【コミカライズ配信中!】 婚約破棄後の悪役令嬢~ショックで前世の記憶を思い出したのでハッピーエンド目指します!~

弓削鈴音

第8話:宴の始まり

 風呼びの宴。

 風を尊ぶウィンドール王国において、南からの暖かい風が吹き込んでくる三月頃に行われるこの宴は、大元の宴自体は王城で行われるものの、風の祭りといって国中で祝う日である。老若男女が、厳しい冬の終わりと新たな一年の訪れを喜ぶ一日だ。

 そして、国の重鎮にとっては、これから一年の政策についての交渉を行う場である。
 国の中枢を担う彼らが一堂に会する数少ない機会の内の一つのため、それぞれの領分を超えた国全体としての政策の合意は、多くの場合ここで行われる。
 前年に特別な活躍をしたものが選ばれるのも、実はここに関係してくる。参加者の中では"招待枠"と呼ばれている彼らは、多くの場合、国境での紛争に関わった領主や軍の指揮官、大規模な施策の責任者、あるいは優秀な研究成果を上げた学者など。そんな彼らの成したことは、大抵次年度の国の流れに関わってくるため、権利関連などの事情から本人を直接その場に呼ぶのだ。

 とはいっても、招待枠の面々はほぼ毎年重鎮の圧に押されて、彼らにとって良いように言葉を引き出され、緊張の中一日を終える。そこに渦巻く独特の空気は、国中から注目されるような功績を挙げた逸材であっても、耐え難いものなのだ。

 ……ものの、はずだった。

「まぁ、最近キークス辺境伯家と綿花の取り引きを始められたと伺っておりましたが、フルーム連邦と絹の交易も始められているとは。さすがの手腕ですわ」

「ははは。私の兄もあなたのお父上には敵いませんよ」

「あらご謙遜を。フルーム連邦の方々は商いの熟練者ばかり。そんな方々を満足させる品をご用意できるのは、さすがアルハイトス公爵としか言いようがありませんわ。魔法学校でも、ミランダ様の身に付けていらっしゃる布の美しさがとても話題でしたもの」

 若い令嬢の軽やかな声が、静かにざわめく会場の一角に響く。
 特段声を張り上げているわけではないのにも関わらず、彼女の声はよく通った。

「そうでしたか」

「えぇ。皆様こぞって布の入手先ばかりお尋ねになっていましたわ」

 ふふ、と柔らかく笑う令嬢の目は、しかし冷めたまま相手の一挙一動を捉えている。

「我らが王国内の市場で流通するのはいつになるのでしょう。ミランダ様を羨む多くのご夫人やご令嬢が、きっと待ち望んでいますわ」

 一度も自分自身のことは語らず、まるでミランダにも彼女が自慢する布にも興味はないとでも言いたげな令嬢に、彼らの会話を盗み聞きしていた面々は、ある者は苦笑し、ある者はよく言ったと賞賛の視線を送っていた。

「まだ試験段階だと聞き及んでいるので、本格的にはまだ遠いでしょうな」

「残念ですわ。ですがきっと、アルハイトス公爵ほどのお方であればすぐにでも交易のルートが開通するのでしょうね」

「ははは、そうですね」

「えぇ。では、ミランダ様にもよろしくお伝えくださいね」

 軽く首を傾けてふわりと微笑んだ令嬢から、まるで逃げるように男は離れていく。



 その様子を、二人の男が話しながら見ていた。

「吹っ切れたか、アマリリス」

「そうだな。今のあの子にはもう立てるべき婚約者はいない。……元々あの子の胆力には目を見張るものがあった。知識もあり経験もあるあの子が、ファネクス程度に口で負かされるはずがないさ」

「他愛もない会話で自らの優位性を示す。貴族に最も必要とされる能力かもしれないそれを、まだ十八歳だというのに持っているのが恐ろしいな」

「自慢の娘だよ」

 そう言って笑うウェッズルに、彼の従兄弟であり王国法院長官であるディルク・ラーストは溜め息をついた。

「つくづくあなたの教育が気になる。ヴィンセントはヴィンセントで、ファネクス殿の影響下にある魔法師団で出世しているし」

「ヴィンセントは人当たりもいいし魔法師としての能力もある。正当な評価を得ているだけだよ」

「確かにあの子の社交性は素晴らしいものだ。……社交性という単語で片付けられるかは疑問が残るが。王族との食事の翌日に下町の食堂に赴くのは、王国中探してもあの子くらいだろう」

