【コミカライズ配信中!】 婚約破棄後の悪役令嬢~ショックで前世の記憶を思い出したのでハッピーエンド目指します!~
91話:揺れ
パカラ、パカラと、馬の蹄の音が響く。
森の木々の間に吸い込まれていくその規則的な音に、段々と瞼が重くなっていきそうなのを、強く瞬きをすることで堪える。
しかし、後ろから自分を包む暖かさに、ついつい目を閉じそうになってしまう。
「……セルカ?」
体を預けたからか、上から優しい声が降ってくる。
その声に、お腹と背中に力を入れて、しっかり息を吸う。
「大丈夫です。ちょっと、疲れが出てしまって」
「無理はしないでね。何かあっても、俺が守るから」
「……ありがとう、ございます」
「うん」
一瞬、この国で最も王に近い彼にそんなことを言わせてしまっていることに、頭が遠慮をするように訴えかけてくる。
しかし、じわじわと自分に襲いかかってくる疲労感と、それを溶かしていく彼の体温に、甘えが出てきてしまった。
喉に詰まっているものを押し出すように息を吐く。
前方から当たってくる風は、馬が出しているスピードに比べると、だいぶ弱い。
「……風の、精霊王」
自分の口の中だけで、その名前を口にする。
「どうかした?」
「いえ、なんでもないです」
ユークライ殿下にそう誤魔化しながら、眠らないように気を紛らわすための思考が進んでいく。
ウィンドール王家が、王家たる由縁の一つ。それが、風の精霊王の加護だ。
全ての精霊の頂点に座す、八柱の王。各属性を司る精霊王は、基本的に人間に干渉することはないと言われている。
そんな精霊たちの王の一柱である風の精霊王が愛し子にしたのが、初代国王らしい。
そして、強大な力を持つ精霊王の寵愛は、一代で途絶えることはなく、今も脈々とその加護が受け継がれている。
ユークライ殿下を含む王家の面々は、例えば馬に乗っている際に向かい風が弱くなったり、逆に船に乗れば追い風が吹いたりと、今も風に愛されているらしい。文献では知っていたが、実際に体験すると、改めて加護の強大さを感じる。
この世界において、精霊という存在はとても大きいものだ。
前世で言うところの神に近しい部分はあるだろうけれど、それ以上に身近で、だからこそ常に意識の片隅にある。
この世界に生きる人々は、程度の差こそあれど、みんな精霊に対して畏敬の念を抱いているのだ。
ウィンドール王家の正統性の一端はそこにあるのだと、そう話してくれたのは陛下だ。
魔力が過剰に生成され、それによって自身の体が蝕まれていた陛下の治療をする際、問診の一環として加護の話を聞いていたのだが、気付いたらそんな話をしてくれていた。
精霊王の加護を受け継ぐ一族だから、小国ながらも他国からも軽んじられることはなく、国内においても支持を得ることができる。
しかし、それ以外の点においても一目置かれ、かつ信頼できる王家である必要があるのだと、だから弱みを見せられないのだと、私に秘密裏に治療を頼んだ陛下は話していた。
王はとても孤独なのだと、そう思ったのを今でも強く覚えている。
「……」
少しだけ、背中をユークライ殿下に預ける。
ほんのわずかな変化だったのに、それに気付いたらしい彼は小さくクスリと笑った。
とても優しい人だと、そう思う。
国のためを思って、そして人のためを思って、常に行動している。
王子として育てられたからというのもあるだろうけれど、きっと彼が優しいから、誰かのために動けるのだろう。
「殿下、そろそろ馬が限界かもしれません」
「わかった。確か、もう少し行ったところに開けたところがあったはずだ。そこで一瞬休憩を挟もうか」
「承知いたしました」
ユークライ殿下とヘンリックさんの会話を聞きながら、瞼が重くなっていくのを感じる。
そろそろ休憩と言われたところで眠くなるなんて、どうにも難儀だなと思いながら、ここ最近ずっと自分の中で反芻していた結論に、再び思考が落ち着いた。
