【コミカライズ配信中!】 婚約破棄後の悪役令嬢~ショックで前世の記憶を思い出したのでハッピーエンド目指します!~
20話:屋敷への訪問
「……やけに騒がしいわね」
「久しぶりに第一王子殿下がお越しになるそうで。早い時間のご指定でして、準備に追われております」
「そうなのね」
目が覚めてから耳に入ってきたのは、屋敷中が慌ただしく動き回る音だった。
重い瞼を擦りながらベッドから起き上がる。
アイカが私を訪ねてから三日。自分の中の混乱や葛藤にどうにか折り合いをつけれそうになってきたものの、どうにも気分が上がらない日々だった。
ドレッサーの前に腰掛けて、エミーが差し出してくれた水に口をつける。
「お嬢様もお会いになられますか?」
「……レオとルゥは?」
「レオナール様とシルヴァン様は、朝早くからお二人で遠乗りに出掛けていらっしゃるので、ご帰宅なされてからご挨拶なさるそうです」
「あぁ、言ってたわね」
前回の夜会から元気のないシルヴァンのことを気遣って、レオナールが郊外の湖まで早朝からの遠乗りを計画していた。もう既に出発した頃だろう。
私も誘われていたものの、いつアイカが訪ねてくるのかわからないからどうにも屋敷を離れる気になれず、断っていた。アイカには、いくつか聞きたいことがある。
せめて彼女がどこに住んでいるかがわかれば、手紙くらい出せるのにと思いながら、エミーに返事をした。
「だったら私は、殿下が到着なさって少ししたらご挨拶に伺うわ。兄上に伝えておいて」
「畏まりました。若様は殿下とご一緒に朝食を摂られるそうですが、お嬢様はどうなさいます?」
「部屋で一人で食べるわ。持ってきてくれる?着替えと化粧はその後で」
「畏まりました」
朝の用意を済ませてもらって、朝ご飯を食べ終えた頃には、屋敷はいつもの静かさを取り戻していた。
紅茶を飲みながら髪を結ってもらっていると、ヘレナがアクセサリーを並べたお盆を持ってくる。
「こちら、ユカリが製作したものになります。どちらをお使いになられますか?」
「一番右のものを」
第一王子の好みは不明だが、王族と会うからある程度落ち着きと高級感があるものがいい。
大人っぽさを感じさせる金で統一された髪飾りとピアス、ネックレスを選ぶ。
袖を通した淡い水色のエンパイアドレスは、最近買ったものだ。
どうにも家に篭っていると、買い物をしたくなる。王太子選もあって頻繁に茶会や夜会に呼ばれている母上が、そこで知った色々な腕のいい職人を紹介してくれるものだから、つい買ってしまうのだ。
「もう殿下は到着なさったの?」
「えぇ。先ほど、食事が終わったとのことです」
「だったらそろそろ伺うわ」
領地の屋敷ほどではないけれど、そこそこの広さを誇るタウンハウスには庭もあり、兄上と第一王子はそこで朝食を摂ったとのことで、私も庭へ向かった。
綺麗に手入れされた生垣に沿って歩くと、大きな木の下のベンチテーブルに座る二人が目に入る。
「お、リリィ」
「おはよう、クリスト嬢。お邪魔してるよ」
「ご機嫌よう、第一王子殿下」
にっこり笑う第一王子の、かすかに緑がかった青の瞳の奥の光が煌めく。
この人の、相手を値踏みするようなこの視線が嫌いだ。
魔法学校入学のために王都に引っ越してから、兄上の親友である彼とは何度か顔を合わせることがあった。だから、友人とまではいかないけれど顔見知りではあるのに、どうしてもこの人との会話には慣れることができない。
だから私は、小さい頃から父上の側で年の半分ほどを王都で過ごし、こちらにいる間はほぼ毎日のように第一王子と顔を合わせていたという兄を、ある意味尊敬している。
「先日は、せっかくお招き頂いたのに途中で退出してしまい、申し訳ありませんでした」
「それに関しては、こちらにも非がある。招待客に不快な思いをさせるのは、主催者の手落ちでもあるからね」
