【コミカライズ配信中!】 婚約破棄後の悪役令嬢~ショックで前世の記憶を思い出したのでハッピーエンド目指します!~

弓削鈴音

26話:特訓開始

「じゃあ、お手本を見せるわね」

 とりあえず前日までは午前中にマナーの講義と実践、午後にダンスをすることにし、ひとまず本番で必要となるであろうダンスを試しに私とレオナールで見せることになった。
 この別邸にあるピアノをシルヴァンに弾いてもらい、ソファなどをどかして作った臨時のダンススペースで、すっかり大きくなった弟と向かい合う。

「私と踊って頂けますか、アマリリス・クリスト様?」

 悪戯っぽく笑いながら差し出された手を、笑い返しながら握り返す。

「喜んで、レオナール・クリスト様」

 軽やかで響きの豊かなピアノの演奏が始まり、滑り出すように一歩目を踏み出す。

 今回アイカに練習してもらうのは二つのダンスだ。
 一つ目は、"風の誘い"。六大民族の一つであり王家の源流でもあるルーヴァン一族に伝わる伝統舞踊を社交用に改変したもので、細かなステップに合わせて、風に舞う花弁のような踊りだ。
 二つ目は、"ベラ・ハイトリエ"。国民から愛され、多大なる功績を残したハイトリエ女王を讃えるために作られたダンス。楽器隊の演奏も踊りも難易度が高めだからあまり見かけることはないが、ユークライ殿下はきっと組み込んでくるだろうと私は踏んでいる。

 夜会で主催者がどのようなものを表現しようとしているのか、どのような曲が演奏され、どのダンスが踊られるのか。
 それを予測するのが、夜会の難しいところであり、醍醐味でもある。

 ただひとまずは、この二つを踊れることさえできれば十分だろう。

 二曲連続で踊り終え、ピアノの音が部屋に吸い込まれ消えていってから、レオナールと二人で礼をする。
 パチパチと、アイカとシルヴァンの二人分の拍手が響いた。

「すごい……。私、貴族の踊るダンスって、もっと緩やかなものが多いかと思ってた」

「一つ目は標準的だけれど、二つ目は少し難しめよ」

 私がそう伝えると、アイカの顔が引き攣る。

「ちょっと待って、私ダンス初心者だよ?曲も今の今まで知らなかったし」

「二つ目をやらないのであれば、合計で三曲練習する必要があるけれどどうする?」

「じゃあ、頑張ってみるけど……」

 本来であれば、どの曲で踊るかはその場の雰囲気や、その曲を選んでいる人数を見て決めることが多い。

 私の経験則上、ユークライ殿下の夜会では、一曲目に"風の誘い"が来て、三曲目か四曲目に"ベラ・ハイトリエ"が来るはずだ。
 大抵の夜会では一曲目と最後の曲に人数が集中し、そのどちらかともう一つか二つのダンスに参加するのが一般的である。
 最初と最後以外の曲は、参加者が互いの様子を伺いながら適度な人数で踊るため、今からアイカが練習するのであれば、あまり進んで挑戦されることのない"ベラ・ハイトリエ"を習得すべきだろうというのが、私の達した結論だった。

