涙を貯めた彼女は、私と目を合わせると勢いを付けて私の肩を掴む。細身の彼女からは信じられないくらい強い力に、思わず目を見開いた。

「どうか、どうかスーウェンを、彼を、助けてくれませんか!お願いです、彼は、とても大切な人なんです!」

 彼女の痛切な叫びに、私まで胸を冷たい手で掴まれるような、そんな感覚に襲われる。

 言葉を探して、でも私が彼女にかけられる言葉なんて無くて、黙ることしかできない私と彼女の正面に、一人の青年が膝をつく。

「安心しろ。僕が助ける」

「……あ、なたさま、は」

 ラインハルト様は上着を脱いで丸めると、スーウェンと呼ばれている青年の頭の下にそれを入れる。

「アマリリス」

「はい」

「近くにある水差しを三つほど持ってきて、僕の横に置いてくれ」

 わかりました、と頷いて、泣きじゃくるベルベット様の肩に軽く触れてから立ち上がる。

 机の上にあるものだけでは足りず、給仕に声をかけて持ってきてもらった水差しを、言われた通りの場所に置く。

「ラインハルト様、何か他には?」

「……横にいてくれないか」

 え、と思わず声を漏らした私に、ラインハルト様がいつもと変わらない声で告げる。

「僕の様子がおかしかったら止めてくれ」

 監視役ということだろうか。
 それほどまでに難しい治療なのかと覚悟しながら、私は首肯した。

 私が頷いたのを見て、ラインハルト様は水差しの水をゆっくりと蛇にかけていく。
 全体にかけ終わったところで、ラインハルト様が手をかざすと、黒く濁った水が球体として浮かび上がった。

 複雑な幾何学模様の魔法陣を生み出し、その薄黒い液体に通したラインハルト様は、「呪術だ」と呟く。

「解呪には手順を踏む必要がある」

「スーウェンを、治せるのですか!?」

「あぁ」

「安心して、ベルベット様。ラインハルト様は、言ったことを決して違わないから」

 不安そうに震える彼女の肩を抱き寄せて、ラインハルト様の治療の様子を見守った。

 いくつもの魔法陣が浮かび上がり、消え、吸い込まれ、再び浮かび上がる。時折、水差しの中の水が、光を纏いながら球となって空に浮き、弾ける。
 幻想的にも見えるその光景に思わず目を奪われていて、段々と蠢く黒蛇が小さくなっていくことに気付いたのは、ベルベット様が声を上げた時だった。

「蛇が!」

 そこからはあっという間のことだった。

 幾重にも重ねられた魔法陣が、青年に絡みつく蛇に吸い込まれていき、淡く白く光る。
 その優しい光が消えた時、青年の眉間の皺は消え、安らかな表情で胸を上下させていた。

「スーウェン……っ」

「かなり体力を消耗したから、しばらくは眠っているだろう。このままにしてあげてくれ」

 立ち上がったラインハルト様は、小さく息を吐いて額の汗を拭う。

 多少は招待客達の混乱も落ち着いたようだったが、会場はひっきりなしにざわめいている。
 パッと見た限りだと、ユークライ殿下の姿は見つからない。兄上もだ。
 アイカもまだ戻ってきていないようだし、ダラン様も見当たらなかった。

 妙な胸騒ぎを覚える私に、ラインハルト様が「平気か」と声をかけてくれる。

「休憩が必要なら教えてくれ」

「お気遣い感謝致します。ですが、このような事態で一人休むことなんてできませんもの。微力ながらお力添えをさせて下さい」

「あぁ。側にいてくれるだけで助かる」

 その言葉にリズヴェルトが重なって、慌てて首を振る。

『今日だけは、俺を側に置いてくれませんか?』

 リズヴェルトが、わざと勘違いさせるような言い回しをしていたのに対し、ラインハルト様はあくまで率直に思いを言葉にしているだけだろう。

「こちらです、殿下!」

「今行く」

 ラインハルト様が呼ばれるのに付いていきながら、集中しなさいと自分を叱咤する。
 こういう非常時に直接関係ないことばかり考えてしまうのは、私の悪い癖だ。

 そういえばと、リズヴェルトの甘ったるい言葉の前に言われたことを思い出す。

 ララティーナと彼女の背後にいる誰かが、王家とクリスト家に恨みがあると、彼は私にそう伝えた。
 まさかこれは、私達を狙っての、と嫌な予想が頭を過ぎる。ただ、もしそうだとしたら、全く関係のない参加者達も被害を受けている理由がわからない。

「殿下。患者様は全員、呪術をかけられております。外傷の有無は人によって差が」

「わかった。傷と呪いが悪化している者から治療する」

「承知致しました。ではこちらへ」

 この夜会に招待されているノスアルト奨励制度を利用している人々の中には、医療の道や魔法の道に携わっている者達もいる。
 その中の一人だという男性に連れられて、患者の元へと向かう。

 呪いをかける魔法、呪術。

 標的の魔力によって、その標的に効果を与える魔法。
 術者本人の痕跡がほとんど残らず、かつ術を一度発動してしまえば目標から離れられる性質も相まって、暗殺などで使われることが多い。

 呪術への適性を持つ者は少なく、指導法や理論も確立されていないことから、呪術を扱える魔法師は一握りしかおらず、その半分が魔法師団、残り半分は犯罪組織に所属していると言われている。

 術者の数が少なく、かつ術の詳細が秘匿されていることもあって、その対処法もよくは知られていないが、下手に解呪を試みると被害が拡大したり、解呪をしようとした者にも呪いが広がるらしい。

