【コミカライズ配信中!】 婚約破棄後の悪役令嬢~ショックで前世の記憶を思い出したのでハッピーエンド目指します!~
31話:初めてのダンス
「ラインハルトお兄様とアマリリスが踊ってね!私はヴィンセントと踊るから!」
ティアーラ様のその宣言に、最初に反応したのは兄上だった。
「決定事項ですか、ティアーラ様」
「えぇ。本当はユークライお兄様と踊りたかったのだけれど、お忙しそうだから」
「俺はあいつの代わりってわけか……。お任せ下さいティアーラ王女殿下。可愛い妹君を構ってやらないユークライなんかと踊るより、もっと楽しい時間にしますよ」
色々不敬じゃないかと突っ込みたくなるが、もうこの兄のユークライ殿下への態度に関しては諦めている。何より、本人達が全く気にしていないから、私が言うだけ無駄だろう。
「よろしくね、ヴィンセント。じゃあラインハルトお兄様、アマリリス、また後で!」
周りがみんなポカンとしている中、満面の笑みで私達に手を振ったティアーラ様は、兄上と共に会場の中心の方へ向かっていく。
私はそれに手を振り返して、どうしたものかとラインハルト様に向き直った。
「……すまないアマリリス、ティアーラが」
「いえ。ちょうどパートナーが決まっておりませんでしたから」
「そうか。誘ってもいいのか?」
少し不安げにするラインハルト様の視線の先には、一連のやり取りの間もずっと微笑を浮かべ続けていたリズヴェルトがいる。
彼はラインハルト様が自分を見ていることに気付くと、すぐに一歩前に出て礼をした。
「お久しゅうございます、第二王子殿下。レーミル・リズヴェルトにございます」
「あの時以来か。息災だったか?」
「えぇ。殿下もお元気そうで何よりでございます」
面識があるらしい二人は、簡単に挨拶をし握手を交わす。
リズヴェルトがラインハルト様の手を握りながら、少し身を屈めてラインハルト様の耳元で何かを囁いた。
「……わかった」
「よろしくお願い致します」
にこやかにそう告げたリズヴェルトは、手を広げながら周囲に聞こえるように声を張り上げる。
「麗しき第二王子殿下と、月の姫と名高いクリスト嬢が踊る"ラステル・ステラ"を見れるなんて、なんと素晴らしい夜になるのでしょう!」
彼がそう言ったのに合わせて、人だかりから同意の頷きと拍手が巻き起こった。
場を盛り上げる彼を見て、魔法学校の頃を思い出す。
あの頃、特に第三王子が会長で私が副会長となり私達が学校を代表する顔と言われるようになってから、パーティーなどで私達が踊る前には、こうやってリズヴェルトが空気作りを手伝ってくれていた。
仕事をしない第三王子に思うところはあったようで、とても王族に向けるとは思えない目付きをしていることも何度かあったけれど、学校内で流れていた第三王子と私が不仲であるという噂を払拭する手伝いもしてくれていた。
それが優しさからなのか、それとも別の意図から来るものかはわからないけれど、リズヴェルトのお陰で気が楽になっていたのは事実だ。
「……ありがとう、リズヴェルト」
「あなたのためでしたら」
相変わらず歯の浮くような台詞を、整った顔に微笑を乗せながら平然と口にするリズヴェルトにもう一度感謝の意を示すために笑いかけてから、ラインハルト様の方を向く。
目が合って、一拍置いてからラインハルト様が私に手を差し出した。
「アマリリス」
「はい、ラインハルト様」
私の手を、ほんの触れるくらいで握ったラインハルト様は、注意深く見てやっとわかるくらい微かにだが、口角を上げながら口を開く。
「行こう」
「えぇ。参りましょう」
手を繋いで、ゆっくりと会場の中心の方へ歩く。
ドレスを着てヒールを履いている私に配慮してくれているのか、私の手を優しく握りながらゆったりとした足取りのラインハルト様を、横目でちらりと盗み見た。
相変わらず平坦な表情で周囲に視線を滑らせるラインハルト様は、私が見ているのに気付くと小さく首を傾げる。
「どうかしたか?」
「いえ。……ラインハルト様は、ダンスはお好きですか?」
「踊れなかったものを踊れるようになる瞬間は好きだ。踊ること自体は……あまり何も思わないな」
