【コミカライズ配信中!】 婚約破棄後の悪役令嬢~ショックで前世の記憶を思い出したのでハッピーエンド目指します!~

弓削鈴音

78話:振るわれた剣

 地面に座り込むヘレナとエストレイを庇うように、剣を構えて立つ。
 母上がかつて好んで使用していたという青みを帯びたこの剣の磨かれた刀身に、全身をぴたりと覆うような黒い布に身を包んだ女性が映った。

 目と口以外全てを隠すように顔にも布を覆っている彼女は、開いた口元をニヤリと歪める。

「……傷一つない綺麗な顔立ち。このナイフで切り裂いたら、どんなに愉しいのかねぇ?」

「あら。あなたでは、私に傷をつけることは叶わないわ」

 どうしよう、どうやったら勝てるのかと、頭の中で疑問が焦燥と恐れがぐるぐると駆け巡るのを押し殺し、優雅な笑みを返す。

 相手に隙を見せてはいけないのは、社交界も戦場も同じだと、そう母上に教わった。
 私には戦場での経験は不足しているが、社交界での経験なら十分にある。

 私の動揺を悟られてはいけない。まずは心理的に優位に立つことが、自分の望む結果を手に入れることに繋がる。

「あたしロンラ。お貴族様にしては、随分と肝が据わってるじゃないの。好きになっちゃいそうだわ」

 そう名乗った女性……ロンラが構えている短剣からは、黒い靄が溢れ出ている。
 あれにもきっと、呪いが付与されているのだろう。つまり、触れられたら即アウト。

 冷や汗が出てきそうな状況だが、私は油断なく剣を構えたまま、にこりと笑いかける。

「そう、ロンラ。あなたのような相手からの愛も受け取ることが、貴族の責務だわ。寛大な心を以て受け入れてあげましょう」

「……あらそう?だったら」

 その瞬間、ロンラが姿勢を屈めて私の腹部を刺そうとする情景が、視界に浮かんできた。

 私は少しだけ後ろに飛び退きながら、剣を下段に構える。
 そのコンマ数秒後に、彼女が本当に低い姿勢で私に短剣を突き刺そうとしてきた。

「勘がよろしくていらっしゃるのね…!」

 間髪入れずに、彼女が蹴りや殴りを交えながら、私に短剣を振るってきた。

 私はそれを避け、受け流しながら、彼女をヘレナとエストレイに近付けないように立ち回る。
 切り結ぶ中で確信した。ロンラの方が、単純な剣の腕前は上だ。もしこれに加えて魔法でも使われたら、十数秒ほどで制圧されてしまう。

 度々、数秒先の彼女がどう動くかがわかることがあり、そのお陰もあって対等に渡り合えているが、これもいつまで続くのか。
 エミーが戻ってきてくれるか、あるいはユークライ殿下達が増援に来てくれないと、だいぶ旗色が悪い。
 しかし、耳から入ってくる別の二箇所の剣戟から察するに、どちらも戦闘が続いているようで、私が一人で彼女を押し切るしかないみたいだ。

「……はぁっ!」

 鍔迫り合いになったところで、力を込めてロンラを押し返す。

 そうして距離とほんのわずかな余裕が生まれたところで、私は深く息を吐き、自分の全身を巡る魔力に意識を向けた。
 自分の心臓がどくどくと鳴るのと共に、体の奥底から熱が湧き上がるのを感じる。