こんな優しくてたくさんのものを背負っている人に、私はこれ以上寄りかかるべきではない、と。
「……こちらで検問を致します!」
叡智の森を抜け、途中で引き返してきたイレーヴさんと合流できた頃には、もう既に日は暮れていた。
夜でも王都の城壁は灯りで照らされていて、数日ぶりに見る人工的な建築物に、自分は本当に帰ってくれたのだと、改めてそうホッとする。
「ヘンリック、あまり俺の顔を見られたくないから、うまく対応してもらえる?」
「承知いたしました。少々お待ちください」
確かに、王子がわずかな供だけを連れて夜にどこかから帰ってくるなんて、どんな憶測を呼ぶかわからない。
ヘンリックさんは守衛に話しかけると、何度か会話のやり取りが終わった後に、すぐに通してもらえることになった。
大きな幌馬車に続いて、門をくぐる。
フードを深く被ったユークライ殿下は、私を一緒に乗せて馬に跨ったまま検問を越えると、深く息を吐いた。
「やっと帰って来れたね」
「そうですね。やっとです」
「うん。……君と一緒に帰って来れたのが、本当に嬉しい。あともう一踏ん張りだね」
そうですね、と頷いた瞬間、「あ!!」と近くで大きな声が上がる。
どこか聞いたことのあるその声に、四人全員でその方向を見ると、そこには茶髪に琥珀色の瞳をした少年が立っていた。
「アレックス、なんでここに…?」
目を丸くしたユークライ殿下がそう問いかけると、彼は周りを確認してから私達の方に駆け寄ってくる。
「すごいんですよ、アマリリス様が予知の練習で皆さんが帰ってくる時間を予測して!」
「アマリリスが?予知って、占星術を扱えるようになってるってこと?」
「そうなんですよ!!とにかく、馬車用意してるんでこちらに。馬も、一旦この近くの厩舎に預けれることになっていますので」
どこか興奮気味のアレックスの様子に、私も同じようによくわからないまま興奮が移ってくる。
アマリリスの占星術の才能は、自分の目で見たこともあり、確かなものだとはわかっていた。
それでもまさか、人の動きを読めるまでだなんて思っていなかった。
私自身の専門は魔力の流れ、特に人の内部での魔力の流れだけれど、魔法全般に関しては一般の人よりも圧倒的な知識があると自負している。
だからこそ、占星術を扱えるということ、しかも人間の行動に対して予測ができるということがどれだけ高度かよくわかるのだ。
あまりの衝撃と興奮に眠気が吹き飛ぶのを感じながら、アレックスに連れられて道端に停められていた馬車に乗り込む。
護衛のヘンリックさんがアレックスと並んで御者席に座り、私はユークライ殿下に連れられて車内に腰を下ろした。
外見こそ普通の馬車だったが、おそらく王族の偽装用のものなのだろう。
中のクッションはふかふかで、ゆったりとした作りになっている。
「ふぅ……落ち着くね」
横に座っているユークライ殿下が、そう言って優しく微笑む。
そこで初めて彼が真隣に座っていることに気付くが、もう既に馬車は走り出してしまっていて、移動することもできない。
正面に座っているイレーヴさんの視線を少しむず痒く感じながら、ユークライ殿下に返事をする。
「椅子に座れると安心しますよね……それより、あの、アマリリスなんですけど」
「あぁ、俺もあまり詳しくは知らないけど、ポルトレトの次期当主が指導をしてくれているらしいよ」
「なるほど……」
知識が十分な相手に教えてもらうのであれば、こんな短期間での成長も、なんとなく納得することはできる。
ただそれでも、こんな高度な占星術を扱えるようになったということは、きっとアマリリス自身がたくさん頑張ったということだろう。
「彼女には、ララティーナ・ゼンリルの居場所を特定するための占いをしてもらうことになっている。予知の練習ということは、かなり準備が進んでいるのかもしれないね」
