【コミカライズ配信中!】 婚約破棄後の悪役令嬢~ショックで前世の記憶を思い出したのでハッピーエンド目指します!~

弓削鈴音

80話:収穫と壁

「なっ……ヴィンス、お前、それ」

「すまんちょっと色々あって色々あったんだよ!とりあえず早めにここから出ようぜ」

 地下室から引き上げられた兄上が、驚きで溢れそうなほど目を見開くユークライ殿下に対し、今も呪いに蝕まれているのが明らかにわかるローブを纏いながらいつもの様子で叫ぶのを見て、私は思わずこめかみを押さえた。

「兄上……私、ユーリ兄さんとライ兄さんの妹になろうかしら」

「リリィそれはやめて!?」

 着ているローブこそ異質だが、いつもと変わらない兄上の様子に、こっそり胸を撫で下ろした。

 私とユークライ殿下の視線を受けて、バツが悪そうに視線を泳がせた兄上は、いそいそとローブを脱ぎ始める。
 その下に身に付けていたタンクトップから除く肌は、傷も呪いもない。

「……ライ」

「あぁ。預かろう」

 鞄から袋を取り出したラインハルト様は、兄上からローブを受け取るとそこに仕舞った。
 ラインハルト様が当然のように受け取るのを見て、彼が一枚噛んでいることがわかって安心する。と同時に、蚊帳の外にされていたことに、なんとも言えない疎外感を感じるが、自分自身剣に毒を塗っていることを伝え忘れていたことを思い出すから、その不満は飲み込むしかない。

 ひとまず、全員が無事なことは喜ぶべきことだ。
 深く息を吐くが、気管に何かが詰まったような落ち着かなさが拭えない。それが情報共有を忘れていたことへの申し訳なさから来ているのか、あるいは。

「ユーリ、ライ。状況は?」

 腰に下げた杖を取り出し、軽く魔力を込めながら振りながら兄上がそう問いかける。

「俺は大体聞き込みは終わってるけど……おそらく、もう警戒されてしまっているだろうね。エミー、君の方は?」

「武器の取引の裏帳簿を」

 そう言って、彼女が懐から分厚い冊子を取り出す。

「傷一つございません。ご安心ください」

 だからか、と納得する。
 エミーがあれほどまでに苦戦するのは、いくら相手が呪いを付与された武器を持っているからとはいえ、なんだかおかしいと思っていた。
 大きな帳簿を服の下に隠したままなら、動きにくくてもおかしくない。

「よし。これで騎士団を動かすための物的証拠が手に入ったな。せめて、ここの管理をしている衛兵の再監査をさせることくらいできるだろう。ライ、そっちはどうだった?」

「呪いが付与された武器をいくつか回収している。一人、有力者らしき女性も拘束している。それと、この地下室も魔法陣の写しをとってある」

「よっしゃ、じゃあ……」

 兄上が大きく伸びをした時だった。
 ポカリと開いた地下室の扉から一気に熱と炎が噴き出し、視界が真っ赤に染まった。

「チッ、マジかよ!!」

 兄上が氷の壁を作り出したとわかったのは、一拍遅れてのことだった。
 踏み込んだ足から広がるような壁は、 私達を守るようにぐるりと囲んでいる。しかし、まとわりつくような炎は、じわじわと氷を溶かしていった。