「ひとまず、セルカが今どれくらいできるか見てみたいわ。私が男性役をするから、やってみましょう」

「……わかった。笑わないでね?」

「本気でやっている人を笑ったりしないわよ」

 私の側にやってきたアイカの手を取る。

「女性側は相手の右肩に自分の左手を、そして左手を相手の右手と繋ぐの」

「結構相手との距離近いんだね」

「確かに近いけれど、既婚者同士でなければ基本的に顔は近付けないわね。お互いに左側に視線を流す感じよ」

 説明をしながら、私は彼女の腰に手を回す。

「じゃあまずは、簡単なステップから。右足を出して、左足を引きつけるように。次は逆よ」

「……」

「もう少しテンポ良く」

「……んー?」

「繰り返しながら動くわよ。レオ、カウントを取ってくれる?」

「はーい。ゆっくり行くよ。一、二、三、二、二、三……」

 レオの声に合わせながらゆっくりと部屋を回ろうとするが、アイカの足取りはどこかぎこちない。
 それでも、パートナーの私に合わせてしっかりとついて来てくれる。

「いい感じよ。もう少し速めれる?」

「うーん……多分?」

 首を傾げるアイカに苦笑を漏らしたこの時の私は、アイカの特訓があれほど根気のいるものになるとは、思っていなかった。




 三日目の夜。
 特訓を終えて、そのまま別邸にお泊まりしないかと誘いを受けた私は、寝巻きに着替えてアイカと並んでベッドに腰掛けていた。

「それで、アマリリス先生。私の進捗はいかがでしょう…?」

「正直、芳しくはないわ。どうしてなのかしら……」

 アイカは運動神経が良く呑み込みも早かったから、基礎的なステップを覚えるのは早かった。
 しかし、少し複雑になった途端、できなくなってしまうのだ。

「ごめんなさい。私の教え方が良くないのかもしれないわ」

「そんなことないよ。あ、でも、もし良かったら、アマリリスがどうやって今まで練習してきたかを教えて欲しいかも」

「私が……」

 確かに、他の人がどのように上達したかを知ることは、自身の練習法を見直すときに役に立つ。
 アイカの申し出ともあれば、喜んで協力したいところではあるのだが。

「申し訳ないのだけれど、私、物心ついた時から一通り仕込まれて来たから、どうやって習得したか覚えてないの」

 ウィンドール王国で、王族の次に位置するのが五大公爵家であり、その本家の長女ともあれば、基礎教養としてダンスや音楽、刺繍などを平均以上の水準でやるのは当たり前だ。

 公爵令嬢の私にとって、そういった教養の授業は日常であり、特段自分の練習を意識したことはなく、言うなれば朝起きて顔を洗うのと同じくらいの日常だ。

「すごいね……そんなに、努力してたんだ」

「貴族たるもの、当然よ」

「……アマリリスは、辛くないの?」

「辛いって、何が?」

「誰かの期待に応えるために、一人で何かを頑張ることが」

 暗い表情でそう言ったアイカは、私と目が合うとパッと笑う。

「私って、今まで自分のわがままのためだけにしか頑張ってきてなかったんだよ。魔法の腕を上げたのも、研究をしてそれを発表するようになったのも、半分は自分の好奇心で、もう半分はお金稼ぎのためだから」

 愛想笑いを浮かべたまま、「どうしようもない人間なんだよ」と本当に耳を澄ましていなければ聞こえないくらいの声量で零す。

「自分の才能を……魔力操作に関する知識と技術を偶然必要としてる人がいて、その人が私の生活を色々手助けしてくれて。だから私は、自分のわがままのためにお金を貯めることに集中できた」

「……それって」

「前世の妹の生まれ変わりと二人っきりで生きる夢。……ごめん、まだ言うのって思うかもしれないけど、十八年間抱き続けてきた夢だから」

 ねぇ、とアイカが私に向き直る。

「前世のこと、どこまで覚えてるの?」

「……前も言った通り、あまり思い出せていないわ」

 第三王子に婚約破棄をされたあの瞬間溢れ出した記憶は、主に『アメジストレイン』のゲームをプレイした時のものばかりだった。
 そして前にアイカが屋敷を訪ねてきて会話をした時に、私は日本人として「北川藍佳」の妹として生きた自分の記憶と実感を取り戻した。

 しかし、依然として記憶の大部分には靄がかかっている。
 本当に取り留めのない、それこそ夕飯の時に「藍佳」とした会話や、下校中に見た猫、『アメジストレイン』のシナリオライターの女性のインタビューなどは断片的に思い出せるのに、他のことが思い出せなかった。

「…………知りたい?」

 アイカの口にしたその言葉は、私にとって魅惑的で、かつ真っ暗闇を覗き込むような恐怖も持ったものだった。

 私の中にいるもう一人の「私」がどんな人生を送ったのか。
 自力で記憶を手繰り寄せることができない今、かつての私の半身であったアイカにそれを教えてもらうのは、一番手っ取り早くて簡単な方法だろう。

 自分のことを思い出せないというのは、ひどくもどかしい。目の前にいる姉だった人との思い出さえも、どこかかすみがかったようにしか感じられないのも、自分が不誠実なようで嫌だった。

 けれど私は。

「今は、まだ」

「今は?どういうこと?」

「……今の私では、きっと前世のことは耐えきれないから」

 ここ数日、ずっと口に出すか迷っていた悩みを打ち明けようと、私は一度深く深呼吸をする。

「ダンスもそうだけど、アイカがここに来てから色々教える中で、やっぱり私が一緒に行くのが確実でお互い安心だと思うようになったの」

「ってことは!?」

「でも今の私に、社交界に行く勇気はないの」

 嬉しそうに目を輝かせたアイカに、そう言葉を重ねる不甲斐なさに、思わず視線が下がる。
 無意識の内に組んでいた指が、力が入って白くなっていた。

「……自分の失恋を」

 言葉にした瞬間、羞恥と悔しさと悲しさで思わず息が詰まる。

「社交界でおもちゃのように……笑いもののようにされていると考えるだけで、すごく、辛いの」

「……それは、そうだよね」

「大好きだったあの人に婚約破棄をされただけでも本当に、本当に辛かったのに、そのせいで私の大事な家族にも泥を塗ってしまったのが、耐えられないほど悔しくて」

 私にとっての原動力である婚約者を失い、拠り所である家族に自分が迷惑をかけてしまったことは、あれから数週間経った今でもとても苦しい。

「早く区切りを付けた方がいいのはわかっているの。もう可能性がないことは理解しているし、恋情も無いわ。……でも、あの頃の私があの人を好きだったのは、紛れもない事実だから」

