【コミカライズ配信中!】 婚約破棄後の悪役令嬢~ショックで前世の記憶を思い出したのでハッピーエンド目指します!~

弓削鈴音

22話:屋敷での仲直り

 机に突っ伏す第一王子、慰めながらも笑いが止まらない兄上、にこにこしながら全員分の紅茶を入れ始めるダラン様、そして周りを気にせずクッキーを口に運びながら書類を捲るラインハルト様。

 私はというと、いつアイカが戻ってくるのか、そして戻った時にどうなってしまうのかを考えながらクッキーを食べる。
 サクッと軽い歯応えの後で、優しい甘さが広がった。茶葉でも練り込んでいるのか、紅茶の香りもするそれにもう一度手を伸ばすと、視線を上げたラインハルト様と目が合う。

「気に入ったか?」

「えぇ、とても」

「そうか」

 すぐに話を切り上げた彼は、一度視線を下げた後に、再び私の方に目を向けた。

「甘いものが好きなのか?」

「人並みには好きですわ。ただ、どちらかといえば塩味が強いものが好きですわね」

「あぁ。北部だと味付けが濃いのが好まれるのか」

 私の故郷を含むウィンドール王国の北部では、冬が近付くと春になるまで完全に雪に閉ざされてしまう。そのため、塩漬けなどで食材を長く保つ工夫が昔からなされてきた。

「よくご存知ですのね。ラインハルト様はどのような味がお好きですの?」

「……なんだろう。あまり味を気にしたことはないな」

「ラインハルトは甘いものが好きですよ、アマリリス嬢。糖分がないと機嫌が悪くなります。自覚はないみたいですが」

 どうぞ、と紅茶を差し出してくれながらダラン様が私だけに聞こえるような小声で言った。
 こっそり伝えてもらった可愛らしい一面に思わず笑みを溢す。隣のラインハルト様が、そんな私を見て一瞬首を傾げたが、そのまま手元の文字を目で追い始めた。

 まるで小動物のようで和まされたが、兄上の大声でそれが壊される。

「はぁああ!?夜会に招待する!?」

 誰をなんて質問は、耳を真っ赤に染めている第一王子を見れば出なかった。
 面白がるような声色ながらも、兄上は若干心配そうに第一王子を見つめる。

「個人的な小規模な茶会とかならまだしも、お前その夜会って前々から準備してた大きめのやつだろ?」

「そうだよ」

「お前、自分がどういう立場かわかってるよな…?いやまぁ面白いし俺にはあんま関係ないけど、別に他の小さめのやつでもいいんじゃないか?」

「せっかくなら一番力を入れてるところを見てもらいたいんだ。少しでも、俺に良い印象を持って欲しい」

 机の上でうずくまったままそう言った第一王子に、ふと昔の自分が重なる。

 がむしゃらに、自分の良いところを見せればいつか振り返ってくれるのではないかと、周りの目を気にせずに努力を続けた日々。
 誰に何を言われるかよりも、ただ一人が自分の方を見てくれればそれで良いのだ。

 私の恋は終わったけれど、でもあの頃の苦しさや悔しさはまだ鮮明に残っている。

「……協力致しますわ、第一王子殿下」

「え」

「リリィ!?」

 目を見開く第一王子に、私は笑みを向けた。

「衣装の用意はお任せ下さい。そこの兄も協力させますわ」

「おいリリィ」

 アイカが第一王子に対して刺々しい態度を取っていることが気にならないわけではない。彼女は意味もなく人に敵意を抱くことはしないだろうから、おそらく二人の間に何かあったのだろう。

 ただ、本当にアイカと第一王子の間に拭えない因縁があるのであれば、いくら私と二人がかりで追い詰められたとはいえ、兄上がここまで第一王子を連れてくるはずがない。
 兄上の目には、どうにかできるいざこざに見えたということだ。

 アイカが相手というのは少し複雑だが、彼女がどう応えるかを抜きにして、目の前で悩んでいる第一王子を応援したい。

 それに、着飾っているアイカの姿を一度でも良いから見てみたいと思う自分もいる。

「とはいっても、殿下がセルカを説得する必要がありますけれど」

「……そうだね」

「私も微力ながらお力添えを」

 紅茶の入ったカップを差し出しながらかけられたダラン様の言葉に、第一王子は再び驚きから瞼を上げる。

「セルカはかなり頑固なので、説得は難航すると思いますよ。ただ個人的には、彼女はそろそろ表舞台に立って浴びるべき脚光を浴びる時期だと。単純に、社交界でどんな反応をするのか見てみたい気持ちもありますが」

 そう言って悪戯っぽく笑ったダラン様が、扉に視線を向けた。

「あぁ、セルカ。遅かったね」

「途中でドロッセル様に捕まっちゃって。第一王子殿下、これを」

 アイカが、手にしていた銀色のイヤリングを第一王子の前に置く。
 耳を通る輪に、いくつかの細い銀の短冊がかけられた、単純なデザインではあるがセンスの良さを感じるものだ。

