【コミカライズ配信中!】 婚約破棄後の悪役令嬢~ショックで前世の記憶を思い出したのでハッピーエンド目指します!~
24話:屋敷での招待
ドロッセル殿下の屋敷の料理人の腕はよく、食事に舌鼓を打ちながら、時々人が入れ替わる食堂で、私たち六人はゆったりと会話をしていた。
王族二人と公爵令息と公爵令嬢、伯爵、そして元孤児の研究者という不思議な取り合わせで何を話すのかと内心少し心配だったが、それは杞憂に過ぎなかったようで、話は途切れずに、いつの間にか城下町でのおすすめのお店についてになっていた。
「料理屋だったら、やっぱ四番街の端の料亭だろ」
そう得意気に言った兄上に、ダラン様が「あそこも良いですが」と返す。
「三番街の裏路地の喫茶店もなかなかでしたよ」
「値段が少し高いけど、人が少ないから落ち着けるよね」
アイカが同意して、兄上が腕を組みながら唸る。
「その店俺知ってるかなぁ……」
「靴屋を右に曲がったところの店だよ」
「あぁ、あそこか!普通に安くないか?セルカって給料そんな少ないのか?」
兄上の配慮に欠ける発言に思わず腕を引こうとするが、その顔に浮かんでいたのが嘲りや薄暗い優越感などではなく、むしろ心配をするような表情で、私は机の下でそのまま自分の手を下ろした。
「ずっと貯金してたから、あんまり散財したくなかったの。っていうか、王国魔法師団で働いてる貴族様と私が同じ金銭感覚なわけないじゃん」
アイカの労働環境について心配していたのだろう。
口を尖らせながら言う彼女に、兄上は少し安心したような表情で腕を組んだ。
「あのなぁ。言っとくけど、多分この五人の中だったら俺が一番庶民の金銭感覚をわかってるからな」
確かに、ずっと学生だった私や現伯爵、王族に比べたら、同僚に平民出身もいる魔法師団に務めている兄上は、城下の人々が普段どれくらいの値段で何を買っているのかよく知っているはずだ。
「あそこの店、あれくらいの研究をやってたら普通に通えるくらいの価格帯だろ」
「……ちょっと、なんていうか、目標金額があって」
「へぇ。何買うための?」
「えっと」
不自然に言葉を切ったアイカは、私の方をちらりと見ると、頬を掻きながら「家」と言った。
「ほら、私、孤児だったから。この屋敷のみんなのこともすごく大事に思ってるけど、でもやっぱり自分の家に憧れがあって」
アイカの意味深な視線に、ふと彼女が前に私の屋敷を訪ねてきた時の申し出を思い出す。
『どこか郊外に家でも買おうかなって』
あれは本気だったのだと思うと、せっかくの申し出を断ったことに、胸の奥が罪悪感でチクチクと痛む。
しかもそのために、美味しい喫茶店に行くことも、きっと他のこともたくさん我慢させてきたのだと思うと、余計に。
「なるほどなぁ」
「あと、いつまで経ってもここにお世話になり続けるわけにはいかないし。もう十八になったからそろそろちゃんと家を探そうとは思ってるんだけど、研究もあるから時間が取れなくて」
「王都内で探そうと思ったら、かなり厳しいのでは?女性の一人暮らしであれば尚更」
ダラン様の言葉に、アイカが溜め息をつきながら頷く。
「そうなんだよね。女性向けの集合住宅みたいなのはあるんだけど、仕事柄守秘義務を負うことが多いから、あんまり見知らぬ人と一緒に住みたくないし」
「集合住宅?」
兄上の疑問の声に答えたのは、ずっとにこやかなまま話を静かに聞いていた第一王子だった。
「最近始まった、王都への移住者向けの施策の一つだよ。審査を通った、職人や学者、魔術師、後は芸術家に対して、一定期間最低限の生活を保障し、その間にここ王都で就職をしてもらうんだ。その対象者が入居するのが、集合住宅ってこと」
「あー、なんか聞いたことあるような気がするなあ」
「有名な話よ、兄上。……かつて、自ら市井に下りて優秀な人材を探し求められたノスアルト王のお名前を借りて、『ノスアルト奨励制度』と名付けられた施策で、陛下ご自身の発案で、第一王子殿下が主導なさったと聞き及んでおりますわ。なんでも、殿下が魔法学校をご卒業なさってからすぐに計画を始め、たった五年弱で、当初の計画の三倍ほどの人数の受け入れの実現に至ったとか。さすがの手腕ですわ」