「アマリリスが、ララティーナ・ゼンリルの……」
「そういえば、彼女が精霊の愛し子だというのは、どうやってわかったんだ?」
「あぁ、それは……」
どうやって言ったものかと視線を彷徨わせていると、正面に座っているイレーヴさんと目が合う。
護衛としてこちらに不用意に視線を送らないようにしていてくれていた彼が私の方を見ているということは、それくらい気になっているということ。
そりゃあ気になるよなと思いながら、私は元々考えていた言い訳を口にする。
「『私は選ばれた者』って言ってたんです。それで話に乗ってみたら、色情の精霊の愛し子だって」
「なるほどな。……しかし、今まで国に申告をしていなかったのはなんでなんだろう。精霊の愛し子であれば、魔法師団にも騎士団にも入れるし、爵位も手に入れられる。生活も名声も身分も確実に保障されるし、望めば世間から離れて暮らすことだってできる。隠すことによる利益よりも、公開する方が国益にも本人の利益にも適うのに」
普通であればそう考えるのか、と自分の中だけで驚きを押し込める。
確かに、よほどの事情がなければ、精霊の愛し子であることを隠す意味はない。ユークライ殿下の言う通り、望んだことはほとんどなんでもできるし、何より生活が保障されるのだ。
ララティーナ・ゼンリルのような貴族令嬢ならまだしも、私のような孤児が隠していると知ったら、きっと驚くどころではないのだろう。
私が周囲に話していないのは、その必要がないと思ったからだ。ありがたいことに仕事もあったし、愛し子だとバレて平穏な暮らしが乱されて、誰かに利用されて、自分のやりたいことができなくなる方が嫌だった。
では彼女はどうだったのだろう。貴族社会において、魔法の才能は大きな武器になる。愛し子ともなれば、実質無敵だ。
もし彼女本人が隠そうとしても、家に箔をつけるために彼女の両親が言いふらしてもおかしくないと思ったところで、一つの可能性に思い至る。
「……寵愛を受けたのがいつなのかっていうのが大きい気がしますけどね」
「あぁ、そっか。必ずしも、生まれた時から愛し子とも限らないのか」
「はい。たとえばブレデル伯爵家が取り潰された後だったら、逆転の切り札として隠そうとした可能性とかも」
「確かに……それは十分に考えられるね」
ユークライ殿下が手を口元にやり、考え込むように視線を落とす。
私も考えようと思いながら、彼の顔をつい見つめてしまう。
ハーマイル陛下ともイリスティア王妃とも似ているというか、あの美形な二人の良いとこどりのような顔立ちをしていて、本当にずるいなと思う。
二人とは陛下の治療のために度々近距離でお会いしたことがあるから、この顔は見慣れているはずなのに、どうにもドキドキしてしまう。
ただこの気持ちも押し込めなくてはいけないと、そう改めて自分に言い聞かせる。
鑑賞するくらいなら許されるけれど、それ以上は絶対に踏み込めない。
そもそも叶うことがないなら、希望を持たない方がいい。
最初から諦めていた方が、後々楽なのだから。
「……諦めていないんだろうね」
そんなことを考えていた時だったから、唐突にユークライ殿下が口にした言葉にドキッとする。
「諦めて、ない?」
「あぁ。きっと彼らの狙いは俺達王家への復讐……そして、自分達の栄光を取り戻すことなんだろう」
「でも、復讐なんかしたら、国の中での立場が余計悪くなるだけじゃないですか?」
「そこで正統性を得るための、愛し子という切り札なんだろう」
ふぅ、とユークライ殿下が深く息を吐いた。
「懸念事項が山積みだね。これが喫緊の課題であることには変わりないけれど、他にもやるべきことはいくらでもあるし」
「あぁ、なんか色々やってらっしゃいますもんね」
反射的に相槌を打ってから、なんだか他人事みたいな言い方をしてしまったのではないかと不安が頭を出す。