 その炎の苛烈で妖しい揺らめきに、私はその場に縫い止められたように、足はおろか視線さえも外すことができなかった。

「すまんが全員固まってくれ!あんまり広くは保たせられそうにないんだ!」

「……お嬢様っ」

 ヘレナに腕を引かれて、はっと我に返った。
 私がよろけるように一歩後ろに下がると、すぐに氷の壁も後退していく。

「ヘレナ、リリィについててくれ!」

「かしこまりした、若様」

「ごめんなさい。……大丈夫。少し、なんだか……変な感じがして」

「変な感じ?」

 私の言葉を聞きつけたらしいリズヴェルトが、そう私に問いかけてくる。
 彼の眼鏡のレンズに炎がゆらゆらと反射しているのも見て、思わず目を背けてしまった。

「何かありましたか?」

「……この炎が、なんだか普通のものに思えなくて」

「奇遇だなリリィ。俺もそう思ってたところだ」

 そう言ったのは兄上だった。

「……なんつーか、精霊術師を相手してる時みたいな感覚がする」

「つまり、これが精霊魔法だと?」

「断言はできないんだが、なんとなくそんな感じが……っ」

 扉のところが爆ぜて崩れるのと同時に、炎がゴォっと勢いを増し、ラインハルト様の質問に答えていた兄上が宙に向かって叫ぶ。

「頼むお前ら!」

『━━━』

 ふと、幼い子供の声のような、あどけない歓声が聞こえたような気がした。
 その声の主を見つける前に、吹雪のような氷の混じった冷たい風が吹き始め、炎を打ち消そうとする。

 雪の粒と炎の粒がぶつかり、絡み合い、舞い落ちる。
 今のところは拮抗しているが、ずっと兄上が対処し続けられるわけではないし、勢いよく燃えているこの部屋全体がいつ崩壊するかもわからない。
 そう思っていると、兄上がちょうど口を開いた。

「どうする、ずっとここにいるわけにもいかねぇぞ」

 杖を油断なく構える兄上がそう告げたのに、ラインハルト様とユークライ殿下が頷く。

「転移魔法を使うにしても、一度外に出ないといけない。ひとまず屋敷から脱出するために、僕が道を作る」

「道を作るって、どうやって?」

 ユークライ殿下のその問いかけに、ラインハルト様が真っ直ぐ壁を指差した。

「穴を開ける」

「穴って……本気か?」

「いや、絶対その方がいい。屋敷全体が延焼してるみたいだからな」

 目を見開きながら聞き返すユークライ殿下に、兄上がそう力強く告げる。

「どうやってわかった?」

「精霊に聞いた。建物全体が燃えてるらしいぞ」

「わかった。……となると、倒壊するのも時間の……っ!?」

 その瞬間、バキバキと音を立てて、扉のところが崩れ落ちる。
 瓦礫が落ちた風でぶわりと炎が広がり、視界を埋め尽くした。

「すまないが誰か、ダランとアレックスを頼む。穴を開けたらこの部屋は長く持たないだろうから、可能な限り素早く脱出したい」

「では俺が」

「私もお手伝いいたします」

 イレーヴ殿がダラン様を、エストレイがアレックスを背負う。

 事前に脱出方法は話し合っていたものの、このように複数名が意識を失った状態で、しかも屋敷の中に閉じ込められることは想定していなかった。
 焦りが頭を埋め尽くしそうになる中で、私を守るように立ってくれているヘレナに少しだけ寄りかかり、深く息を吐く。彼女が心配そうに私の方を向くのと同時に、エミーが私を支えるように腰を抱いてくれた。

「お嬢様、お気分が優れませんか?」

「えぇ、少し」

 空気が薄いからなのか、なんだか思考がよくまとまらない。
 視界の端でチラチラと炎が揺れる度に、どんどん意識に靄がかかっていくような気がする。
 しかし脱出に遅れるわけにはいかないと、自分を叱咤して手をぎゅっと握った。

「あそこの壁に、同時に四人ほどが通れるくらいの穴を開けると同時に、あそこまでの道を作る。その瞬間に、全員で走ってここを出る。それで大丈夫か?」

「了解!そしたらあんたが道を作るのに合わせて、俺も炎をどうにかするから合図くれ」

「わかった」

 兄上の申し出に頷いたラインハルト様が、私達全員を見渡す。
 一瞬、エミーとヘレナに寄りかかるようにしている私を見た彼は軽く眉を動かしたが、すぐに前を向いた。

「壁を破壊する。五、四、三……」

 ガリガリガリ、と何か硬いものが削られるような音ともに、轟音が響いて熱風が舞う。

「二、一……」

 ふと後ろを向くと、炎がまるで意志を持ったかのように、私達を呑み込もうとぶわりと膨れ上がっていた。

「兄上!」

「ゼロ」

「俺らに任せろ!」

 私の叫んだ声とラインハルト様のカウントダウン、そしてそれに頼もしく応えた兄上の声が響く。
 と、一拍遅れて壁が音を立てずに崩れていき、同時に部屋中を氷の蔦が埋め尽くした。