すまない、と第一王子が眉を顰めながら告げる。
その顔に、ふと第三王子のサーストンが重なった。
同じ母を持つ二人が似ているのは、何も不思議なことではない。しかし、まるでかつての婚約者に謝罪をされているかのように錯覚してしまい、見えないところで強く手を握った。
「いえ。気にしておりませんわ」
「俺は気にしてるぞ、ユークライ。クリスト家が家族を侮辱されて黙っていると思うなよ」
「重々承知してるよ」
「承知するだけじゃなくて然るべき行動を取れよ、王子」
「そこは信頼してくれ、親友」
「はいはい、親友」
本当に仲が良いのだろう。
私にはこれほど親密な友人がいないから、少し兄上が羨ましくなる。しかも私の元婚約者に顔が似ているものだから、余計に複雑な気持ちになった。
「そういえば、少し君に尋ねたいことがあるんだ。今大丈夫かな?」
「えぇ。構いませんわ」
兄上の隣に腰を下ろしたところで、第一王子が口を開く。
「四日前に君と接触があって、三日前にここを訪れたセルカという女性について聞きたいことがある」
「なんでしょう」
まさかアイカのこの世界での名前を、第一王子の口から聞くことになるとは。
何をやらかしたんだと心の中で文句を言いながら、動揺を押し殺して笑顔を貼り付ける。
「彼女との連絡手段を持ち合わせているかな?」
「いえ、残念ながら」
例え持っていたとしても、この人には出来るだけ共有したくない。
それよりも、どうして彼がセルカのことを知っているのだろう。
もしも王族に目をつけられているとしたら、かなり厄介だ。時間もあるし、第一王子の目的くらいは聞き出したい。
「ほら言っただろ、ユークライ。めちゃくちゃ秘密主義っぽいんだよ」
「そうみたいだね」
「待って兄上、セルカと知り合いなの?」
私の問いかけに、兄上は目を逸らしながら頬を掻く。
「あーまぁ、ちょっと世話になってるっていうか、色々教わっててさ」
「いつから?知り合ったきっかけは?何回会ったの?」
「守秘義務!」
いくつもの疑問を一言で片付けた兄上に、思わず溜め息をついた。
セルカと知り合いだったらそうと言ってくれたら良かったのに。こう言っても、どうせ忘れていたとかなんとか返されるのだろうけれど。
そんな私達のやりとりを見ていた第一王子が、「クリスト嬢」と私のことを呼ぶ。
「君のお兄さんは、どうやらセルカ殿の居場所を知っているようなんだけれど、興味がないかい?」
「本当ですか?」
「あぁ。本当だよ」
縹色の双眸の奥で、妖しげな光が煌めく。やっぱりこの人のことは、どうにも苦手だ。
しかしきっと、今私もこの人と同じような目をしているんだろう。
私がこの人を苦手な理由は、本当はわかっている。自覚したくはなかったが、「私」の記憶も相まって、その理由を認識せざるを得なかった。
第一王子は、私と似ているのだ。言葉にはしにくいけれど、本音を嘘で隠せるところや、人を追い詰める時でさえも会話を楽しんでしまうところが。そしておそらく、それを自覚して自己嫌悪しているところも。
そんな第一王子が、私の初恋と似ているところが、なんだかすごく嫌だった。
「ヴィンセント、君の妹もセルカ殿の居場所を知りたいらしいよ」
「だぁから、俺も知らないって言ってんでしょ!」
「嘘ね」
こういう言い方をする時の兄上は、九割嘘をついている。
私の断言に、第一王子が続いて追撃をした。
「どこにいるんだ?」
「いやだからね?」
「王都の中だな?」
「あー、もしもしー?」
「王都の中ですわ。ここから近い?」
「リリィ、お前ちょっと一回」
「遠いんだね。王都の西の方……」
第一王子がわずかな逡巡の後に、ある名前を出した。
その瞬間、兄上の視線が斜め左上、左下、そして右へと移動する。
「「正解!」」
