【コミカライズ配信中!】 婚約破棄後の悪役令嬢~ショックで前世の記憶を思い出したのでハッピーエンド目指します!~
87話:探索
「……つまり、一気に膨大な情報を取り込み、その中で自身の意識を保てることが占星術師としての必須の技能であると?」
<そう>
「そしてその技能を習得するには、実際に無限の情報に自分を晒す必要があったと?」
<そういうこと>
「だったらどうして事前に言ってくださらなかったの?今あなたが話したどれも、事前説明が要らない理由にはならないわよ」
<厳密には、私は『話し』てはいない>
「言葉遊びがしたいのではなくてよ、ジュミニ」
ふぅ、と大きく溜め息を吐きながら眉間を揉む。
ジュミニの手助けのもと、世界のあらゆる事象を一挙に取り込むような経験をした私は、幸いなことに、数分も経たずに普通に会話ができるまで回復した。
そうして、ラインハルト様との議論に相変わらず熱中していたジュミニを引っ張り、彼が私に何をどういうつもりでしたかを問い詰めたのだが、突然あんなことをさせられた私の憤りを一切汲み取ってくれそうにない。
「これに関しては、ジュミニにも擁護すべき点はある」
そう話に入ってきたのはラインハルト様だった。
意外な言葉に思わず驚いて振り向くと、彼はどこか不服そうな表情をしながらも淡々と言葉を続ける。
「例えば、水を知らない相手に対して泳ぎを説明することは非常に難しい。占星術というのも、おそらくそういった類のものだ」
「ですが、事前に何が起こるかを伝えるくらいでしたら……」
「不用意な先入観は、予期せぬ事態をもたらしてしまう可能性がある。魔法はそういうものだ」
魔法の専門家であるラインハルト様にそう言われてしまうと、言い返すこともできない。
それに、確かに魔法というのは想像力がものを言う。幼い子供の時の方が、初めて難度の高い魔法に挑んだ時に成功しやすいのは、余計な理論や理想を持っていないからだと主張する人もいるくらいだ。
それでも、自分を失うかもしれないような経験を突然させられたことに対して多少は不平を言ってもいいではないかと心の中で頬を膨らませていると、「ただ」とラインハルト様が口を開く。
「同じ例えを使うのであれば、ジュミニが行ったことは、水をろくに知らない相手を何も伝えず海に突き落とし、泳げるようになるまで見守っているようなことだ。危険であればすぐに引き戻すつもりだったと言っても、その相手が抱いた恐怖や不安が消えるわけではない」
ラインハルト様がそう伝えると、ジュミニは自身の中で何かを消化するように数秒間目を瞑る。
髪と同じく夜空を写し取ったような青色の長い睫毛が微かに震え、そして開かれた。
<申し訳なかった、アマリリス。君はまだポルトレトの一族でもないのに>
「……まだ?」
謝罪の言葉に続けられた何やら意味深な言葉に反応したのは、後ろの方からジュミニの手元を覗き込んでいたアレックスだった。
どうやら占星術師に興味津々らしいアレックスは、さっきからずっとジュミニをチラチラと見ていた。ラインハルト様の護衛として、同席している他者の様子を伺うのは大事だが、明らかに当人の興味が隠せていないのは、まだ大人と呼ぶには少し幼い彼には仕方のないことだろう。
<アマリリスは、私達の同胞だ。当然迎え入れるつもりがある>
「……そのことなのだけれど」
婚約だとか嫁入りだとか、正直今そういった話はしたくない。
話を自然に逸らしたいという気持ちも少しあるが、単純に気になっていた疑問を投げかける。
「どうして私に占星術の適性があるとわかったの?」
<伯母は、あなたが生まれた次の年には知っていたそうだ>
「そんな早くに…!?」
そうすると、ほぼ赤ん坊だった時から知られていたことになる。
しかし、基本的に貴族の子女の社交界デビューは、早くてもある程度物心がつく四歳頃からだ。その前に会えるのは血縁のみだが、当然私の両親はポルトレト家と何の関わりもない。
<占星術で、自身を含む占星術師の未来を見ようとすると、靄がかかる。だから気付いたのだろう>
「……なるほど」
それなら納得がいく。
毎年国の未来を占うポルトレト公爵は、国に大きな影響を与える他の五大公爵家に何が起きるかも、当然毎年占っている。それらの個別の星占いを組み合わせて、国全体としてどうなりそうか、そしてそのためにどのような備えが必要かなどを進言しているわけだ。
