【コミカライズ配信中!】 婚約破棄後の悪役令嬢~ショックで前世の記憶を思い出したのでハッピーエンド目指します!~
88話:救助の手
「……ん?」
ふと名前を呼ばれたような気がして、薬草を調合しようとしていた手を止めた。
森の深くの草むらの奥の洞窟だから、そうそう誰かが来ることなんてないはずなのだけれど。
もしかしたら、アマリリスや、ユークライ殿下が探してくれているのかもしれない。
というか、間違いなく心配と迷惑をかけていることは確実だ。啖呵を切っておいてこのザマだと思うと、苦笑してしまう。
「……いたっ」
考え事をしながら薬草を擦ろうとしたら、手から乳棒が飛び出て、少し離れたところに置いていた右手に当たる。
思いきり穴が空いてしまった右手の手のひらは、綺麗に洗って魔法で菌などが入らないようにしているが、まだ治っていない。光属性が使えない私ができるのは、簡単な応急処置と清潔な状態を保つこと、魔力の流れをコントロールすることで傷の治りを少しでも早くすることくらいだろうか。
抉られたと思った左肩は、この洞窟に辿り着いてすぐ、痛みで朦朧とする意識の中集めた薬草で、どうにか腕を上げられるくらいまでには回復した。痛みはあるものの、全身痛いせいで脳が麻痺しているからか、あまり気にならない。
「……ふぅ」
大気に魔力が満ちていること、そして魔力をふんだんに含んだ薬草が生えていることから、ここはどうやら叡智の森らしい。
研究や治療に必要な材料を採集するためによく来るところだが、ここ数日滞在しているこの洞窟には、初めて立ち入った。
「……っ」
地面に落ちた乳棒を拾う。膝を曲げるだけでも、全身が軋むような感じがして、思わず顔を顰めた。
魔法の風で付着したゴミを取り除いて、再び薬草を擦り始める。鼻をすっと通る清涼感のある匂いに、少し痛みが和らぐような気がした。
こんな風に一人で過ごすのは、すごく久しぶりな気がする。
最近はずっとアマリリスや誰かと一緒にいたから、自分しかいないという状況に久しぶりに置かれて、昔のことを思い出す。
孤児院を飛び出して、一人で王都に引っ越したばかりの頃、宿屋の端っこで間借りさせてもらっていた。お金を稼ぎながら住ませてくれる別の場所を見つけたらすぐに出たが、こうやって地面に直で座り、魔法で作った家具を使っていると、あの頃の記憶が浮かび上がってくる。
妹を……アマリリスを探しに、毎日王都を北から南に、しらみ潰しに歩いて歩いて、疲れたら帰って宿屋の手伝いをしていた。そして夜にこうやって、近くで摘んできた薬草で薬を作って、売ってお小遣いにしていた。
今はその薬を、自分用に作っているわけだが。
「あーあ……」
治療用の魔法具もいくつか持っていたのだが、どうやらあの戦闘で無くしてしまったらしい。
すぐにでも王城に帰って傷を治したい気持ちはあるが、色々一人で整理しなくてはならないことがあること、そして単純にこの森を出る用意が整ってないこともあり、洞窟生活は二日目……気を失っていた夜を含めると、二泊三日目になる。
ララティーナ・ゼンリルと戦ったあの時。
最後に意識を失った私が、目が覚めたらここにいたということ、そして自分の中の魔力がドクドクと渦巻いていることから、あの後何が起きたかは容易に想像できた。
「……よし」
ずっと一人で黙っていると気が滅入ってしまいそうで、誰もいない洞窟だが明るく声を出す。
あるいはもしかしたら、私の声を聞いている誰かがいるかもしれないとも思いながら。
「次は……」
怪我がひどい右足にあまり負担をかけないようにしながら、立ち上がって洞窟の奥へ向かった。
鏡やガラスを使って、入り口からの光で上手く照らしているこの場所には、透き通る湧き水がある。その水を少しずつ、擦り潰した薬草が入った乳鉢に注いで、しっかりとかき混ぜた。
水を入れると粘り気が出てきたそれを、手の傷にゆっくりと塗る。
魔法で生み出した水で作ると、効果が薄まってしまうためにこうやって毎日ここまで来ているのだが、かなり怪我に響く。
「っ……」
骨は大丈夫だったようだが、どうやら両足とも捻ってしまっていたらしい。
