【コミカライズ配信中!】 婚約破棄後の悪役令嬢~ショックで前世の記憶を思い出したのでハッピーエンド目指します!~

弓削鈴音

86話:浸る

「……」

「……」

「……遅くなって申し訳ありません」

 ドロッセル殿下の屋敷の地下。
 秘密の訓練場に繋がるドアを潜った瞬間、異様な空気に包まれていたそこに気押されそうになるが、どうにか当たり障りのない言葉を絞り出す。

 かなり広々としている地下訓練場。
 なぜかそこの壁際に並んで立っているラインハルト様とジュミニ様は、無言で壁に向かっていた。

 私がやって来たことにも気付かず、ずっと壁を向いたままの二人に代わって、ダラン様が苦笑しながら私を出迎えてくれる。

「ここに来てから、ずっとこんな様子で……申し訳ありません」

「いえ。仲が……よろしいようで?」

 ついそこで怪訝な声を出してしまったのは、チラッと見えた二人の横顔がかなり険しいものに見えたからだ。

 気になってじっと見ていると、肩が触れそうなくらい近くで並んでいる二人の間から、壁がわずかに覗く。その壁には、文字が浮かび上がるとすぐに消えていった。
 どうやら、魔法で筆談をしているらしい。ジュミニ様が声を出せないからだとは思うが、あんなに素早く文字を魔法で生み出し続けるなんて、かなりの凄技だ。

「ラインハルトは……いえ、あまり野暮なことを言うものではありませんね」

 何かを言いかけたダラン様は、にこりと笑うと私に手を差し出してくれる。

「ドレス、お似合いです。どうぞこちらへ」

「ありがとうございます、ダラン様」

 彼にエスコートしてもらい、机と椅子のところまで案内してもらう。

 占星術を教えると言われ、その訓練のためにこの地下訓練場に集まることになった私達だったが、ブレデル元伯爵領から戻ってきた服のままだった私は、訓練が激しいものではないということもあり、ドレスに着替えていた。
 ドロッセル殿下のご厚意でいただいたこのドレスは、普段着ないような黒いもので、スカートのあまり広がっていないエンパイアライン。

 真っ黒のドレスということに、ヘレナは少し躊躇うような様子を見せていたが、私が自分でこれを着たいと告げた。
 正式に彼らを弔うことができない私の、せめてもの気持ちだ。

「……アマリリス嬢。ラインハルトの話ですが」

 おもむろに、ダラン様が口を開く。
 周りに聞こえないようにか、普段より声のトーンが一段低い彼は、穏やかな視線で自分の主人を見つめていた。

「あの方は、僕を傷付けたと今も思っています。……でも、僕はそうは思わない」

 突然声色が変わったことに、驚いてダラン様の顔の方を見る。
 口元は穏やかなままだったが、彼の視線は見たことがないほどに鋭かった。

「あの件の責任は、周りの人間にあります。……幼いあの方を一人にして、守ろうともしないくせに利用しようとする、汚い大人達の責任です」

 机の上に乗せられた拳が、筋が浮かび上がり白くなるほどに握り締められる。

「あの方は被害者だ。それなのにあの方は、自分自身を責め続けている。……七年経った今も、ずっと」

「……」

「あの方の中で僕は、自分が傷付けた相手なんです。ですから、僕の言葉は届かない。……きっとあの方に本当の意味で寄り添えるかもしれないのは、あなただけなんです」

 ダラン様が、眉尻を下げながら私に笑いかける。

「無理なことを言っているのは承知です。ですが、僕はあなたに、あの方が前を向いて良いのだと、そう伝えて欲しいんです。……お願いします、アマリリス・クリスト様。どうか僕の主人を、僕がこの世で誰よりも尊敬するあの方を、救ってもらえませんか」