そんな彼女が、クリスト家に生まれた黒持ちという、騒動の元になりそうな私の未来について見ようとしたとしても、全くおかしな話はない。
「そういえば……」
<どうかした?>
ふと思い出したことがあり声が漏れる。
ジュミニが私に先を促すが、私は軽く首を横に振った。
前に、弟のシルヴァンから受け取ったポルトレト公爵からの伝言。『探し人は見つかる』というあの言葉は、一体なんだったのだろう。
私の未来を正確に予測できないのであれば、どうして誰かが見つかると彼女は言い切ったのか。
ジュミニに尋ねたら、ひょっとしたら答えは返ってくるかもしれないが、彼女から個人的に伝えてもらった言葉を無闇に口外するのも憚られる。
「……一旦確認していいかしら」
<どうぞ>
「今、私は占星術を扱える状態になった、ということ?」
一度息をゆっくり吐いて、気分を切り替える。
少しワクワクした気持ちを胸にそう尋ねると、彼は手を顎に当てた。
<多分。ただ、自力でどこまで見るかを調整するのには時間がかかる>
「練習あるのみ?」
<大正解>
やっぱり、と思いながら私はヘレナを振り返る。
彼女は私の視線を受け止めると、すぐに口を開いた。
「若様からは、特にお帰りの時間については申し付けられておりません」
「念の為、早馬を出せないかこちらの屋敷の方に確認してくれる?」
「かしこまりました。一時退室しても?」
「えぇ。よろしくね」
「承りました」
私がこう言い出すのをわかっていたのだろう。
兄上には少ししたら帰ると伝えているから、一応遅くなるかもしれないと連絡しておきたかった。
こういうことは、できるまでやりたくなるのが性分なのだ。
最近魔力の扱いが上達してきているから、余計に。
それに、先生となってくれるジュミニに見てもらいながら練習できる機会はなかなかない。
ヘレナが退出するのを見送って、よろしくお願いするわね、とそう伝えようと思いジュミニの方を向いた時だった。
彼の手が宙をなぞり、文字が浮かび上がる。
<僕は教えるのは向いていない。見守ることくらいしかできない>
「それでも、一人よりは心強いわ」
<わかった。ただ、そう簡単に自在に星を見れるようになるわけではない>
先に生み出した文字が空気に溶けて消えていくその中で、彼が新しく文字を書いた。
<目標を設定して>
「目標……」
私の、占星術の目標。それも、今日達成したい目標。
せっかくなら、今必要とされていることをしたい。しかし、天気の占いが役に立つかは不明だし、調査隊の行方は私の現在の力量で見れる気がしない。
考え込んでしまった私の耳に、玲瓏な声が届く。
「占星術では、人や物を見つけることもできると言われている。実際、そういった活用法があると僕も文献で見たことがある」
<事実だ。占星術では、未来だけでなく過去や今も見れる>
「探し人……」
その瞬間、一人の女性の顔が頭に浮かんでくる。
表情がよく変わるけれど、やっぱり最初に思い出すのは笑顔だ。
赤みを帯びた茶髪は大体いつも一つにまとめられ、鶯色の瞳は楽しそうにキラキラと光っている。
「セルカ……」
<その人を見つけたい?>
ジュミニが書き終わる前に、力強く頷く。
「えぇ。……もし私が今日中できなければ、あなたに見つけて欲しいわ」
どうしてこの方法を、もっと早くに思いつかなかったのだろう。
人を探せる占星術であれば、行方の知れないセルカを見つけることができる。もし彼女がどこかに囚われていたり自力で脱出できない場所にいたりするのであれば、すぐにでも助けに行ける。
突如現れた突破口に、興奮しそうになる自分を抑えながらジュミニにそう伝えると、彼は視線を伏せながらゆっくりと、しかしはっきりと首を横に振った。
<申し訳ないが、私は自分が会ったことのない人は見つけられない>
「……そんな」
<君も知っただろう?占星術は、無限から一を取り出す。その対象を見つけるためには、繋がりが必要だ>
つまり、とそこまでに書いていた文字を横に押し除け、ジュミニが私に一文を示す。
<その人を見つけられるのは、君だけだ>
「……そうね」
どうして私は、誰かにこのことの顛末を押し付けようとしたのだろう。