治ってきてはいるが、歩いていてバランスを取ろうと力を入れると、痛みが増す。
「歩けないのはなぁ……」
魔力の方はもう完全に回復しているが、長距離を歩けないため、この洞窟から少し出ることはできても、森を出ることはできていなかった。
どこもかしこも魔力が満ちている叡智の森の内部では、転移魔法を使う難易度がかなり高い。ただでさえ肉体がボロボロなのに、失敗するリスクがある魔法を行使するのは、さすがに怖かった。
ひょっとしたら、ララティーナ・ゼンリルに勝てなかったことが、自分の中で尾を引いているのかもしれない。
魔法の腕には、かなり自信があった。本業は研究者ではあるが、魔力の扱いは誰にも負けないと思っている。戦闘の訓練も受けていたから、そこら辺の魔法師にも劣らないと自負していたのに。
「……っ」
悔しさに両手を握り締める。
涙が滲みそうになるのが、痛みのせいなのか、後悔のせいなのかはわからない。
生活をしている入り口の方まで戻る気にもなれず、壁にもたれかかりながら、ずり落ちるように地面に座り込む。
「何やってんだろ、ほんと……」
連絡も取れず、ただ一人でこんなところで、どこに行くこともできずに立ち往生をしているだけ。
一刻でも早くみんなに伝えなければならないことが、あるというのに。
「……ふぅ」
目を閉じて、自分の中に渦巻く感情を仕舞い込む。
焦っていても仕方がない。今の私にできるのは、十分に休息をとって、できるだけ早く回復すること。そうして王都に戻って、みんなにララティーナ・ゼンリルのことを伝えること。
「……会いたいな」
危険を知らせなければならないのはもちろんだが、単純にみんなに会いたいと、そう思いながら顔を思い浮かべていたら、いつの間にか眠ってしまっていた。
「……ん」
固い地面でそのまま眠っていたからか、身体の節々が痛い。
ここ数日はこうやって、何かの作業中に寝落ちしてしまうことが多かった。自作のベッドでなかなか疲れを取れていないからだろうけれど、羽毛のふかふかは高望みしすぎかもしれない。
何時間寝ていたのだろう。
途中でまどろみながら目が覚めたような気もするが、結局かなり長い時間眠ってしまっていたらしい。
頭が重いし、お腹も減っている。喉も渇くなと思いながら、近くの泉に手を伸ばす。
冷たい水を飲んで、何度か目を瞬いていると、ふと耳にパキパキと枝が折れる音が届いた。
「っ!」
洞窟の入り口に用意していた、なんの工夫もない仕掛け。折れやすい枝を、落ち葉の下に集めておいただけのものだ。
叡智の森に生息する魔物は、魔力に敏感な種が多い。だから、魔法ではない仕掛けのみを用意していた。
「……」
懐から杖を取り出す。
メインで使っていたものを奪われてしまったが、予備でズボンの裾に隠していた方は盗られていなかった。
動物の撃退くらいならできるはずだと、手が震えそうな自分に、そう言い聞かせる。
魔法の精度は、感情とイメージ力に左右される。普段ならできることでも、冷静さを失えばできなくなってしまう。
大丈夫だと、心の中で繰り返しながら、外の方に意識を向ける。
叡智の森に生息する魔物の中には、魔獣として指定されている凶暴で強いやつも多い。できれば一発で仕留めなければ、命に関わるかもしれない。
「ふぅ……」
体を起こして、深く息を吐いた時、耳に声が届く。
「セルカ?いるのか?」
パッと、気付いたら立ち上がっていた。
治りきっていない足首が悲鳴を上げるが、そんなことには構っていられなかった。
「あ……」
薄暗い洞窟の中でも輝く金髪が視界に入る。
緑がかった青の瞳が私を捉えた瞬間、体から力が抜けていった。
「あっ……」
「セルカ、セルカ!」
ギュッと、力強い腕で抱き留められる。
その頼もしさに、伝わってくる体温に、思わず涙が溢れてきた。
「ユークライ、殿下……っ」
「来るのが遅くなって、本当にごめん」
私は、自分の顔を彼の胸に埋めながら、首を横に振った。
傷が痛むのも忘れて、自分が一人ではないことを思い出して、ただただ泣くことしかできない。
「……君が生きていて、本当に良かった」
「っ、ごめ、なさ……」