「はは、ありがとう。詳しいんだね。少し前まで学生の身だったのに、素晴らしい情報収集能力だ」
「滅相もございませんわ。殿下のご活躍は、どこにいても耳に入りますもの」
「魔法師団には来なかったけどな」
そう冗談めかして言った兄上は、お互いに愛想笑いを浮かべる第一王子と私を見比べて苦笑いを漏らした。
「ユークライとリリィって、似た者同士だな。こんな友人だけの気軽な昼飯の時くらい、もうちょい気抜けばいいのに。夜会じゃないんだぞ?」
あ、と小さく声が出て、思わず俯いた。
私にとって、自分が相手について知っている情報を開示するのは、社交界で自分の優位を保つために身に付けた癖のようなものだ。
貴族社会において情報とは、上手く使えれば、どんな剣よりも切れ味のある武器であり、どんな宝石よりも持ち主を輝かせる装飾品であり、どんな善性よりも人を惹きつける魅力になり得る。
だから貴族の子女は幼い頃から国内外の貴族名鑑を覚え、人に取り入り情報を聞き出すための会話術を学び、相手の警戒心を緩めるために微笑みという仮面を付ける。
特に私は、公爵家の長女として生まれ、第三王子の婚約者となり、様々な思惑や悪意に揉まれて育ってきた。
真に信頼できるのは、それこそ身内しかおらず、学校ではたとえ休み時間であっても、常に気を張るのが、私にとっての日常。
けれど今は違うのだ。
ここは、醜い足の引っ張り合いと見栄の張り合いだらけの社交界ではない。
「……ごめんなさい。嫌な気分にさせてしまって」
「いやいや、謝らせたかったわけじゃないんだ。ただ、リリィもユークライも、あんまり友達だけの気軽な場に行かないだろ?そんなんじゃ息が詰まるぞ」
「差し出がましいですが、僕も同感です。社交界は、少々息苦しい。お二人とも、こういう場でくらいは羽を伸ばされても良いのではないでしょうか」
兄上とダラン様の言葉に、私はゆっくりと頷いた。
隣のアイカが、膝の上に重ねていた私の手をそっと握って、笑いかけてくれる。
言葉こそ発しないけれど、大丈夫だと、無理はしなくていいとそう言ってくれているような気がして、私はその手を握り返した。
「俺も、ごめん。つい、いつもの感じで」
軽く眉を下げながらそう言った第一王子は、私の方を向くと、少し不器用に笑う。
「君ともぜひ仲良くさせて欲しい、クリスト嬢。良かったらこの場だけでも、名前で呼んでくれ」
「……えぇ、ユークライ殿下。ぜひ私のことも、アマリリスと」
「わかった、アマリリス嬢。君のお兄さんとは長い付き合いだから、なんだか少し変な感じがするね」
「そうですわね。お互いのことをずっと知ってはいましたけれど、なかなかお会いする機会がありませんでしたから」
第三王子と婚約をしていて兄が友人ではあったが、年齢も違い、普段過ごす場所も全く異なるユークライ殿下とは、それこそ兄上の誕生日会や国を挙げての式典くらいでないと会うことがなかった。
「貴族社会は、不思議なものだよね。狭いようで広く、眩いようで薄暗い。偽りだらけなのに、時には真の友情も芽生える。……ここにいる全員と、損得を抜きにして仲良くできたら嬉しいよ」
いつもの隙がない完璧な笑みではなく、照れ隠しのような、ぎこちなさと綻ぶような前向きな感情が入り混じる笑顔を浮かべたユークライ殿下に、全員がめいめいの表情で頷き返したところで、「そういえば」とダラン様が話を切り出す。
「ユークライ殿下が主催なさる夜会がちょうど後一週間ほどと伺いましたが、準備はいかがです?」
「出席者がある程度確定してきて、演出も予行が無事に終わったよ」
「演出に予行って、かなり大掛かりなんですね」
興味がありそうな返事をしたアイカに、兄上が意味ありげにユークライ殿下に目配せをする。
ユークライ殿下は、からかいのその視線を無視して、そのまま話し続ける。
「そうなんだよ。今回は、さっき話した奨励制度を利用している音楽家を招待する予定なんだ」
「へぇ、そうなんですね」
王太子選定もあって、最近の茶会や夜会では、主催者が自分の功績を見えやすい形で取り入れることが多いらしい。
王太子最有力候補と言われているユークライ殿下も、その例に漏れていないのだろう。