彼女を助けたいのは、他でもない自分だ。
もし間に合わなかったらと事前に予防線を張ろうとするのも必要かもしれないが、今の私に必要なのは、自分でやり遂げるんだという気概なはずなのに。
「……せめて、コツとか、あなたが普段どういう心構えで星占いをしているかくらいは教えてくれないかしら?」
<集中。求めているものを具体的に思い浮かべる。私から言えるのはそれくらいだ>
「わかったわ。ありがとう。……手を地面に当てるのは、やった方が良いの?」
<その方が地面の魔力の流れを感じやすい。人による>
「そう。わかったわ」
ひとまず、できることは全て試してみるしかない。
私は振り返り、ラインハルト様に目を合わせる。
彼は穏やかな光を目にたたえたまま、すぐに頷いてくれた。
「僕が見守る。手伝えることがあれば、いつでも伝えてくれ」
「よろしくお願いいたします。……よろしければ、側にいていただいても?」
「あぁ」
膝をついた私の横に、彼が一緒に並んでくれる。
広げてある布の上にあぐらをかいた彼は、無言で私に手を差し出してくれた。
「あ……ありがとう、ございます」
一瞬、気恥ずかしさがキュッと喉を締めるような感覚に襲われる。
が、一度息を吸い直してお礼の言葉を口にした。心なしかダラン様から暖かい視線を送られているような気がするが、後ろを向いて確認する気にもなれない。
ラインハルト様の、ひんやりとした大きな手を握る。
私の手とは違う、少しゴツゴツとした手に握られていると、なんだか気持ちが落ち着くような気がした。この人が私を掴んでいてくれているなら、大丈夫だ、と。
<私も補助する。次からは、意識が流されそうになったら引き戻す>
「ありがとう」
ジュミニが私の正面に座り、地面をポンと叩いた。
私は頷いて、自由な方の手を広げてゆっくりと地面につける。
「……ふぅ」
そういえば、占星術の発動方法を聞いていなかったことを思い出す。
前にラインハルト様に補助してもらった時には、魔法陣を用いていた。
今、何も準備なしにできるかという一抹の不安が過ぎるが、すぐに大丈夫だという確信が湧き上がってくる。
根拠は言語化できないが、感覚ではっきりとわかった。
「セルカ……」
小さく、彼女の名前を呼ぶ。
果たして、彼女に何が起きて、今どこで何をしているのか。一人なのか、誰かと一緒にいるのか、それとも捕えられているのか。
命に別状がないということはわかっているが、逆に言えばそれ以外は何もわかっていない。
サーストン殿下と待ち合わせ、ララティーナを追ったまま行方がわからなくなった。
最後に会ったのは、彼女を捕縛する作戦のその日。いつも通り不敵な笑顔を浮かべて、兄上とエストレイと一緒に王城の庭園へと向かって行った。
あの日のことを思い出そうと、記憶を手繰り寄せる。
出来るだけ、彼女のことを鮮明に思い出す。笑った顔、怒った顔、雰囲気、口癖、最後に着ていた服、持ち物。
彼女と過ごした日々。屋敷の部屋で、庭で、王城やここの屋敷を訪ねたこともあったし、ラインハルト様の夜会に一緒に行ったこともあった。
「……ん」
地中の魔力をつたって、手から情報が流れ込んでくる。
この屋敷の構造、取り囲む森の様子、生息している生き物達の鼓動。
そこから範囲を広げ、今だけでなく過去のことも引き出す。
「セルカ……」
今よりも幼く見えるセルカが、ここで過ごした様子が浮かび上がってきた。
ぼんやりとしていた彼女の輪郭が、少しずつはっきりしてくる。彼女の過ごした日々が、進んできた軌跡が、生きてきた足取りが、この世界に残した足跡が、わかってくる。
過去と今と未来が入り混じる世界で、セルカに追い縋る。
透き通る彼女の背中に手を伸ばして、必死で彼女の名前を呼んだ。
「セルカ…!」
手が届いたと思った瞬間、その姿が掻き消える。
歯噛みする間もないし、そんな無駄な時間を使いたくもない。
なんとなく頭の隅で、この占星術に時間制限があることはわかっている。
そのタイムリミットを迎える前に、セルカを見つけないといけない。
彼女を今ここで見つけられるのは、私だけなのだから。
「……どこに」
この屋敷から辿っては駄目だ。
最後に会ったあの日、あの場所。王城を強く念じると、すぐに目の前に広がる光景が、外苑に切り替わる。
