【コミカライズ配信中!】 婚約破棄後の悪役令嬢~ショックで前世の記憶を思い出したのでハッピーエンド目指します!~

弓削鈴音

27話:準備万端

「いい、セルカ?」

「うん。よろしく、レオナール」

「じゃあ行くよ。ルゥ、お願い」

 シルヴァンがピアノを弾くのに合わせて、アイカがステップを踏む。

 ドレスのパニエがふわりと揺れて、縫い付けられたビーズが陽の光を反射してきらきらと光る。
 相手役をしているレオナールの手から一瞬離れてくるりと回ったアイカに、一緒に見ていた兄上が感嘆の声を漏らした。

「たった五日でかなり上達したな」

「えぇ。レオの教え方が良かったのと、セルカの飲み込みが早いからだわ」

 兄上とそう囁き合う間にも、アイカは足を止めずに踊りを続けていた。

 少し前までぎこちなく何度もレオナールの足を踏んでいたとは思えない軽やかな足取りで、リズムと共に揺れる。

 私が課題として提示した二曲とも、普段の夜会で演奏されるのと同じくらいのテンポで踊れるようになったアイカは、必要とされるマナー事項も全てしっかりと身に付けていた。
 どうやら、元々身分の高い人々とも触れ合う機会があったから、基本的な社交界でのルールは聞き齧っていたらしく、私が思っていた何倍も、アイカへの授業は順調に進んだ。

「最初はどうなることかと思ったけれど、良かったわ」

「本当にな」

 そこからしばらく黙って見ていた兄上は、一曲目の"風の誘い"が終わったところで、一度レオナールから手を離したアイカに近付く。

「次は私と踊って頂けますか、セルカ殿?」

「……謹んで、お受けいたしますわ、ヴィンセント・クリスト様」

 令嬢としての言葉は少しぎこちないが、そう言って微笑みながら兄上の手を握り返したアイカは、高価なドレスやきついコルセット、ヒールの入った靴にも慣れたようで、テンポの速い"ベラ・ハイトリエ"に合わせて滑らかに体を動かす。

「運動神経がいいから、コツを掴めばすぐだったよ」

 踊り終わって、私の隣に来たレオナールがそう口を開いた。
 私たちが来る前から、セルカの自主練に付き合っていたらしい彼は、コップに入っていた水を一気に飲み干して話を続ける。

「最初に踊れなかったのは、多分重心の移動とかがわかってなかったからだよ。聞いてみたら体術を少し齧ってたみたいで、そっちの教え方の方が合ってたみたい」

「そうなの。だったら、武術に詳しいレオに頼んで正解だったわね」

 私達四兄弟の中で、一番武芸への関心が強いのがレオナールだ。
 幼い頃から彼の居場所は書庫か中庭かと決まっていて、書庫にいる時には歴史書を読み漁り、中庭にいる時には剣や槍を振っていた。
 貴族男子は最低限、剣術を身に付け、主要な歴史上の将軍や騎士について学ぶが、レオナールはその域を遥かに超えている。

 国内外を問わず、剣術や槍術、弓術、体術など色々な武術の様々な流派を学んでいるらしい彼の凄さは、正直私はぼんやりとしかわかっていないけれど、ダンスの指導に応用できるほど深い造詣がある公爵令息というのは、本当に珍しい。

「……セルカって魔法研究者なんだよね?」

「えぇ。そう聞いているわよ」

「研究職ってあんなに動けるものなのかなあ」

「どうなのかしら」

 一部の研究者の中には、研究費を稼ぐために護衛などの仕事もする場合があるとは聞いている。
 アイカはかなり魔法の腕前が高いようだから、そういったことをしていたとしてもおかしくはない。