第一王子と私の声が重なって響いた。
どうしてあのお方とアイカに関わりがあるかはわからないが、第一王子は何か確信がありそうな顔をしているから、きっと彼の中では情報が繋がったのだろう。
「俺の護衛の一人に、先触れを出させるよ。クリスト嬢、馬には乗れるかい?」
「えぇ。すぐに準備をしますわ」
「ヴィンセント、君も来るだろう?」
「いや、だから違……あぁもう、リリィもユークライも自分の状況を理解してんのかよ!あんま気軽に出かけようとするな!」
「じゃあ護衛兼お目付役として君も付いてくればいい話じゃないか」
「同意見ですわ、第一王子殿下。兄上の馬も正面に回すように伝えておくわよ」
そう言いながら立ち上がると、兄上は諦めたように空を仰いだ。
馬に跨って走ること一時間弱。
一度目的地へ向かって先触れを伝えてくれた第一王子の護衛騎士と途中で合流し、第一王子と二人の護衛騎士、兄上、エミー、そして私の六人で馬を走らせていた。
「そろそろ到着です」
鬱蒼とした森が一気に開ける。
視界に飛び込んできたのは、赤茶色の煉瓦で作られた大きな屋敷だった。
「ここが……」
王都には四年ほど住んでいたけれど、一度も訪れたことはない。お会いしたことも、数えるほどしかないほどだ。
人嫌い、傲岸不遜、傍若無人と彼女を陰で悪く言う者も少なくない。
それらの形容詞が完全に間違っているとは言い難いが、個人的には好ましい相手だ。言動に芯が通っていて裏表がない、社交界では珍しい性格の持ち主である。
「……俺、ここ来るの初めてなんだけど」
兄上の言葉に、第一王子が返答した。
「俺も数えるくらいしかないよ。大丈夫、承諾は貰っているから」
馬から降りると、真っ黒な服を着た女性が近付いてくる。
糸まで含めて黒に染められた簡素なワンピースを着た彼女は、一礼すると手を差し出した。
「お預かり致します」
「ありがとう」
手綱を渡して、屋敷の方へ進む。
近付くと、壁や支柱に蔦が絡まっているのがよく見えた。日光で煌めいて、葉がゆらゆらと揺れる。
私は芸術には疎いけれど、煉瓦のくすんだ赤に植物の緑が映えていて、まるで一枚の絵画のようだった。
そこに、一人の女性が現れる。
後ろに何人か従えながら、開かれた扉の向こうから歩いてくる彼女に、私は深くカーテシーをした。
私の前で歩いていた第一王子と兄上も、足を止めて礼をする。
「突然の来訪失礼致します、叔母上」
「謝罪よりも感謝が欲しいわね、甥っ子」
「これは失礼しました。我儘を聞いて下さりありがとうございます」
「ははは、なかなか素直じゃないの」
軽快な笑い声を上げた、王妹ドロッセル・ウィンドール。
乱雑に一つに纏めた赤みを帯びた茶色の髪を風に靡かせ、陛下とよく似た紺色の双眸に強い光を宿したこの屋敷の主は、ヒールを鳴らしながら黒のドレスを翻す。
「よく来てくれたわ、ヴィンセント・クリスト、アマリリス・クリスト。騎士の二人と侍女の君も、遠いところ大変だったわね。さ、入って」
そこまで言って踵を返したドロッセル殿下は、思い出したように一瞬振り返って、いたずらっ子のように笑った。
「君達の探し人も待っているわ」
本当にここにアイカがいるのだと。
そう思うと、心臓がわずかに速くなった。
わずか数日前に会ったばかりで、今までの十八年の人生において顔を合わせたのはたった二回だ。けれど、私の中でかなりの部分を占めている彼女に、ぶつけたい質問が何個もある。
それを頭の中で反芻しながら、屋敷に足を踏み入れた。
壁の両側にいくつもの絵画が掛けられている。
風景画もあれば人物画もあり、静物画も、この世界では見たことのない抽象画のようなものも飾られていた。
飾られているものといえばそれくらいで、他の調度品らしきものは見つからない。