丁寧に手入れされた並木と低木、茂み、そして色とりどりの花々。
本来なら完全に調和の取れた、計算され尽くしたはずのその庭が、補修されているものの若干の違和感を覚えてしまうのは、ララティーナを捕らえようとしたセルカや兄上が、彼女と交戦した結果を覆い隠すためだろう。バランスを取ろうとしたことが感じ取れてしまう。
そこで止まって、過去を辿る。
焦げて抉れてしまったが、ならされた地面を、その前に。兄上やエストレイの報告で聞いた話を思い出しながら、その空間に残っている記録を甦らせる。
「……っ」
数回しか訪れたことがない場所で、自分が直接目にしたことのない出来事。
それでも、その瞬間を再現する。あの出来事が起きたことは、変わらない事実なのだから。そして、あの瞬間から辿っていけば、きっとセルカの足取りがわかる。
魔法で派手に戦ったからだろうか。
思ったよりも容易に、セルカ達の痕跡を見つけることができた。
燃え盛る炎、それを抑え込む氷。雷の槍と、全て押し流そうとする水と風。そして、禍々しい呪い。
相当激しい戦いだったのだろう。それらの痕跡の中に残る、一際魔力を放つ魔法陣。
「……これ」
よく似たものが、わずかに時間を開けて二つ。
その魔法陣に触れると、視界がギュンと切り替わり、どこかの森になる。
植生からして、王都の南側だろうか。叡智の森のような気もするが、確信は持てない。
そこでも派手な戦いをしていたらしい。森の奥深くに残された傷跡から、その壮絶さが窺えた。
時間を丁寧に追い、ララティーナが立ち去った後のセルカの動きを捕まえようとしようとするが、彼女が唐突に消える。
「え……」
魔法陣もなく、そこからいなくなってしまったセルカを、そこから繋がるか細い彼女の魔力を辿る。
あまりにも細すぎて、切れそうなその気配を、丁寧に追いかけていく。
セルカと一緒に魔力の操作の特訓をしたのが、生かされているのかもしれない。
途中で遅くなることはありながらも、途切れないように、焦らずゆっくり。
「……あ」
そうやって進んで行った終着点は、木々や草に隠れるようなひっそりとした洞窟だった。
緑を掻き分けて、洞窟の中に入ると、そこに横たわる人影があった。
彼女の顔が見えた瞬間、一気に時間が加速していく。
しばらくは若干身じろぎするだけだったのが、起き上がり、水や土の肘置きなどを生み出して、少しずつ外に出れるようになってきて。
いつの間にか、私が見ていた時間が追いついて、近くで採集した木の実や、どこからか手に入れた魚を焼いている姿が見えて。
しかしそんな彼女が、身体中庇いながら歩いていて、見えている肌が傷だらけで。
「……セルカ」
思わず彼女の名前を呼ぶと、パッとこちらを振り返った。
その鶯色の瞳と目が合った瞬間、意識が現実に引き戻される。
「っ……はっ、はぁ」
頭に一瞬で靄がかかり、崩れ落ちそうになるのを、ラインハルト様が抱き止めてくれる。
「大丈夫か?」
「……見つけ、ました」
「っ、どこに?」
「叡智の、森。……あそこで、しか、採取できない、薬草が、見えました。……森の、地図を」
ふらついて、顔を上げることもままならない。
意識がなくなる前にセルカの場所を伝えるために、目を閉じて最後の集中力をかき集める。
「…………頼む。アマリリス、そのままの姿勢でいい。ジュミニが地図を出してくれるから、位置を示してくれ」
ラインハルト様のその声に、うっすらと目を開ける。
魔法で生み出されたのであろう石の板に、王都の南に位置する広大な森、叡智の森の地図が描かれていた。
つい昨日行ったのに、彼女を見つけられなかったことを悔しく思うが、私達が通っていたルートからは外れていたから、後悔してもしょうがない。
震える手で、自分の中の知識と照らし合わせながら、セルカが身を休めている洞窟の位置を割り出す。
精霊の力が宿ると言われているこの森は特殊で、少し場所が変わるだけで、生えている植物やそこに暮らす動物、魔物が変わってくる。採取できる素材も貴重なものが多く、王家の直轄地となっているため、私が直接関わることはできないし、そこで採れたものが一般に流通することは少ないが、知っていて損はないと勉強していた甲斐があった。
「ここ……」
森の、ほぼ南端に位置するそこを指で示す。
