【コミカライズ配信中!】 婚約破棄後の悪役令嬢~ショックで前世の記憶を思い出したのでハッピーエンド目指します!~

弓削鈴音

21話:屋敷での言い訳

「……ラインハルト様?」

 見間違えるはずもない。
 少し長めの黒髪に、橙色の怜悧な瞳。そのよく整った顔立ちは一見しただけでは無表情に見えるが、わずかに眉を上げて目を見開いているから、きっと驚いているのだろう。

「え、ちょっと、なんで」

 ガタンと大きな音がして反射的にそこに視線を向けると、アイカが椅子を半分蹴ったように立ち上がったところだった。

「なんでここが?いや、ヴィンセントさんがいるってことは……」

「ああちょっと言い訳させてくれないか!?」

 騒ぐ二人を止めた方が良いのか思案していると、声をかけられる。

「こんにちは、アマリリス嬢」

「ダラン様、こんにちは。すぐに気付かず申し訳ありませんわ」

「いえいえ」

 銀髪を高い位置で一つに纏めたダラン様は、さっきまで書き物をしていたようで、ペンをゆっくり置くとラインハルト様の肩を軽く叩く。

「お兄様がいらっしゃってます」

「あぁ」

 焦って早口に幕仕立てようとする兄上と、それに動転しながらアイカがなんでと繰り返しているのに、全く気にも留めずラインハルト様が自身の異母兄である第一王子に近付く。

「兄さん、いらっしゃい」

「……あぁ、お邪魔するよ、ラインハルト」

 騒ぎ続ける二人を呆然と眺めていた第一王子は、ラインハルト様に声をかけられてもどこか上の空だった。
 この分だと、収拾をつけてくれることを期待しない方が良さそうだ。

 彼が動いてくれないのなら、私くらいしか二人を止められない。というか、止めようとしていない。
 これ食べますかと呑気にお茶請けをラインハルト様に勧めるダラン様も、それを無言で受け取るラインハルト様も、この二人が騒ごうと何をしようと興味がなさそうだ。

「兄上、セルカ」

 お腹に力を込めて、二人の耳に届くように声を出した。
 私の呼びかけに揃って肩をピクリとさせて口を閉じた二人は、気まずように私を見つめてくる。

「とりあえず座って、冷静に状況を説明し合いましょう?きっとここにいる全員がそれを望んでいるわ」

「……そうだね。ありがとう」

 含みを持たせてそう言ったアイカの様子を見るに、「セルカ」と呼んで正解だったらしいことを確認して、手近な席に座る。
 当たり前ではあるが、やはりアイカは前世のことをこの場にいる誰にも話していないようだ。そもそも、アイカがここにいる面々とどのような関わりを持っているかを、私はまだちゃんと理解していないけれど。

 長方形の机のこちら側に、ダラン様、ラインハルト様、そして私。
 反対側にアイカ、第一王子、兄上と並んで座ったところで、ようやく一息つく。

「……で、どうしてお三方がここに?」

「それには深い事情があってだな」

「待ってくれ。それよりも前に、なぜラインハルトがここにいるかを教えてくれ」

 アイカの明らかに不満げな問いかけに、兄上が答えようとするのを第一王子が遮る。
 確かに私も気になるところではあるが、それよりも先にいきなり訪れた私達が目的を話すべきではある。

