【コミカライズ配信中!】 婚約破棄後の悪役令嬢~ショックで前世の記憶を思い出したのでハッピーエンド目指します!~

弓削鈴音

79話:救出

「……アマリリス?」

 小声でそう名前を呼ばれたのは、ラインハルト様が私にもたれかかってから二分ほどが経った時だった。
 一瞬本名で呼ばれたことにどきりとするが、微睡の中で告げられたような囁き声だったため、周りには聞こえていないだろう。

「……ライ様、お加減はいかがですか?」

「ん……少し良くなった」

 ゆっくりと体を起こしたラインハルト様は、私の方を向くとパチパチと目を瞬く。
 どこか幼く見えるようなその動作に思わず笑みをこぼしてしまうと、彼はどこか不服げに眉に皺を寄せた。
 私はよく弟にやるように、彼の頭を最後に一度優しく撫でてから立ち上がる。

「エミー、消耗は大丈夫?」

「問題ございません」

「エストレイの体の調子は?」

「完全に良くなりました」

「ヘレナ、動けそう?」

「もちろんでございます」

 そうやって私が三人の調子を確認している中で、ふとヘレナが私に生暖かい視線を送ってくることに気付く。
 なんでかと不思議に思い、彼女の動かされた視線の先を見ると、そこには伸びをするラインハルト様がいて、そこでやっとわかった。

 第二王子に寄り掛かられて、しかも断りもなく頭を撫でるなんて、私は一体なんてことをしてしまったのだろう。

「……んんっ、ヘレナ」

「なんでしょう」

 戦場とは思えないくらいのにこやかな返事に、私は咳払いをした。

「あのね……」

「気に病んでおられないようで、安心いたしました」

 その言葉に、彼女が私達の距離感の近さをからかおうとしているのではなく、むしろ私のことを心配してくれていたのだとわかり、曖昧な笑みを浮かべることしかできない。

「実家では、実戦で初めて人を斬ったことに心を病んで剣を握れなくなる者もいたので」

「気遣ってくれてありがとう」

 本当は、まだ怖かった。
 相手に狙われていたとはいえ、この手で誰かを傷付けたということだ。

 しかし私は、それを覚悟して来ている。
 この事態を解決するために、ララティーナとその背後にいる黒幕を引き摺り出すのだと、そのためなら自ら剣を持って立ち上がると、そう決めたのだ。

「……ひとまず、屋敷の中に入りましょう。ライ様、よろしいですか?」

「あぁ。その前に、少しだけいいか?」

 そう断ったラインハルト様は、未だに目を閉じたままのロンラに歩み寄る。
 彼女の傷の状態を確認した彼は、地面に魔法陣を描くと、彼女を覆う半球型の土の壁を生み出した。

「彼女は参考人として連れ帰りたい。仲間に救出されたり自力で離脱されたりしないよう、破壊できない壁を作っておいた」

 コンコン、と叩いてみせたラインハルト様は、わずかに口元を緩める。

「集中力が戻ってきた。アマリアのお陰だ」

「いえ、私は何も」

 むしろ弟にするように接してしまったことを謝りたいくらいだ。
 しかし、そう口にすれば白状することと一緒だから、この申し訳なさは飲み込むしかない。

「一旦、兄さん達と合流したい。おそらく、まだそこまで奥には入っていないはずだ」

「そうですわね」

 ユークライ殿下達と屋敷の敷地内に入った途端に別行動となってしまったことを思い出し、さっきまで抱いていたのとはまた違った理由から、申し訳なさと反省を感じる。
 本来なら、このように敵地で別々に行動するべきではない。しかし、命の危険が差し迫っていたエストレイを見て、丁寧に段取りを決めるような余裕が私の中から消えてしまっていた。

「入る前に、中の様子について軽く説明する。僕が見た限りだが、おそらく今この屋敷にいるのは、僕達を迎え撃つための武装した集団だけだ」

「……察知されていましたか」

「あぁ。それと、ダラン達を閉じ込めている地下室は、罠だった」

「罠ですか?」

「部屋全体が大きな魔法具のようになっていて……説明が難しいが、精霊術師には相性が悪いものだ」

 そこで言葉を切ったラインハルト様は、彼にしては珍しく、わかりやすく眉を顰めた。

「みんな僕を庇ってくれたんだが、僕があそこに残った方がすぐに脱出できていた。あの一瞬でそれを判断できなかったのが悔やまれる」

「仕方ありません。今は全員で無事に帰ることを考えましょう」

「そうだな」

 反省はしながらも、足と頭を止めることはできないとそう自分を叱咤して、屋敷の方へ向かっていく。
 近付いて行くにつれて大きくなっていく剣戟の音に、再び剣を握ることへの不安も相まって、心の中で後ろ向きな気持ちが膨れ上がって行くのを感じる。それを押し殺すために深呼吸をしていると、横を歩くエミーから声をかけられた。