「仕上がりはどうなんだ?」
「かなりいいと思うよ。ヴィンセントも来るだろう?」
「あぁ、いけるぞ。楽しみにしてる」
「せっかくだし、良かったらみんなもどうかな」
会話の流れの中でそう自然に尋ねられて、まず最初に返事をしたのはダラン様だった。
「えぇ、ぜひ。ラインハルトも行くでしょう?」
「僕は元々招待されている。ティアーラと一緒に行く予定だ」
弟だけでなく妹姫であるティアーラ殿下も招待されていることに、ユークライ殿下の今回の夜会への気合の入りようが伺える。
「セルカとアマリリス嬢はどうかな」
「私は……有り難い申し出ですけど、場違いですから」
「この夜会は、奨励制度を利用している平民出身の参加者も多いし、若い世代を中心に招待しているんだ。そこまで格式張ったものでもないし、君のような研究者も何名か来る予定だよ」
あくまで柔らかい口調で話すユークライ殿下に対して、アイカは渋い顔をしていた。
「……誘って頂けるのは嬉しいですけど、ドレスもありませんし」
「だったら私のものを貸すわよ、セルカ」
「え、そんな」
「今回のシーズンのために何着かドレスを新調したけれど、あまり出席する予定がないから、誰かに着て欲しいと思っていたの。私たちそんなに身長も変わらないし、若干手直しすれば着れると思うわ」
いやでも、とアイカは頑なに首を振る。
「絶対恥かくし、招待してくれたユークライ殿下にもかかせるから無理だって」
「大丈夫よ。この国で研究者をやるなら、きっといずれ人前に出ることになるから、ここで慣れておいた方がいいと思うわよ」
「でも、マナーとか何にも知らないし」
「私が教えるわ。そうだ、せっかくだからうちに泊まらない?」
「あぁ、いいじゃん。そしたら俺の魔力操作の講義も屋敷でできるし」
「ちょうど今日の打ち合わせの後は、材料の準備などの関係でしばらく実験ができないから、気分転換にちょうどいいと思うよ、セルカ」
兄上とダラン様からも畳み掛けられて、アイカはうーんと唸る。
「……ちなみに、何人くらい来る予定なんですか?」
「百五十人くらいかな」
「……じゃあ、あの、間に合うようなら、行ってみます」
良かった、と笑顔を浮かべるユークライ殿下は本当に嬉しそうで、私まで思わずホッと胸を撫で下ろした。
「アマリリスは来るのか?」
と、そう唐突に投げかけてきたのは、ラインハルト様だった。
「……今回は、遠慮させて頂きますわ」
「どうして?一緒に行こうよ、アマリリス」
「行きたい気持ちは山々だけれど……」
最近話題の奨励制度に参加している人と直接会話をする機会も、社交界で培った一流の感覚を持ったユークライ殿下の企画した夜会も、ここにいる面々とまた会える場も、どれも私にとっては興味があるしぜひ参加したいと思うものだ。
しかし、夜会に出ると考えたら、前に言われた「哀れな人」という言葉が脳裏を過ってしまう。
今の私が社交界でどのような扱いを受けているのか、実のところよく知らない。
母上にそれとなく聞いても全て躱されてしまうし、一番社交の場に出ている母上に教えてもらえないのであれば、他の情報源は持ち合わせていない。
ただ、これまで自分が見てきた、醜聞が生まれてしまった貴族の結末というものは、どれも大抵嫌な気分になるものばかりだ。
あの婚約破棄がどのように周知されたのかだけは、父上から聞いている。
王家は、あの一連の行動は全て第三王子の独断で、具体的な手続きは全て凍結していると発表したそうだ。そして、その第三王子本人からの声明は一切なしで、社交界には出ていないらしい。
となると、事情を知らない外野はきっと好き勝手騒いでいるのだろう。
婚約破棄に至った理由や、今の私やクリスト家と王家の関係など、それこそ話題は尽きない。
幼い頃から、注目を集め噂の対象となることは数多く経験してきた。
とはいえ、この状況で悪意をぶつけられて平然としていられるほど、まだ傷は癒えていない。
「……もし来たくなったら、いつでも伝えてくれ。歓迎するよ」
黙り込んだ私に、ユークライ殿下がそう声をかけてくれる。