この屋敷の主人が絵画を蒐集しているという話は聞いたことがないから、おそらく彼女自身か、あるいは彼女の近しい人が描いたものなのだろう。
であれば、前に耳に挟んだ噂は本当なのかもしれない。
ドロッセル殿下について廊下を進んでいく中、乗馬中でさえ会話をしていた第一王子と兄上も口をつぐんでいる。後ろ姿からでしか判断できないが、どうやら第一王子は緊張しているようだった。
まさか叔母に緊張しているのかと思いながら、壁の絵画に視線を滑らせていると、ドロッセル殿下が私に声をかける。
「アマリリス、絵は好き?」
「えぇ、ドロッセル王妹殿下」
「敬称なんて適当でいいわよ。今のところ、どの絵が一番好きかしら?」
「月が湖に映っている風景画でしょうか。見たことはないはずなのに、少し懐かしい気持ちになりましたの」
「あぁ、あれはセルカが描いたものよ」
そうなのですか、と返事をした自分の声が上擦って、思わず第一王子と兄上を盗み見る。
第一王子は、いつもの柔和な笑みはなくわずかに驚いたように目を見開いていて、兄上はそんな第一王子の方に視線を向けていた。
なんだか奇妙な空気が流れたところで、ドロッセル殿下が笑う。
「全員セルカと因縁でもあるのかしら。不思議な子ね」
前世の姉ですなんてことは言えないから、私は愛想笑いをするしかない。
誤魔化すために軽く笑ったら、第一王子の笑い声と私の声が混ざった。
なんとも言えない気まずさを感じていると、ドロッセル殿下が足を止める。
「ここにいるわ。私は別の用事があるから、後は若人だけで楽しんで」
じゃあね、とひらひら手を振る彼女を見送って、第一王子の護衛の騎士の一人が、その案内された扉に手をかけた。
アイカになんて声をかけようと、普段なら考えないようなことが頭に浮かんできた瞬間、思いもよらない人物の声が耳を打つ。
「アマリリス、どうしてここに」
「……ラインハルト様?」
私を友人と言ってくれたこの国の第二王子が、そこにいた。
「久しぶりに第一王子殿下がお越しになるそうで。早い時間のご指定でして、準備に追われております」
「そうなのね」
目が覚めてから耳に入ってきたのは、屋敷中が慌ただしく動き回る音だった。
重い瞼を擦りながらベッドから起き上がる。
アイカが私を訪ねてから三日。自分の中の混乱や葛藤にどうにか折り合いをつけれそうになってきたものの、どうにも気分が上がらない日々だった。
ドレッサーの前に腰掛けて、エミーが差し出してくれた水に口をつける。
「お嬢様もお会いになられますか?」
「……レオとルゥは?」
「レオナール様とシルヴァン様は、朝早くからお二人で遠乗りに出掛けていらっしゃるので、ご帰宅なされてからご挨拶なさるそうです」
「あぁ、言ってたわね」
前回の夜会から元気のないシルヴァンのことを気遣って、レオナールが郊外の湖まで早朝からの遠乗りを計画していた。もう既に出発した頃だろう。
私も誘われていたものの、いつアイカが訪ねてくるのかわからないからどうにも屋敷を離れる気になれず、断っていた。アイカには、いくつか聞きたいことがある。
せめて彼女がどこに住んでいるかがわかれば、手紙くらい出せるのにと思いながら、エミーに返事をした。
「だったら私は、殿下が到着なさって少ししたらご挨拶に伺うわ。兄上に伝えておいて」
「畏まりました。若様は殿下とご一緒に朝食を摂られるそうですが、お嬢様はどうなさいます?」
「部屋で一人で食べるわ。持ってきてくれる?着替えと化粧はその後で」
「畏まりました」
朝の用意を済ませてもらって、朝ご飯を食べ終えた頃には、屋敷はいつもの静かさを取り戻していた。
紅茶を飲みながら髪を結ってもらっていると、ヘレナがアクセサリーを並べたお盆を持ってくる。
「こちら、ユカリが製作したものになります。どちらをお使いになられますか?」
「一番右のものを」