「ユークライ、それより俺らが先に話すべきだろ」

 私の考えを口に出した兄上に、第一王子が「そもそも」と切り返す。

「どうして彼女達は俺達のことを聞いていないんだ?叔母上に先触れを出したのはだいぶ前なのに」

「それは叔母上が必要ないと判断したからだろう」

 第一王子の疑問にラインハルト様が言葉を返す。

「もし兄さんが来ることを知っていたら、セルカはここを去っていたかもしれない。けれど叔母上は、ここでセルカが兄さんと会うべきだと判断したのだと思う」

 それは第一王子への説明にも、アイカへの説明にも感じられた。

「ちなみに僕は聞いていた」

「なんで私に教えてくれなかったの!?ていうかいつ聞いたの!?」

「口止めされていたから言えなかった。資料を取りに行くために部屋を出た時に呼び止められて聞いた」

 淡々と返答するラインハルト様に、アイカも少しずつ落ち着いてきたようで、彼女は大きく溜め息をついた。

「もういいや。それでヴィンセントさん、説明してくれる?」

「あぁ。うーん、どこから話せばいいのか……」

「おそらく僕が話を進めた方が良いだろう」

 お茶請けのクッキーを口に運びながら、ラインハルト様がそう言った。
 部屋中の視線を集めた彼は、それでも平然とクッキーを食べてゆっくり紅茶に口をつける。

「ヴィンセント・クリスト殿とセルカの関係性を説明する」

「え、ちょっとそれって」

「ラインハルト殿下、あの」

 セルカと兄上を、ラインハルト様は手で押し留める。

「許可は貰っている。……あぁただ、三人は外してくれないか」

 壁際に控える第一王子の二人の騎士とエミーに、ラインハルト様が視線を向けると、三人は一礼して部屋を去る。
 扉が閉まる音を聞いて、ラインハルト様が再び話し始める。

「まずその前にセルカについてだが、セルカは長年魔力回路について研究をしてきたその道の第一人者だ」

「長年…?」

 私と年があまり変わらないように見えるアイカに、一体いつからやっていたのかと視線で問いかけると、彼女はそれを察したように頬を掻きながら口を開く。

「本格的な研究自体は十歳くらいの時からで、今十八だから八年くらいだよ。ただまぁ、魔力回路に関しての実験とか検証は七歳くらいからやってたけど」

「そんな小さい頃から?」

「……成熟が早い子供だったから?」

 兄上が驚きからこぼした言葉に、アイカが首を傾げながらそう返した。

 おそらくこの場で唯一真相を知っている私は、心の中で苦笑する。
 前世の頃から、アイカは少しでも疑問を抱いたことについては、どこまでも追求するような性格だった。一度熱中したら寝食を忘れて没頭してしまうところは、どうやら変わっていないらしい。

「魔力回路は未開拓な部分がかなりある分野だ。ただセルカのもたらした考え方で、数十年分も研究が進歩したと言われている」

「大袈裟だってば」

「妥当な評価だ。そんな偉業を為すくらいの研究者だから、他のいくつかの事情を鑑みてこの叔母上の屋敷で衣食住を保障することになった。そして今、彼女には僕の研究に協力してもらっている」

 ラインハルト様が、机の上に広げてあった無数の紙を魔法で浮かべた。
 ほんのりと光りながらふわふわと浮かぶ紙は、列を成していくと一気に中心に集まって綺麗に揃えられる。

「ここには詳しい実験内容が書いてあるから興味があるなら見て欲しい。僕の研究対象は主に複合魔法だ。けれど複合魔法の使い手は少ない。研究のために実験を反復できるほど安定して長時間魔法を行使できるほどであればなおさらだ。だから、自分の研究が行き詰まっているセルカに声をかけた」

「行き詰まっているっていうか、仮説をなかなか臨床段階に落とし込めていないだけっていうか……」

「その行き詰まっている研究への取っ掛かりを得るためにヴィンセント殿に魔力回路と魔力操作の講習を行なっていると僕は聞いている。相違ないだろうか」

「うん、そんな感じ」

 アイカが返答し、兄上が頷く。

「だったらどうして兄上は私にそれを教えてくれなかったの?」

「いやだから、俺がそういうことを教わってる相手が、まさかお前を事故から助けるなんて普通想像しないだろ。そもそもこれ仕事の一環っちゃ一環で、俺の仕事内容って守秘義務があるものが多いから普段からあんま話さないようにしてるし」

 何か隠されているような違和感というか気持ち悪さのようなものがあるが、ラインハルト様の説明も兄上の釈明も筋が通っている。

「あまりヴィンセント殿を責めないでくれ、アマリリス。セルカは一種の機密事項なんだ」

「機密事項?」

「あぁ、そうだ」

「……突如学界に現れた謎の天才研究者。容姿も整っていて、魔法の腕も一流。その正体は孤児院出身のまだ若き少女と知られれば、どんな強引な手を使ってくる輩が現れるかわかりませんから」

 ダラン様の補足に、私は納得して頷く。

 魔法大国と呼ばれる我が国において、魔法の腕前が抜きん出ていることや、研究で成果を出していることは、貴族が多少グレーな手段を用いてでも引き入れようとする理由に十分に成り得る。
 孤児院出身というところから、ありもしない血縁を主張する者がいてもおかしくない。あるいは、女性ということもあって、無理矢理既成事実を作ろうとする不埒者もいるだろう。
 実際、そういった事例は残念なことに後を絶たない。