私はそれに感謝の言葉を返しながら、色々な人の優しさを受け取りながらも無碍にしている苦しさを飲み下し、精一杯自然に見えるような笑顔を作った。
王族二人と公爵令息と公爵令嬢、伯爵、そして元孤児の研究者という不思議な取り合わせで何を話すのかと内心少し心配だったが、それは杞憂に過ぎなかったようで、話は途切れずに、いつの間にか城下町でのおすすめのお店についてになっていた。
「料理屋だったら、やっぱ四番街の端の料亭だろ」
そう得意気に言った兄上に、ダラン様が「あそこも良いですが」と返す。
「三番街の裏路地の喫茶店もなかなかでしたよ」
「値段が少し高いけど、人が少ないから落ち着けるよね」
アイカが同意して、兄上が腕を組みながら唸る。
「その店俺知ってるかなぁ……」
「靴屋を右に曲がったところの店だよ」
「あぁ、あそこか!普通に安くないか?セルカって給料そんな少ないのか?」
兄上の配慮に欠ける発言に思わず腕を引こうとするが、その顔に浮かんでいたのが嘲りや薄暗い優越感などではなく、むしろ心配をするような表情で、私は机の下でそのまま自分の手を下ろした。
「ずっと貯金してたから、あんまり散財したくなかったの。っていうか、王国魔法師団で働いてる貴族様と私が同じ金銭感覚なわけないじゃん」
アイカの労働環境について心配していたのだろう。
口を尖らせながら言う彼女に、兄上は少し安心したような表情で腕を組んだ。
「あのなぁ。言っとくけど、多分この五人の中だったら俺が一番庶民の金銭感覚をわかってるからな」
確かに、ずっと学生だった私や現伯爵、王族に比べたら、同僚に平民出身もいる魔法師団に務めている兄上は、城下の人々が普段どれくらいの値段で何を買っているのかよく知っているはずだ。
「あそこの店、あれくらいの研究をやってたら普通に通えるくらいの価格帯だろ」
「……ちょっと、なんていうか、目標金額があって」
「へぇ。何買うための?」
「えっと」
不自然に言葉を切ったアイカは、私の方をちらりと見ると、頬を掻きながら「家」と言った。
「ほら、私、孤児だったから。この屋敷のみんなのこともすごく大事に思ってるけど、でもやっぱり自分の家に憧れがあって」
アイカの意味深な視線に、ふと彼女が前に私の屋敷を訪ねてきた時の申し出を思い出す。
『どこか郊外に家でも買おうかなって』
あれは本気だったのだと思うと、せっかくの申し出を断ったことに、胸の奥が罪悪感でチクチクと痛む。
しかもそのために、美味しい喫茶店に行くことも、きっと他のこともたくさん我慢させてきたのだと思うと、余計に。
「なるほどなぁ」
「あと、いつまで経ってもここにお世話になり続けるわけにはいかないし。もう十八になったからそろそろちゃんと家を探そうとは思ってるんだけど、研究もあるから時間が取れなくて」
「王都内で探そうと思ったら、かなり厳しいのでは?女性の一人暮らしであれば尚更」
ダラン様の言葉に、アイカが溜め息をつきながら頷く。
「そうなんだよね。女性向けの集合住宅みたいなのはあるんだけど、仕事柄守秘義務を負うことが多いから、あんまり見知らぬ人と一緒に住みたくないし」
「集合住宅?」
兄上の疑問の声に答えたのは、ずっとにこやかなまま話を静かに聞いていた第一王子だった。
「最近始まった、王都への移住者向けの施策の一つだよ。審査を通った、職人や学者、魔術師、後は芸術家に対して、一定期間最低限の生活を保障し、その間にここ王都で就職をしてもらうんだ。その対象者が入居するのが、集合住宅ってこと」
「あー、なんか聞いたことあるような気がするなあ」
「有名な話よ、兄上。……かつて、自ら市井に下りて優秀な人材を探し求められたノスアルト王のお名前を借りて、『ノスアルト奨励制度』と名付けられた施策で、陛下ご自身の発案で、第一王子殿下が主導なさったと聞き及んでおりますわ。なんでも、殿下が魔法学校をご卒業なさってからすぐに計画を始め、たった五年弱で、当初の計画の三倍ほどの人数の受け入れの実現に至ったとか。さすがの手腕ですわ」
「はは、ありがとう。詳しいんだね。少し前まで学生の身だったのに、素晴らしい情報収集能力だ」
「滅相もございませんわ。殿下のご活躍は、どこにいても耳に入りますもの」