「姉さんはひょっとしたら何か聞いているのかもしれないけど、セルカは多分……色々複雑な事情があるんだと思う」

 母上に似た顔立ちに、憂げな表情を浮かべたレオナールは、言葉を選びながら小声でそう話す。

「あの身のこなしは、武術経験者か、そうでなくても喧嘩とかが日常的な場所が出身じゃないと説明がつかない」

「それはないと思うわ。……彼女の身元ははっきりしているもの」

「ドロッセル王妹殿下のお屋敷に下宿してるんでしょ?だから余計に不思議なんだよ」

「お屋敷の人に仕込んでもらったとか?」

「俺もそう思って聞いてみたんだ。そしたら、気のせいじゃないか、ってはぐらかされて。……勘違いだったらいいんだけど、何か隠してるのかもしれない」

 少し暗い声でそう言ったレオナールは、兄上と踊るアイカの方を見る。
 私も釣られてそちらへ視線を向けると、ちょうどターンをした彼女と目が合った。

 視線がかち合ったことに気付くとすぐに頬を緩ませたアイカに、私も思わず笑みを浮かべる。

「……セルカが私達から何かを隠しているからといって、それが私達を騙していることにはならないんじゃないかしら」

 隠し事をしているというのであれば、私も自分の前世を思い出したことを家族に話していない。けれどそれは、自分の中でもまだ整理がついていないからだし、いらない心配をかけたくないからでもある。
 冷静に考えて、別の世界で生きた記憶なんて信じてもらえるはずがない。ショックでおかしくなったのだと思われても仕方のないような話だ。
 優しい私の家族は、きっと私が前世を告白したら、余計に心労を負うことになるだろう。

 傲慢な言い方かもしれないけれど、隠し事は思いやりなこともあるのではないだろうか。

「何か事情があって話せないのかもしれないし、本当に私達の考えすぎなのかもしれない。でも今この時点で、セルカが私達に伝える必要がないのだと判断しているなら、それを信じるべきだと私は思うわ」

 一瞬言葉を止めて、けれど結局流れのままに紡ぐ。

「誰かの心を完全に理解したり掌握したりすることなんて、絶対にできないのだから。できないことで不安や焦燥感を募らせるのは、しんどくなるだけよ」

 つい数ヶ月ほど前までの自分がまさにそうだった。

 理由もわからないまま私を遠ざけた第三王子が何を思っているのか。私に何を隠して、どんな嘘をついているのか。ついていたのか。
 卒業パーティーの準備で忙しくてなかなか直接話す時間がないまま、彼がララティーナと繰り返し会っているという噂だけ耳に入ってきて、けれど仕事を放り出すわけにもいかず、一人で負の感情を溜め込んでいた。

 嫌な想像を繰り返して、ただひたすら内側に苦しさを積み上げていくような苦しさを、弟には経験して欲しくない。

「レオ。私みたいにはならないでね」

「……姉さん」

 言ってから、暗い話をしてしまったと後悔して、慌てて別の話題を探す。
 しかし、ここしばらく家から出ていないから、話すことが見つからなかった。話題にできることといえば、母上から聞いた社交界の情勢についてだが、レオナールはその方面の話にあまり興味を示さない。

 沈黙を長引かせたくはないと、とりあえず学年が上がって勉強はどうかなんて当たり障りのない質問でもしようと口を開きかけた時、ちょうどシルヴァンのピアノの演奏が終わった。

 アイカと兄上がお互いから一歩引いて、ゆっくりと礼をする。
 三人分の拍手が響く中、アイカがふぅと息を吐いた。

「ヒールってきついね。コルセットも息しにくいし」

「どっちも慣れよ。セルカのダンス、すごく良かったわ」

「体幹がしっかりしてるんだろうな。体力もあるし、これなら本番も大丈夫だろ」

 そう言いながら椅子に腰を下ろした兄上に、レオナールが水を差し出す。

「お疲れ様、兄さん。本番も誘うの?」

「うーんどうだろうなぁ。一曲はエスコートの相手とやるだろうし」

 もう一曲は、と兄上がにやけながら言葉を濁すのに、レオナールは首を傾げる。

 きっとユークライ殿下が誘うと言いたいのだろうなと思いながら、私は苦笑するしかない。

「そういえばエスコートは誰がするのですか?」

「ダラン。ダラン・フォンビッツ伯爵。友人で、一応私の研究のパトロンの一人だよ」

 シルヴァンの問いかけにアイカがそう答える。

「なるほど。では当日はフォンビッツ伯爵がうちの屋敷まで?」

「えぇ。その手筈になっているわ」

 アイカと親交があってエスコートを頼めそうな人物の中で、一番悪目立ちしなさそうなのがダラン様だった。

 主催者であり第一王子で、しかも未だに婚約者のいないユークライ殿下が女性を連れていたら外野に何を言われるかわからないから断念。
 ラインハルト様もそもそも選択肢の中では選びたくない方であったが、もう既に妹姫であるティアーラ殿下との出席が決まっていたため除外。
 なんとドロッセル殿下がエスコートしようなんて仰っていたらしいけれど、そんなことをしたら数日間は社交界で噂され続けるだろうから、畏れ多いけれど辞退。

 今回アイカが出席をするのは、あくまで社交界の空気を知るためだ。注目を集めるためではない。
 そこで白羽の矢が立ったのが、ダラン様だった。

 ダラン様も、比較的有名人であることには変わりない。
 しかし、今回の夜会の性質的に、彼にそこまで人は集まらないだろうというのが、母上と私で話し合って至った結論だった。

