【コミカライズ配信中!】 婚約破棄後の悪役令嬢~ショックで前世の記憶を思い出したのでハッピーエンド目指します!~
15話:哀れな人
「よく来てくれたね、アマリリス・クリスト嬢」
「本日はお招きありがとうございます、第一王子殿下。こちらは、わたくしの弟のシルヴァンですわ」
「シルヴァン・クリストと申します、第一王子殿下。お目にかかれて光栄に存じます」
何度も王族に会ったことのあるシルヴァンは、初対面の第一王子にも特に物怖じせずに挨拶をする。
へぇ君が、と小さく呟いたユークライ・ウィンドールは、二十三歳で兄上と同い年の、この国の第一王子である。
母親は第二王妃のイリスティア様で、初めて生まれた男児ということもあり、赤子の時から王太子にと推されてきた人物だ。
少し茶味がかかった落ち着いた金髪に、強い意志の宿った縹色の瞳。優れた容姿もそうだが、幼い頃から磨かれてきた所作も美しい。
魔法学校時代には生徒会長を務め、卒業後は王子として国の運営に携わり実績を積んでいる彼の、難点を一つ挙げるとすれば、婚約者がいないことだろうか。
通常であればこの年齢の王子に婚約者がいないというのは余程の事情がない限り有り得ないのだが、貴族間の力関係の調節のために婚約の空席を使っている、とは兄上の談だ。実際、第一王子の派閥内では揉め事がほぼ起きないと聞く。
「今日はよく来てくれたね。このシーズン、クリスト嬢は風の宴以外には出席していないと聞いていたから。私の主催する夜会に足を運んでくれて、嬉しいよ」
「こちらこそ、招待して頂いて恐縮でしたわ。敬愛する王族のお一人が主催なさる夜会に穴を空けるなんて、できませんもの」
少し嫌味を込めて、にっこりと笑顔も忘れない。
私は別にあなたのパーティーだから来たのではなく、王族からの招待だったから来ただけだと念を押す。
私のこの言葉にも、第一王子はにこにこ笑みを浮かべていた。
「そうか。パーティーは楽しんでくれているかな」
「えぇ。楽器隊の演奏から照明具まで統一されていて、素晴らしいですわ」
私の発言に、第一王子は笑みを一層深くし、私たちの会話に聞き耳を立てていた野次馬たちは口早に互いに問いかけ始めた。
「よく気付いたね」
「第十九代国王、ハイトリエ・オルマー・ウィンドール女王陛下が命じられて作らせたシャンデリアの一つの下で、かの女王が愛された管弦曲を聴けるなんて、思ってもいませんでしたわ」
ハイトリエ女王は、当時は外国との関わりを一切拒絶していた隣国のメイスト王国との国交を樹立したことで、北方のヴァザック帝国を上手く牽制し戦争を回避した功績で有名な女王だ。
外交によってウィンドール王国の地位向上を狙うと宣言している第一王子にとっては、良い験担ぎであり、かつ周りの貴族への試金石なのだろう。
第一王子は、外交を重んじる姿勢をかなり前から見せ続けていると聞く。
そんな彼を支えんとする者であれば、過去に対外政策で大きな成功を収めたハイトリエ女王について改めて調べるのは当たり前。その時に目にする彼女の嗜好などを知識として蓄えられるか、もしくは実際それを前にした時にその情報と結び付けられるかを、きっと試そうとしている。
私はこの人に気に入られたいとは思わない。
しかし自分の有能さを示さないと侮られる。それではクリスト家の長女として胸を張れない。
「……さすがクリスト嬢」
周りには届かない、私とシルヴァンだけに聞こえるくらいの音量で、第一王子が呟いた。
「あなたのような聡明な人に、この演出に気付いて貰えて嬉しいよ。ヴィンセントから聞いていた通り、あなたはただ博識なだけでなく、鋭い洞察力も兼ね備えているみたいだね」