「今はドロッセル殿下の後ろ盾もありますし、セルカ自身も十二分に自衛が出来るので、表舞台に出ても大丈夫な頃合いかもしれませんがね」

「絶対に嫌だから。……まぁともかく、色々複雑な身の上だからあんまりアマリリスに詳細を話せなかったんだよね。ごめん」

「ううん。あの時も、話せる範囲で話してくれて嬉しかったわ」

 かなりの大貴族に仕えているのではないかとは思っていたが、まさか王妹だったなんて。
 とりあえず、アイカがある程度稼いでいるということが事実だったようで、ホッとして息を吐く。もし生活がままならないようであれば、私の方で仕事を紹介しようかと思っていた。

「ひとまずこれがセルカと僕がここにいて、セルカが正体を隠そうとしていた理由だ。納得して頂けただろうか、兄さん」

「……わかった。そちらのフォンビッツ伯爵は?」

「僕の元従者で、僕やアマリリスの研究で使う魔法薬をダランの領地で生産しているから、研究に関する話し合いがある時には同席してもらっている」

 「元」と言った時に、ラインハルト様がわずかに悲しそうな顔をする。
 隣に座っている私にしかわからなかったくらいだけれど、ほんの少し眉を下げて声を強張らせていた。

 辛さを押し殺そうとしている彼に、何か言わなくてはいけない気がしたが、私が口を開く前に話は進んでいく。

「今日も、僕の研究に関する実験の打ち合わせをしていたところだ。実験は別日に行う予定だから、午前中で終わる予定だった」

「そこにあなた方が来たんですけどね」

 眉尻を上げて頬杖をついたアイカは、不機嫌さを隠そうともしないまま第一王子の方を睨む。

「第一王子殿下は本日はどういった御用向きで来られたのですかね?」

「…………あぁ、その、だな」

 珍しく口ごもる第一王子が、そういえばどうしてアイカを探していたのかを聞いていなかった。

 部屋中の視線が集中する中、第一王子は机の上で組んだ手に視線を落とす。

「……君の、素性が」

「ヴィンセントさんが私の身元を保証するって言ってくれてましたよね」

「いや、その……あ、君を、疑ってしまったことに関して、少し」

「あ!」

 言葉を濁す第一王子を遮って、アイカが大きな声を出す。

「そういえばあの時のイヤリング、返します」

「あ、それは」

 第一王子がアイカにイヤリングを渡したという信じられない事実と、それを言われた第一王子がパッと顔を上げた時にその耳が赤くなっていたことに、私は思わず手で口を覆ってしまう。

「ちょっと待ってて下さい」

 アイカが立ち上がる。
 第一王子が止めようとわずかに手を伸ばして口を開くが、言葉は出ない。

 アイカはそのまま「話続けてていいよ」と言い残して、ドアから出て行く。
 パタンと扉が完全に閉まったのを聞いて、兄上が笑いながら第一王子の肩を叩いた。

「ははは、すっげぇ嫌われてんじゃん!」

「最悪だ……」

 机の上に崩れ落ちる第一王子からは、普段の完璧王子と呼ばれる余裕は一切感じられない。
 どんどん元気を失くしていく第一王子と相対的に、兄上は楽しそうに笑い続ける。

 兄上の態度が不敬に当たらないかという心配よりも、突然明らかになった事実への驚きで私は何も言えないでいた。

 どうして第一王子があそこまでアイカの居場所を突き止めようとしたのか、今ならはっきりとわかる。
 「私」の乙女な部分が、二人がどこでどのような経緯で知り合ったのかだとか、どうして第一王子がそのような感情を抱くようになったのかを知りたいと騒ぎ出す。

 そこに、ラインハルト様が爆弾を投下した。

「間違っていたら申し訳ないのだけれど、兄さんはセルカに恋愛感情を持っているのか?異性にイヤリングを渡すのは、確かそういった意味があったと思うんだが」

 その瞬間、弾けるような兄上の笑い声と、そこに隠された私とダラン様がかすかに吹き出した声が、部屋を満たした。

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