「でしたら、楽しいと思って頂けるように尽力いたします」
私がそう言うと、ラインハルト様は小さく首を振った。
「レシア母上がよく言っていた。ダンスは二人で楽しむものだ、と」
「素敵な教えですわ。ダンスのご指導は、レシア王妃殿下が?」
「あぁ。……色々事情があって、武術と芸術は母上が指導してくれていた」
レシア王妃殿下はラインハルト様の実母で、武門の頂点であるケーシー公爵家の出身だ。
事情、と口にした瞬間、少し寂しそうに、辛さを目元に滲ませたラインハルト様に、思わずその裏にあるものの予想が頭の中を駆け巡る。
遠くからもはっきりとわかる、夜の闇を映し取ったような艶やかな黒髪を、美しいと感じずに忌み嫌う人々は多い。王家と関わるくらい、身分や教養がある人であっても。
「ただ、母上も忙しくしていたから、練習相手はダランだった」
「まぁ、そうなのですか。本当に仲がよろしいのですね」
「うん。……ダランも、楽しそうで良かった」
ポツリと呟いたラインハルト様の言葉にダラン様の姿を探すと、人に囲まれているようで、銀の髪だけがチラリと見える。
「……アマリリスは」
「はい」
「僕が王に相応しいと思うか?」
突然の問いかけに、周りの喧騒が遠のく。
誰が次の王に相応しいか。
今のウィンドール王国で、間違いなく一番口の端に上る問いかけだろう。
クリスト家が中立派なこともあって、私はあえてこの問題について考えないようにしてきた。その答えを出すことは、自分にとって痛みを伴うことだとも知っているから。
ラインハルト様からの質問は、直接三人の候補者に優劣をつけることを求めるものではない。
けれど私は、それに頷くことも首を振ることも、どうにもできなかった。
「……すまない、困らせるつもりはなかったんだ」
「申し訳ありません。お返事ができなくて」
「いいんだ。僕が未熟なだけだから」
自虐的にそう言ったラインハルト様に、どういうことかと尋ねようとしたが、ちょうど会場の中心付近まで辿り着いて足を止める。
ダンスのために空けられたスペースの周りで、談笑しながら始まるのを待っていたり、次に踊るペア達を鑑賞しに飲み物を片手に持っていたりする人々が、大きな輪を作っている。
その輪から一歩内側に踏み出したところで、一度手を離し、ラインハルト様が口を開いた。
「私と踊って頂けますか、アマリリス・クリスト嬢」
差し出された手に、自分の手を重ねる。
線が細いと思っていたけれど、ラインハルト様の手は私のそれよりも大きくて、ひんやりとしたその手に包まれると、気分が落ち着くようだった。
「謹んでお受け致しますわ、ラインハルト・ウィンドール様」
「……あぁ」
「ちなみに、ダンスのお誘いは前の曲の演奏が終わって、次の自分が踊る曲の前奏の間にするのが一般的ですよ」
私の指摘にラインハルト様は、かすかに目を見開いて、そして苦笑を漏らした。
「すまない」
「構いませんわ。公式の場で踊られるのは、お久しぶりなのですか?」
「成人してからは初めてだし、幼い頃も踊る機会はあまりなかった」
そういえば、とラインハルト様について元々知っていた情報を手繰り寄せる。
今年二十歳になるラインハルト様は、七年前に病の療養と称して表舞台から姿を消した。
慣例に従って、きっと彼もお披露目が七歳から八歳の間にあって、社交界デビューが十二歳、成人が十八歳と考えると、彼が社交界にいたのはわずか一年ほど。
未成年者が出席するようなパーティーや茶会は食事会が中心なことが多いと考えると、ほとんどダンスをした経験がないというのは、謙遜や保険ではなく、本当に本当のことなのだろう。
「……そろそろですわ」
流れていた音楽が終盤に近付き、次のダンスを踊ろうとするペア達が私達と同じように中心へと足を踏み出していく。
ダンスの申し込みが次々に行われる中、私はラインハルト様と目を合わせて笑みをこぼした。
「向かいましょう」
「あぁ」
ラインハルト様に手を取られて、会場の中央に進んだ。
つい先刻もリズヴェルトと共にここに立ったばかりだが、あの時とは違って頭の中はすっきりとしていて、心持ちにも余裕がある。