声量を戻して兄の名前を出した第一王子は、スラスラとお世辞を並べていく。
「あぁそういえば、ヴィンセントは来ていないみたいだね。前に二人で食事に行った時のお礼をしようと思っていたのだけれど」
「……えぇ。兄は少々仕事が立て込んでおりまして」
第一王子であれば、魔法師団に所属する兄の日程を知ることは容易い。
外務大臣である父上を引っ張り出したくて、わざと兄上の仕事が遅くまで入っている日に夜会を開催したのではないかと勘繰ってしまう。
「そうか。ヴィンセントは何か言っていたかな?」
「個人的なご友人である第一王子殿下の夜会に出られず、残念だと言っておりましたわ」
あくまで第一王子は兄上の個人的な友人であり、我が家とは関係がないと念を押す。
「……私も非常に残念だよ。ただ、クリスト嬢とお話しできたし、弟君とも出会えて嬉しく思う」
「有り難いお言葉ですわ、殿下」
シルヴァンも私の横で微笑みながら優雅に目礼する。心なしか、顔色が悪い。
「ではまた。ぜひ今日は楽しんでいってね」
「えぇ。失礼致します」
一礼して、人波に呑まれていく第一王子の背中を見送る私の横で、シルヴァンが小さく息を吐いた。
私は彼の腕を軽く叩いて、端のバルコニーの方へ歩いて行く。
周りから人がいなくなったところで、途中で受け取った水を渡した。
「大丈夫?」
「少し、酔ってしまったのかもしれないです」
水を口に含んだシルヴァンは、わずかに襟元を緩めると息を吐く。
「ごめんなさい、姉様」
「いいのよ。私も休憩したかったし」
自分の見える範囲で、ドレスによれがないかを確認し、遠目から誰が誰と話しているかを眺める。
今日の招待客は、やはり第一王子派が多いが、一部の中立派の貴族も見受けられる。
爵位は全体的に高めで、伯爵以上か、それより低い場合も重要な役職に就いているか有力貴族の親戚ばかりだ。
一番この場にいることに驚いたのは、やはりアルハイトス公爵。
そもそも王族から距離を取っているような態度を示している彼が、いくら第一王子主催とはいえ、このような場に出ていることは意外だ。それほどまでに、第一王子が有力候補、ということなのだろう。
「姉様、アルハイトス公爵には挨拶しないといけませんよね」
「……そうね」
家格の関係から考えて、公爵は無視するわけにはいかないが、あの人混みに再び入って行くのは少し億劫だ。
アルハイトス公爵の弟であるファネクス殿とはあまりよろしい関係ではないが、公爵自身はここでわざわざ私に何かしら仕掛けてくるほど好戦的な方ではない。物腰の落ち着いた方だ。
「先ほどの会話なのですが」
シルヴァンが切り出す。
「いつ、この夜会がハイトリエ女王に関係があるものだとお気付きに?」
「演奏されている曲を聴いた時よ。近年は管楽器曲が好まれる傾向にあるから、管弦曲は珍しいと思ったの」
流行に目敏い第一王子が、わざわざそうしたのには絶対に理由があるのだろうと思えば、後はもう簡単だった。
「シャンデリアは後から気付いたわ。少しわかりにくいけれど、一つ一つのアーチに紋様が描かれているでしょう?」
私の言葉に、シルヴァンは目を凝らしながら笑いを漏らした。
「よく気付きましたね」
「昔から目はいいのよ。近付いたらよく分かると思う。ああいう風に細かい細工をするようになったのは、魔法による加工技術の高さを国外に示すためだと言われているわ」
「あぁ、確かにあの材質だと手作業では彫るのにかなり時間と労力が必要そうですね」
そうなの、と返事をした時だった。
傍らに若い女性を引き連れた三十代半ばほどの男性が、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべならが近付いてくるのに気付き、シルヴァンが私を庇うように一歩前に出る。