「全員走れ!」

 ラインハルト様が先頭で走り出しながら、鋭い声を出す。
 彼が踏み締めた地面から岩の壁が生み出されていき、全員が外に向かって駆け出した。

「っ、はぁ、はぁっ……」

 走ってみればほんの一瞬で、外に出た私は冷たい透き通った空気を吸うと、思わず地面に座り込んでしまった。
 私と同様に地面にへたり込んだのはヘレナとリズヴェルトだけで、他は肩で息をしながらも、油断なく構えている。

「……くそっ、一体何が」

 ユークライ殿下が珍しくそう悪態をつくと、兄上が眉間に皺を寄せながら返した。

「あの部屋全体がでっけえ魔法具なんだよ。多分、地下室の扉が一度閉じた後に破壊されたら、自動的に爆発するようになってんだろうな。時差があったのは、多分俺らの中の誰かの攻撃が原因だ」

「なるほどな。……屋敷からこれ以上の証拠の回収は困難か」

「あぁ。屋敷全体が引火している。色々なところに魔法石が仕込まれているようだから、おそらく五分もせずに倒壊する」

 ユークライ殿下に同意をしたラインハルト様は、自身の目元に魔法陣を描きながら、屋敷の全体を注意深く観察しているようだった。

 轟々と燃える屋敷を見つめながら、私は今になって震えてきた足を叱咤し立ち上がり、兄上の側まで行く。

「兄上。屋敷の中で意識を失っている人達は?」

 私の頭にあったのは、あの火事の中に取り残されているであろう人達のことだった。
 脱出できていたとしたらこの庭にいるはずだが、辺りを見渡しても誰もいないし、誰かが出て行った痕跡もない。

「……この状況じゃ無理だ、リリィ」

 私の方を振り返りグッと肩を抱き寄せた兄上の返答は、普段より幾分か低い声だった。

「やつら、この屋敷丸ごと証拠を隠滅するつもりだ。効率良く燃やせるような配置がなされてる。別のことまで拾おうとしたら、俺達が死ぬかもしれない」

「っ……でも、兄上の精霊魔法なら」

「魔法は万能じゃない。それに、そもそもが反逆人に従ってる連中だ。覚悟の上だろう」

「雇い主が全てを語っていたかはわからないわ!それに、たとえ罪を犯していたとしても、彼らが一方的に命を奪われるのをただ見ているだけなんて……」

「……リリィ、わかってるんだろ?」

 私にそう語りかけてきた兄上の声は、さっきと打って変わって優しいものだった。
 私を見つめる眦が下がっていて、それでもその瞳は私の内心を見透かすように鋭いもので、思わず目を背けてしまう。

「どっちにしろもう手遅れだ。……屋敷が燃えたのは、お前のせいでも俺達のせいでもない」

「でも……っ」

 だったら、このやり場のない感情をどうすればいいのか。

 頭では理解している。
 ゴロツキ達をこの屋敷に配置したのも、屋敷を燃やすための悪辣な細工をしていたのも、おそらくこの屋敷の元の主人であり彼らの雇い主……スニクス・ブレデル。
 憎むべきも責任を負うべきも、きっと彼だ。

 しかし、もし私達が今日来ていなかったら。あるいは、違う計画に基づいて、違う行動をしていたら。
 そんな意味もない"もし"ばかりが頭を駆け巡るのと同時に、人を斬った感覚が、手に蘇ってくる。