「"ラステル・ステラ"を踊られたことは?」
「練習でなら。アマリリスは?」
「何度も。よく誘われますので」
聞き慣れた前奏に合わせてゆっくり歩いてリズムを取りながら、ラインハルト様に向き直って肩に手を添える。
まるで私がガラス細工かのように優しく触れてくる彼は、「そうか」と小さく呟いた。
「なぜなんだ?」
「この髪の色を月の光となぞらえて下さる方が多く、夜空の星の輝きに着想を得たこのダンスを私に相応しいと言って下さる方が幾人もいらっしゃるのです」
「なるほど」
曲が始まり、一度お互いに礼をして踊り始める。
ゆったりとしたテンポながら細かくて不規則なステップが多いが、ラインハルト様のリードは柔らかく、落ち着いて足を動かす。
長い間人前で踊っていないと言っていたのに、ラインハルト様は夜会特有の緊張感に押し潰される様子も全くなく、冷静な様子だ。
この方の胆力は、目を見張るものがある。さっきの、彼が王に相応しいと思うかという問いかけに明確な答えを出すことはできないが、この精神力は為政者に必要とされるものだろう。
そういえば、と第一王子のユークライ殿下の姿を踊りながら探す。
王族でありこの夜会の主催者の彼は、貴族の子女にも平民の参加者にも囲まれている。平民にも囲まれているのは、彼らの支援をしているノスアルト奨励制度の代表人物であることに加え、彼自身の人柄の良さも影響しているのだろう。
二人の王子を考えると、つい頭が自然と弟である第三王子に辿り着いてしまう。視界に入っている光景もそうさせるのだろうか。
全ての民を平等にと、そう掲げた彼の真意がどこにあったのか、私は知らない。あの人の考えることを知りたいと、理解したいと思っていくら思考を巡らせても、私では届かなかった。
ただ、もう彼への想いに追い縋ることはしないと決意したのに、彼が理想としたはずのこの身分関係なく人々が笑い合う光景には心が温かくなる。
誰が王となるべきなのか、考えないようにしないつもりだったのに、一度思考を始めてしまうと止まらない。三人についての情報が頭の中に溢れ、同時に胸の痛みも増していく。
無理矢理その思考の海から浮き上がろうと、無言で踊っていたラインハルト様に話しかける。
「そういえば、どうしてティアーラ様はラインハルト様と私を指名なさったのでしょうね」
「どうだろう」
そう言って小さく首を傾げたラインハルト様の、銀のピアスが揺れ、かすかな金属音が演奏に吸い込まれていく。
いつもと変わらない様子のラインハルト様に、落ち着いたと思っていても、私が自分で思っていた以上に動揺していたことを実感する。
久しぶりの夜会に、何やら隠し事をしていておかしな行動をしているリズヴェルト、ひっきりなしに話しかけてくる他の参加者達で、ずっと頭が働きっぱなしだった。
考えすぎで思考がまとまらない時には体を動かすのがいい、というのは母の言葉だ。
今はダンスに集中しようと、一度息を吸って自分の指先から足の先にまで神経を張り巡らせた。
音に耳を澄まし、パートナーの息遣いを読み、決められた振り付けをなぞりながら、穏やかなリズムに身を任せる。
音楽とラインハルト様と自分の存在だけになったような感覚。
ステップを踏んで回りながら、周囲の雑音が消えていく。
「……ティアーラがどう思っていたかはわからないが、僕はアマリリスと踊れて良かったと思う」
それが、何気なく私の発した質問に対する答えだと結び付けるには、随分と間の空いた返答だった。
しかしその時間こそが、当たり障りのない社交辞令ではなく本心の言葉の証である気がして、なんだか嬉しくなる。
「私もです、ラインハルト様」
ターンをしてドレスが翻る感触を、ヒールから跳ね返る床の硬い感覚を、誰かと一緒に音楽に乗れていることを楽しいと思えたのはいつぶりだろうか。
少し前まで、二度と社交界を楽しめなくなることも覚悟していたというのに、こんな早くに自然と心からの笑顔を浮かべられることに、目の前の友人に感謝の気持ちが湧いてくる。
「……ありがとうございます」
