【コミカライズ配信中!】 婚約破棄後の悪役令嬢~ショックで前世の記憶を思い出したのでハッピーエンド目指します!~

弓削鈴音

第5話:涙

「着いたな」

 馬車がゆっくりと徐行し始め、やがて止まる。

 執事に外から声をかけられ、馬車の扉が開かれた。
 太陽の光に思わず目を細める。朝から卒業式が行われ、昼食を兼ねた立食式の卒業パーティーを途中で抜けてきたから、まだ日は高い。

 先に降りた兄上の手を借りて馬車から降りた瞬間、グッと誰かに引き寄せられて肩に顔を埋められた。
 少し癖のある柔らかな色素の薄い金髪に、強張った体から力が抜けていく。

「ただいま、レオ」

「ねえ、さん、お、れ、俺!」

「心配かけたわね。大丈夫よ」

「周りの奴らが、姉さんを、馬鹿に、してて、俺、殴ろうと、思ったけど、我慢、して…!」

「私のために怒ってくれてありがとう。でも私は本当に大丈夫だから」

「本当…?」

 そう言いながら、弟のレオ……レオナールが顔を上げた。
 胡桃色の目に涙を溜めた彼は、私を見るとクシャッとその顔を歪める。

「姉さん、姉さんは、王子に相応しくなくなんかない!本当に、素敵な、人だから」

「ありがとう。レオがそう言ってくれるだけで嬉しいわ」

 ぎゅっと抱き締め返して、すっかり背を抜かされてしまった彼の背中から奥を見ると、もう一人の弟がすぐそこにいた。

「お帰りなさい、姉様」

「ただいま、ルゥ。迎えに来てくれてありがとう」

「……レオ兄様から聞きました。第三王子に、髪を切れと言われたと」

「レオ、みんなに伝えたの?」

 魔法学校の在学生としてあの卒業パーティーにも参加していた彼は、鼻を鳴らしながら頷いた。

「姉さんが会場出て行った後、急いで家に帰って話したよ」

「そしたら、父上や母上にも…?」

「話したよ」

 ゆっくり私を離したレオナールは、振り返ってシルヴァンを手招きする。
 こちらに歩いてくるシルヴァンは、見たことのない辛そうな顔をしていた。

「……姉様が、どれだけ頑張っていたか、あの王子は知らないんです…!」

 そう言って、シルヴァンもまた私のことを抱き締めてくれる。
 少し前までは私よりも低かったのに、いつの間にか彼にも身長を抜かされていた。それでも、私のために怒ってくれるこの子は可愛い弟で、さらさらした亜麻色の髪を撫でると、なぜか丁寧に突き放されて憮然とした表情を向けられてしまう。

「なんで、姉様が僕を慰めるんですか…!」

「なぜって……私よりも、ルゥの方が辛そうだから」

「姉様、あなた……」

 呆然とした様子のシルヴァンの肩を兄上がポンと叩いた。

「アマリリスを休ませたい。侍女に連絡は?」

「してあるよ、兄さん!念のために風呂の用意もさせてある!」

「そうか。アマリリス、風呂に入れるか?」

 入れるか、とは体力的な意味だろうか。
 第二王子殿下の治癒魔法のお陰で、体調はすごぶるいい。卒業式へ向けて連日準備を重ねていた昨日までよりも、ひょっとしたら良いかもしれない。

 まだ時間にも余裕があるし、ゆっくり湯船を楽しむくらいの時間はあるはずだ。嫌な汗をかいたみたいだし、さっぱり洗い流してしまいたい。

「お願いしたいわ」

「わかった。俺は先に行くから、レオとルゥでリリィを連れてこい。リリィ、転ぶなよ」

「当たり前よ」

 兄上とニカっと笑うと、足早に屋敷の中へと消えていく。

 ふぅ、と息を吐くと、私の右腕をレオナールが、左腕をシルヴァンが掴んだ。

「色々あったけど、とりあえず卒業おめでとう、姉さん!」

「おめでとうございます、姉様。朝はお会いできず、ごめんなさい。今日も素敵です」

「ありがとう。……本当に、ありがとうね」

 どうしてか二度繰り返してしまい、自分でも首を傾げる。
 しかし、私の要素を伺い見るようにチラチラ視線を投げかけてくる弟たちを見ていると、弱っているところなんて見せれないと、自然と背筋に力が入った。



「ではお嬢様、準備が出来次第お呼び致します」

 えぇ、と返したつもりだったが、なぜか不意に喉が詰まる。

 パタン、と扉が閉まった音がして、私は体をソファに預けた。
 髪だけ解いてもらって緩く一つに纏め直し、ドレスのコルセットを緩めてもらったが、これから浴場へ向かうし二度手間だから着替えてはいない。ギャザーで膨らんだスカートが、足にまとわりつくように重い。

 公爵令嬢としては平均的な、日本からすると大きすぎる部屋には、天蓋付きのベッドとソファセット、勉強用の机と大きな本棚が二つ。自分であまり立ち入ることのないウォークインクローゼットには、いくつものドレスが仕舞ってある。
 魔法学校に通うために王都に住むことになった私のために、調度品や家具を揃えてもらった部屋だ。元々、このタウンハウスの中で私の部屋だと決まっていたが、四年前に自分で、壁紙から照明具まで全部選ばせてもらった。

「……なつか、しいな」

 入学する前は、毎日サーストン様に会えることがひたすらに楽しみだった。
 一緒に食事を摂るのかしら、とか、放課後に勉強会をするのかしら、とか、パーティーにはエスコートしてもらえるのかしら、とか。