そもそも私は気が利いたことを言えるタイプではないし、正直ユークライ殿下がどんな仕事や事業をやっているかはよくわかっていない。だからつい出てきた言葉が、私が関心を持っていないように受け取られてしまいそうで、言葉を重ねたくなる。
しかし、これ以上重ねても逆効果になる気がしてしまって、どうしたものかと悩んでいた時だった。
「……ぁ」
肩に重さと温かさを感じる。
横を見ることもできず、彷徨った視線が前に行くが、正面に座るイレーヴさんは窓の外を見ていた。
そんな風に気を遣ってもらっているのもなんだか居た堪れなくて、でもそれ以上に、肩をくすぐる髪だったり、伝わってくる呼吸だったりで、胸の奥から色々な感情が溢れてくる。
「色々やって、疲れてるんだ。少しだけ、甘えさせて?」
「……はっ、い」
裏返った声が、馬車の中に響く。こういう時に限って平坦な道で、馬車の車輪の音がほとんどないのが恨めしい。
何度か深呼吸をして、気持ちを落ち着ける。
少し温かさにも慣れてきて、視線だけを触れられている左の方に動かした。
思ったよりも近い彼の顔に、思わず体を動かしそうになるのを堪える。
自分でも言っていた通り、疲れているのだろう。目を閉じたまま、時折眉をぴくりと動かしているのを見ると、何かをしてあげたいと、そう思う。
「……」
右手を持ち上げて彼の頭に触ろうとして、しかし思いとどまる。
私だって、そこまで鈍くはない。わざわざ王都から離れたところまで迎えに来てくれて、こんな距離に入れてもらえて、その意味がわからないわけではない。
でも、その気持ちの保証は、どこにもない。
彼は王子で、私は孤児の平民。今の私達を繋いでいるのは、国家を揺るがすような重大な案件で、だから私が関わることができていて、もしこれが解決したとしたら、私が彼の隣にいる理由はなくなる。
失うとわかっていて進みたいと思えるほど、傷つく勇気はない。
カタカタと揺れる馬車に身を任せながら、私も目を閉じて、深く息を吐いた。
森の木々の間に吸い込まれていくその規則的な音に、段々と瞼が重くなっていきそうなのを、強く瞬きをすることで堪える。
しかし、後ろから自分を包む暖かさに、ついつい目を閉じそうになってしまう。
「……セルカ?」
体を預けたからか、上から優しい声が降ってくる。
その声に、お腹と背中に力を入れて、しっかり息を吸う。
「大丈夫です。ちょっと、疲れが出てしまって」
「無理はしないでね。何かあっても、俺が守るから」
「……ありがとう、ございます」
「うん」
一瞬、この国で最も王に近い彼にそんなことを言わせてしまっていることに、頭が遠慮をするように訴えかけてくる。
しかし、じわじわと自分に襲いかかってくる疲労感と、それを溶かしていく彼の体温に、甘えが出てきてしまった。
喉に詰まっているものを押し出すように息を吐く。
前方から当たってくる風は、馬が出しているスピードに比べると、だいぶ弱い。
「……風の、精霊王」
自分の口の中だけで、その名前を口にする。
「どうかした?」
「いえ、なんでもないです」
ユークライ殿下にそう誤魔化しながら、眠らないように気を紛らわすための思考が進んでいく。
ウィンドール王家が、王家たる由縁の一つ。それが、風の精霊王の加護だ。
全ての精霊の頂点に座す、八柱の王。各属性を司る精霊王は、基本的に人間に干渉することはないと言われている。
そんな精霊たちの王の一柱である風の精霊王が愛し子にしたのが、初代国王らしい。
そして、強大な力を持つ精霊王の寵愛は、一代で途絶えることはなく、今も脈々とその加護が受け継がれている。
ユークライ殿下を含む王家の面々は、例えば馬に乗っている際に向かい風が弱くなったり、逆に船に乗れば追い風が吹いたりと、今も風に愛されているらしい。文献では知っていたが、実際に体験すると、改めて加護の強大さを感じる。
この世界において、精霊という存在はとても大きいものだ。