「……あ、セルカ殿」

「ドロッセル様に諭されて、少し落ち着いたんです」

 第一王子の掠れた声はアイカの耳には届かなかったようで、彼女はゆっくりと頭を下げる。

「数々の非礼をお詫び致します、第一王子殿下」

「……あぁ」

「不審者扱いをされて詰め寄られて、しかも魔法を使っている最中に尖っているものを投げつけられて……申し訳ありません。言い訳にはなってしまいますが、それらの行動が、我慢ならなかったのです」

 思わず「待って」と声を上げたくなる。
 アイカはおそらく、今まで研究ばかりで世間から離れた生活をしていたのだろう。だから、主に貴族社会や一部の若い世代で人気なイヤリングを渡す意味というのを知らない可能性はあった。
 しかしまさか本当に知らなくて、しかも斜め上の勘違いをしているなんて。

 アイカの発言に、兄上が澄ました顔をしながら指で自分の腕を叩き始める。笑いを堪えている時の癖だ。

「ただ、今が殿下にとってとても大事な時期だとお聞きして、そんな時期にご自分の落ち着ける場所に知らない人がいたら、あのような振る舞いも当然のことだと思っております。申し訳ありませんでした」

「…………こちらこそ、失礼した」

 絞り出すようにそう言った第一王子は、下を向いて深く息を吐く。
 次に顔を上げた時には、いつも通りの爽やかで、私からするとどこか胡散臭い笑顔を浮かべていた。

「実は今日は、あのことを直接謝罪したいと思ってここに来たんだよ。こちらも言い訳のようだけれど、ちょうどあの日は頭の固い連中との会合があって、少し頭に血が上ったままだったんだ。ごめんね」

 流暢に言葉を紡ぐ彼は、少し前まで耳を赤くして喉を詰まらせていた人とは思えない。

「いえ、そんな」

「申し訳ないと思っているなら、もっと俺には気軽に接して欲しいな」

 にっこり笑う第一王子に、アイカは戸惑ったように愛想笑いを返す。

「えっと……」

「ラインハルトやヴィンセントと接している時くらい砕けた感じで接して欲しいんだ」

「それはまた、どうして…?」

「最近張り詰めてしまうことが多くて、気軽に話せる相手が欲しかったんだ。君としても、この場で話し方を改めている相手は俺だけだろう?」

「確かにそうですが、第一王子殿下に対してそんな、出来ません」

「まぁまぁセルカ。ユークライもこう言ってるんだしさ。前回会った時はバチバチだったけど、お互い気安く呼び合ってお喋りして水に流そうぜ。イヤリングを投げつけられた件も含めてさ」

 兄上は完全に、イヤリングのことで第一王子をいじることに決めたらしい。第一王子の完璧な笑顔が、一瞬凍りつく。
 しかしこのアイカへの呼びかけが、結果として彼女の態度を軟化させることになった。

「まぁ、確かに……。えっとじゃあ第一王子殿下、もし不快だったらすぐ言って…下さい」

 年上で、しかも王族の第一王子にいきなりタメ口は厳しいだろう。依然として敬語ではあるけれど、今までの距離を取るような話し方から、少し柔らかくなる。

「呼び方も、気軽に名前で呼んでくれ。第一王子と呼ばれ続けるのはあまり好きじゃないんだ。俺も、君をセルカって呼んでもいい?」

「いいですよ」

 アイカの返答に、第一王子が目に見えて安心したように表情を緩めた。

「はい、じゃあ仲直りでユークライの目的は達成って感じか」

「そうだね。クリスト嬢、そういえば君はどうしてセルカを探していたんだい?」

「それは……」

 あの場で、兄上にアイカの居場所を追及する第一王子に加勢したのは、悪ノリが二割ほどで、残りの八割はかなり真剣だった。

 孤児の生まれだと告げられて、いくら彼女の圧倒的な魔法の腕前を知っているとはいえ、身分の保証がないといい職にはありつけにくい我が国の状況を考えると、物騒な可能性が頭をよぎった。
 国内情勢は安定しているが、法を犯して裏社会を牛耳る者がいないわけではない。もしも、万が一にもアイカが危険な稼ぎ方をしていたらと思うと、直接彼女の口から否定をしてもらえない限り、不安が募るばかりだった。

 そして前世の姉である彼女に、思い出せない記憶のことと、この世界と酷似した乙女ゲームである『アメジストレイン』のことを相談したかった。
 ゲーム通りであれば、「私」は今頃髪を切って、失意から自領で鬱々とした日々を送っていることになっている。そして、思い詰めた「私」は何を思ったか、ごろつきを雇ってララティーナに差し向けるのだ。

 今の私がそんなことをすることはないけれど、母上から聞いた社交界でのいくつかの出来事がゲーム通りで、何ともいえない気味の悪さを感じていた。
 こんなことを相談できる相手はアイカだけで、一人で考え込むと余計に後ろ向きになってしまうから、彼女が次いつ訪ねてくるかわからない状況で、会える可能性があるならそこに賭けたかった。