「君は悪くない。敵の実力を見誤ったのは、俺達全員の責任だ」
私の頭の上にぽんと手を置いたユークライ殿下は、ゆっくりと腕を離す。
泣きじゃくる私を見て、彼は優しく微笑んだ。それがなんだか気恥ずかしくて、先に歩こうとすると、痛みに顔を歪めそうになる。
私のそんな様子を見て、ユークライ殿下は、今度は横に並んで肩を貸してくれた。
「一旦ここを出るよ。外でヘンリックが待ってくれているから、すぐに治療をしてもらって、体力が回復し次第、王都に戻ろう」
やっと帰れると、そうホッと胸を撫で下ろす。
しかし、そうやって安心したのも束の間、自分がどうしても伝えたかったことを思い出す。
「あ……待って、一個、すぐに調査隊のみんなに、伝えて欲しいことが」
私がそう口を開くと、ユークライ殿下が足を止めた。
それに対して腕を叩いて、そのまま歩くように伝える。この一瞬さえも、情報の重大さを考えると惜しかった。
狭い洞窟の中を通り、入り口近くの広めのスペースに辿り着く。
治療ための薬や材料、食料品などが乱雑に置かれているここを見られたと思うとなんだか気が重くなるが、それよりも気が重くなることを口にすることに、頭が痛くなった。
でもこれは、今すぐに私が伝えないといけないことだから。
「ララティーナ・ゼンリルは、色情の精霊の愛し子。寵愛の力を十二分に扱える、危険な存在。だから、魔法学校時代の資料とは比にならないほどの強さだったんです」
「なっ…!?」
直接戦ってわかった。どうして第三王子のサーストン殿下があんな無鉄砲なことをしたのか、どうして私やヴィンセントさん相手に逃げられてしまったのか。
「私の治療は二の次で、とにかくこれを伝えて、警戒してもらわないと…!」
「わかった。……イレーヴ、ヘンリック、中に」
ユークライ殿下が声をかけると、二人がすぐに入ってくる。
どうやら私の話が聞こえていたらしく、ヘンリックさんは平静を装っているが、イレーヴさんはかなり驚いた顔をしていた。
「セルカ、手短にでいい。状況を伝えてくれないか?イレーヴに伝令として走ってもらう」
「わかりました」
ユークライ殿下に体重を預けたまま、頭の中を整理して、急いで口を開く。
「ララティーナ・ゼンリルは色情の精霊の愛し子です。寵愛によって、全属性を扱えるだけでなく、呪術も扱えます。一連の裏にいたのは、多分全部彼女です」
「……どれくらい強い?」
「彼女個人は、そこまで脅威じゃないです。問題は……」
ギリっと歯噛みする。
戦闘中は目の前のことにばかり夢中で、すぐには気付かなかったが、ララティーナ・ゼンリルは途中から明らかに魔法の精度が高くなっていた。同時に二つくらいしか魔法を扱っていなかったはずなのに、急に増えていた。
それに気付いた時、私の中で全部繋がった。魔法学校を卒業したばかりの彼女が、どうしてあそこまで高度な魔法を扱えたのか。適性がないはずの属性を扱っていたのか。またどうして、窮地に陥った途端に、一気に爆発力が上がったのか。
答えはシンプルだった。全てが彼女の行使した魔法ではなかった、それだけだった。
「色情の精霊が、ずっと彼女に張り付いてます。実質、精霊と優秀な魔法使いを二人同時に相手しているようなものです」
「……そんな、ことが」
「ラインハルトとヴィンセントさんに伝えてください。早く対策を立てないと……本気で、ユークライ殿下も、みんなも、命が危ない…!」
いくら精霊の愛し子とはいえ、連日戦うことはできないはずだ。
だから今は何も動きがないとしても、自身が愛し子だとバレた今、強硬手段に出かねない。
本当なら、今すぐにでも自分がみんなのところへ戻って、詳細を伝えたい。
しかし、今の身体の状態では、それも叶わない。
私は、ユークライ殿下に肩を貸してもらったまま、事前にまとめていた資料を手にとる。
紙がないから、良さげな木の板を細く切って紐で繋げて、木簡のようにして文字を焼き付けただけの簡素なものだが、ララティーナ・ゼンリルの情報をまとめてある。
それに手を伸ばそうとすると、先にユークライ殿下が取ってくれる。
「これを渡せばいいんだね?」