「もとより、そのつもりです」

 私の即答に、ダラン様は少し驚いたように目を丸くした。
 しかし、私と目を合わせると、手の力を緩めてふわりと微笑んだ。

「ありがとうございます。……あなたと出会えたことは、僕達にとって最大の幸福です」

「そんな……」

 嬉しくなる言葉に思わず私も微笑むと、ダラン様は椅子を引いて立ち上がりながら「ふふっ」と笑う。

「本気でそう思っていますよ。……ですから、彼と婚約するなんて仰らないで、僕の主人と婚約していただいてもよろしいんですよ」

「なっ…!?」

「ははっ」

 予想もしていなかったような言葉に思わず固まってしまうと、ダラン様はそのまま「ここでお待ちください」と言い残して、ラインハルト様とジュミニ様の方へ向かってしまう。
 今日は本当に感情的に振り回される日だと思いながら、少しだけ椅子にもたれかかるようにすると、私の後ろに控えていたヘレナが、周囲から私を隠すように正面の位置に立った。

「お嬢様、本当にお身体は大丈夫ですか?」

 さっき、着替える時にも私を気遣ってくれていたヘレナが、再びそう尋ねてくれる。
 彼女の優しさに感謝しながら、私は頷いた。

「大丈夫。……ちょっと、驚いてしまっただけで」

「しばらく社交界においでにならないと思いご報告をしておりませんでしたが……あの一件の後、お嬢様への婚約の申し出が国内から二件、国外から一件。確定していない打診も含めますと、合計で九件ございます」

「……九件も?」

「現在凍結されている婚約破棄の手続きが進めば、合計で二十件ほどに上りかねないというのが奥様のお考えです」

「……私達の世代は、婚約をなかなかしにくかったものね」

 第一王子と第二王子が揃って婚約者を持たず、それぞれの王太子候補をめぐって流動的な派閥が形成されていたこともあり、私や私の少し上くらいの貴族の子女は他の世代と比較して、婚約者が決まっていない家が多かった。
 婚約というのは、家同士の契約であり、簡単に結ぶことも取り消すこともできない。一度結べば、双方の家を頑強に結び付けるために、相手の家の経済状況や立場などを慎重に見定めないとならない。

 そんな中、家としては完全中立を表明しており、仮想敵国とは隣接しているものの広大な領地を持ち、歴史と伝統を持つクリスト家の長女との婚約は、かなり魅力的に映るだろう。
 王家から婚約されたという要素も、家格の低い家にとっては、公爵家と縁を繋げる絶好のチャンスにしかならないだろう。

「……駄目ね」

 目の前のことから逃避しようとして、ヘレナから告げられた事実の方を頭の中で追求しようとしてしまう。
 もちろんそちらの方もいずれ考えなくてはならない問題ではあるのだろうけれど、私に報告していなかったということは、母上が上手く対応してくれているはずだ。

 それよりも、私が今向き合わなければならないのは、直接婚約を申し込んできた初対面の青年と、やたらと自分の主人との婚約を仄めかす伯爵への対処だ。

「公爵の甥ともなると……困ったわね」

「本家の方に手紙を出しましょうか?」

「帰ってからでいいわ。ひとまず本人と話さないことには、どうやって報告すればいいかもわからないもの」

「かしこまりました」

 ヘレナとの会話を切り上げ、立ち上がろうとした時だった。

 いつの間にか近くにやってきていたラインハルト様が、バツが悪そうに目を逸らしながら私に声をかける。

「……すまない。話に熱中してしまっていた」

「どうかお気になさらず。もう仲を深められたのですね」

「違う」

 ラインハルト様がそう即答したのと同時に、彼の横に立っていた仮面の青年も大きく首を振る。

 いつの間にか仮面を被り直していたらしいポルトレト公爵の甥にあたる青年は、ラインハルト様と並ぶと小柄さが際立つ。
 彼は手を挙げると、ゆっくりと空中をなぞった。

<全てを理論に当てはめようとする姿勢が気に入らない。魔法は自然のものだ。人間の尺度で測れないものもある>

「自然を測るための尺度を生み出してきたのが人間だ。理解できないと思考を止めることは、ただの諦めだ」

<その態度が実態に則していない。それに理解できずとも、その一部を借り受けることが我々にはできている>

「その借り受ける際の具体的な手順というのを……」

「ラインハルト、ジュミニ。一旦その議論を止めて、ポルトレト公爵から請け負ったアマリリス嬢への占星術の訓練をしてはいかがですか?」

 ジュミニ様が一度文字を生み出すと、ラインハルト様がすぐに口を開く。
 こうやってずっと平行線を辿っていたのだろうということが垣間見えるその会話を止めたダラン様は、苦笑いしながら私の方を振り返った。