「二日後か。結構俺の周りでも話題になってるぞ、今回の夜会」

「やっぱりそうなのね」

「単純に招待客が幅広いからな。今話題の歌姫や二人の王子に王女。で、五大公爵家の関係者も結構出席するし。……お前の出席も、話題になってるぞ」

 気遣うように言ってくれた兄上に、私は笑顔を向ける。

「大丈夫。想定通りよ」

 むしろ私がユークライ殿下の夜会に出ることは、予め広めておいてくれるように母上に自分から頼んでいた。

 どちらにしろ、私がユークライ殿下の夜会に出たら社交界で好き勝手言われることはわかっている。
 であったらせっかくだし、貴族社会の衆目を集めて、嫌な噂をされないように一掃してしまいたい。

「エスコートはお願いね、兄上」

「それはもちろん」

 兄上がニカっと笑う。
 日頃は冗談を言ったり誰かを揶揄ったりしていることが多いけれど、大変な時には頼れる兄だ。

 主催者のユークライ殿下も、もうすっかり苦手意識は無くなったし、友人であるラインハルト様も来る。
 アイカのサポートの役割も果たしながら、自分の目的も果たすために、残り今できることは最後の仕上げだけだ。

「あぁそういえば、俺がセルカに魔力操作を習ってるのは公表していいんだよな?」

 兄上の問いかけにアイカが頷く。

「詳しいことは駄目だけど」

「了解。話しかけるのは中盤以降だっけか?」

「えぇ。せっかくだから、セルカ自身で社交界がどんなところか、最初に体験して欲しくて」

「わかった。適当に頑張るよ」

 そう言って笑うアイカの前に、私は部屋の隅に置いておいていた紙束を置く。

「……えっと、ごめんアマリリス。これは?」

「主要な招待客の情報よ。あぁ兄上、ぜひ一緒に」

 私がそれを取ってきた瞬間に立ち上がって逃げ出そうとした兄上にそう声をかけると、ピシャリと背筋が伸びてゆっくりとぎこちない動作で振り返る。

「いやぁ、俺、魔法師団の仕事がある気がするんだよなぁ」

「ヴィンス兄様、せっかくの兄弟団欒の時間ですよ」

「いや、レオが逃げてるだろ!」

 兄上がそう言った時、レオナールはちょうど扉に手をかけているところだった。

「レオ。二時間後にお茶とお菓子を持ってくるようお願いしてくれない?」

「わかった!頑張ってね、姉さん、ルゥ、セルカ。兄さんも!」

 屈託のない笑顔で言い残して扉を閉めたレオナールは、今回の夜会には出席しない。だから彼にまでこれを詰め込む必要はないから、息抜きの準備の言伝だけ頼んでおく。

 シルヴァンは今、私達兄弟の中で一番社交界の事情に詳しい。
 兄上は仕事、レオナールは学校、そして私が引きこもっている間、茶会や食事会、その他色々な催しに父上や母上と共に出席していた彼は、私以上に新鮮な情報を持っている。

「しっかり最新の情報まで入れ込んであるわ。これさえ頭に入れていれば、当日の会話はかなり円滑にできるはずよ」

「……えっと、でも、そんなに大人数と話す必要はないんじゃないの?」

「ここにまとめてあるのは、ほぼ必ず会話の中心となる方々です。彼らの趣味嗜好まではいなくても、せめて出身と年齢、職業、そして姉様と僕で考えた好ましい話題と避けるべき話題だけ把握しておけば、相手の機嫌を損ねずに会話ができるはずです」

 えぇ、とぼやきながらアイカが紙を捲る。
 その横で、兄上が不満げに腕を組んだ。

「俺はリリィと一緒に行動するんだし、別にいいだろ」

「兄上は普段こういった場に出ないんだから、人脈を広げるためにも情報を入れておくのは大事よ」

「でもよぉ……」

 なおもめんどくさそうな顔をしていた兄上だが、アイカが真面目に目を通し始めたのを見て、溜め息をついた。

「半分貸してくれ。途中で交換」

「わかった」

 二人が無言で資料に目を通し始めたのを見て、私は自分の分を取り出す。

 そこに書いてあるのは、最近の経済の状況。
 正確に言うならば、各領の取引量の増減や物価の変動、そして領主家族やその親類の経済状況。

 なんだかんだ言って、お金の話は相手を黙らせるのにかなり効果的だ。

 私に対して嫌味を言ってくるであろう面々の領地を重点的に、私はそれらの資料を分析し始めた。

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