「はい」
「わかった。……イレーヴ、聞いていたな?」
「はっ」
「最速で一人で王都に戻り、このことをまずラインハルトに伝えてくれ。その後は、彼の指示に従うこと」
「承知いたしました。今すぐに」
イレーヴさんは頷くと、私の方に体を向ける。
騎士式の敬礼をした彼は、主から木簡もどきを受け取ると、懐に入れ込んだ。
「無事で何よりです。……必ず、すぐに伝えます」
「お願いします」
闇魔法が扱えるイレーヴさんであれば、単独でも安全に戻れるだろう。
力強く頷いてくれた彼に頭を下げて、顔を上げると、目を合わせてもう一度頷いてくれた。
そのまま彼は、ユークライ殿下に挨拶をして出て行く。
「……セルカ、ありがとう。重要な情報を持ち帰ってくれて」
「いえ。……大見得切って、絶対捕まえるって言ったのに、逃しちゃって……ごめんなさい」
「ううん。生きて帰って来てくれただけで嬉しいよ」
私が適当に作った椅子のところに、ユークライ殿下がエスコートしてくれる。
安心した途端に、痛みが鮮明になってくるのを堪えながら、そこに腰掛けた。
「ヘンリック、治療を」
「はっ」
すぐに駆け寄って来てくれたヘンリックさんは、私の目の前に膝をつく。
「セルカさん、命に別状はないようで安心しました」
「ありがとうございます。来てくれて、嬉しいです」
「いえ。……怪我ですが、全身に?」
「あぁ、はい。一番重症だったのが肩の傷で、そこは薬草で炎症を抑えて傷を塞ぐところまではやったんですけど……」
「失礼ですが、直接確認させていただいても?」
「そしたら、脱いだ方がいいですかね?」
私がそう口にすると、ヘンリックさんがユークライ殿下の方を向き、私のすぐ側に座り込んでいた彼が立ち上がった。
「俺は席を外すよ」
「側に、いてくれないんですか?」
「……え?」
「あ、いや」
思わず口をついて出てしまった言葉に、慌てて両手を振る。
すると、まだ治り切っていない右手の傷が痛みだし、じんわりと血が滲んできた。
「いっ……」
「無理しないで。君がいいなら、側にいるよ」
怪我をしていない方の手を握ってくれたユークライ殿下は、にこりと私を安心させるように笑いかけてくれた。
温かい彼の体温に、今まで一人で抱えてきた後ろ向きな気持ちが溶けていく。
「ありがとう、ございます」
「いいんだ。……このローブ、一人で脱げそう?」
「あ、手伝ってもらってもいいですか?」
王子に服を脱ぐのを手伝わせるなんて、と思いながらも、肩がうまく上がらないから仕方がない。
手伝ってもらいながら、下にほぼ肌着と変わりないタンクトップしか着ていないことを思い出す。が、とにかくそれよりも治療をしてもらわないことには、ここから帰れないからと、羞恥心を押し殺すために心の中で言い訳をする。
頭に引っかかりそうになるが、ユークライ殿下の助けもあり、どうにか脱ぐことができた。
「っ……」
あらわになった私の傷を見て、ユークライ殿下が痛そうに顔を歪める。
彼がこんなに風に私を思う必要なんて、どこにもないのに。
「至るところに、傷が……」
「私の実力が及ばなかったんです。……油断したんです。お恥ずかしい」
「違う。……君のように前線に立たないからこそ、不測の事態を織り込んだ計画を立てるのが、俺達の役割なのに」
「そんなこと……」
「そういう仕事としての話もあるけど、それよりも単純な話だ」
ローブを畳んで近くに置いた彼は、私の背中で傷のないところをゆっくりと撫でる。
「俺が一人の男として、セルカのことが心配で、君が怪我を負ったことが、許せないんだ」
「っ……」
「生きていて、本当に良かった。……君とまた会えて、こうして言葉を交わすことができて、言葉にできないくらい、すごく、すごく嬉しい」
噛み締めるようにそう告げたユークライ殿下は、チラリとヘンリックさんの方を確認する。
ヘンリックさんがしゃがみ込んで、治療のための素材を鞄から取り出しているのを見て、ユークライ殿下が私の耳元に口を寄せた。
「……傷が治ったら、思い切り抱き締めてもいい?」
囁かれたその言葉に、思わず照れ笑いしまう。