「こういうことです」

「承知しましたわ。……ジュミニ・ポルトレト様。占星術をご教示いただけるということですが、わたくしはどうすれば?」

 この二人に任せていては進みません、と言外に告げられたダラン様のメッセージを読み取り、私は軽く礼をしてからそう声をかける。

 仮面によって隠された彼の表情は読み取れないが、彼はおもむろに私に手を差し出した。

<ジュミニでいい。敬称も敬語も要らない。私も君をアマリリスと呼ぶ>

 一瞬、彼をどう呼ぶべきか逡巡する。

 呼び方や話し方は、親密度を表す指標だ。
 名前で、しかも呼び捨てで呼び合うなんてことをすれば、周りからどんな噂をされるかは容易に想像できる。

 しかし、私の視界に黒髪がチラついた。
 表舞台に復帰したばかりの第二王子と親しくすることに、既に社交界で憶測が飛び交っていることは知っている。少しリスクはあるものの、他の男性とも距離を縮めていることを示すことは、彼に余計な火の粉をかけないことに繋がるかもしれない。

「……わかったわ、ジュミニ」

<うん。ひとまず私に付いてきて>

 私が彼の手を取ると、しっかりと握り返される。
 無機質な仮面から受ける印象とは違い、彼の手は柔らかく温かい。

<その服だけれど>

 歩きながら生み出された文字列を目で追う。

<地面に直接つけても大丈夫?>

「これは借りてるものだから……地面につけるのは」

<わかった>

 ある程度開けたところで止まったジュミニは、そこで仮面をつけたまま周囲を見渡した。

 彼は、壁際に用意された布の方に手を向けると、指を曲げてすぐにそれを手元に持ってきた。
 彼はそのままそれに手を触れないままに地面に敷くと、私の手を握ったまま先に腰を下ろす。