 だというのに、一切の迷いなく呪いに苦しむ人々に対峙し、魔法での治癒を施すラインハルト様に、怯えや躊躇いは全く見当たらない。

 五人目の治療が終わったところで、リズヴェルトに声をかけられる。

「殿下、こちらです」

「彼女で最後か?」

「えぇ」

 会場中の客を一箇所にまとめて、呪術に苦しめられている者に処置をするよう指示を出しているリズヴェルトは、長椅子の上で苦悶の表情で眠っている令嬢のところへ私達を案内する。

「最後だ。水を」

「こちらに」

 さっき移動しながら、どのような水でもいいのかと尋ねたところ、液体の触媒として一番水が良いとだけ端的に答えてくれたラインハルト様。
 いつも通り無言で、しかしどの相手にも丁寧に解呪をしていく彼の負担をできるだけ減らしたいと思って、給仕係に声をかけて頼んでいた水を持ってきてもらう。

 何度見ても、ラインハルト様の処置は正確で精緻で、そしてどこか神秘的だった。

 淡く光る魔法陣が、令嬢に絡みついた黒色の蛇を浄化する。
 令嬢の苦しげな表情が和らぎ、ハンカチで彼女の脂汗を拭ってあげると、眠ったままではあるけれど安心したように息を吐いた。

「もう大丈夫だが、念の為意識を取り戻すまで側で見てやってくれ」

「かしこまりました」

 リズヴェルトが頷いて、近くの人に声をかける。

 ひと段落したと思うと、私はただ見ていただけなのに気が抜けてしまう。
 胸に手を当ててほっと息を吐いた私の肩を、ラインハルト様が軽く叩いてくれた。

「ありがとう、横にいてくれて」

「いえ。私は何も」

 平常通りの無表情なラインハルト様と目を合わせて笑みを漏らす。
 彼の魔法によってたくさんの人が救われたのだと、改めてその功績を言葉にして讃えたいと口を開こうとした時、「第二王子殿下」と声をかけられた。

 その方向に向き直れば、そこに立っていたのはユークライ殿下の護衛騎士の一人だった。

「第一王子殿下がお呼びでございます。なるべく急ぐように、と」

「あぁ」

「クリスト様、あなたもお呼びするようにとのことです」

「承知しましたわ」

 私まで呼ばれるのかと意外に思いながら、そこに兄上もいるのならおかしな話ではないとも思い直す。

 そういえば、ユークライ殿下と兄上の姿が見えないどころか、声さえも全く聞こえなかったなと思いながら、護衛騎士の後ろに付いて行く。
 会場を横切ってもなお歩く速度を緩めない彼は、ついには会場を出た。

「別室に?」

「えぇ。こちらでございます」

 少し歩いたところで止まる。
 そこは、パーティー参加者のために用意されている控室で、休憩したり化粧直しをしたりする際に使われる場所だ。

 わざわざ他の招待客のいる会場から離れて別室に行ったのは、襲撃者のことを警戒してのことなのだろうか。
 アイカが追いかけて行った襲撃者は果たして捕縛できたのかとか、兄上達は襲撃者に心当たりはあるのかとか、顔を合わせたら何を聞こうか考えながら、扉が開くのを待つ。

「第二王子殿下とクリスト様をお呼び致しました」

 くぐもった声で入室が許可され、護衛騎士の手で扉が開かれる。

 その扉の向こうにあったのは、私の予想から大きく外れる光景だった。



 長椅子の上に寝かせられた青年の横で、兄上とユークライ殿下が魔法陣に魔力を込めて続けていて、ラインハルト様が入ってきたのに気付いて兄上が顔を上げる。

「ラインハルト様!良かった、すぐ代わってくれ。俺とユークライじゃ進行を食い止めることしかできないんだ。一旦全部の魔法を解除する。いいかユークライ?」

「あぁ」

 魔法を止めたユークライ殿下が、椅子にかけてあった背広を羽織りながら、ラインハルト様の側まで歩いてきて肩を叩く。

「意識を失う前に彼から、ラインハルトとアマリリス嬢が来たら他は全員退出して欲しいと言われていてね。俺達は会場へ戻る。騎士を一人部屋の外に残しておくから、何かあったら彼に」

 早口でそう言ってもう一度ラインハルト様の肩を叩いたユークライ殿下が、返事をしない弟の様子にかすかに首を傾げるが、そのまま歩き去る。

「俺もユークライの手伝いで会場に戻る。なんでご指名かはよくわからんが、しっかりな、リリィ」

「兄上も頑張ってね」

 ユークライ殿下に続いて、兄上と騎士も部屋を出る。

 一気に人が減った室内で、しかしラインハルト様は全く動かず、黙り込んだままだった。

 三人しかいない室内に、重苦しい沈黙が降りる。
 長椅子に寝かせられた彼は時折痛みからか身じろいで、その荒い息と衣擦れが、静かな部屋にやけに大きく響いた。

 ラインハルト様は、しばらく待っても動こうとせず口を開こうともしない。
 素人目から見ても刻一刻と呪いと傷が悪化しているように見えて、思わず声をかける。

「ラインハルト様、治療、を……」

 彼の顔を見て、語気が弱まっていき、喉が詰まるような感覚に襲われる。

 初めて、この人がこんなに感情をあらわにしているのを見た。
 目を細めて眉尻を下げて、今にも泣き出しそうな、苦しそうに何かを堪えるような表情で、視線が固定されたように動かない。

 当たり前だろう。
 こんな優しい人が、自分の大切な人を傷付けられて、平然としていられるはずがない。

 橙色の双眸が不安げに揺れて、唇が震えながら、その人の名前を呼んだ。

「ダラン…?」

 その弱々しい声は、名前を呼ばれたその人が、痛みからか体をよじって長椅子から落ちていく音に掻き消されて、私の耳にしか届かなかった。

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