恭しく一礼してみせた彼は、わざとしらく大きな声で挨拶をした。
「初めまして、アマリリス・クリスト嬢。セゼーク伯爵家当主、フォルマール・セゼーク伯爵と申します」
「初めまして、フォルマール・セゼーク伯爵」
明らかにこちらを見下している声色に、心の中で溜め息をつく。
セゼーク伯爵は、名前だけ聞いたことがある。代々騎士を輩出している一族で、領地は持たない法服貴族。生まれも育ちも王都揃いで、仕事柄王族や他の重鎮との繋がりもあるため、かなりプライドの高い方々ばかりらしい。
フォルマール・セゼーク伯爵も、おそらく騎士団の一員なのだろう。煌びやかな背広の上からでも、鍛えていることがわかる。
「いやぁそれにしても、王族の方々とあそこまで親しいとは、羨ましい限りでございますなあ」
「えぇ」
面倒だなと、とりあえず愛想笑いを浮かべながら相槌を打つ。
私たちが一歩も動かないのに対し、セゼーク伯爵は大袈裟に身振り手振りをしながら近付いてきた。
「兄は第一王子殿下の親しいご友人で、クリスト嬢自身も第三王子殿下の婚約者とは! あぁ、元、でございますか」
こちらの逆上を期待するような嫌な視線を受け止めて、冷たい空気を出しているシルヴァンの手をあちら側から見えないように軽く叩く。
どうやらお酒が入って興奮しているようで、セゼーク伯爵は私たちの冷ややかな反応を一切気に介さず━━━というか恐らく自分にとって都合の良いように解釈し、早口に捲し立てた。
「まぁ当然の結果と言えば当然の結果でしょうな! 大分前から、嫉妬深いあなた様が第三王子殿下が気にかけていらっしゃる女子生徒をいじめていることは、社交界で噂になっておりましたからな。王族の婚約者として、自分より身分の低い女性にあんなふうにきつく当たるのはいかようなものかと、随分と疑問視されておりましたよ」
「……そうですか」
「えぇそうですとも! あなた様よりも、万人に隔てなくお優しくいらっしゃって権威を振りかざさず、可憐で清楚なララティーナ様の方が王族の婚約者に相応しいと、社交界ではしきりに囁かれておりましたとも。きっと公爵閣下の威光がなければ、もっと早くに破棄されていたことでしょうな」
シルヴァンが靴を鳴らしながら一歩踏み出す。カツンと響いた音は、この騒ぎを嗅ぎつけていつの間にか集まってきた聴衆を黙らせることはできたが、目の前の男のことはむしろ勢い付けるだけだった。
「おやおや! まさか公爵家の小さな御令息に威嚇されるとは! ははは、随分と可愛いものですな。日頃私が対峙している魔獣と比べると、まるで小鳥の囀りのようだ」
そう言って傍らの女性と笑い合う。
身長こそ私より少し高いが、まだ幼さを残す中性的な顔立ちをした細身のシルヴァンは、確かに威圧感には欠ける。しかしそれでも、クリスト公爵家の直系だ。
そんな彼が怒りを露わにしているのに、意に介するどころか面白がるなんて、よほど怖いもの知らずなのだろう。
「……姉様」
シルヴァンが口を開く。
「グラスが空いてしまっています。新しいものを取りに行きましょう」
まだ成人しておらず、正式に夜会にデビューしていないシルヴァンは、マナーとして自分の親族か主催者以外とは言葉を交わすことができない。
本当は言い返したいのだろう。しかし眉間に力を入れたまま、低い声でシルヴァンはそう私に言った。
「これはこれは、まさか公爵家に連なる高貴かつ慈愛溢れるはずのお方が、目の前の騎士を無視してご自分の喉の渇きを優先なさると!?」
腕を広げながら、彼は大袈裟に反応をしてみせる。