<この上に>

「ありがとう。……少し、聞いてもいいかしら」

<どうぞ>

 無言で付いてきていたラインハルト様が、同じように棚から布を魔法で運んでいるのをチラリと見ながら、気になっていたことを尋ねる。

「友人から聞いたのだけれど、占星術師は属性魔法を上手く扱えないのではなくて?」

「それがジュミニの特殊な点だ。……僕が気になっていて、彼が答えてくれない点でもある」

<私は答えている。あなたがその答えを受け付けないだけだろう>

 どこかムッとしているような様子でそう宙に書き付けたジュミニは、<一度アマリリスの問いに答える>と宣言すると、仮面をゆっくりと外した。

 何度かパチパチと目を瞬いた彼は、自身の口元を覆う布を指差す。

<私が言葉を発しないのも同じ理由だ。私と世界の繋がりは常人よりも強く、境界は曖昧だ。だから私に扱えない魔法はなく、発した言葉も魔法になってしまう>

「……まぁ」

 わかったような、わからないような。

 理解したいとは思うけれど、魔法の座学だけはどうにも苦手だったことを思い出し、私は曖昧に微笑みながら結論だけを覚えるにとどめる。

 私がきちんと理解していないことが伝わったのだろう。ラインハルト様が珍しく溜め息をつき、ジュミニは軽く首を振った。

<要点はここではない。占星術についてだ>

「えぇ。よろしくお願いするわね」

 ジュミニは頷くと、私と左手を繋いだまま、地面に右の手をついた。

 一体何が起こるのだろうとその地面を見つめていると、ふと彼に握られている自分の右手から何か温かいものが流れ込むのを感じる。

「……これは」

<私達は星を見る。しかし星というのは、空の輝きだけを指すわけではない>

 ドクン、と心臓が大きく脈打つ。それに呼応するように、私の中の魔力が脈動した。

<土地も、風も、水も、過去も未来も、あらゆるものを含めて"星"だ。その星の一部となり、求めるものを見るのが、占星術>

 息が上がり、視界が段々白くなってくる。
 その中で、ジュミニが書く文字を追おうとするが、どんどん視界は狭まり、音も聞こえなくなってきた。

 一方で、どこからか鳥の声や誰かの囁き声が聞こえてくる。
 目の前が砂漠になり、海の中になり、青々しい草の匂いがしたかと思えば、燃えたぎる溶岩の熱を肌で感じた。

 世界全体がぐるぐると回り、それに振り回される。暴風の中で吹き飛ばされる綿毛にでもなったような気分だ。
 上が下で、右が正面になり、大木になったかと思えば砂の一粒になったかのように、世界が縮尺を矢継ぎ早に変えていく。

 あまりの情報量に、体のバランスを保てなくなり、倒れ込みそうになるのを誰かが受け止めてくれた。
 その相手を振り返ろうとするが、自分がどこを向いているのかをわからなくなってくる。

「……ジュミニ。一度中断を」

 溢れている騒音のせいで、誰かがすぐ側で話していることはわかるのに、それが誰の声なのかがわからない。

「……明らかに異常をきたしている。……負担になることは避けるべきだ。……しかし……」

 焼き立てのパンの香り、虫の鳴き声、真っ白な滝の水飛沫、包帯と消毒液の匂い、鉄を叩く槌の音。

 とめどなく押し寄せるそれらに、押し流されそうになる。
 膨大な情報の奔流に、自分という存在が削り取られていくような、潰されるような感覚に陥る。

 似たような経験をしたことがあるような気もするが、記憶が曖昧だ。
 自分が息ができているのかもわからなくなり、極寒の雪の中と煮えたぎる溶岩が同時に襲いかかってくるようで、寒いのか暑いのかもわからなくなってくる。

 何が見えているのか、それとも見えていないのか。
 焦点が定まらず、まとまらない思考の中、ふと私の耳にトクトクと心臓の音が聞こえてきた。

 騒音の中のその音と、触れた穏やかな熱は、世界に今にも溶け込みそうだった私の意識に核と輪郭を与えてくれた。

 規則的でありながら柔らかく、私の鼓膜を叩くその音をよすがにして、溢れている情報を少しずつ押し除けていく。
 炎のゆらめきを、轟く雷鳴を、泉の透き通った湧水を、認識の外に追いやる。代わりに、温かい拍動の音に集中した。

 トクトクと、命の音が聞こえる。
 湧き上がる愛おしさと温もりに、いつの間にか私に流れ込んでいた情報は背景となり、今まさに私がいるこの場の情報がはっきりしてきた。

「事前説明なし、に……アマリリス?」

「ラインハルト、様…?」

 いつの間にかきつく閉じていた瞼を開き、ゆっくりと見上げると、橙色の双眸が視界に入る。

「僕のことがわかるか?」

「もち、ろん……ラインハルト・ウィンドール第二王子殿下。……ごめんなさい、意識ははっきりしているのですが、まだ頭痛が」

 少しずつ頭がしゃっきりしてくる。
 目と耳はきちんと周囲の情報を拾ってくれていて、頭の後ろから温もりも感じるが、それを受け取る頭が、どうにも上手く動いてくれない。

 一度目を閉じてゆっくり息をしていると、ずっと繋がれていた手が離され、肩を優しく叩かれる。

「っ!?」

 目を開けた瞬間、金色の瞳がすぐ近くで私のことを覗き込んでいた。
 思わず後ずさろうとするが、ラインハルト様に余計に密着するだけになってしまう。

 まだろくに回転を始めていない頭が、混乱と恥ずかしさで余計に働かないのを感じながら、ただ丸っこいジュミニの目を見つめる。

 彼は目を嬉しそうに細めると、一単語だけ空中に書いた。

<大成功>

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