ずっと会いたかったこの人に、やっと会えたのだと、そう改めて実感できたから。
ふと名前を呼ばれたような気がして、薬草を調合しようとしていた手を止めた。
森の深くの草むらの奥の洞窟だから、そうそう誰かが来ることなんてないはずなのだけれど。
もしかしたら、アマリリスや、ユークライ殿下が探してくれているのかもしれない。
というか、間違いなく心配と迷惑をかけていることは確実だ。啖呵を切っておいてこのザマだと思うと、苦笑してしまう。
「……いたっ」
考え事をしながら薬草を擦ろうとしたら、手から乳棒が飛び出て、少し離れたところに置いていた右手に当たる。
思いきり穴が空いてしまった右手の手のひらは、綺麗に洗って魔法で菌などが入らないようにしているが、まだ治っていない。光属性が使えない私ができるのは、簡単な応急処置と清潔な状態を保つこと、魔力の流れをコントロールすることで傷の治りを少しでも早くすることくらいだろうか。
抉られたと思った左肩は、この洞窟に辿り着いてすぐ、痛みで朦朧とする意識の中集めた薬草で、どうにか腕を上げられるくらいまでには回復した。痛みはあるものの、全身痛いせいで脳が麻痺しているからか、あまり気にならない。
「……ふぅ」
大気に魔力が満ちていること、そして魔力をふんだんに含んだ薬草が生えていることから、ここはどうやら叡智の森らしい。
研究や治療に必要な材料を採集するためによく来るところだが、ここ数日滞在しているこの洞窟には、初めて立ち入った。
「……っ」
地面に落ちた乳棒を拾う。膝を曲げるだけでも、全身が軋むような感じがして、思わず顔を顰めた。
魔法の風で付着したゴミを取り除いて、再び薬草を擦り始める。鼻をすっと通る清涼感のある匂いに、少し痛みが和らぐような気がした。
こんな風に一人で過ごすのは、すごく久しぶりな気がする。
最近はずっとアマリリスや誰かと一緒にいたから、自分しかいないという状況に久しぶりに置かれて、昔のことを思い出す。
孤児院を飛び出して、一人で王都に引っ越したばかりの頃、宿屋の端っこで間借りさせてもらっていた。お金を稼ぎながら住ませてくれる別の場所を見つけたらすぐに出たが、こうやって地面に直で座り、魔法で作った家具を使っていると、あの頃の記憶が浮かび上がってくる。
妹を……アマリリスを探しに、毎日王都を北から南に、しらみ潰しに歩いて歩いて、疲れたら帰って宿屋の手伝いをしていた。そして夜にこうやって、近くで摘んできた薬草で薬を作って、売ってお小遣いにしていた。
今はその薬を、自分用に作っているわけだが。
「あーあ……」
治療用の魔法具もいくつか持っていたのだが、どうやらあの戦闘で無くしてしまったらしい。
すぐにでも王城に帰って傷を治したい気持ちはあるが、色々一人で整理しなくてはならないことがあること、そして単純にこの森を出る用意が整ってないこともあり、洞窟生活は二日目……気を失っていた夜を含めると、二泊三日目になる。
ララティーナ・ゼンリルと戦ったあの時。
最後に意識を失った私が、目が覚めたらここにいたということ、そして自分の中の魔力がドクドクと渦巻いていることから、あの後何が起きたかは容易に想像できた。
「……よし」
ずっと一人で黙っていると気が滅入ってしまいそうで、誰もいない洞窟だが明るく声を出す。
あるいはもしかしたら、私の声を聞いている誰かがいるかもしれないとも思いながら。
「次は……」
怪我がひどい右足にあまり負担をかけないようにしながら、立ち上がって洞窟の奥へ向かった。
鏡やガラスを使って、入り口からの光で上手く照らしているこの場所には、透き通る湧き水がある。その水を少しずつ、擦り潰した薬草が入った乳鉢に注いで、しっかりとかき混ぜた。
水を入れると粘り気が出てきたそれを、手の傷にゆっくりと塗る。
魔法で生み出した水で作ると、効果が薄まってしまうためにこうやって毎日ここまで来ているのだが、かなり怪我に響く。
「っ……」
骨は大丈夫だったようだが、どうやら両足とも捻ってしまっていたらしい。
治ってきてはいるが、歩いていてバランスを取ろうと力を入れると、痛みが増す。