「姉のみならず、弟までもこのように場の空気を乱しかねない言動をなさるとは……。魔法学校という我が国の顔とも言える場所のクリスト公爵のご教育が気になりますなあ」
「……無視しましょう、ルゥ」
私の言葉に、不服そうにしながらもシルヴァンは沈黙を貫いてくれる。
公爵を敵に回すような発言を平然とするセゼーク伯爵には、魔法学校を卒業したばかりの小娘である私が何を言っても正直無駄だろう。弟のシルヴァンであれば尚更。
「どちらに行かれるのですか、アマリリス・クリスト嬢!」
背を向けた私たちに、彼が大きな声を上げる。
取り合うだけ無駄だとそのまま歩みを進めようとした私の耳を、ある言葉が打った。
「誰にも愛されない哀れな人」
心臓を氷のように冷たい手でグッと握られたような心地がした。
女性の声だろうか。囁くような低められた声で言われたそれに、息が詰まって反射的に足が止まりそうになる。
しかし今止まって振り返ったらいよいよそれを認めてしまうようで、足の裏に力を入れながら歩みを進めた。
「……姉様?」
訝しげに私に声をかけるシルヴァンに、大丈夫と小さく返事をする。
どうやらあの言葉は弟には聞こえていなかったようで、そのことに胸を撫で下ろした。優しいこの子は、もし聞こえていたらきっと気に病んだだろうから。
無言で会場を歩いていく私たちに、たくさんの視線が向けられる。
興味、奇異、嘲り。
まるで観賞用の絵画にでもなったような気分だ。
さっき聞こえてきた言葉も相まって、気分が悪くなる。一歩進む度に何か取り返しのつかないようなことをしているようで今すぐ大声で言い訳をしたくなるが、冷静な私がそれはまずいと諭してくる。
早くここから去りたいと、いつかそれだけでしか頭を占めなくなった。
人の波をかき分けて出口に近付いてきた時、よく通る声が響く。
「クリスト嬢、どうかなさいましたか」
シャル公爵と、その隣にいるのはアルハイトス公爵だ。
私は二人に向き直り、軽く礼をした。
「ご機嫌よう、アルハイトス公爵。シャル公爵も先ほどぶりです」
「ご機嫌よう、クリスト嬢。随分と急いでいるように見受けたが」
なんと言おうかと考えながらひとまず挨拶をすると、シルヴァンが私の腕を軽く叩いた。彼は二人の公爵に礼をして、ちょうど口元が隠れた時に「僕を言い訳に」と小さく囁く。
有り難い申し出に、私は今一度気合を入れ直して口元に笑みを作りながら軽く眉毛を下げた。
「弟の気分が少々優れないのです。まだ未成年ですから、本日はこれでお暇させて頂こうかと」
「まだ十五歳だったか。確かに酒の匂いが強い。ゆっくり休息を取ると良いだろう」
この場の最年長者であるアルハイトス公爵の言葉に、シャル公爵も頷いた。
「仰る通り。クリスト嬢も弟君も、どうぞ無理はなさらず。周りには上手く私が言っておきましょう」
「お心遣い痛み入りますわ」
早く切り上げたい私たちの気持ちを汲んでくれたのか、シャル公爵がそう言ってくれる。
このお礼にお酒でも送ろうと思いながら、シルヴァンと今一度ゆっくりと礼をした。
「では本日はこちらで」
二人の公爵が頷いたのを合図に、出口へと向かう。
主催者側であろうシャル公爵から直接帰っていいと言って頂けたから、私たちを引き止めようとする人は誰もいなかった。
そのまま会場を出て馬車乗り場まで辿り着く。
本来ならお開きの時間までかなりあるから、まだ家の者もいないだろうから馬車を探さないといけないと思って辺りを見渡していると、聞き慣れた声がした。
「お嬢様」
「エミー!」
「……お帰りになられますか?」
彼女は私とシルヴァンを見ると、何も言わずにそう尋ねてくれた。