そう呟いた瞬間だった。
突然強い力で抱き寄せられたと思えば、視界が真っ赤に染まり、甲高い金属音が鳴り響いた。
ティアーラ様のその宣言に、最初に反応したのは兄上だった。
「決定事項ですか、ティアーラ様」
「えぇ。本当はユークライお兄様と踊りたかったのだけれど、お忙しそうだから」
「俺はあいつの代わりってわけか……。お任せ下さいティアーラ王女殿下。可愛い妹君を構ってやらないユークライなんかと踊るより、もっと楽しい時間にしますよ」
色々不敬じゃないかと突っ込みたくなるが、もうこの兄のユークライ殿下への態度に関しては諦めている。何より、本人達が全く気にしていないから、私が言うだけ無駄だろう。
「よろしくね、ヴィンセント。じゃあラインハルトお兄様、アマリリス、また後で!」
周りがみんなポカンとしている中、満面の笑みで私達に手を振ったティアーラ様は、兄上と共に会場の中心の方へ向かっていく。
私はそれに手を振り返して、どうしたものかとラインハルト様に向き直った。
「……すまないアマリリス、ティアーラが」
「いえ。ちょうどパートナーが決まっておりませんでしたから」
「そうか。誘ってもいいのか?」
少し不安げにするラインハルト様の視線の先には、一連のやり取りの間もずっと微笑を浮かべ続けていたリズヴェルトがいる。
彼はラインハルト様が自分を見ていることに気付くと、すぐに一歩前に出て礼をした。
「お久しゅうございます、第二王子殿下。レーミル・リズヴェルトにございます」
「あの時以来か。息災だったか?」
「えぇ。殿下もお元気そうで何よりでございます」
面識があるらしい二人は、簡単に挨拶をし握手を交わす。
リズヴェルトがラインハルト様の手を握りながら、少し身を屈めてラインハルト様の耳元で何かを囁いた。
「……わかった」
「よろしくお願い致します」
にこやかにそう告げたリズヴェルトは、手を広げながら周囲に聞こえるように声を張り上げる。
「麗しき第二王子殿下と、月の姫と名高いクリスト嬢が踊る"ラステル・ステラ"を見れるなんて、なんと素晴らしい夜になるのでしょう!」
彼がそう言ったのに合わせて、人だかりから同意の頷きと拍手が巻き起こった。
場を盛り上げる彼を見て、魔法学校の頃を思い出す。
あの頃、特に第三王子が会長で私が副会長となり私達が学校を代表する顔と言われるようになってから、パーティーなどで私達が踊る前には、こうやってリズヴェルトが空気作りを手伝ってくれていた。
仕事をしない第三王子に思うところはあったようで、とても王族に向けるとは思えない目付きをしていることも何度かあったけれど、学校内で流れていた第三王子と私が不仲であるという噂を払拭する手伝いもしてくれていた。
それが優しさからなのか、それとも別の意図から来るものかはわからないけれど、リズヴェルトのお陰で気が楽になっていたのは事実だ。
「……ありがとう、リズヴェルト」
「あなたのためでしたら」
相変わらず歯の浮くような台詞を、整った顔に微笑を乗せながら平然と口にするリズヴェルトにもう一度感謝の意を示すために笑いかけてから、ラインハルト様の方を向く。
目が合って、一拍置いてからラインハルト様が私に手を差し出した。
「アマリリス」
「はい、ラインハルト様」
私の手を、ほんの触れるくらいで握ったラインハルト様は、注意深く見てやっとわかるくらい微かにだが、口角を上げながら口を開く。
「行こう」
「えぇ。参りましょう」
手を繋いで、ゆっくりと会場の中心の方へ歩く。
ドレスを着てヒールを履いている私に配慮してくれているのか、私の手を優しく握りながらゆったりとした足取りのラインハルト様を、横目でちらりと盗み見た。
相変わらず平坦な表情で周囲に視線を滑らせるラインハルト様は、私が見ているのに気付くと小さく首を傾げる。
「どうかしたか?」
「いえ。……ラインハルト様は、ダンスはお好きですか?」
「踊れなかったものを踊れるようになる瞬間は好きだ。踊ること自体は……あまり何も思わないな」
「でしたら、楽しいと思って頂けるように尽力いたします」