 当時は、嫌われてはいなかったと思う。
 好かれていたと自惚れるつもりこそないけれど、害がない婚約者程度には思われていたはずだ。一年生の頃は、週に一度は昼食に誘われたし、試験前に何回かは共に勉強をした。大きな行事でエスコートが必要な際には、しっかり手順を踏んで誘って下さった。

 二年生は、会う頻度が減った。クラスが違うことや授業が難しくなったことで、なかなか時間が取れないのだろうと思った。……「私」の記憶だと、違かったけれど。

 どうやらあの頃には、サーストン様にとっての私は邪魔者だったらしい。
 座学も実技も人付き合いも人並み以上にできた私と、サーストン様は比べられていた。
 比べるのは、悪意のある者ばかりだ。本来、私とサーストン様を比較する必要性なんて一切ない。王子の婚約者である私は、あくまであの方を支えるだけだ。だから、私の方が優れていても関係ない。私の能力は、全てあの方のものなのだから。

 しかし悪意を持った人々は、サーストン様の劣等感を刺激した。
 また婚約者に敗れたのかと言われる度、サーストン様は心を擦り減らした。私だけではない。第一王子殿下が何か活躍をする度にも、たくさんの人がサーストン様にあらぬ言葉を吹き込んだ。


 いつしか、私の存在そのものがサーストン様を追い詰めるものになっていた。私にその自覚はなく、ただあの方の隣に立つのに相応しい自分であろうと精進していた。それが、どんな意味を持つかなんて、想像もつかなかった。

 そんなサーストン様と出会ったのが、ララティーナだ。
 三年生になり、サーストン様は書記として生徒会に入られることになった。私は会計として、そしてララティーナは庶務として。

 全てご都合展開。

 会計の職務で頻繁に私が生徒会室を空ける中、徐々に親密になっていく二人。
 光属性という希少な魔力に向けられる視線に押し潰されそうになっていたララティーナは、サーストン様に共感し寄り添った。サーストン様もまた、ララティーナには弱みを見せた。
 いつしか、二人はお互いを本当に想い合うようになった。

 私という婚約者から逃げるように、サーストン様はララティーナとの逢瀬を重ねた。いつしか私という存在は、サーストン様にとっての障害としか成り得なくなってしまった。

 そして、サーストン様は。

「……あれ、どう、して」

 涙が、溢れてくる。

 視界が歪み、膝にぽたぽたと涙の粒が落ちていく。拭っても拭っても、止まってくれない。
 喉が引き攣り、しゃくり声を上げる。

「な、んで」

 サーストン様に婚約破棄を言い渡された時も、その後に思い出の品で髪を切るように言われた時も、憎きものを見るような目で睨まれた時も、泣かなかったのに。

 だから大丈夫だと、思っていたのに。

 震える手で顔を覆う。
 心は空っぽだ。私の心の全てを占めていたサーストン様に拒絶されたのだから、もう何も残っていない。何もない心では、辛くなることなんてないと思ったのに。

「……サース、トン、様」

 何度その名を呼んだだろうか。
 婚約を結んでから、ずっとあの方に認められることだけが目標だった。なぜなら……

 ふらつく頭を上げると、ふと壁に立てかけられた姿見鏡の中に自分の顔が映る。
 虚ろな目でこちらを見返す瞳の色は、黒。

「ぁ……」

 我が国において、"黒持ち"は忌避される。
 災いをもたらす忌み子だと、直接言われたこともあった。何か具体的な事例があるわけでも、根拠があるわけでもない。
 しかし、黒持ちが生まれると災いが訪れると信じる人は少なくなかった。

 公爵家に生まれたから、ということもあったのだろう。
 非の打ちどころのない両親や兄と違い、私は"黒"という汚点が生まれつきついて回った。だから、私が攻撃の的となった。

 私の瞳が、黒でなければ。黒でさえなければよかったのに、と自分を恨んだ。

 けれどサーストン様は、決して私を色で差別しようとはしなかった。
 一度として私の瞳の色を悪く言わなかったし、私のことを忌み子だと言って笑う周囲に対し、その鋭い視線を向けて下さったこともあった。

 あぁでもそれも、魔法学校に入る前までのことか。

「サーストン、様」

 清く、強く、平等を重んじるあの方に私は惹かれた。
 本当に尊敬して、敬愛して、欽慕して、嘆美して、恭敬していた。あの方が私の判断基準で、動機で、憧れだった。

 サーストン様を想えば、どんな勉強も苦痛ではなく、むしろ貪欲に知識を求めた。あの方の隣に立つために必要とされる淑女としての資質を身につけるために、厳しい指導にも耐えて常に気を抜かずにいた。
 婚約してからの六年間は、全部あの方のために捧げた。

 それが、全部、芥のように意味のないものになってしまった。

「っ、あっ……」

 空っぽだ。
 大切なものがすっかり抜け落ちて、ただ虚しさだけが残る。

 暖かい思い出を呼び起こす度に、サーストン様の忘れていたという冷たい声が響いた。
 私にとっての愛おしい記憶が、全て温度を失っていく。色彩を失い、白黒になっていく。

 なんで、という問いかけに、「私」が私の過去の行動が悪かったのだと答えてくる。
 でも、という言い訳に、「私」が誤魔化すなと言ってくる。

「ど、して、なん、で……」

 前世の記憶なんて思い出してしまったのか。
 「私」としての記憶のせいで、甘い幻想に縋ることさえ許されない。自分の今までの努力が全て意味のなかったものだと突きつけられて、ひたすらに涙が止まらなかった。

「わ、た…し……は、私、はっ…」

 ただ、サーストン様に認められれば、それで良かったのに。

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