「確かにな。民の生活を知れ、と言ったのは私だが、正直あそこまでとは予想していなかったよ。アマリリスも同様だ。……あの牙を隠させていたのが、少し惜しい」

「あの子に牙は必要ないだろう。しばらく社交界から遠ざけるべきではないか」

「ディルクの言う通りかもしれないな。でもそれ以上に、私はあの子を縛りたくないんだ。……あの子は、ただの令嬢で終わらないよ」

 そうか、と小さく呟いたディルクが再び口を開こうとした瞬間、高らかなラッパの音がホールに響き渡った。








 全くどうしてこんなことになったのか、と給仕から飲み物を受け取りながら考える。

 ウィンドール王国において、大規模なパーティーなどでは主催者は少し遅れてやってくるのがマナーだ。それは風呼びの宴でも例外ではなく、王族の方々がいらっしゃる前に少し歓談を楽しむ時間があった。

 せっかくの機会だから、親戚以外とも話してみようかと思って一人でいたのが間違いだったのかもしれない。
 事前情報と擦り合わせながら誰に話しかけるか考えていた時、現魔法大臣であるファネクス・アルハイトス様に声をかけられたのだった。

 父上と同い年で、同じ五大公爵家の子息だから何かと比較されることが多かったらしく、ファネクス様は父上や私たちクリスト家に敵意を持っているそうだ。
 敵意とはいっても、嫌味を言ってきたり簡単な嫌がらせをしたりという可愛らしいことばかりだけれど、今日は少し異なっていた。

 卒業パーティーでの一件について何か言うとしたら、王族方が来る前しかない。
 だからだろう。ホールに入ってそう経たない内に、ファネクス様から私に話しかけてきた。
 その双眸に宿る、こちらを値踏みして嘲るような仄暗い光に、思わず逃げたくなってしまったが、完全に私を獲物として捉えているその態度に、思わずムッとしてしまった。

 ファネクス様自身のお子様は私とは違う学年だったけれど、彼にとって姪のアルハイトス公爵の娘、ミランダ様は私と同じ学年だ。
 魔法学校の卒業パーティーの話を出されるのであれば、自分の嫌なところに触れられる前に私から話題を振ればいい。下手にあしらえないような話題であれば尚更。

 ミランダ様のことを思い浮かべた時、一番最初に出てきたのが布だった。
 彼女がフルーム連邦から手に入れた布を自慢しているというのは、かなり有名だった。特別な種類の蚕から出来た絹らしく、遠目からでしか見たことがないが、確かに光沢が素晴らしいものだったと思う。
 が、正直きちんとした交易が確立されていない状態で入手先をベラベラ話していたのは頂けない。内緒にしておいて期待値を高めてから、高額で輸送費などを込みにして売った方が良かったと思う。もちろんそんなことを言うわけにもいかないが。

 卒業パーティーでの話をしようとするファネクス様に対し、ミランダ様の話を無理矢理引っ張った。近くに私の身内が多かったこともあって、引き下がってくれて良かった。

「……ふぅ」

 クランベリーか何かだろうか。甘さの中に爽やかな酸っぱさもあるジュースを口に含みながら辺りをゆっくりと見渡す。
 やはりというべきか、私より一回りも二回りも年上の方が多い。私と同年代なのは、兄上ともう一人、見覚えのない銀髪の青年だけだ。

 さっきまでずっと喋っていたし、少しゆっくりしようかと思っていたら、ラッパ手が扉の前まで歩いてくるのが目に入った。
 ということは、と身構えると、高らかに金管が鳴らされゆっくりとドアが開いていく。

「ハーマイル国王陛下、ドローレス王妹殿下、並びにレシア第一王妃殿下、イリスティア第二王妃殿下、ユークライ第一王子殿下、ラインハルト第二王子殿下、ティアーラ第二王女殿下のご登場でございます!」

 会場中の人々が礼をし、その間を王族の方々が歩みを進めた。
 楽器隊の演奏も止まり完全な静寂が降りる中、ホールのステージに陛下達が上がる。

 扉が再び閉められる音がし、それに合わせて顔を上げると、陛下の朗々とした声が響いた。

「新たな風の訪れを、こうして平和に祝えることを非常に嬉しく思う。前年は多難だったが、それを乗り越えることができたのはひとえに我らが先祖の加護と、今を生きる民の強さによるものだ。誇らしく思う。最後に、我がウィンドール王国の更なる繁栄を祈り、挨拶とする」