自分の指が地図に触れた途端、気が抜けて、意識が暗転した。
<そう>
「そしてその技能を習得するには、実際に無限の情報に自分を晒す必要があったと?」
<そういうこと>
「だったらどうして事前に言ってくださらなかったの?今あなたが話したどれも、事前説明が要らない理由にはならないわよ」
<厳密には、私は『話し』てはいない>
「言葉遊びがしたいのではなくてよ、ジュミニ」
ふぅ、と大きく溜め息を吐きながら眉間を揉む。
ジュミニの手助けのもと、世界のあらゆる事象を一挙に取り込むような経験をした私は、幸いなことに、数分も経たずに普通に会話ができるまで回復した。
そうして、ラインハルト様との議論に相変わらず熱中していたジュミニを引っ張り、彼が私に何をどういうつもりでしたかを問い詰めたのだが、突然あんなことをさせられた私の憤りを一切汲み取ってくれそうにない。
「これに関しては、ジュミニにも擁護すべき点はある」
そう話に入ってきたのはラインハルト様だった。
意外な言葉に思わず驚いて振り向くと、彼はどこか不服そうな表情をしながらも淡々と言葉を続ける。
「例えば、水を知らない相手に対して泳ぎを説明することは非常に難しい。占星術というのも、おそらくそういった類のものだ」
「ですが、事前に何が起こるかを伝えるくらいでしたら……」
「不用意な先入観は、予期せぬ事態をもたらしてしまう可能性がある。魔法はそういうものだ」
魔法の専門家であるラインハルト様にそう言われてしまうと、言い返すこともできない。
それに、確かに魔法というのは想像力がものを言う。幼い子供の時の方が、初めて難度の高い魔法に挑んだ時に成功しやすいのは、余計な理論や理想を持っていないからだと主張する人もいるくらいだ。
それでも、自分を失うかもしれないような経験を突然させられたことに対して多少は不平を言ってもいいではないかと心の中で頬を膨らませていると、「ただ」とラインハルト様が口を開く。
「同じ例えを使うのであれば、ジュミニが行ったことは、水をろくに知らない相手を何も伝えず海に突き落とし、泳げるようになるまで見守っているようなことだ。危険であればすぐに引き戻すつもりだったと言っても、その相手が抱いた恐怖や不安が消えるわけではない」
ラインハルト様がそう伝えると、ジュミニは自身の中で何かを消化するように数秒間目を瞑る。
髪と同じく夜空を写し取ったような青色の長い睫毛が微かに震え、そして開かれた。
<申し訳なかった、アマリリス。君はまだポルトレトの一族でもないのに>
「……まだ?」
謝罪の言葉に続けられた何やら意味深な言葉に反応したのは、後ろの方からジュミニの手元を覗き込んでいたアレックスだった。
どうやら占星術師に興味津々らしいアレックスは、さっきからずっとジュミニをチラチラと見ていた。ラインハルト様の護衛として、同席している他者の様子を伺うのは大事だが、明らかに当人の興味が隠せていないのは、まだ大人と呼ぶには少し幼い彼には仕方のないことだろう。
<アマリリスは、私達の同胞だ。当然迎え入れるつもりがある>
「……そのことなのだけれど」
婚約だとか嫁入りだとか、正直今そういった話はしたくない。
話を自然に逸らしたいという気持ちも少しあるが、単純に気になっていた疑問を投げかける。
「どうして私に占星術の適性があるとわかったの?」
<伯母は、あなたが生まれた次の年には知っていたそうだ>
「そんな早くに…!?」
そうすると、ほぼ赤ん坊だった時から知られていたことになる。
しかし、基本的に貴族の子女の社交界デビューは、早くてもある程度物心がつく四歳頃からだ。その前に会えるのは血縁のみだが、当然私の両親はポルトレト家と何の関わりもない。
<占星術で、自身を含む占星術師の未来を見ようとすると、靄がかかる。だから気付いたのだろう>
「……なるほど」
それなら納得がいく。
毎年国の未来を占うポルトレト公爵は、国に大きな影響を与える他の五大公爵家に何が起きるかも、当然毎年占っている。それらの個別の星占いを組み合わせて、国全体としてどうなりそうか、そしてそのためにどのような備えが必要かなどを進言しているわけだ。
そんな彼女が、クリスト家に生まれた黒持ちという、騒動の元になりそうな私の未来について見ようとしたとしても、全くおかしな話はない。
