【コミカライズ配信中!】 婚約破棄後の悪役令嬢~ショックで前世の記憶を思い出したのでハッピーエンド目指します!~

弓削鈴音

18話:治癒術師

「痛みはございますか?」

「ない」

「しばらくこのまま続けますので、何がありましたらお伝え下さい」

「あぁ」

 王城の中でも、国の上層部が使う区域から少し離れた、王族の住む区域。
 よく足を運ぶ場所でこそあるが、俺が訪れるのは大抵ユークライの部屋だけだから、陛下の使用する部屋に入るのは初めてかもしれない。

 大きな机と棚、清潔感のあるベッド、それと何個かソファが置いてあるだけの簡素な部屋は、セルカが棚から取り出した複数の薬品の匂いが充満していた。

 俺がこの部屋に足を踏み入れた瞬間、レシア様が溜め息をつき、平然と陛下がセルカに治療を始めるように命じ、イリスティア様がこれは持病の治療だと仰った以降、俺はただ黙って突っ立ってセルカの手際のいい作業を眺めていた。

「……ヴィンセント」

「なんでしょう、レシア王妃殿下」

 ソファに腰掛けたレシア様に向き直る。

「イリスティアからどれくらい聞いている?」

「……ほとんど何も聞いておりません」

「そうか」

 レシア様は溜め息をついて、イリスティア様に抗議するような視線を送る。それに対して、イリスティア様はヒラヒラと手を振った。

「わたくしにも考えがありましてよ、レシア」

「大方予想できるが、私の予想であっているか?」

「きっと合っていますわ。お任せしますわよ」

「わかった」

 国王陛下を支える双翼と囁かれる二人に視線を向けられる。
 とりあえずよくわからないまま笑顔を返すと、レシア様に目の前の椅子を勧められた。

 俺が腰掛けたのを見て、レシア様が話し始める。

「ヴィンセント。今から君が見聞きすることは、絶対に他言無用だ」

「承知しました」

「うん。ではまず、治療法を見て陛下の持病が何か、予想がつくか?」

「詳しいことは全く。ただ一つ言えるのは、私が知っているような一般的な病気ではないということです」

「結構」

 レシア様は頷くと、「セルカ」と声をかける。
 呼びかけられたセルカは、視線を落としていた懐中時計から目を上げた。

「ヴィンセントに、この病の説明を簡潔に。どこまで話すのかは、全て君の判断で」

「はい」

 セルカははっきりとした声で返事をすると、「まず」と話を始めた。

「あなたの予想通り、この病は一般に知られているものではありません。私が今まで調べて来た限り、ウィンドール王家以外での類似する発症例は国内では見つけられませんでした」

「血筋特有ってことか?」

「……すみません、嘘をつきました」

 そう言って、彼女は申し訳なさそうに笑った。

「陛下の症例ほど危険が差し迫っていたものがなかっただけで、おそらく似ていると考えられる症例は知っています。ただ、あまり話せないんですけど」

「あぁ、いいよ別に。それより、血筋に関係がないなら何に関係があるんだ?」

「血筋に全く関係ないとは言い切れないんですが、今の所私がこの病の原因だと睨んでいるのは、精霊の寵愛━━━愛し子であることです」

 気ままな精霊が人間に与える最上級の加護は寵愛と呼ばれ、それ得ている者は、精霊の愛し子と呼ばれる。

 愛し子は、常人を遥かに上回る魔法の才能を手にする。魔力量が底上げされるだけでなく、高難易度の魔法も容易に扱えるようになったり、その精霊の権能の一部を手に入れたりもするらしい。

 そして我が国の王家、ウィンドール王家は風の精霊王の寵愛を代々賜る一族だ。
 厳密には寵愛ではなく加護らしいのだが、精霊の中でも最上位に位置する精霊王が初代国王に与えた寵愛は凄まじく、子孫にまで余裕で受け継がれている。

 もちろん、目の前にいらっしゃる国王陛下も、風の精霊王の寵愛を受ける一人だ。

「精霊術師であるヴィンセント……様には今更な話かもしれませんが、精霊の力というのは人間のそれとは比べ物にならないほど強いです」

 敬称に迷って一瞬口籠ったが、セルカはそのままテキパキと説明を続ける。

「通常、愛し子は魔法師団や騎士団に入団したり、魔法を扱う職種に就くことが多いです。そうでなくても、その強大な魔力の才をそこそこの頻度で発揮するのが普通です」

「あー、でも陛下は」

「はい。魔法を使われることはほとんどありません。しかし陛下の体内の魔力は生成され続け、循環し続けます。そして不運なことに、その魔力が上手く流れないことがあります。これを、『魔力詰まり』と私は呼んでいます」