今はそれが嬉しいし有り難い。私が「帰りましょう」と言うと、エミーは穏やかに微笑みを浮かべながら、「かしこまりました」と一礼した。
「本日はお招きありがとうございます、第一王子殿下。こちらは、わたくしの弟のシルヴァンですわ」
「シルヴァン・クリストと申します、第一王子殿下。お目にかかれて光栄に存じます」
何度も王族に会ったことのあるシルヴァンは、初対面の第一王子にも特に物怖じせずに挨拶をする。
へぇ君が、と小さく呟いたユークライ・ウィンドールは、二十三歳で兄上と同い年の、この国の第一王子である。
母親は第二王妃のイリスティア様で、初めて生まれた男児ということもあり、赤子の時から王太子にと推されてきた人物だ。
少し茶味がかかった落ち着いた金髪に、強い意志の宿った縹色の瞳。優れた容姿もそうだが、幼い頃から磨かれてきた所作も美しい。
魔法学校時代には生徒会長を務め、卒業後は王子として国の運営に携わり実績を積んでいる彼の、難点を一つ挙げるとすれば、婚約者がいないことだろうか。
通常であればこの年齢の王子に婚約者がいないというのは余程の事情がない限り有り得ないのだが、貴族間の力関係の調節のために婚約の空席を使っている、とは兄上の談だ。実際、第一王子の派閥内では揉め事がほぼ起きないと聞く。
「今日はよく来てくれたね。このシーズン、クリスト嬢は風の宴以外には出席していないと聞いていたから。私の主催する夜会に足を運んでくれて、嬉しいよ」
「こちらこそ、招待して頂いて恐縮でしたわ。敬愛する王族のお一人が主催なさる夜会に穴を空けるなんて、できませんもの」
少し嫌味を込めて、にっこりと笑顔も忘れない。
私は別にあなたのパーティーだから来たのではなく、王族からの招待だったから来ただけだと念を押す。
私のこの言葉にも、第一王子はにこにこ笑みを浮かべていた。
「そうか。パーティーは楽しんでくれているかな」
「えぇ。楽器隊の演奏から照明具まで統一されていて、素晴らしいですわ」
私の発言に、第一王子は笑みを一層深くし、私たちの会話に聞き耳を立てていた野次馬たちは口早に互いに問いかけ始めた。
「よく気付いたね」
「第十九代国王、ハイトリエ・オルマー・ウィンドール女王陛下が命じられて作らせたシャンデリアの一つの下で、かの女王が愛された管弦曲を聴けるなんて、思ってもいませんでしたわ」
ハイトリエ女王は、当時は外国との関わりを一切拒絶していた隣国のメイスト王国との国交を樹立したことで、北方のヴァザック帝国を上手く牽制し戦争を回避した功績で有名な女王だ。
外交によってウィンドール王国の地位向上を狙うと宣言している第一王子にとっては、良い験担ぎであり、かつ周りの貴族への試金石なのだろう。
第一王子は、外交を重んじる姿勢をかなり前から見せ続けていると聞く。
そんな彼を支えんとする者であれば、過去に対外政策で大きな成功を収めたハイトリエ女王について改めて調べるのは当たり前。その時に目にする彼女の嗜好などを知識として蓄えられるか、もしくは実際それを前にした時にその情報と結び付けられるかを、きっと試そうとしている。
私はこの人に気に入られたいとは思わない。
しかし自分の有能さを示さないと侮られる。それではクリスト家の長女として胸を張れない。
「……さすがクリスト嬢」
周りには届かない、私とシルヴァンだけに聞こえるくらいの音量で、第一王子が呟いた。
「あなたのような聡明な人に、この演出に気付いて貰えて嬉しいよ。ヴィンセントから聞いていた通り、あなたはただ博識なだけでなく、鋭い洞察力も兼ね備えているみたいだね」
声量を戻して兄の名前を出した第一王子は、スラスラとお世辞を並べていく。