「そういえば……」
<どうかした?>
ふと思い出したことがあり声が漏れる。
ジュミニが私に先を促すが、私は軽く首を横に振った。
前に、弟のシルヴァンから受け取ったポルトレト公爵からの伝言。『探し人は見つかる』というあの言葉は、一体なんだったのだろう。
私の未来を正確に予測できないのであれば、どうして誰かが見つかると彼女は言い切ったのか。
ジュミニに尋ねたら、ひょっとしたら答えは返ってくるかもしれないが、彼女から個人的に伝えてもらった言葉を無闇に口外するのも憚られる。
「……一旦確認していいかしら」
<どうぞ>
「今、私は占星術を扱える状態になった、ということ?」
一度息をゆっくり吐いて、気分を切り替える。
少しワクワクした気持ちを胸にそう尋ねると、彼は手を顎に当てた。
<多分。ただ、自力でどこまで見るかを調整するのには時間がかかる>
「練習あるのみ?」
<大正解>
やっぱり、と思いながら私はヘレナを振り返る。
彼女は私の視線を受け止めると、すぐに口を開いた。
「若様からは、特にお帰りの時間については申し付けられておりません」
「念の為、早馬を出せないかこちらの屋敷の方に確認してくれる?」
「かしこまりました。一時退室しても?」
「えぇ。よろしくね」
「承りました」
私がこう言い出すのをわかっていたのだろう。
兄上には少ししたら帰ると伝えているから、一応遅くなるかもしれないと連絡しておきたかった。
こういうことは、できるまでやりたくなるのが性分なのだ。
最近魔力の扱いが上達してきているから、余計に。
それに、先生となってくれるジュミニに見てもらいながら練習できる機会はなかなかない。
ヘレナが退出するのを見送って、よろしくお願いするわね、とそう伝えようと思いジュミニの方を向いた時だった。
彼の手が宙をなぞり、文字が浮かび上がる。
<僕は教えるのは向いていない。見守ることくらいしかできない>
「それでも、一人よりは心強いわ」
<わかった。ただ、そう簡単に自在に星を見れるようになるわけではない>
先に生み出した文字が空気に溶けて消えていくその中で、彼が新しく文字を書いた。
<目標を設定して>
「目標……」
私の、占星術の目標。それも、今日達成したい目標。
せっかくなら、今必要とされていることをしたい。しかし、天気の占いが役に立つかは不明だし、調査隊の行方は私の現在の力量で見れる気がしない。
考え込んでしまった私の耳に、玲瓏な声が届く。
「占星術では、人や物を見つけることもできると言われている。実際、そういった活用法があると僕も文献で見たことがある」
<事実だ。占星術では、未来だけでなく過去や今も見れる>
「探し人……」
その瞬間、一人の女性の顔が頭に浮かんでくる。
表情がよく変わるけれど、やっぱり最初に思い出すのは笑顔だ。
赤みを帯びた茶髪は大体いつも一つにまとめられ、鶯色の瞳は楽しそうにキラキラと光っている。
「セルカ……」
<その人を見つけたい?>
ジュミニが書き終わる前に、力強く頷く。
「えぇ。……もし私が今日中できなければ、あなたに見つけて欲しいわ」
どうしてこの方法を、もっと早くに思いつかなかったのだろう。
人を探せる占星術であれば、行方の知れないセルカを見つけることができる。もし彼女がどこかに囚われていたり自力で脱出できない場所にいたりするのであれば、すぐにでも助けに行ける。
突如現れた突破口に、興奮しそうになる自分を抑えながらジュミニにそう伝えると、彼は視線を伏せながらゆっくりと、しかしはっきりと首を横に振った。
<申し訳ないが、私は自分が会ったことのない人は見つけられない>
「……そんな」
<君も知っただろう?占星術は、無限から一を取り出す。その対象を見つけるためには、繋がりが必要だ>
つまり、とそこまでに書いていた文字を横に押し除け、ジュミニが私に一文を示す。
<その人を見つけられるのは、君だけだ>
「……そうね」
どうして私は、誰かにこのことの顛末を押し付けようとしたのだろう。
彼女を助けたいのは、他でもない自分だ。
もし間に合わなかったらと事前に予防線を張ろうとするのも必要かもしれないが、今の私に必要なのは、自分でやり遂げるんだという気概なはずなのに。