 周りの魔法師と、そういった話をすることがある。
 同じくらいの魔力量と魔法の練度でも、魔法の発動の速さに違いがあったり、効果に違いが出たりする原因に、体内を流れる魔力の滑らかさが関係あるという説が、明確な根拠こそないものの根強く存在している。

 西のフルーム連邦のとある地域では、魔力の流れを促進するために針を打ったりするらしいし、セルカの話も割とすんなり信じられる。

「体内の魔力の流れ……一部では魔力回路とも言われますが、その回路が詰まっても一般的な人であればなんの問題もありません。久しぶりに魔法を使おうと思ったら上手く魔法が使えなかった、くらいで終わりです。魔力詰まりも、魔力を放出すればすぐに解決します」

 ですが、と彼女は話を続ける。

「愛し子であれば話は違います。愛し子の魔力は、人間本来のものから少し変質していて……簡単に言えば、人間に害を成し得るんです」

「だから愛し子にとっては、魔力詰まりがかなり危険ってことか」

「その通りです。……陛下の場合、魔力詰まりが起きやすい体質のようで、魔法を使用する頻度もとても低かったため、外部から魔力を抜かないと危険な状態に陥る可能性がありました」

 セルカは一度懐中時計に視線を落とし、手元の薬の瓶をいくつか並び替えながら話し続けた。

「この病を、私達は『過魔』と呼んでいます。過剰に生成されて体内に蓄積された魔力が、患者の肉体に害を与える病です。今のところ、根本的な治療法は見つけられておらず、私にできるのは魔力詰まりが生まれる前に魔力を抜くことくらいです」

「予防法はないのか?普段から魔法を使うとか」

「おそらく、それが地道ですが効果的な予防だと思います。ただ、陛下の場合は事情がかなり特殊で」

 セルカはそこで言葉を切ると、陛下と二人の王妃に視線を移す。
 陛下とイリスティア様は、それぞれ無表情と笑顔から何も変化がなかったが、レシア様が頷いたのを見て、セルカが再び口を開いた。

「魔法学校卒業後、陛下が魔法を使われることはほぼなかったらしく、私が治療を始めた時には、魔力回路全体が魔力詰まりのせいで傷付いて、魔法の行使がかなり困難な状況でした」

「だから、外から抜いてやるしかないのか」

「そういうことです」

 セルカが瓶を開いて、手にそれを塗りたくると、「失礼致します」と陛下の手に軽く触れる。
 何をし始めたのかと俺が目を開く前に、接触面が淡く白く光り始める。

 魔力を感知しようと集中しなくても、可視化されるほどの魔力の受け取りがそこで発生していると考えると、セルカのさっきまでの話がストンと入ってきた。

「……説明は以上です。私の本当の職業は、治癒術師ということになります。研究も行なっているので、研究者というのも嘘ではありませんが。何かご質問は?」

「現時点ではないな。ありがとう」

 秘匿された陛下の持病「過魔」の治療を行なっているとは、確かにアマリリス相手にも俺相手にも言えなかっただろう。研究者という肩書きが嘘でないのも事実だった。
 やってしまったなと心の中で頭を抱えると、イリスティア様がふふっと笑い声を漏らす。

「きっとヴィンセントのことだから、セルカのことを敵対する家の間者か何かと勘違いしたと思ったのだけれど、その様子だと正解だったかしら?」

「えぇ。ご慧眼ですね」

「家族のこととなると一気に視野が狭くなるところ、お父上とよく似ているわね」

 ははは、と笑い返す。
 どうして態度に出していないのに「その様子」なんて言葉が出てくるのかとか、俺の勘違いを綺麗に言い当てられるのかとか、諸々の疑問を飲み下すのも、イリスティア様相手ならいつものことだ。

 ユークライと仲が良い関係もあって実母のイリスティア様とは小さい頃から関わる機会が多かったけれど、この人はいつまで経っても老いと衰えと弱みを感じさせない。

「あまり意地の悪いことを言ってやるな」

「まぁレシア、そんなこと言わないで下さいまし。少し遊んでいただけですわよ」

 ねぇ、と同意を求められれば、しがない公爵令息の俺は頷くしかない。

「……まぁいい。それよりヴィンセント。今回このことを君に伝えたのには理由がある」

 来たか、と身構える。
 ただの成り行きで陛下の秘密を伝えるほど、この人達は考えなしではない。きっと俺になんらかの要求はしてくるだろうとは思っていた。

「見ての通り、セルカは女性だ」

「はい」

 突然何のことだろう思いながら、とりあえず頷く。

「今まで彼女には、髪を短くし、顔や体つきを隠すローブを着てもらい、男性用の礼法を覚えてもらっていた。なぜなら、若い女性が王族専用の区域に出入りすることは醜聞になり得るからだ」