第一王子の好みは不明だが、王族と会うからある程度落ち着きと高級感があるものがいい。
大人っぽさを感じさせる金で統一された髪飾りとピアス、ネックレスを選ぶ。
袖を通した淡い水色のエンパイアドレスは、最近買ったものだ。
どうにも家に篭っていると、買い物をしたくなる。王太子選もあって頻繁に茶会や夜会に呼ばれている母上が、そこで知った色々な腕のいい職人を紹介してくれるものだから、つい買ってしまうのだ。
「もう殿下は到着なさったの?」
「えぇ。先ほど、食事が終わったとのことです」
「だったらそろそろ伺うわ」
領地の屋敷ほどではないけれど、そこそこの広さを誇るタウンハウスには庭もあり、兄上と第一王子はそこで朝食を摂ったとのことで、私も庭へ向かった。
綺麗に手入れされた生垣に沿って歩くと、大きな木の下のベンチテーブルに座る二人が目に入る。
「お、リリィ」
「おはよう、クリスト嬢。お邪魔してるよ」
「ご機嫌よう、第一王子殿下」
にっこり笑う第一王子の、かすかに緑がかった青の瞳の奥の光が煌めく。
この人の、相手を値踏みするようなこの視線が嫌いだ。
魔法学校入学のために王都に引っ越してから、兄上の親友である彼とは何度か顔を合わせることがあった。だから、友人とまではいかないけれど顔見知りではあるのに、どうしてもこの人との会話には慣れることができない。
だから私は、小さい頃から父上の側で年の半分ほどを王都で過ごし、こちらにいる間はほぼ毎日のように第一王子と顔を合わせていたという兄を、ある意味尊敬している。
「先日は、せっかくお招き頂いたのに途中で退出してしまい、申し訳ありませんでした」
「それに関しては、こちらにも非がある。招待客に不快な思いをさせるのは、主催者の手落ちでもあるからね」
すまない、と第一王子が眉を顰めながら告げる。
その顔に、ふと第三王子のサーストンが重なった。
同じ母を持つ二人が似ているのは、何も不思議なことではない。しかし、まるでかつての婚約者に謝罪をされているかのように錯覚してしまい、見えないところで強く手を握った。
「いえ。気にしておりませんわ」
「俺は気にしてるぞ、ユークライ。クリスト家が家族を侮辱されて黙っていると思うなよ」
「重々承知してるよ」
「承知するだけじゃなくて然るべき行動を取れよ、王子」
「そこは信頼してくれ、親友」
「はいはい、親友」
本当に仲が良いのだろう。
私にはこれほど親密な友人がいないから、少し兄上が羨ましくなる。しかも私の元婚約者に顔が似ているものだから、余計に複雑な気持ちになった。
「そういえば、少し君に尋ねたいことがあるんだ。今大丈夫かな?」
「えぇ。構いませんわ」
兄上の隣に腰を下ろしたところで、第一王子が口を開く。
「四日前に君と接触があって、三日前にここを訪れたセルカという女性について聞きたいことがある」
「なんでしょう」
まさかアイカのこの世界での名前を、第一王子の口から聞くことになるとは。
何をやらかしたんだと心の中で文句を言いながら、動揺を押し殺して笑顔を貼り付ける。
「彼女との連絡手段を持ち合わせているかな?」
「いえ、残念ながら」
例え持っていたとしても、この人には出来るだけ共有したくない。
それよりも、どうして彼がセルカのことを知っているのだろう。
もしも王族に目をつけられているとしたら、かなり厄介だ。時間もあるし、第一王子の目的くらいは聞き出したい。
「ほら言っただろ、ユークライ。めちゃくちゃ秘密主義っぽいんだよ」
「そうみたいだね」
「待って兄上、セルカと知り合いなの?」
私の問いかけに、兄上は目を逸らしながら頬を掻く。
「あーまぁ、ちょっと世話になってるっていうか、色々教わっててさ」
「いつから?知り合ったきっかけは?何回会ったの?」
「守秘義務!」