「……せめて、コツとか、あなたが普段どういう心構えで星占いをしているかくらいは教えてくれないかしら?」
<集中。求めているものを具体的に思い浮かべる。私から言えるのはそれくらいだ>
「わかったわ。ありがとう。……手を地面に当てるのは、やった方が良いの?」
<その方が地面の魔力の流れを感じやすい。人による>
「そう。わかったわ」
ひとまず、できることは全て試してみるしかない。
私は振り返り、ラインハルト様に目を合わせる。
彼は穏やかな光を目にたたえたまま、すぐに頷いてくれた。
「僕が見守る。手伝えることがあれば、いつでも伝えてくれ」
「よろしくお願いいたします。……よろしければ、側にいていただいても?」
「あぁ」
膝をついた私の横に、彼が一緒に並んでくれる。
広げてある布の上にあぐらをかいた彼は、無言で私に手を差し出してくれた。
「あ……ありがとう、ございます」
一瞬、気恥ずかしさがキュッと喉を締めるような感覚に襲われる。
が、一度息を吸い直してお礼の言葉を口にした。心なしかダラン様から暖かい視線を送られているような気がするが、後ろを向いて確認する気にもなれない。
ラインハルト様の、ひんやりとした大きな手を握る。
私の手とは違う、少しゴツゴツとした手に握られていると、なんだか気持ちが落ち着くような気がした。この人が私を掴んでいてくれているなら、大丈夫だ、と。
<私も補助する。次からは、意識が流されそうになったら引き戻す>
「ありがとう」
ジュミニが私の正面に座り、地面をポンと叩いた。
私は頷いて、自由な方の手を広げてゆっくりと地面につける。
「……ふぅ」
そういえば、占星術の発動方法を聞いていなかったことを思い出す。
前にラインハルト様に補助してもらった時には、魔法陣を用いていた。
今、何も準備なしにできるかという一抹の不安が過ぎるが、すぐに大丈夫だという確信が湧き上がってくる。
根拠は言語化できないが、感覚ではっきりとわかった。
「セルカ……」
小さく、彼女の名前を呼ぶ。
果たして、彼女に何が起きて、今どこで何をしているのか。一人なのか、誰かと一緒にいるのか、それとも捕えられているのか。
命に別状がないということはわかっているが、逆に言えばそれ以外は何もわかっていない。
サーストン殿下と待ち合わせ、ララティーナを追ったまま行方がわからなくなった。
最後に会ったのは、彼女を捕縛する作戦のその日。いつも通り不敵な笑顔を浮かべて、兄上とエストレイと一緒に王城の庭園へと向かって行った。
あの日のことを思い出そうと、記憶を手繰り寄せる。
出来るだけ、彼女のことを鮮明に思い出す。笑った顔、怒った顔、雰囲気、口癖、最後に着ていた服、持ち物。
彼女と過ごした日々。屋敷の部屋で、庭で、王城やここの屋敷を訪ねたこともあったし、ラインハルト様の夜会に一緒に行ったこともあった。
「……ん」
地中の魔力をつたって、手から情報が流れ込んでくる。
この屋敷の構造、取り囲む森の様子、生息している生き物達の鼓動。
そこから範囲を広げ、今だけでなく過去のことも引き出す。
「セルカ……」
今よりも幼く見えるセルカが、ここで過ごした様子が浮かび上がってきた。
ぼんやりとしていた彼女の輪郭が、少しずつはっきりしてくる。彼女の過ごした日々が、進んできた軌跡が、生きてきた足取りが、この世界に残した足跡が、わかってくる。
過去と今と未来が入り混じる世界で、セルカに追い縋る。
透き通る彼女の背中に手を伸ばして、必死で彼女の名前を呼んだ。
「セルカ…!」
手が届いたと思った瞬間、その姿が掻き消える。
歯噛みする間もないし、そんな無駄な時間を使いたくもない。
なんとなく頭の隅で、この占星術に時間制限があることはわかっている。
そのタイムリミットを迎える前に、セルカを見つけないといけない。
彼女を今ここで見つけられるのは、私だけなのだから。
「……どこに」
この屋敷から辿っては駄目だ。
最後に会ったあの日、あの場所。王城を強く念じると、すぐに目の前に広がる光景が、外苑に切り替わる。
丁寧に手入れされた並木と低木、茂み、そして色とりどりの花々。