「歩けないのはなぁ……」
魔力の方はもう完全に回復しているが、長距離を歩けないため、この洞窟から少し出ることはできても、森を出ることはできていなかった。
どこもかしこも魔力が満ちている叡智の森の内部では、転移魔法を使う難易度がかなり高い。ただでさえ肉体がボロボロなのに、失敗するリスクがある魔法を行使するのは、さすがに怖かった。
ひょっとしたら、ララティーナ・ゼンリルに勝てなかったことが、自分の中で尾を引いているのかもしれない。
魔法の腕には、かなり自信があった。本業は研究者ではあるが、魔力の扱いは誰にも負けないと思っている。戦闘の訓練も受けていたから、そこら辺の魔法師にも劣らないと自負していたのに。
「……っ」
悔しさに両手を握り締める。
涙が滲みそうになるのが、痛みのせいなのか、後悔のせいなのかはわからない。
生活をしている入り口の方まで戻る気にもなれず、壁にもたれかかりながら、ずり落ちるように地面に座り込む。
「何やってんだろ、ほんと……」
連絡も取れず、ただ一人でこんなところで、どこに行くこともできずに立ち往生をしているだけ。
一刻でも早くみんなに伝えなければならないことが、あるというのに。
「……ふぅ」
目を閉じて、自分の中に渦巻く感情を仕舞い込む。
焦っていても仕方がない。今の私にできるのは、十分に休息をとって、できるだけ早く回復すること。そうして王都に戻って、みんなにララティーナ・ゼンリルのことを伝えること。
「……会いたいな」
危険を知らせなければならないのはもちろんだが、単純にみんなに会いたいと、そう思いながら顔を思い浮かべていたら、いつの間にか眠ってしまっていた。
「……ん」
固い地面でそのまま眠っていたからか、身体の節々が痛い。
ここ数日はこうやって、何かの作業中に寝落ちしてしまうことが多かった。自作のベッドでなかなか疲れを取れていないからだろうけれど、羽毛のふかふかは高望みしすぎかもしれない。
何時間寝ていたのだろう。
途中でまどろみながら目が覚めたような気もするが、結局かなり長い時間眠ってしまっていたらしい。
頭が重いし、お腹も減っている。喉も渇くなと思いながら、近くの泉に手を伸ばす。
冷たい水を飲んで、何度か目を瞬いていると、ふと耳にパキパキと枝が折れる音が届いた。
「っ!」
洞窟の入り口に用意していた、なんの工夫もない仕掛け。折れやすい枝を、落ち葉の下に集めておいただけのものだ。
叡智の森に生息する魔物は、魔力に敏感な種が多い。だから、魔法ではない仕掛けのみを用意していた。
「……」
懐から杖を取り出す。
メインで使っていたものを奪われてしまったが、予備でズボンの裾に隠していた方は盗られていなかった。
動物の撃退くらいならできるはずだと、手が震えそうな自分に、そう言い聞かせる。
魔法の精度は、感情とイメージ力に左右される。普段ならできることでも、冷静さを失えばできなくなってしまう。
大丈夫だと、心の中で繰り返しながら、外の方に意識を向ける。
叡智の森に生息する魔物の中には、魔獣として指定されている凶暴で強いやつも多い。できれば一発で仕留めなければ、命に関わるかもしれない。
「ふぅ……」
体を起こして、深く息を吐いた時、耳に声が届く。
「セルカ?いるのか?」
パッと、気付いたら立ち上がっていた。
治りきっていない足首が悲鳴を上げるが、そんなことには構っていられなかった。
「あ……」
薄暗い洞窟の中でも輝く金髪が視界に入る。
緑がかった青の瞳が私を捉えた瞬間、体から力が抜けていった。
「あっ……」
「セルカ、セルカ!」
ギュッと、力強い腕で抱き留められる。
その頼もしさに、伝わってくる体温に、思わず涙が溢れてきた。
「ユークライ、殿下……っ」
「来るのが遅くなって、本当にごめん」
私は、自分の顔を彼の胸に埋めながら、首を横に振った。
傷が痛むのも忘れて、自分が一人ではないことを思い出して、ただただ泣くことしかできない。
「……君が生きていて、本当に良かった」
「っ、ごめ、なさ……」
「君は悪くない。敵の実力を見誤ったのは、俺達全員の責任だ」