前世で言うところの神に近しい部分はあるだろうけれど、それ以上に身近で、だからこそ常に意識の片隅にある。
この世界に生きる人々は、程度の差こそあれど、みんな精霊に対して畏敬の念を抱いているのだ。
ウィンドール王家の正統性の一端はそこにあるのだと、そう話してくれたのは陛下だ。
魔力が過剰に生成され、それによって自身の体が蝕まれていた陛下の治療をする際、問診の一環として加護の話を聞いていたのだが、気付いたらそんな話をしてくれていた。
精霊王の加護を受け継ぐ一族だから、小国ながらも他国からも軽んじられることはなく、国内においても支持を得ることができる。
しかし、それ以外の点においても一目置かれ、かつ信頼できる王家である必要があるのだと、だから弱みを見せられないのだと、私に秘密裏に治療を頼んだ陛下は話していた。
王はとても孤独なのだと、そう思ったのを今でも強く覚えている。
「……」
少しだけ、背中をユークライ殿下に預ける。
ほんのわずかな変化だったのに、それに気付いたらしい彼は小さくクスリと笑った。
とても優しい人だと、そう思う。
国のためを思って、そして人のためを思って、常に行動している。
王子として育てられたからというのもあるだろうけれど、きっと彼が優しいから、誰かのために動けるのだろう。
「殿下、そろそろ馬が限界かもしれません」
「わかった。確か、もう少し行ったところに開けたところがあったはずだ。そこで一瞬休憩を挟もうか」
「承知いたしました」
ユークライ殿下とヘンリックさんの会話を聞きながら、瞼が重くなっていくのを感じる。
そろそろ休憩と言われたところで眠くなるなんて、どうにも難儀だなと思いながら、ここ最近ずっと自分の中で反芻していた結論に、再び思考が落ち着いた。
こんな優しくてたくさんのものを背負っている人に、私はこれ以上寄りかかるべきではない、と。
「……こちらで検問を致します!」
叡智の森を抜け、途中で引き返してきたイレーヴさんと合流できた頃には、もう既に日は暮れていた。
夜でも王都の城壁は灯りで照らされていて、数日ぶりに見る人工的な建築物に、自分は本当に帰ってくれたのだと、改めてそうホッとする。
「ヘンリック、あまり俺の顔を見られたくないから、うまく対応してもらえる?」
「承知いたしました。少々お待ちください」
確かに、王子がわずかな供だけを連れて夜にどこかから帰ってくるなんて、どんな憶測を呼ぶかわからない。
ヘンリックさんは守衛に話しかけると、何度か会話のやり取りが終わった後に、すぐに通してもらえることになった。
大きな幌馬車に続いて、門をくぐる。
フードを深く被ったユークライ殿下は、私を一緒に乗せて馬に跨ったまま検問を越えると、深く息を吐いた。
「やっと帰って来れたね」
「そうですね。やっとです」
「うん。……君と一緒に帰って来れたのが、本当に嬉しい。あともう一踏ん張りだね」
そうですね、と頷いた瞬間、「あ!!」と近くで大きな声が上がる。
どこか聞いたことのあるその声に、四人全員でその方向を見ると、そこには茶髪に琥珀色の瞳をした少年が立っていた。
「アレックス、なんでここに…?」
目を丸くしたユークライ殿下がそう問いかけると、彼は周りを確認してから私達の方に駆け寄ってくる。
「すごいんですよ、アマリリス様が予知の練習で皆さんが帰ってくる時間を予測して!」
「アマリリスが?予知って、占星術を扱えるようになってるってこと?」
「そうなんですよ!!とにかく、馬車用意してるんでこちらに。馬も、一旦この近くの厩舎に預けれることになっていますので」
どこか興奮気味のアレックスの様子に、私も同じようによくわからないまま興奮が移ってくる。
アマリリスの占星術の才能は、自分の目で見たこともあり、確かなものだとはわかっていた。
それでもまさか、人の動きを読めるまでだなんて思っていなかった。