本来なら完全に調和の取れた、計算され尽くしたはずのその庭が、補修されているものの若干の違和感を覚えてしまうのは、ララティーナを捕らえようとしたセルカや兄上が、彼女と交戦した結果を覆い隠すためだろう。バランスを取ろうとしたことが感じ取れてしまう。
そこで止まって、過去を辿る。
焦げて抉れてしまったが、ならされた地面を、その前に。兄上やエストレイの報告で聞いた話を思い出しながら、その空間に残っている記録を甦らせる。
「……っ」
数回しか訪れたことがない場所で、自分が直接目にしたことのない出来事。
それでも、その瞬間を再現する。あの出来事が起きたことは、変わらない事実なのだから。そして、あの瞬間から辿っていけば、きっとセルカの足取りがわかる。
魔法で派手に戦ったからだろうか。
思ったよりも容易に、セルカ達の痕跡を見つけることができた。
燃え盛る炎、それを抑え込む氷。雷の槍と、全て押し流そうとする水と風。そして、禍々しい呪い。
相当激しい戦いだったのだろう。それらの痕跡の中に残る、一際魔力を放つ魔法陣。
「……これ」
よく似たものが、わずかに時間を開けて二つ。
その魔法陣に触れると、視界がギュンと切り替わり、どこかの森になる。
植生からして、王都の南側だろうか。叡智の森のような気もするが、確信は持てない。
そこでも派手な戦いをしていたらしい。森の奥深くに残された傷跡から、その壮絶さが窺えた。
時間を丁寧に追い、ララティーナが立ち去った後のセルカの動きを捕まえようとしようとするが、彼女が唐突に消える。
「え……」
魔法陣もなく、そこからいなくなってしまったセルカを、そこから繋がるか細い彼女の魔力を辿る。
あまりにも細すぎて、切れそうなその気配を、丁寧に追いかけていく。
セルカと一緒に魔力の操作の特訓をしたのが、生かされているのかもしれない。
途中で遅くなることはありながらも、途切れないように、焦らずゆっくり。
「……あ」
そうやって進んで行った終着点は、木々や草に隠れるようなひっそりとした洞窟だった。
緑を掻き分けて、洞窟の中に入ると、そこに横たわる人影があった。
彼女の顔が見えた瞬間、一気に時間が加速していく。
しばらくは若干身じろぎするだけだったのが、起き上がり、水や土の肘置きなどを生み出して、少しずつ外に出れるようになってきて。
いつの間にか、私が見ていた時間が追いついて、近くで採集した木の実や、どこからか手に入れた魚を焼いている姿が見えて。
しかしそんな彼女が、身体中庇いながら歩いていて、見えている肌が傷だらけで。
「……セルカ」
思わず彼女の名前を呼ぶと、パッとこちらを振り返った。
その鶯色の瞳と目が合った瞬間、意識が現実に引き戻される。
「っ……はっ、はぁ」
頭に一瞬で靄がかかり、崩れ落ちそうになるのを、ラインハルト様が抱き止めてくれる。
「大丈夫か?」
「……見つけ、ました」
「っ、どこに?」
「叡智の、森。……あそこで、しか、採取できない、薬草が、見えました。……森の、地図を」
ふらついて、顔を上げることもままならない。
意識がなくなる前にセルカの場所を伝えるために、目を閉じて最後の集中力をかき集める。
「…………頼む。アマリリス、そのままの姿勢でいい。ジュミニが地図を出してくれるから、位置を示してくれ」
ラインハルト様のその声に、うっすらと目を開ける。
魔法で生み出されたのであろう石の板に、王都の南に位置する広大な森、叡智の森の地図が描かれていた。
つい昨日行ったのに、彼女を見つけられなかったことを悔しく思うが、私達が通っていたルートからは外れていたから、後悔してもしょうがない。
震える手で、自分の中の知識と照らし合わせながら、セルカが身を休めている洞窟の位置を割り出す。
精霊の力が宿ると言われているこの森は特殊で、少し場所が変わるだけで、生えている植物やそこに暮らす動物、魔物が変わってくる。採取できる素材も貴重なものが多く、王家の直轄地となっているため、私が直接関わることはできないし、そこで採れたものが一般に流通することは少ないが、知っていて損はないと勉強していた甲斐があった。
「ここ……」
森の、ほぼ南端に位置するそこを指で示す。
自分の指が地図に触れた途端、気が抜けて、意識が暗転した。
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