「あぁそういえば、ヴィンセントは来ていないみたいだね。前に二人で食事に行った時のお礼をしようと思っていたのだけれど」
「……えぇ。兄は少々仕事が立て込んでおりまして」
第一王子であれば、魔法師団に所属する兄の日程を知ることは容易い。
外務大臣である父上を引っ張り出したくて、わざと兄上の仕事が遅くまで入っている日に夜会を開催したのではないかと勘繰ってしまう。
「そうか。ヴィンセントは何か言っていたかな?」
「個人的なご友人である第一王子殿下の夜会に出られず、残念だと言っておりましたわ」
あくまで第一王子は兄上の個人的な友人であり、我が家とは関係がないと念を押す。
「……私も非常に残念だよ。ただ、クリスト嬢とお話しできたし、弟君とも出会えて嬉しく思う」
「有り難いお言葉ですわ、殿下」
シルヴァンも私の横で微笑みながら優雅に目礼する。心なしか、顔色が悪い。
「ではまた。ぜひ今日は楽しんでいってね」
「えぇ。失礼致します」
一礼して、人波に呑まれていく第一王子の背中を見送る私の横で、シルヴァンが小さく息を吐いた。
私は彼の腕を軽く叩いて、端のバルコニーの方へ歩いて行く。
周りから人がいなくなったところで、途中で受け取った水を渡した。
「大丈夫?」
「少し、酔ってしまったのかもしれないです」
水を口に含んだシルヴァンは、わずかに襟元を緩めると息を吐く。
「ごめんなさい、姉様」
「いいのよ。私も休憩したかったし」
自分の見える範囲で、ドレスによれがないかを確認し、遠目から誰が誰と話しているかを眺める。
今日の招待客は、やはり第一王子派が多いが、一部の中立派の貴族も見受けられる。
爵位は全体的に高めで、伯爵以上か、それより低い場合も重要な役職に就いているか有力貴族の親戚ばかりだ。
一番この場にいることに驚いたのは、やはりアルハイトス公爵。
そもそも王族から距離を取っているような態度を示している彼が、いくら第一王子主催とはいえ、このような場に出ていることは意外だ。それほどまでに、第一王子が有力候補、ということなのだろう。
「姉様、アルハイトス公爵には挨拶しないといけませんよね」
「……そうね」
家格の関係から考えて、公爵は無視するわけにはいかないが、あの人混みに再び入って行くのは少し億劫だ。
アルハイトス公爵の弟であるファネクス殿とはあまりよろしい関係ではないが、公爵自身はここでわざわざ私に何かしら仕掛けてくるほど好戦的な方ではない。物腰の落ち着いた方だ。
「先ほどの会話なのですが」
シルヴァンが切り出す。
「いつ、この夜会がハイトリエ女王に関係があるものだとお気付きに?」
「演奏されている曲を聴いた時よ。近年は管楽器曲が好まれる傾向にあるから、管弦曲は珍しいと思ったの」
流行に目敏い第一王子が、わざわざそうしたのには絶対に理由があるのだろうと思えば、後はもう簡単だった。
「シャンデリアは後から気付いたわ。少しわかりにくいけれど、一つ一つのアーチに紋様が描かれているでしょう?」
私の言葉に、シルヴァンは目を凝らしながら笑いを漏らした。
「よく気付きましたね」
「昔から目はいいのよ。近付いたらよく分かると思う。ああいう風に細かい細工をするようになったのは、魔法による加工技術の高さを国外に示すためだと言われているわ」
「あぁ、確かにあの材質だと手作業では彫るのにかなり時間と労力が必要そうですね」
そうなの、と返事をした時だった。
傍らに若い女性を引き連れた三十代半ばほどの男性が、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべならが近付いてくるのに気付き、シルヴァンが私を庇うように一歩前に出る。