 だからセルカは男性用の礼の仕方をしていたのかと納得する。 

 確かに、侍女でもない女性が頻繁に王族の居住区に出入りしていたら、どんな噂を立てられるかわからない。
 三人いる王子の内二人も婚約者がいなかった少し前の状況であれば尚更だろうし、陛下と密室で何かやっているとなったらこれまた変な噂が立ちかねない。

「まだ少年のような風貌だった頃は簡単に誤魔化せていたが、彼女も歳をとってきたからそれも難しくなってきた。しかし依然として根本的な治療法は見つかっていないし、彼女以外にこの治療を行える者も見つかっていない。この病を公表するのは危険性が伴うし、単なる病気ということにしても、今の情勢ではそれも危うい」

 王太子が決定していない時期に、陛下に持病があるとわかれば、変に勢い付く連中が多少はいるはずだ。それに他国との関係性も、今こそ均衡を保っているが、いつそれが崩れるかわかっていない。
 陛下が壮健である状態を保つというのは、政治的に重要な意味を持っているんだろうなと、頭の隅でぼんやりと考える。正直こういった類の話は得意ではない。

「彼女をここに入れるための方法はいくらでもあるが、そもそも彼女一人に依存している今の状態が宜しくないという話があってだな。そこで他に彼女の代わりとなる治癒術師を探していたんだ」

 魔法による治癒を行う者のことを、治癒術師と呼ぶ。医者としての医学の知識に加えて、治癒系の魔法の知識を併せ持つ優秀な術師で、数も少ない。

「しかしそれがかなり難航してな。ただ彼女が言うには、治癒術師でなくても魔力を抜くこと自体はできるらしいんだ」

 話の雲行きが怪しくなってきた気がする。

「もう既に彼女から手解きを受けている者もいるが、他にも何人かいた方がいいだろうという結論になってな。君にも白羽の矢が立っている」

「……私より優秀な魔法師はいくらでもいますよ」

「愛し子の変質した魔力も、精霊術師である君なら上手く扱えるだろうという予想だ。クリスト公爵家の嫡男である君なら、この秘密を明かしても大丈夫だろうしね」

 確かに、俺であればある程度の脅しも懐柔も効かない。陛下の秘密を知っても、別に悪用する意味がない。
 それに、自他共に認めるユークライの親友の俺がこの区域に立ち入っても、全くもっておかしくない。陛下と一緒にいるところを見られても痛くも痒くもないだろう。

 論理的に考えれば、俺が候補に上がるのは当然だ。ただ、仕事が増えると家に帰れる時間が減りかねないわけで。
 陛下を助けたい気持ちがないわけではないが、どうにも躊躇してしまう。

「ヴィンセント」

 唐突に、イリスティア様が俺の名前を呼んだ。

「もしあなたがこの話を受けてくれるなら、ひとまずは二週間に一回の講習日を設けるわ。この講習日は、セルカが滞在しているドロッセル様の屋敷に出勤してもらうけれど、魔法師団の方に話を通して出勤日とする予定よ」

 にっこりと笑うイリスティア様の瞳が、妖しく煌めく。

「ねぇセルカ、講習にはどれくらい時間がかかるかしら」

「……そうですね。一回で半日程度でしょうか」

「だそうよ、ヴィンセント。その後、どこに行くも家に帰るもあなたの自由よ」

 出勤扱いで半休が貰える。
 明らかに俺を釣るための餌をちらつかされて、そもそも傾きかけていた心がさらに傾く。

「講習は短期間で集中して終わらせたいから、しばらくは遠征も遠慮してもらおう」

「そうですわね。講習はどれくらいで終わるかしら?」

「おそらく、半年から一年ほどかと」

「それ以降も、一ヶ月に一回の治療があるだろうな。治療も大抵は数時間で終わる。治療がある日には、特別手当も出そう。……君ほど稼いでいるなら、あまり魅力的には感じないだろうがな」

「いえ、十分魅力的です。……陛下の治療、謹んでお引き受けさせて頂きます」

「結構」

 レシア様はかすかに口元を緩めながら満足げに頷く。

「では早速、セルカから更に詳しく過魔のことについて聞いてくれ」

「承知しました」

 俺は立ち上がって、恭しく礼をした。

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