「っ……」

 私はロンラの命を奪わなかった。
 彼女が私達を殺そうとしていたのは事実でも、一方的に命を奪うことはしたくなかったし、引き出せるであろう情報もあったから。

 さっき確認したが、ラインハルト様が用意してくれていた土のドームもそのまま残っていたし、この火事の影響はないだろう。

 けれどもし、私が彼女と斬り結んだのが屋敷の中だったら。
 私の行動が、彼女の命を奪う結果に繋がっていたとしたら。

「……ぅ」

「リリィ、大丈夫か?」

 込み上げてくる気持ち悪さに、思わずうずくまりそうになるのを、兄上が支えてくれる。
 大丈夫だと、そう返して安心させたいのに、どうにも言葉が上手くまとまって出てきてくれない。

 屋敷を飲み込む炎が、まるで私を嘲笑っているように見えて、私は俯いて目を閉じた。

「……ライ。できるなら、なるべく早く転移魔法の準備をして欲しい。それか一度この場を離れたい。リリィの調子が悪そうだから、静かなところで休ませてやりたいんだ」

「そうだな。ここは魔力がかなり乱れているから、捕縛した敵の戦闘員を回収し次第ここを離れよう」

「あぁ、頼んだ」

 兄上の温かい手が、私の背をさすってくれる。
 パチパチと燃える音の裏で、時折聞こえてくる柱が崩れる音や爆発音が聞きたくなくて、耳を押さえたくなる。
 しかし、自分の責任を放棄するような真似はしたくない。今回の突入の計画を、私も立てたのだから。

「兄さん、打ち合わせ通り、近くの丘で転移をしようと思う。馬車の方は大丈夫か?」

「ちゃんと全部綺麗にしてあるよ。馬も、今度王都へ行くと言っていた人に預けてある」

「わかった。できればダランとアレックスが意識を取り戻してから転移したいが、おそらくまだ時間がかかる……だろう、から……」

 ラインハルト様が不意に言葉を切った。
 一体何があったのかと、どこか嫌な不吉な予感を感じながら、兄上の腕から出て彼の側へと向かう。

 ラインハルト様は、ロンラを閉じ込めておくために作っていた土の壁を解除し、横たわっている彼女の側に膝をついていた。
 顔も体も隠している彼女の様子の異変に気付いたのは、近くへ駆け寄った時だった。

「……まさか」

 口元に白い泡があり、ピクリとも動かないロンラの首に手を当てていたラインハルト様は、私がそう声を漏らすと「手遅れだ」と小さく告げた。

 告げられた事実を否定する材料を探したいのに、すぐ側に人がいるのに動かない手も、閉じたまま震えさえもしない瞼も、目元以外に唯一隠されていない唇の血の気のなさも、全て彼女の命が戻って来ないことの証左で。

「嘘……」

 私が彼女に対して振るった剣につけていたあの痺れ薬は、屈強な大男でも一時間は動けなくなるものだ。
 たとえ意識があったところで、動かせるのはせいぜい瞼や指先程度。考えられるとすれば、口の中に毒薬でも仕込んでいたくらいだろうか。

「っ……」

 こんな事態が起きているというのに、冷静に状況を分析しようとする自分がいることが嫌になる。
 あるいはそうすることで自分を守ろうとしているのかもしれないが、それでも自分への嫌悪感に大差はない。

 私のせいで、追い込まれた彼女は、ロンラは、自決した。
 彼女の命は、たった一つの命は、もう二度と戻ってくることはない。

 その事実が、ただただのしかかってくる。

「……アマリリス」

 私の名前を呼んだのは、立ち上がったラインハルト様だった。
 ゆるゆると視線を上げると、彼の怜悧な瞳が私を映している。

「……僕に、本当の意味で君の気持ちを理解することはできない。共感することはできたとしても、君が感じている苦しみを肩代わりすることはできない」

 彼の静かな声が、私の鼓膜を打つ。

 屋敷の燃え爆ぜる音も、崩れ落ちる音も、指示を出し合うユークライ殿下や兄上の声も、壁を隔てたかのように遠くに思えた。

「それでも、僕は君の側にいる。側で必ず支える」

 ただ彼の声だけが、聞こえていた。

コメント

コメントを書く

「恋愛」の人気作品

書籍化作品