私の頭の上にぽんと手を置いたユークライ殿下は、ゆっくりと腕を離す。
泣きじゃくる私を見て、彼は優しく微笑んだ。それがなんだか気恥ずかしくて、先に歩こうとすると、痛みに顔を歪めそうになる。
私のそんな様子を見て、ユークライ殿下は、今度は横に並んで肩を貸してくれた。
「一旦ここを出るよ。外でヘンリックが待ってくれているから、すぐに治療をしてもらって、体力が回復し次第、王都に戻ろう」
やっと帰れると、そうホッと胸を撫で下ろす。
しかし、そうやって安心したのも束の間、自分がどうしても伝えたかったことを思い出す。
「あ……待って、一個、すぐに調査隊のみんなに、伝えて欲しいことが」
私がそう口を開くと、ユークライ殿下が足を止めた。
それに対して腕を叩いて、そのまま歩くように伝える。この一瞬さえも、情報の重大さを考えると惜しかった。
狭い洞窟の中を通り、入り口近くの広めのスペースに辿り着く。
治療ための薬や材料、食料品などが乱雑に置かれているここを見られたと思うとなんだか気が重くなるが、それよりも気が重くなることを口にすることに、頭が痛くなった。
でもこれは、今すぐに私が伝えないといけないことだから。
「ララティーナ・ゼンリルは、色情の精霊の愛し子。寵愛の力を十二分に扱える、危険な存在。だから、魔法学校時代の資料とは比にならないほどの強さだったんです」
「なっ…!?」
直接戦ってわかった。どうして第三王子のサーストン殿下があんな無鉄砲なことをしたのか、どうして私やヴィンセントさん相手に逃げられてしまったのか。
「私の治療は二の次で、とにかくこれを伝えて、警戒してもらわないと…!」
「わかった。……イレーヴ、ヘンリック、中に」
ユークライ殿下が声をかけると、二人がすぐに入ってくる。
どうやら私の話が聞こえていたらしく、ヘンリックさんは平静を装っているが、イレーヴさんはかなり驚いた顔をしていた。
「セルカ、手短にでいい。状況を伝えてくれないか?イレーヴに伝令として走ってもらう」
「わかりました」
ユークライ殿下に体重を預けたまま、頭の中を整理して、急いで口を開く。
「ララティーナ・ゼンリルは色情の精霊の愛し子です。寵愛によって、全属性を扱えるだけでなく、呪術も扱えます。一連の裏にいたのは、多分全部彼女です」
「……どれくらい強い?」
「彼女個人は、そこまで脅威じゃないです。問題は……」
ギリっと歯噛みする。
戦闘中は目の前のことにばかり夢中で、すぐには気付かなかったが、ララティーナ・ゼンリルは途中から明らかに魔法の精度が高くなっていた。同時に二つくらいしか魔法を扱っていなかったはずなのに、急に増えていた。
それに気付いた時、私の中で全部繋がった。魔法学校を卒業したばかりの彼女が、どうしてあそこまで高度な魔法を扱えたのか。適性がないはずの属性を扱っていたのか。またどうして、窮地に陥った途端に、一気に爆発力が上がったのか。
答えはシンプルだった。全てが彼女の行使した魔法ではなかった、それだけだった。
「色情の精霊が、ずっと彼女に張り付いてます。実質、精霊と優秀な魔法使いを二人同時に相手しているようなものです」
「……そんな、ことが」
「ラインハルトとヴィンセントさんに伝えてください。早く対策を立てないと……本気で、ユークライ殿下も、みんなも、命が危ない…!」
いくら精霊の愛し子とはいえ、連日戦うことはできないはずだ。
だから今は何も動きがないとしても、自身が愛し子だとバレた今、強硬手段に出かねない。
本当なら、今すぐにでも自分がみんなのところへ戻って、詳細を伝えたい。
しかし、今の身体の状態では、それも叶わない。
私は、ユークライ殿下に肩を貸してもらったまま、事前にまとめていた資料を手にとる。
紙がないから、良さげな木の板を細く切って紐で繋げて、木簡のようにして文字を焼き付けただけの簡素なものだが、ララティーナ・ゼンリルの情報をまとめてある。
それに手を伸ばそうとすると、先にユークライ殿下が取ってくれる。
「これを渡せばいいんだね?」
「はい」
「わかった。……イレーヴ、聞いていたな?」
「はっ」