私自身の専門は魔力の流れ、特に人の内部での魔力の流れだけれど、魔法全般に関しては一般の人よりも圧倒的な知識があると自負している。
だからこそ、占星術を扱えるということ、しかも人間の行動に対して予測ができるということがどれだけ高度かよくわかるのだ。
あまりの衝撃と興奮に眠気が吹き飛ぶのを感じながら、アレックスに連れられて道端に停められていた馬車に乗り込む。
護衛のヘンリックさんがアレックスと並んで御者席に座り、私はユークライ殿下に連れられて車内に腰を下ろした。
外見こそ普通の馬車だったが、おそらく王族の偽装用のものなのだろう。
中のクッションはふかふかで、ゆったりとした作りになっている。
「ふぅ……落ち着くね」
横に座っているユークライ殿下が、そう言って優しく微笑む。
そこで初めて彼が真隣に座っていることに気付くが、もう既に馬車は走り出してしまっていて、移動することもできない。
正面に座っているイレーヴさんの視線を少しむず痒く感じながら、ユークライ殿下に返事をする。
「椅子に座れると安心しますよね……それより、あの、アマリリスなんですけど」
「あぁ、俺もあまり詳しくは知らないけど、ポルトレトの次期当主が指導をしてくれているらしいよ」
「なるほど……」
知識が十分な相手に教えてもらうのであれば、こんな短期間での成長も、なんとなく納得することはできる。
ただそれでも、こんな高度な占星術を扱えるようになったということは、きっとアマリリス自身がたくさん頑張ったということだろう。
「彼女には、ララティーナ・ゼンリルの居場所を特定するための占いをしてもらうことになっている。予知の練習ということは、かなり準備が進んでいるのかもしれないね」
「アマリリスが、ララティーナ・ゼンリルの……」
「そういえば、彼女が精霊の愛し子だというのは、どうやってわかったんだ?」
「あぁ、それは……」
どうやって言ったものかと視線を彷徨わせていると、正面に座っているイレーヴさんと目が合う。
護衛としてこちらに不用意に視線を送らないようにしていてくれていた彼が私の方を見ているということは、それくらい気になっているということ。
そりゃあ気になるよなと思いながら、私は元々考えていた言い訳を口にする。
「『私は選ばれた者』って言ってたんです。それで話に乗ってみたら、色情の精霊の愛し子だって」
「なるほどな。……しかし、今まで国に申告をしていなかったのはなんでなんだろう。精霊の愛し子であれば、魔法師団にも騎士団にも入れるし、爵位も手に入れられる。生活も名声も身分も確実に保障されるし、望めば世間から離れて暮らすことだってできる。隠すことによる利益よりも、公開する方が国益にも本人の利益にも適うのに」
普通であればそう考えるのか、と自分の中だけで驚きを押し込める。
確かに、よほどの事情がなければ、精霊の愛し子であることを隠す意味はない。ユークライ殿下の言う通り、望んだことはほとんどなんでもできるし、何より生活が保障されるのだ。
ララティーナ・ゼンリルのような貴族令嬢ならまだしも、私のような孤児が隠していると知ったら、きっと驚くどころではないのだろう。
私が周囲に話していないのは、その必要がないと思ったからだ。ありがたいことに仕事もあったし、愛し子だとバレて平穏な暮らしが乱されて、誰かに利用されて、自分のやりたいことができなくなる方が嫌だった。
では彼女はどうだったのだろう。貴族社会において、魔法の才能は大きな武器になる。愛し子ともなれば、実質無敵だ。
もし彼女本人が隠そうとしても、家に箔をつけるために彼女の両親が言いふらしてもおかしくないと思ったところで、一つの可能性に思い至る。
「……寵愛を受けたのがいつなのかっていうのが大きい気がしますけどね」
「あぁ、そっか。必ずしも、生まれた時から愛し子とも限らないのか」