「我々はお嬢様のご判断が正しかったと、そう心から思っております」

 後悔が顔に出てしまっていたのだろうか。
 ハッと彼女の方を見ると、その涼しげな桃色の瞳は、私のことを真っ直ぐに見据えていてくれていた。

「……お嬢様に剣を握らせてしまったのは、私の力不足でございます」

「それは違うわ」

「いえ。私の役割は、お嬢様をお守りすること。……お嬢様を危険に晒し、そのお心に傷をつけてしまったことへの責任は、後ほど必ず」

 私の判断が招いた事態だからエミーが責任を感じる必要はないと、そう言おうとした時、前を歩いていたラインハルト様が振り向いて口元に人差し指を当てた。

 開け放たれた屋敷の扉に、エストレイがぴたりと背を付ける。
 数秒ほど耳を澄ましていた彼女は、扉の向こうを確認すると、手で入るように合図をくれた。



 屋敷の中は、惨状と言い表す他ないくらいボロボロに荒れていた。
 主人がいなかったからか、老朽化した壁紙はところどころ剥がれ落ちて黒ずんでいて、食べカスなのか薬品の跡なのか変色している部分も多い。調度品などは全て持ち出されたはずだが、趣味の悪い壺の残骸らしきものが残っているのは、ここを根城にしていた賊が持ち込んだものだろうか。

 本来なら衛兵が管理しているはずのここに荒くれ者が出入りしているというのは、街の人から聞いた通りではあったが、思った以上の荒れ果て具合だ。
 しかも、おそらくここでも戦闘があったのだろう。床や壁に、斬られた跡や焦げ跡が無数にある。

「……兄さんはこっちだ。行こう」

 辺りを見渡していた私は、ラインハルト様に声をかけられてパッと意識を切り替える。

 いつの間にか戦いの音は止み、静けさが占めている屋敷の中を、ラインハルト様が迷いなく先導していく。
 途中、意識がない武装した柄の悪い者達が横たわっていたのを横目に、私達は厨房の手前に辿り着いた。

 本来なら扉があったのだろうけれど、抉られたように木の枠しかほとんど残っていない。
 一体何があったのかと思いながらラインハルト様の方を見ると、彼は中の様子を確認もせずにそのまま入って行った。

「兄さん」

「……っ、ら、ライ!?」

 驚いた声がしたかと思うと、物陰からユークライ殿下が姿を現した。
 彼の隣にはヘンリック殿がいて、私達に気付くと無言で頭を下げる。さらに彼の後ろからひょっこりと顔を出したリズヴェルトは、少し疲れたような顔でにこりと笑いかけてきた。

「驚いた。アマリア達と一緒にいたのか……エストレイ以外の三人は?」

「地下室だ」

「やっぱり地下室なのか……」

 そう言って、ユークライ殿下が弟から視線を外し、少し離れた床の方に向ける。
 私がその先を追うと、そこには頑丈そうな金属製の扉が床に嵌められていた。

「アマリアの援護に向かおうかと思ったが、ただでさえ途中で足止めを食らっていたから心配で、先に屋敷に入って何かありそうなところを探していたんだ。そしたらこれを見つけてね」

 ユークライ殿下がかがみ込み、扉をコンコンと叩き、次に取っ手を掴んで引いてみせる。しかし、開くことはおろか、僅かにも動く気配はない。

「絶対に何かあると思って、今イレーヴに外から確認してもらってるんだが……やっぱりここにいるのか」

「あぁ。イレーヴを呼び戻してくれて大丈夫だ。……少し離れてくれ。ここを壊す」

 ラインハルト様がそう言うと、全員がすぐに距離を取るのと同時に、ヘンリック殿が小さくユークライ殿下に耳打ちして外へ出て行く。

 私達はどこら辺まで離れれば良いのかよくわからず、近くの壁の辺りまで下がると、ラインハルト様が「そこで大丈夫だ」と声をかけた。

「一応周りの警戒を頼む」

「あぁ。そっちは頼んだ」

 私達を代表してユークライ殿下がそう返事をすると、ラインハルト様は首肯して片膝をつく。

 彼の長くしなやかな指が、地下室への扉をなぞる。その指先がほのかに光っているのを見ると、魔力を流して何かを調べているのだろうか。
 数秒だけ手を止めて考え込むようにした彼は、しかしすぐに魔法陣を描き始めた。