いくつもの疑問を一言で片付けた兄上に、思わず溜め息をついた。
セルカと知り合いだったらそうと言ってくれたら良かったのに。こう言っても、どうせ忘れていたとかなんとか返されるのだろうけれど。
そんな私達のやりとりを見ていた第一王子が、「クリスト嬢」と私のことを呼ぶ。
「君のお兄さんは、どうやらセルカ殿の居場所を知っているようなんだけれど、興味がないかい?」
「本当ですか?」
「あぁ。本当だよ」
縹色の双眸の奥で、妖しげな光が煌めく。やっぱりこの人のことは、どうにも苦手だ。
しかしきっと、今私もこの人と同じような目をしているんだろう。
私がこの人を苦手な理由は、本当はわかっている。自覚したくはなかったが、「私」の記憶も相まって、その理由を認識せざるを得なかった。
第一王子は、私と似ているのだ。言葉にはしにくいけれど、本音を嘘で隠せるところや、人を追い詰める時でさえも会話を楽しんでしまうところが。そしておそらく、それを自覚して自己嫌悪しているところも。
そんな第一王子が、私の初恋と似ているところが、なんだかすごく嫌だった。
「ヴィンセント、君の妹もセルカ殿の居場所を知りたいらしいよ」
「だぁから、俺も知らないって言ってんでしょ!」
「嘘ね」
こういう言い方をする時の兄上は、九割嘘をついている。
私の断言に、第一王子が続いて追撃をした。
「どこにいるんだ?」
「いやだからね?」
「王都の中だな?」
「あー、もしもしー?」
「王都の中ですわ。ここから近い?」
「リリィ、お前ちょっと一回」
「遠いんだね。王都の西の方……」
第一王子がわずかな逡巡の後に、ある名前を出した。
その瞬間、兄上の視線が斜め左上、左下、そして右へと移動する。
「「正解!」」
第一王子と私の声が重なって響いた。
どうしてあのお方とアイカに関わりがあるかはわからないが、第一王子は何か確信がありそうな顔をしているから、きっと彼の中では情報が繋がったのだろう。
「俺の護衛の一人に、先触れを出させるよ。クリスト嬢、馬には乗れるかい?」
「えぇ。すぐに準備をしますわ」
「ヴィンセント、君も来るだろう?」
「いや、だから違……あぁもう、リリィもユークライも自分の状況を理解してんのかよ!あんま気軽に出かけようとするな!」
「じゃあ護衛兼お目付役として君も付いてくればいい話じゃないか」
「同意見ですわ、第一王子殿下。兄上の馬も正面に回すように伝えておくわよ」
そう言いながら立ち上がると、兄上は諦めたように空を仰いだ。
馬に跨って走ること一時間弱。
一度目的地へ向かって先触れを伝えてくれた第一王子の護衛騎士と途中で合流し、第一王子と二人の護衛騎士、兄上、エミー、そして私の六人で馬を走らせていた。
「そろそろ到着です」
鬱蒼とした森が一気に開ける。
視界に飛び込んできたのは、赤茶色の煉瓦で作られた大きな屋敷だった。
「ここが……」
王都には四年ほど住んでいたけれど、一度も訪れたことはない。お会いしたことも、数えるほどしかないほどだ。
人嫌い、傲岸不遜、傍若無人と彼女を陰で悪く言う者も少なくない。
それらの形容詞が完全に間違っているとは言い難いが、個人的には好ましい相手だ。言動に芯が通っていて裏表がない、社交界では珍しい性格の持ち主である。
「……俺、ここ来るの初めてなんだけど」
兄上の言葉に、第一王子が返答した。
「俺も数えるくらいしかないよ。大丈夫、承諾は貰っているから」
馬から降りると、真っ黒な服を着た女性が近付いてくる。
糸まで含めて黒に染められた簡素なワンピースを着た彼女は、一礼すると手を差し出した。
「お預かり致します」
「ありがとう」
手綱を渡して、屋敷の方へ進む。
近付くと、壁や支柱に蔦が絡まっているのがよく見えた。日光で煌めいて、葉がゆらゆらと揺れる。