私がそう言うと、ラインハルト様は小さく首を振った。
「レシア母上がよく言っていた。ダンスは二人で楽しむものだ、と」
「素敵な教えですわ。ダンスのご指導は、レシア王妃殿下が?」
「あぁ。……色々事情があって、武術と芸術は母上が指導してくれていた」
レシア王妃殿下はラインハルト様の実母で、武門の頂点であるケーシー公爵家の出身だ。
事情、と口にした瞬間、少し寂しそうに、辛さを目元に滲ませたラインハルト様に、思わずその裏にあるものの予想が頭の中を駆け巡る。
遠くからもはっきりとわかる、夜の闇を映し取ったような艶やかな黒髪を、美しいと感じずに忌み嫌う人々は多い。王家と関わるくらい、身分や教養がある人であっても。
「ただ、母上も忙しくしていたから、練習相手はダランだった」
「まぁ、そうなのですか。本当に仲がよろしいのですね」
「うん。……ダランも、楽しそうで良かった」
ポツリと呟いたラインハルト様の言葉にダラン様の姿を探すと、人に囲まれているようで、銀の髪だけがチラリと見える。
「……アマリリスは」
「はい」
「僕が王に相応しいと思うか?」
突然の問いかけに、周りの喧騒が遠のく。
誰が次の王に相応しいか。
今のウィンドール王国で、間違いなく一番口の端に上る問いかけだろう。
クリスト家が中立派なこともあって、私はあえてこの問題について考えないようにしてきた。その答えを出すことは、自分にとって痛みを伴うことだとも知っているから。
ラインハルト様からの質問は、直接三人の候補者に優劣をつけることを求めるものではない。
けれど私は、それに頷くことも首を振ることも、どうにもできなかった。
「……すまない、困らせるつもりはなかったんだ」
「申し訳ありません。お返事ができなくて」
「いいんだ。僕が未熟なだけだから」
自虐的にそう言ったラインハルト様に、どういうことかと尋ねようとしたが、ちょうど会場の中心付近まで辿り着いて足を止める。
ダンスのために空けられたスペースの周りで、談笑しながら始まるのを待っていたり、次に踊るペア達を鑑賞しに飲み物を片手に持っていたりする人々が、大きな輪を作っている。
その輪から一歩内側に踏み出したところで、一度手を離し、ラインハルト様が口を開いた。
「私と踊って頂けますか、アマリリス・クリスト嬢」
差し出された手に、自分の手を重ねる。
線が細いと思っていたけれど、ラインハルト様の手は私のそれよりも大きくて、ひんやりとしたその手に包まれると、気分が落ち着くようだった。
「謹んでお受け致しますわ、ラインハルト・ウィンドール様」
「……あぁ」
「ちなみに、ダンスのお誘いは前の曲の演奏が終わって、次の自分が踊る曲の前奏の間にするのが一般的ですよ」
私の指摘にラインハルト様は、かすかに目を見開いて、そして苦笑を漏らした。
「すまない」
「構いませんわ。公式の場で踊られるのは、お久しぶりなのですか?」
「成人してからは初めてだし、幼い頃も踊る機会はあまりなかった」
そういえば、とラインハルト様について元々知っていた情報を手繰り寄せる。
今年二十歳になるラインハルト様は、七年前に病の療養と称して表舞台から姿を消した。
慣例に従って、きっと彼もお披露目が七歳から八歳の間にあって、社交界デビューが十二歳、成人が十八歳と考えると、彼が社交界にいたのはわずか一年ほど。
未成年者が出席するようなパーティーや茶会は食事会が中心なことが多いと考えると、ほとんどダンスをした経験がないというのは、謙遜や保険ではなく、本当に本当のことなのだろう。
「……そろそろですわ」
流れていた音楽が終盤に近付き、次のダンスを踊ろうとするペア達が私達と同じように中心へと足を踏み出していく。
ダンスの申し込みが次々に行われる中、私はラインハルト様と目を合わせて笑みをこぼした。
「向かいましょう」
「あぁ」
ラインハルト様に手を取られて、会場の中央に進んだ。
つい先刻もリズヴェルトと共にここに立ったばかりだが、あの時とは違って頭の中はすっきりとしていて、心持ちにも余裕がある。
「"ラステル・ステラ"を踊られたことは?」