「……会いたかったから?」

「あははっ、何それ。私も会いたかったよ」

 楽しそうに笑ったアイカは、私からラインハルト様に視線を移す。

「戻ってきたばっかりで申し訳ないんだけど、二人で話していい?」

「僕は構わない」

 そう返事したラインハルト様は、書類を捲りながら壁にかけられた時計を一瞥した。

「あとしばらくしたら昼食だが、兄さん達も食べていくか?まだ話し足りないならそこで話せばいい」

「せっかくならお願いしようかな」

 少し弾んだ声で返答する第一王子に兄上が続く。

「俺も」

「でしたら私もよろしいですか?」

「あぁ。伝えておく」

 ラインハルト様が頷いたのを見て、アイカが立ち上がった。
 私も部屋の残る面々に軽く礼をしてからそれに付いていって、廊下へ出る。

 人のいない廊下は、部屋の中とは違って少しまだ肌寒かった。

「……私の部屋でいい?」

「えぇ。大丈夫よ」

 廊下を進んで階段を上がりながらも、お互い口は開かなかった。コツコツと、規則的な靴の音だけが響く。

 今話しかけるべきか、それとも部屋に着くまで堪えるべきかを自分に問い続けている内に、アイカの部屋の前に辿り着いた。

「どうぞ」

「お邪魔します」

 屋根裏に近いその部屋は、かなり広々としていた。
 二段ベッドの下の段が棚になっていたり、ぎっしりと本が詰め込まれた本棚が天井近くまで高かったりと、場所を確保するような工夫がいくつかされているようだが、対照的に部屋の中心にはかなり広い空間がある。

「ちょっと待ってね」

 アイカがドレッサーの椅子を長椅子の前に置いて、そこに腰掛ける。
 私は彼女の対面に向かい合うように長椅子に座った。

「改めて、三日ぶり?」

「えぇ。ごめんなさいね、今日押しかけちゃって」

「びっくりはしたけど、純粋に会えるのが嬉しいよ。しばらく仕事に追われそうだったから」

「そんなに研究が上手くいってないの?」

「専門性高い話になっちゃうから噛み砕くと……欲しい結果自体は得られたけど、その結果に関わる因数が多すぎて、私の示したい仮説の実証にまで持っていけてないって感じ」

「それは大変ね。ただ回数を重ねればいいわけでもないし」

「そうなんだよねえ」

 はぁ、と溜め息をついたアイカは、まだ部屋の中をチラチラと気にする私に笑みをこぼした。

「恥ずかしいなぁ、そんなに見られると」

「ごめんなさい。でも見慣れないものが多いから、つい」

「あー、まぁ自作したものも多いからね」

 そう言ってアイカは、ちょうど私が視線を注いでいた部屋の端にある、怪しげな装飾の施された長方形の箱を、魔法で浮かせて自分の膝の上まで運ぶ。

「これとかは魔法の訓練のために作ったもので、中の魔力の状態をめちゃくちゃ不安定にすることで、魔法を安定して発動する練習ができるって感じ。やってみて」

 横の板をズラして手渡されて確認してみると、そこがガラス張りになっているようで、中にはいくつか細い紐が交差するように張られていた。

「何属性が使えるの?」

「火属性と風属性よ」

「じゃあとりあえず、小さな火球をこの目印のところに作って三秒キープ」

「やってみるわ」

 手元に小さな火を作るくらい日常的にやっている。しかも、魔法学校ではよく魔法の維持の訓練があった。
 きっとできるはずだと思って、目印のところに火を生み出した瞬間、何かに押し流される感覚があって、すぐに掻き消えてしまう。

「えっ」

「あははっ、難しいでしょ」

 悪戯っ子のような笑みのアイカに貸すように言われて箱を渡すと、彼女は私にも見えるようにしながら、箱の中に小さな火球をいくつも繋げて矢印を生み出す。

「ここの壁に魔石を嵌め込んでて、そこから常に魔力が溢れ出してるんだ。で、それを横に貼ってる風緑鳥の羽で流れをわざとぐちゃぐちゃにして、まぁあと他にも工夫があるから、多分そこら辺の魔法自慢でもこの中で魔法を使い続けるのは厳しいと思うよ」

 そう語りながら、複数の矢印をポンポンポンと、しかもおそらく火の温度を調整して色を変える芸当までしながら作り出すアイカは涼しい顔をしていた。

「すごいわね、本当に。こんな魔法の才能があるなんて」

「……実はそれに関連して、伝えておきたいと思うことがあって。内緒話みたいな?」

「私も、内緒話というか……アイカに相談したいことがあるの」

「わかった。とりあえず、私からでいい?」

 私が頷くと、アイカはゆっくりと口を開いた。
 彼女の口から告げられた事実は、驚きと同時に、深い納得を私にもたらした。

「実は私、天災の精霊の愛し子なの」

 おとぎ話の中にも出てくる、自然の気まぐれな恩恵と破壊を司るとされる高位精霊。
 天災の精霊の加護を受けたとされる者はおろか、接触があった人間はここ数百年現れていないと言われている。それでもその名が広く知られているのは、かの精霊がもたらした天変地異の跡が、今もなお各地にあるからだ。
 そんな、文字通り超常的な存在から最上級の加護である寵愛を受けていると告げたアイカは、私と目を合わせると、少し申し訳なさそうに、しかし悪戯が成功したことを喜ぶかのように笑った。

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