恭しく一礼してみせた彼は、わざとしらく大きな声で挨拶をした。
「初めまして、アマリリス・クリスト嬢。セゼーク伯爵家当主、フォルマール・セゼーク伯爵と申します」
「初めまして、フォルマール・セゼーク伯爵」
明らかにこちらを見下している声色に、心の中で溜め息をつく。
セゼーク伯爵は、名前だけ聞いたことがある。代々騎士を輩出している一族で、領地は持たない法服貴族。生まれも育ちも王都揃いで、仕事柄王族や他の重鎮との繋がりもあるため、かなりプライドの高い方々ばかりらしい。
フォルマール・セゼーク伯爵も、おそらく騎士団の一員なのだろう。煌びやかな背広の上からでも、鍛えていることがわかる。
「いやぁそれにしても、王族の方々とあそこまで親しいとは、羨ましい限りでございますなあ」
「えぇ」
面倒だなと、とりあえず愛想笑いを浮かべながら相槌を打つ。
私たちが一歩も動かないのに対し、セゼーク伯爵は大袈裟に身振り手振りをしながら近付いてきた。
「兄は第一王子殿下の親しいご友人で、クリスト嬢自身も第三王子殿下の婚約者とは! あぁ、元、でございますか」
こちらの逆上を期待するような嫌な視線を受け止めて、冷たい空気を出しているシルヴァンの手をあちら側から見えないように軽く叩く。
どうやらお酒が入って興奮しているようで、セゼーク伯爵は私たちの冷ややかな反応を一切気に介さず━━━というか恐らく自分にとって都合の良いように解釈し、早口に捲し立てた。
「まぁ当然の結果と言えば当然の結果でしょうな! 大分前から、嫉妬深いあなた様が第三王子殿下が気にかけていらっしゃる女子生徒をいじめていることは、社交界で噂になっておりましたからな。王族の婚約者として、自分より身分の低い女性にあんなふうにきつく当たるのはいかようなものかと、随分と疑問視されておりましたよ」
「……そうですか」
「えぇそうですとも! あなた様よりも、万人に隔てなくお優しくいらっしゃって権威を振りかざさず、可憐で清楚なララティーナ様の方が王族の婚約者に相応しいと、社交界ではしきりに囁かれておりましたとも。きっと公爵閣下の威光がなければ、もっと早くに破棄されていたことでしょうな」
シルヴァンが靴を鳴らしながら一歩踏み出す。カツンと響いた音は、この騒ぎを嗅ぎつけていつの間にか集まってきた聴衆を黙らせることはできたが、目の前の男のことはむしろ勢い付けるだけだった。
「おやおや! まさか公爵家の小さな御令息に威嚇されるとは! ははは、随分と可愛いものですな。日頃私が対峙している魔獣と比べると、まるで小鳥の囀りのようだ」
そう言って傍らの女性と笑い合う。
身長こそ私より少し高いが、まだ幼さを残す中性的な顔立ちをした細身のシルヴァンは、確かに威圧感には欠ける。しかしそれでも、クリスト公爵家の直系だ。
そんな彼が怒りを露わにしているのに、意に介するどころか面白がるなんて、よほど怖いもの知らずなのだろう。
「……姉様」
シルヴァンが口を開く。
「グラスが空いてしまっています。新しいものを取りに行きましょう」
まだ成人しておらず、正式に夜会にデビューしていないシルヴァンは、マナーとして自分の親族か主催者以外とは言葉を交わすことができない。
本当は言い返したいのだろう。しかし眉間に力を入れたまま、低い声でシルヴァンはそう私に言った。
「これはこれは、まさか公爵家に連なる高貴かつ慈愛溢れるはずのお方が、目の前の騎士を無視してご自分の喉の渇きを優先なさると!?」
腕を広げながら、彼は大袈裟に反応をしてみせる。
「姉のみならず、弟までもこのように場の空気を乱しかねない言動をなさるとは……。魔法学校という我が国の顔とも言える場所のクリスト公爵のご教育が気になりますなあ」