 ハーマイル陛下は、歴代の王に比べて端的にお言葉を述べられることが多い。
 派手さよりも洗練された美を好むとのことらしいが、確かにこういった場でのお姿や政策からも実利を重んじる方なのだろうなと思う。
 クリスト家の考えとも割と似ているから、父上も仕事がやりやすそうだ。

「そして、この場を借りて我が息子、第二王子ラインハルト・ウィンドールの回復を報告する」

 陛下のお言葉に合わせて、第二王子が一歩踏み出す。それに合わせて、会場が軽くざわめいた。

 表舞台から姿を消していた黒髪の第二王子。

 病の療養中だったということだが、そんな言葉を額面通り受け取れるほど貴族社会は単純ではない。高名な医者が召された、などという情報も一切なかったため、不治の病でないのであれば、病というのは方便だろうというのが通説だった。
 十八歳での成人に合わせて復帰するのではないかと言われていたが、結局それもなく、ひょっとしたら王太子選定が終わるまで出てこないかもしれないとまで囁かれていた。

 そんな彼の前触れのない登場に、国の重鎮である面々も驚きを隠せていないようだ。
 私も、あの時一度お会いしていなければ、きっと動揺していただろう。

「……」

 無言のまま会場全体を見渡した第二王子は、陛下の方に軽く一礼して口を開いた。

「こうして私の回復を自分の口でお伝えでき、大変喜ばしく思います。……今日の宴が、皆さんにとって良いものとなることを祈っています」

 短くそう告げた第二王子は一歩下がり、王族の方々に並ぶ。

「では、これより風の宴の開催を宣言する」

 陛下の宣言が終わり、楽器隊が演奏を再開する。軽やかな管楽器の音に合わせて、人々が動き始めた。
 風の動きを音に捉える管楽器は、ウィンドール王国で重んじられている。柔らかくも温かい、聴き慣れた音だ。


 さてどうしよう。
 さすがに疲れたから、次は親戚と話したい。叔父上……は少し怖いから、父上か兄上がいい。

 そう思って二人を探すが、もう既に父上は叔父上と話し込んでいるし、兄上は色々な人の間を渡り歩いている。
 壁の花か、と小さく溜め息をついた。いくつかの視線を感じるけれど、私に話しかけたいという意思表示というよりは、ただの興味や好奇心が込められたもの。現に、私の方へ歩み寄ってくる人はいない。

 であれば、とグラスを片手に端の方へ移動する。
 せっかくの機会だ。我が国の中枢を担う方々の関係性くらい軽く見ておきたい。

 さざめきが波のように打ち寄せてくる。
 話し声を耳で拾いながら、誰が誰とどれくらいの時間、どのような表情で話しているかを目に映す。その情報を、元々知っていたものと結び付けながら整理していく。

 幼い頃は過去の歴史上の人物で、第三王子との婚約が決まってからは国内外の重要人物で、この作業をやってきた。
 様々な要素が絡まっているのを、その人の背景などを知ることで解くのが途中から楽しくなってきて、いつからか父上や母上に社交界の様子を聞いては自分の中で消化するのを日課にするようになっていた。

 今まで自分の頭の中だけで組み合わせていた欠片が、実際の会話を聴くことで実感をもってより正確な絵を描いていく。

 新たな交易路、各省の人事、地域ごとの税収の変化、国軍の配置換え、公道の整備。

 こんな重要な話を私が聞いていいものかと、軽く背筋が震える。
 いくら王族と婚約していたとはいえ、少し前まで私は学生の身に過ぎなかった。私の耳に入ってくるのは、もう既に確定され公表が認められた情報のみ。

 それが今、こうして生の情報を自分で収集できているのが、すごく面白い。
 あの話はどうなのか、とどんどん興味が湧いてくる。自分で話しかけてみたくてうずうずしてきてしまう。

 自分の子供っぽい一面に思わず笑ってしまいそうになるのを堪えて、グラスに軽く口をつけた時、後ろから声をかけられる。

「……アマリリス」

 聞き慣れた声に振り返ると、普段とは違いきっちりと襟を詰めたシャツを着てジャケットまで羽織っている兄上の姿が目に入った。

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