 当たり前だが、解呪のために使っているものとは全く違った雰囲気を放つその魔法陣は、完成すると染み込むように消えていく。
 その間ずっと扉に手を当てていたラインハルト様は、ふぅと息を吐きながら立ち上がった。

「……アマリア」

「は、はい」

 唐突に名前を呼ばれ、戸惑いながら返事をすると、ラインハルト様の橙色の瞳が、私を真っ直ぐに射抜く。

「氷と鋼。どっちがいい?」

「……氷、でしょうか」

 私に聞いたわけも何について尋ねているのか意図もよくわからない質問に、ひとまず直感でそう答える。
 すると、ラインハルト様は口角を上げると楽しそうに笑った。

「僕もそう思った」

 それはどういうことかと、そう聞く前に、ラインハルト様が魔法を発動した。

 一瞬にして、ほぼ天井の高さに巨大な魔法陣が生み出され、そこから人の身長の何倍もある氷の剣が迫り出してくる。
 ゆっくりとその全貌があらわになっていくその透明な剣が、途中で生み出された別の魔法陣を通りながら黒く染まっていく。

 いや、黒というよりは夜の空の闇のような深い紺色の剣が、地下室の扉に迫る。
 その剣先が、扉に触れようというその瞬間、剣が一気に加速し扉に刺さった。

「っ!!」

 ガキーンとつんざくような衝突音に思わず耳を塞ぐ。
 土埃が舞い、状況がよくわからない。あまりにも大きな音だったからか、まだキーンと金属音が響いてるような気がする。

「おい、誰かいるのか!?」

 そんな中、耳を押さえる手の奥から聞き慣れた声がして、私は思わず走り出していた。

「兄上!!」

「リリィ!?」

 土煙を吸ってしまいそうだから、袖で口元を覆いながらも叫ぶ。
 返事があることに安心しながら進もうとすると、不意に後ろから腕をぐいと掴まれた。

 振り返ると、私を制止したのはラインハルト様だった。

「一瞬止まってくれ」

 彼が、空気を掬うように手を閉じると、どこからか舞い起こった風が、周囲の煙を巻き込んで消えていく。
 視界が晴れていくと同時に、ラインハルト様の表情が見えるようになった。

 彼は、どこか張り詰めたような、泣きそうな顔をしていた。
 その顔に胸を締め付けられるような気持ちになったのは、きっと私も同じような顔をしていたからだろう。

 目を合わせた私達は、どちらともなく扉の辺りに駆け寄る。
 ひしゃげるように内側に折り曲がった扉は、辛うじて付いている蝶番のお陰でぷらぷらと揺れていた。

 その奥は薄暗く、しかし白に近いプラチナブロンドの髪は、闇の中でもはっきりと見えた。

「兄上!!」

「ダランとアレックス無事か?」

 私とラインハルト様が矢継ぎ早にそう尋ねる。
 すると、兄上が手を振って返してくれた。

「おう!ちょっと諸事情で二人は気失っちまってるけど、全員無事だ!」

 どうやらかなりの深さがあるらしく、わずかな光しか差し込んでいない。

「ライ!この部屋の変な効果壊してくれたのか?」

「あぁ。自力で出れそうか?」

「自由に魔法が使えさえすれば、こんなとこ一秒たりともいたくねーよ……っと」

 そう話しながら、兄上が飛び上がってくる。

 三メートル近くあるであろう距離を、足場を生み出しながら駆け上がってくる兄上は、ダラン様とアレックスをそれぞれ脇に抱えていた。

「ユーリ、そこにいんだろ?」

「あぁ。どうした?」

「イレーヴいたら、ちょっと二人を運ぶの手伝って欲しくて」

「あぁ、僕が運ぼう」

 ラインハルト様が指を向けると、二人の体がふわりと浮かぶ。
 ありがてぇ、と兄上がそのまま腕を離すと、二人の体は宙に浮いたまま扉の残骸を取って、厨房の床にゆっくりと下ろされた。

 ダラン様もアレックスも、ところどころ小さく怪我をしているようだが、目立った外傷はない。規則的に上下する胸を見て、ほっと息をつく。
 魔法で二人を運んだラインハルト様は、ヘレナが彼らに駆け寄って治療に当たろうとするのを見て、地下室の方へ視線を戻した。

「ヴィンス、手を」

「助かる」

 そうして明るいところへと出てきてわかった兄上の様子に、私は思わず口を覆った。

「兄上…!?」

「あーいや全然大丈夫!!これはその……まぁ色々あってだな」

 そうやって頬をかく兄上のローブは、裾という裾までどす黒く蠢く蔦で覆われており、それは私もよく知っている呪いによるものだった。

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