「……無視しましょう、ルゥ」
私の言葉に、不服そうにしながらもシルヴァンは沈黙を貫いてくれる。
公爵を敵に回すような発言を平然とするセゼーク伯爵には、魔法学校を卒業したばかりの小娘である私が何を言っても正直無駄だろう。弟のシルヴァンであれば尚更。
「どちらに行かれるのですか、アマリリス・クリスト嬢!」
背を向けた私たちに、彼が大きな声を上げる。
取り合うだけ無駄だとそのまま歩みを進めようとした私の耳を、ある言葉が打った。
「誰にも愛されない哀れな人」
心臓を氷のように冷たい手でグッと握られたような心地がした。
女性の声だろうか。囁くような低められた声で言われたそれに、息が詰まって反射的に足が止まりそうになる。
しかし今止まって振り返ったらいよいよそれを認めてしまうようで、足の裏に力を入れながら歩みを進めた。
「……姉様?」
訝しげに私に声をかけるシルヴァンに、大丈夫と小さく返事をする。
どうやらあの言葉は弟には聞こえていなかったようで、そのことに胸を撫で下ろした。優しいこの子は、もし聞こえていたらきっと気に病んだだろうから。
無言で会場を歩いていく私たちに、たくさんの視線が向けられる。
興味、奇異、嘲り。
まるで観賞用の絵画にでもなったような気分だ。
さっき聞こえてきた言葉も相まって、気分が悪くなる。一歩進む度に何か取り返しのつかないようなことをしているようで今すぐ大声で言い訳をしたくなるが、冷静な私がそれはまずいと諭してくる。
早くここから去りたいと、いつかそれだけでしか頭を占めなくなった。
人の波をかき分けて出口に近付いてきた時、よく通る声が響く。
「クリスト嬢、どうかなさいましたか」
シャル公爵と、その隣にいるのはアルハイトス公爵だ。
私は二人に向き直り、軽く礼をした。
「ご機嫌よう、アルハイトス公爵。シャル公爵も先ほどぶりです」
「ご機嫌よう、クリスト嬢。随分と急いでいるように見受けたが」
なんと言おうかと考えながらひとまず挨拶をすると、シルヴァンが私の腕を軽く叩いた。彼は二人の公爵に礼をして、ちょうど口元が隠れた時に「僕を言い訳に」と小さく囁く。
有り難い申し出に、私は今一度気合を入れ直して口元に笑みを作りながら軽く眉毛を下げた。
「弟の気分が少々優れないのです。まだ未成年ですから、本日はこれでお暇させて頂こうかと」
「まだ十五歳だったか。確かに酒の匂いが強い。ゆっくり休息を取ると良いだろう」
この場の最年長者であるアルハイトス公爵の言葉に、シャル公爵も頷いた。
「仰る通り。クリスト嬢も弟君も、どうぞ無理はなさらず。周りには上手く私が言っておきましょう」
「お心遣い痛み入りますわ」
早く切り上げたい私たちの気持ちを汲んでくれたのか、シャル公爵がそう言ってくれる。
このお礼にお酒でも送ろうと思いながら、シルヴァンと今一度ゆっくりと礼をした。
「では本日はこちらで」
二人の公爵が頷いたのを合図に、出口へと向かう。
主催者側であろうシャル公爵から直接帰っていいと言って頂けたから、私たちを引き止めようとする人は誰もいなかった。
そのまま会場を出て馬車乗り場まで辿り着く。
本来ならお開きの時間までかなりあるから、まだ家の者もいないだろうから馬車を探さないといけないと思って辺りを見渡していると、聞き慣れた声がした。
「お嬢様」
「エミー!」
「……お帰りになられますか?」
彼女は私とシルヴァンを見ると、何も言わずにそう尋ねてくれた。
今はそれが嬉しいし有り難い。私が「帰りましょう」と言うと、エミーは穏やかに微笑みを浮かべながら、「かしこまりました」と一礼した。
コメント