 髪型も服装も化粧も変えたが、ふとした瞬間に恋をしていた頃の自分を思い出す。

 誕生日の贈り物にと頂いた羽根ペンのセット、デザインが好きだと言ってもらえた便箋、一緒に出かけた時に使っていた髪飾り。

 恋をしていた時期が長すぎて、何をするにも脳裏に過ぎる思い出で息が詰まってしまう。

「まだ、私の中で完全にあの出来事が消化しきれていないの。だから今の状態で、社交界に出るのが怖くて」

「……そっか」

 小さくそう呟いたアイカは、私の手をゆっくりと包んだ。
 彼女は固く組んだ私の指を柔らかく解きながら、優しい声で言葉を紡ぐ。

「もしアマリリスが、社交界に行くのを本当に嫌がってるなら、無理する必要は全くないと思う。でも悩んでるってことは、今の自分を乗り越えたいって思ってるんでしょ?」

「……えぇ」

「だったら挑戦するべきだよ」

 アイカは芯の通った声ではっきりとそう断言した。

「誰かを好きになることって、全然悪いことじゃない。たとえそれが実らなかったとしても、そのためにアマリリスがした努力を否定することは誰もできない。だからアマリリス」

 鶯色の双眸に宿った光が、真っ直ぐ私を射抜く。

「アマリリスだけは、自分のことを否定しちゃ駄目だよ。自分の過去の行動で悔しくなるのも、恥ずかしくなったり泣いたりするのもいいけど、自分の人格を否定するのだけは、駄目だから」

 そう言って、彼女はゆっくりと私の手を離す。

「ごめん、なんか熱くなっちゃった」

「ううん。……ありがとう、背中を押してくれて」

 自然とアイカへの感謝の言葉が口をついて出た。

 思えば、今の私が必要としていたのは、彼女のような人だったのかもしれない。

 傷ついた直後、優しく私を受け止めてくれた家族。
 その中で変わろうとする私を、何も言わずに見守ってくれた使用人達。

 昔からお互いを知っている温かい人達に囲まれたゆりかごの中の日々は、精神的支柱を失ったばかりの私にとっては抜け出せない春の微睡みのようで、心の傷を忘れられる心地良いものだった。
 しかし、微睡みは微睡みに過ぎない。
 前へ進むために、本当の意味で過去を乗り越えるためには、その夢と現実の間から私を覚ましてくれる人が必要だった。

「私行くわ、ユークライ殿下の夜会に」

「うん。行こう。……よろしくね、先輩」

 そう言って片目を瞑って見せたアイカに、思わず笑みが溢れる。

「任せて。そうと決まれば、ユークライ殿下に連絡をして、ドレスを用意しないといけないわ。……あと、母上とルゥの説得も」

「反対されてるの?」

「きっとされるわ。特に母上は、今の私が社交界でどう扱われているかをよく知っているはずだから」

 母上は、連日のように茶会や食事会、夜会や演劇の舞台にまでお誘いを受けている。そしてシルヴァンは、そんな母上から社交界についての話をよく聞いているようだ。

 私が二人にそれとなく聞いても全て躱すし、父上に聞こうとした時にはわざと話を逸らしていた。

「大方、王族に取り入って復縁しようとしている未練がましい女とでも言われているんだわ。元々クリスト家はここ最近、王家と近過ぎるって妬まれているから」

 セゼーク伯爵との一件がどのように広まっているかは不明だが、風の宴ではラインハルト様と親しく会話をさせてもらい、ユークライ殿下の夜会にも出席しているのに、他の貴族からの招待は全て断っている私を見てそう評する人々は必ずいるだろう。

 婚約破棄が第三王子の独断であり、手続きが全て凍結されていること、そして第三王子が社交界に出ていない理由を公表していないことから、不愉快な推測を立てている人達がいるであろうことも、想像に難くない。

「言われっぱなしじゃないでしょ、アマリリス?」

「当たり前よ。……まだ少し怖いけれど、アイカも一緒にいてくれるなら」

 それに、と口には出さないが、あの日ドロッセル殿下の屋敷で親睦を深めた面々を思い出す。

 苦手意識のあったユークライ殿下は、意外と人間らしい完璧でない一面もあって、少し失礼かもしれないけれど、親しみを感じられる人だった。
 ダラン様は、口数こそそこまで多くないけれど、周りをよく見ている気配りのできる人なんだなと思う。
 ラインハルト様は、わかりにくいけれどとても優しくて、そして何より、抗う意志と力を持っている人だ。

 私が私らしく生きるために、大切な人達の力を借りて一歩踏み出そうと、そう決意を込めて私はアイカに笑いかけた。



 次の日の朝、ユークライ殿下の夜会に出席したいと告げた私に、ただ一言「頑張りなさい」と答えた母上を見てホッとしたのも束の間、意外にもレオナールから猛反対をされてなぜかレオナールがアイカにダンスを教えることになるのだが、それはまた別の話。

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