「魔法師団には来なかったけどな」
そう冗談めかして言った兄上は、お互いに愛想笑いを浮かべる第一王子と私を見比べて苦笑いを漏らした。
「ユークライとリリィって、似た者同士だな。こんな友人だけの気軽な昼飯の時くらい、もうちょい気抜けばいいのに。夜会じゃないんだぞ?」
あ、と小さく声が出て、思わず俯いた。
私にとって、自分が相手について知っている情報を開示するのは、社交界で自分の優位を保つために身に付けた癖のようなものだ。
貴族社会において情報とは、上手く使えれば、どんな剣よりも切れ味のある武器であり、どんな宝石よりも持ち主を輝かせる装飾品であり、どんな善性よりも人を惹きつける魅力になり得る。
だから貴族の子女は幼い頃から国内外の貴族名鑑を覚え、人に取り入り情報を聞き出すための会話術を学び、相手の警戒心を緩めるために微笑みという仮面を付ける。
特に私は、公爵家の長女として生まれ、第三王子の婚約者となり、様々な思惑や悪意に揉まれて育ってきた。
真に信頼できるのは、それこそ身内しかおらず、学校ではたとえ休み時間であっても、常に気を張るのが、私にとっての日常。
けれど今は違うのだ。
ここは、醜い足の引っ張り合いと見栄の張り合いだらけの社交界ではない。
「……ごめんなさい。嫌な気分にさせてしまって」
「いやいや、謝らせたかったわけじゃないんだ。ただ、リリィもユークライも、あんまり友達だけの気軽な場に行かないだろ?そんなんじゃ息が詰まるぞ」
「差し出がましいですが、僕も同感です。社交界は、少々息苦しい。お二人とも、こういう場でくらいは羽を伸ばされても良いのではないでしょうか」
兄上とダラン様の言葉に、私はゆっくりと頷いた。
隣のアイカが、膝の上に重ねていた私の手をそっと握って、笑いかけてくれる。
言葉こそ発しないけれど、大丈夫だと、無理はしなくていいとそう言ってくれているような気がして、私はその手を握り返した。
「俺も、ごめん。つい、いつもの感じで」
軽く眉を下げながらそう言った第一王子は、私の方を向くと、少し不器用に笑う。
「君ともぜひ仲良くさせて欲しい、クリスト嬢。良かったらこの場だけでも、名前で呼んでくれ」
「……えぇ、ユークライ殿下。ぜひ私のことも、アマリリスと」
「わかった、アマリリス嬢。君のお兄さんとは長い付き合いだから、なんだか少し変な感じがするね」
「そうですわね。お互いのことをずっと知ってはいましたけれど、なかなかお会いする機会がありませんでしたから」
第三王子と婚約をしていて兄が友人ではあったが、年齢も違い、普段過ごす場所も全く異なるユークライ殿下とは、それこそ兄上の誕生日会や国を挙げての式典くらいでないと会うことがなかった。
「貴族社会は、不思議なものだよね。狭いようで広く、眩いようで薄暗い。偽りだらけなのに、時には真の友情も芽生える。……ここにいる全員と、損得を抜きにして仲良くできたら嬉しいよ」
いつもの隙がない完璧な笑みではなく、照れ隠しのような、ぎこちなさと綻ぶような前向きな感情が入り混じる笑顔を浮かべたユークライ殿下に、全員がめいめいの表情で頷き返したところで、「そういえば」とダラン様が話を切り出す。
「ユークライ殿下が主催なさる夜会がちょうど後一週間ほどと伺いましたが、準備はいかがです?」
「出席者がある程度確定してきて、演出も予行が無事に終わったよ」
「演出に予行って、かなり大掛かりなんですね」
興味がありそうな返事をしたアイカに、兄上が意味ありげにユークライ殿下に目配せをする。
ユークライ殿下は、からかいのその視線を無視して、そのまま話し続ける。
「そうなんだよ。今回は、さっき話した奨励制度を利用している音楽家を招待する予定なんだ」
「へぇ、そうなんですね」
王太子選定もあって、最近の茶会や夜会では、主催者が自分の功績を見えやすい形で取り入れることが多いらしい。
王太子最有力候補と言われているユークライ殿下も、その例に漏れていないのだろう。
「仕上がりはどうなんだ?」
「かなりいいと思うよ。ヴィンセントも来るだろう?」
「あぁ、いけるぞ。楽しみにしてる」
「せっかくだし、良かったらみんなもどうかな」