「はい。たとえばブレデル伯爵家が取り潰された後だったら、逆転の切り札として隠そうとした可能性とかも」
「確かに……それは十分に考えられるね」
ユークライ殿下が手を口元にやり、考え込むように視線を落とす。
私も考えようと思いながら、彼の顔をつい見つめてしまう。
ハーマイル陛下ともイリスティア王妃とも似ているというか、あの美形な二人の良いとこどりのような顔立ちをしていて、本当にずるいなと思う。
二人とは陛下の治療のために度々近距離でお会いしたことがあるから、この顔は見慣れているはずなのに、どうにもドキドキしてしまう。
ただこの気持ちも押し込めなくてはいけないと、そう改めて自分に言い聞かせる。
鑑賞するくらいなら許されるけれど、それ以上は絶対に踏み込めない。
そもそも叶うことがないなら、希望を持たない方がいい。
最初から諦めていた方が、後々楽なのだから。
「……諦めていないんだろうね」
そんなことを考えていた時だったから、唐突にユークライ殿下が口にした言葉にドキッとする。
「諦めて、ない?」
「あぁ。きっと彼らの狙いは俺達王家への復讐……そして、自分達の栄光を取り戻すことなんだろう」
「でも、復讐なんかしたら、国の中での立場が余計悪くなるだけじゃないですか?」
「そこで正統性を得るための、愛し子という切り札なんだろう」
ふぅ、とユークライ殿下が深く息を吐いた。
「懸念事項が山積みだね。これが喫緊の課題であることには変わりないけれど、他にもやるべきことはいくらでもあるし」
「あぁ、なんか色々やってらっしゃいますもんね」
反射的に相槌を打ってから、なんだか他人事みたいな言い方をしてしまったのではないかと不安が頭を出す。
そもそも私は気が利いたことを言えるタイプではないし、正直ユークライ殿下がどんな仕事や事業をやっているかはよくわかっていない。だからつい出てきた言葉が、私が関心を持っていないように受け取られてしまいそうで、言葉を重ねたくなる。
しかし、これ以上重ねても逆効果になる気がしてしまって、どうしたものかと悩んでいた時だった。
「……ぁ」
肩に重さと温かさを感じる。
横を見ることもできず、彷徨った視線が前に行くが、正面に座るイレーヴさんは窓の外を見ていた。
そんな風に気を遣ってもらっているのもなんだか居た堪れなくて、でもそれ以上に、肩をくすぐる髪だったり、伝わってくる呼吸だったりで、胸の奥から色々な感情が溢れてくる。
「色々やって、疲れてるんだ。少しだけ、甘えさせて?」
「……はっ、い」
裏返った声が、馬車の中に響く。こういう時に限って平坦な道で、馬車の車輪の音がほとんどないのが恨めしい。
何度か深呼吸をして、気持ちを落ち着ける。
少し温かさにも慣れてきて、視線だけを触れられている左の方に動かした。
思ったよりも近い彼の顔に、思わず体を動かしそうになるのを堪える。
自分でも言っていた通り、疲れているのだろう。目を閉じたまま、時折眉をぴくりと動かしているのを見ると、何かをしてあげたいと、そう思う。
「……」
右手を持ち上げて彼の頭に触ろうとして、しかし思いとどまる。
私だって、そこまで鈍くはない。わざわざ王都から離れたところまで迎えに来てくれて、こんな距離に入れてもらえて、その意味がわからないわけではない。
でも、その気持ちの保証は、どこにもない。
彼は王子で、私は孤児の平民。今の私達を繋いでいるのは、国家を揺るがすような重大な案件で、だから私が関わることができていて、もしこれが解決したとしたら、私が彼の隣にいる理由はなくなる。
失うとわかっていて進みたいと思えるほど、傷つく勇気はない。
カタカタと揺れる馬車に身を任せながら、私も目を閉じて、深く息を吐いた。

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