「練習でなら。アマリリスは?」
「何度も。よく誘われますので」
聞き慣れた前奏に合わせてゆっくり歩いてリズムを取りながら、ラインハルト様に向き直って肩に手を添える。
まるで私がガラス細工かのように優しく触れてくる彼は、「そうか」と小さく呟いた。
「なぜなんだ?」
「この髪の色を月の光となぞらえて下さる方が多く、夜空の星の輝きに着想を得たこのダンスを私に相応しいと言って下さる方が幾人もいらっしゃるのです」
「なるほど」
曲が始まり、一度お互いに礼をして踊り始める。
ゆったりとしたテンポながら細かくて不規則なステップが多いが、ラインハルト様のリードは柔らかく、落ち着いて足を動かす。
長い間人前で踊っていないと言っていたのに、ラインハルト様は夜会特有の緊張感に押し潰される様子も全くなく、冷静な様子だ。
この方の胆力は、目を見張るものがある。さっきの、彼が王に相応しいと思うかという問いかけに明確な答えを出すことはできないが、この精神力は為政者に必要とされるものだろう。
そういえば、と第一王子のユークライ殿下の姿を踊りながら探す。
王族でありこの夜会の主催者の彼は、貴族の子女にも平民の参加者にも囲まれている。平民にも囲まれているのは、彼らの支援をしているノスアルト奨励制度の代表人物であることに加え、彼自身の人柄の良さも影響しているのだろう。
二人の王子を考えると、つい頭が自然と弟である第三王子に辿り着いてしまう。視界に入っている光景もそうさせるのだろうか。
全ての民を平等にと、そう掲げた彼の真意がどこにあったのか、私は知らない。あの人の考えることを知りたいと、理解したいと思っていくら思考を巡らせても、私では届かなかった。
ただ、もう彼への想いに追い縋ることはしないと決意したのに、彼が理想としたはずのこの身分関係なく人々が笑い合う光景には心が温かくなる。
誰が王となるべきなのか、考えないようにしないつもりだったのに、一度思考を始めてしまうと止まらない。三人についての情報が頭の中に溢れ、同時に胸の痛みも増していく。
無理矢理その思考の海から浮き上がろうと、無言で踊っていたラインハルト様に話しかける。
「そういえば、どうしてティアーラ様はラインハルト様と私を指名なさったのでしょうね」
「どうだろう」
そう言って小さく首を傾げたラインハルト様の、銀のピアスが揺れ、かすかな金属音が演奏に吸い込まれていく。
いつもと変わらない様子のラインハルト様に、落ち着いたと思っていても、私が自分で思っていた以上に動揺していたことを実感する。
久しぶりの夜会に、何やら隠し事をしていておかしな行動をしているリズヴェルト、ひっきりなしに話しかけてくる他の参加者達で、ずっと頭が働きっぱなしだった。
考えすぎで思考がまとまらない時には体を動かすのがいい、というのは母の言葉だ。
今はダンスに集中しようと、一度息を吸って自分の指先から足の先にまで神経を張り巡らせた。
音に耳を澄まし、パートナーの息遣いを読み、決められた振り付けをなぞりながら、穏やかなリズムに身を任せる。
音楽とラインハルト様と自分の存在だけになったような感覚。
ステップを踏んで回りながら、周囲の雑音が消えていく。
「……ティアーラがどう思っていたかはわからないが、僕はアマリリスと踊れて良かったと思う」
それが、何気なく私の発した質問に対する答えだと結び付けるには、随分と間の空いた返答だった。
しかしその時間こそが、当たり障りのない社交辞令ではなく本心の言葉の証である気がして、なんだか嬉しくなる。
「私もです、ラインハルト様」
ターンをしてドレスが翻る感触を、ヒールから跳ね返る床の硬い感覚を、誰かと一緒に音楽に乗れていることを楽しいと思えたのはいつぶりだろうか。
少し前まで、二度と社交界を楽しめなくなることも覚悟していたというのに、こんな早くに自然と心からの笑顔を浮かべられることに、目の前の友人に感謝の気持ちが湧いてくる。
「……ありがとうございます」
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