会話の流れの中でそう自然に尋ねられて、まず最初に返事をしたのはダラン様だった。
「えぇ、ぜひ。ラインハルトも行くでしょう?」
「僕は元々招待されている。ティアーラと一緒に行く予定だ」
弟だけでなく妹姫であるティアーラ殿下も招待されていることに、ユークライ殿下の今回の夜会への気合の入りようが伺える。
「セルカとアマリリス嬢はどうかな」
「私は……有り難い申し出ですけど、場違いですから」
「この夜会は、奨励制度を利用している平民出身の参加者も多いし、若い世代を中心に招待しているんだ。そこまで格式張ったものでもないし、君のような研究者も何名か来る予定だよ」
あくまで柔らかい口調で話すユークライ殿下に対して、アイカは渋い顔をしていた。
「……誘って頂けるのは嬉しいですけど、ドレスもありませんし」
「だったら私のものを貸すわよ、セルカ」
「え、そんな」
「今回のシーズンのために何着かドレスを新調したけれど、あまり出席する予定がないから、誰かに着て欲しいと思っていたの。私たちそんなに身長も変わらないし、若干手直しすれば着れると思うわ」
いやでも、とアイカは頑なに首を振る。
「絶対恥かくし、招待してくれたユークライ殿下にもかかせるから無理だって」
「大丈夫よ。この国で研究者をやるなら、きっといずれ人前に出ることになるから、ここで慣れておいた方がいいと思うわよ」
「でも、マナーとか何にも知らないし」
「私が教えるわ。そうだ、せっかくだからうちに泊まらない?」
「あぁ、いいじゃん。そしたら俺の魔力操作の講義も屋敷でできるし」
「ちょうど今日の打ち合わせの後は、材料の準備などの関係でしばらく実験ができないから、気分転換にちょうどいいと思うよ、セルカ」
兄上とダラン様からも畳み掛けられて、アイカはうーんと唸る。
「……ちなみに、何人くらい来る予定なんですか?」
「百五十人くらいかな」
「……じゃあ、あの、間に合うようなら、行ってみます」
良かった、と笑顔を浮かべるユークライ殿下は本当に嬉しそうで、私まで思わずホッと胸を撫で下ろした。
「アマリリスは来るのか?」
と、そう唐突に投げかけてきたのは、ラインハルト様だった。
「……今回は、遠慮させて頂きますわ」
「どうして?一緒に行こうよ、アマリリス」
「行きたい気持ちは山々だけれど……」
最近話題の奨励制度に参加している人と直接会話をする機会も、社交界で培った一流の感覚を持ったユークライ殿下の企画した夜会も、ここにいる面々とまた会える場も、どれも私にとっては興味があるしぜひ参加したいと思うものだ。
しかし、夜会に出ると考えたら、前に言われた「哀れな人」という言葉が脳裏を過ってしまう。
今の私が社交界でどのような扱いを受けているのか、実のところよく知らない。
母上にそれとなく聞いても全て躱されてしまうし、一番社交の場に出ている母上に教えてもらえないのであれば、他の情報源は持ち合わせていない。
ただ、これまで自分が見てきた、醜聞が生まれてしまった貴族の結末というものは、どれも大抵嫌な気分になるものばかりだ。
あの婚約破棄がどのように周知されたのかだけは、父上から聞いている。
王家は、あの一連の行動は全て第三王子の独断で、具体的な手続きは全て凍結していると発表したそうだ。そして、その第三王子本人からの声明は一切なしで、社交界には出ていないらしい。
となると、事情を知らない外野はきっと好き勝手騒いでいるのだろう。
婚約破棄に至った理由や、今の私やクリスト家と王家の関係など、それこそ話題は尽きない。
幼い頃から、注目を集め噂の対象となることは数多く経験してきた。
とはいえ、この状況で悪意をぶつけられて平然としていられるほど、まだ傷は癒えていない。
「……もし来たくなったら、いつでも伝えてくれ。歓迎するよ」
黙り込んだ私に、ユークライ殿下がそう声をかけてくれる。
私はそれに感謝の言葉を返しながら、色々な人の優しさを受け取りながらも無碍にしている苦しさを飲み下し、精一杯自然に見えるような笑顔を作った。
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