私は芸術には疎いけれど、煉瓦のくすんだ赤に植物の緑が映えていて、まるで一枚の絵画のようだった。
そこに、一人の女性が現れる。
後ろに何人か従えながら、開かれた扉の向こうから歩いてくる彼女に、私は深くカーテシーをした。
私の前で歩いていた第一王子と兄上も、足を止めて礼をする。
「突然の来訪失礼致します、叔母上」
「謝罪よりも感謝が欲しいわね、甥っ子」
「これは失礼しました。我儘を聞いて下さりありがとうございます」
「ははは、なかなか素直じゃないの」
軽快な笑い声を上げた、王妹ドロッセル・ウィンドール。
乱雑に一つに纏めた赤みを帯びた茶色の髪を風に靡かせ、陛下とよく似た紺色の双眸に強い光を宿したこの屋敷の主は、ヒールを鳴らしながら黒のドレスを翻す。
「よく来てくれたわ、ヴィンセント・クリスト、アマリリス・クリスト。騎士の二人と侍女の君も、遠いところ大変だったわね。さ、入って」
そこまで言って踵を返したドロッセル殿下は、思い出したように一瞬振り返って、いたずらっ子のように笑った。
「君達の探し人も待っているわ」
本当にここにアイカがいるのだと。
そう思うと、心臓がわずかに速くなった。
わずか数日前に会ったばかりで、今までの十八年の人生において顔を合わせたのはたった二回だ。けれど、私の中でかなりの部分を占めている彼女に、ぶつけたい質問が何個もある。
それを頭の中で反芻しながら、屋敷に足を踏み入れた。
壁の両側にいくつもの絵画が掛けられている。
風景画もあれば人物画もあり、静物画も、この世界では見たことのない抽象画のようなものも飾られていた。
飾られているものといえばそれくらいで、他の調度品らしきものは見つからない。
この屋敷の主人が絵画を蒐集しているという話は聞いたことがないから、おそらく彼女自身か、あるいは彼女の近しい人が描いたものなのだろう。
であれば、前に耳に挟んだ噂は本当なのかもしれない。
ドロッセル殿下について廊下を進んでいく中、乗馬中でさえ会話をしていた第一王子と兄上も口をつぐんでいる。後ろ姿からでしか判断できないが、どうやら第一王子は緊張しているようだった。
まさか叔母に緊張しているのかと思いながら、壁の絵画に視線を滑らせていると、ドロッセル殿下が私に声をかける。
「アマリリス、絵は好き?」
「えぇ、ドロッセル王妹殿下」
「敬称なんて適当でいいわよ。今のところ、どの絵が一番好きかしら?」
「月が湖に映っている風景画でしょうか。見たことはないはずなのに、少し懐かしい気持ちになりましたの」
「あぁ、あれはセルカが描いたものよ」
そうなのですか、と返事をした自分の声が上擦って、思わず第一王子と兄上を盗み見る。
第一王子は、いつもの柔和な笑みはなくわずかに驚いたように目を見開いていて、兄上はそんな第一王子の方に視線を向けていた。
なんだか奇妙な空気が流れたところで、ドロッセル殿下が笑う。
「全員セルカと因縁でもあるのかしら。不思議な子ね」
前世の姉ですなんてことは言えないから、私は愛想笑いをするしかない。
誤魔化すために軽く笑ったら、第一王子の笑い声と私の声が混ざった。
なんとも言えない気まずさを感じていると、ドロッセル殿下が足を止める。
「ここにいるわ。私は別の用事があるから、後は若人だけで楽しんで」
じゃあね、とひらひら手を振る彼女を見送って、第一王子の護衛の騎士の一人が、その案内された扉に手をかけた。
アイカになんて声をかけようと、普段なら考えないようなことが頭に浮かんできた瞬間、思いもよらない人物の声が耳を打つ。
「アマリリス、どうしてここに」
「……ラインハルト様?」
私を友人と言ってくれたこの国の第二王子が、そこにいた。
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