「最速で一人で王都に戻り、このことをまずラインハルトに伝えてくれ。その後は、彼の指示に従うこと」
「承知いたしました。今すぐに」
イレーヴさんは頷くと、私の方に体を向ける。
騎士式の敬礼をした彼は、主から木簡もどきを受け取ると、懐に入れ込んだ。
「無事で何よりです。……必ず、すぐに伝えます」
「お願いします」
闇魔法が扱えるイレーヴさんであれば、単独でも安全に戻れるだろう。
力強く頷いてくれた彼に頭を下げて、顔を上げると、目を合わせてもう一度頷いてくれた。
そのまま彼は、ユークライ殿下に挨拶をして出て行く。
「……セルカ、ありがとう。重要な情報を持ち帰ってくれて」
「いえ。……大見得切って、絶対捕まえるって言ったのに、逃しちゃって……ごめんなさい」
「ううん。生きて帰って来てくれただけで嬉しいよ」
私が適当に作った椅子のところに、ユークライ殿下がエスコートしてくれる。
安心した途端に、痛みが鮮明になってくるのを堪えながら、そこに腰掛けた。
「ヘンリック、治療を」
「はっ」
すぐに駆け寄って来てくれたヘンリックさんは、私の目の前に膝をつく。
「セルカさん、命に別状はないようで安心しました」
「ありがとうございます。来てくれて、嬉しいです」
「いえ。……怪我ですが、全身に?」
「あぁ、はい。一番重症だったのが肩の傷で、そこは薬草で炎症を抑えて傷を塞ぐところまではやったんですけど……」
「失礼ですが、直接確認させていただいても?」
「そしたら、脱いだ方がいいですかね?」
私がそう口にすると、ヘンリックさんがユークライ殿下の方を向き、私のすぐ側に座り込んでいた彼が立ち上がった。
「俺は席を外すよ」
「側に、いてくれないんですか?」
「……え?」
「あ、いや」
思わず口をついて出てしまった言葉に、慌てて両手を振る。
すると、まだ治り切っていない右手の傷が痛みだし、じんわりと血が滲んできた。
「いっ……」
「無理しないで。君がいいなら、側にいるよ」
怪我をしていない方の手を握ってくれたユークライ殿下は、にこりと私を安心させるように笑いかけてくれた。
温かい彼の体温に、今まで一人で抱えてきた後ろ向きな気持ちが溶けていく。
「ありがとう、ございます」
「いいんだ。……このローブ、一人で脱げそう?」
「あ、手伝ってもらってもいいですか?」
王子に服を脱ぐのを手伝わせるなんて、と思いながらも、肩がうまく上がらないから仕方がない。
手伝ってもらいながら、下にほぼ肌着と変わりないタンクトップしか着ていないことを思い出す。が、とにかくそれよりも治療をしてもらわないことには、ここから帰れないからと、羞恥心を押し殺すために心の中で言い訳をする。
頭に引っかかりそうになるが、ユークライ殿下の助けもあり、どうにか脱ぐことができた。
「っ……」
あらわになった私の傷を見て、ユークライ殿下が痛そうに顔を歪める。
彼がこんなに風に私を思う必要なんて、どこにもないのに。
「至るところに、傷が……」
「私の実力が及ばなかったんです。……油断したんです。お恥ずかしい」
「違う。……君のように前線に立たないからこそ、不測の事態を織り込んだ計画を立てるのが、俺達の役割なのに」
「そんなこと……」
「そういう仕事としての話もあるけど、それよりも単純な話だ」
ローブを畳んで近くに置いた彼は、私の背中で傷のないところをゆっくりと撫でる。
「俺が一人の男として、セルカのことが心配で、君が怪我を負ったことが、許せないんだ」
「っ……」
「生きていて、本当に良かった。……君とまた会えて、こうして言葉を交わすことができて、言葉にできないくらい、すごく、すごく嬉しい」
噛み締めるようにそう告げたユークライ殿下は、チラリとヘンリックさんの方を確認する。
ヘンリックさんがしゃがみ込んで、治療のための素材を鞄から取り出しているのを見て、ユークライ殿下が私の耳元に口を寄せた。
「……傷が治ったら、思い切り抱き締めてもいい?」
囁かれたその言葉に、思わず照れ笑いしまう。
ずっと会いたかったこの人に、やっと会えたのだと、そう改めて実感できたから。

コメント
コメントを書く