「……なぁに、何か隠してたの?」

「隠してなんかいないわ。あなたが気付かなかっただけ」

 体内の熱の高まりに共鳴するように、私が握っている清青石の刃が、涼やかな青色に輝く。

「ふぅん……。とりあえず、あんまり時間がかかっても怒られるし、そろそろ終わろうかしらね」

 ロンラがそう口にし、短剣を手の中でくるくると回す。

 再び、見えていない数秒先の未来が、見える。
 短剣をこちらに投げ、それと同時に炎の剣を生み出す姿が。

 それが見えた瞬間、私は勢い良く前に踏み込んでいた。

「なっ!?」

「はぁっ!!」

 踏み込んだ足から指先まで、全身の力を利用して、斜め下から斬り上げる。
 魔力を込めて軽くなった刀身は、瞬きをするよりも速く届いた。

「ぐあっ!」

 ちょうど短剣を振りかぶったロンラの腕から、血飛沫が舞う。
 そのまま腕と手首を返して、魔力を流すのを止め、重くなった剣を上から振り下ろした。

 ザクリと、布と皮膚を裂く音と手応えと共に、視界が赤く染まる。

「…………あっ……」

 ロンラが目が大きく見開き、その瞳の中に私を映して、何かを言おうと口を震わせた。
 しかし言葉が紡がれるよりも早く、やがてそのまま崩れ落ちる。

 私は地面に倒れた彼女が、これ以上動かないことを確認し、剣を一度ゆっくりと下ろした。
 その剣は、ずしりと重い。

「……アマリリス女史」

 そう私の声を気遣わしげに呼んだのは、エストレイだった。

 今も呪いに侵されていて苦しいはずの彼女が、絞り出すように声を出す。

「戦闘は、我々の領分でしたのに、あなたにこんな……」

「彼女は生きているわ」

 私は、何度か剣を横に振って返り血を払ってから、鞘に仕舞う。
 そして、どこか驚いたような表情を浮かべるエストレイに笑いかけた。

「あちらが短剣に呪いを付与しているのなら、こちらは毒を用意するまで。痺れ薬と、効果が少し遅れてやってくる止血剤を入れてあるから、放っておいても数時間は起き上がれないはずよ」

 柄から手を離し、そうやって口を動かしていても、自分が上手く笑顔を浮かべられているか、心配するような視線を向けてきてくれているエストレイやヘレナを安心させてあげられているのか、自信がない。

 人を斬った感覚が、飛び散る血飛沫が、鉄を通って伝わってきた肉の感触が、生々しく手に残っている。

「そういえば毒のこと、ヘレナとエミーにしか伝えてなかったかしら」

「……はい。自分が、聞いた覚えは、ありません」

 痛みが増してきたのか、額に汗を浮かべながら途切れ途切れに話すエストレイの背を、ヘレナが優しくさする。

「そう。ごめんなさいね、余計な気苦労をかけてしまって」

「珍しいな、君が情報伝達を忘れるなんて」

 唐突に横から聞こえてきた怜悧な声に、私は慌ててその声がした方に向き直った。

「ラインハ……いえ、ライ様!?」

 驚きのあまり本名で呼んでしまいそうになるところを、どうにか堪える。
 すると、フードを被ったままの奥の橙色の瞳が、丸く見開かれた後に、優しく細められた。

「遅くなってすまない。君の魔力を感じて来たんだが、ちょうど良かったみたいだ」

 ラインハルト様の深い緑のローブは朝見た時と変わらず汚れ一つなくて、怪我も特にしていないようだ。ダラン様達と分断されたと聞いたから心配していたが、彼の魔法の腕前なら大抵のことは乗り越えられたのだろう。

「無事で良かった。来てくれてありがとう……アマリア」

「えぇ。ライ様も、ご無事で何よりです」

 少しぎこちなく私の偽名を呼んだラインハルト様は、私の言葉に「あぁ」と短く返すと、エストレイの側に膝をつく。
 ヘレナにもたれかかるようにして地面に足を伸ばして座っている彼女が姿勢を正そうとするのを押しとどめ、今も呪いに蝕まれている足に手をかざした。

「……まだ十分に僕が対処できる段階だ。一旦応急処置をして、先にエミーの方に助力へ行く。それまでもう少しだけ耐えてくれ」

「承知、しました。……お手数、おかけして、申し訳ございま、せん」

「気にするな。エストレイが敵を減らしてくれていたお陰で、僕も動きやすかった」

 喋りながら、ラインハルト様がエストレイの足に魔法陣を描く。
 その魔法陣からふわりと舞い落ちる金の粒が、禍々しく巻き付いている黒い蔦の呪いに触れると、しゅわりと呪いを打ち消した。

 魔法が上手く発動していることを見届けると、ラインハルト様は立ち上がり、肩からかけていた鞄からモノクルを取り出して装着した。
 そのモノクルには魔法石らしきものがいくつか嵌め込まれており、光ったかと思うと、何重にも魔法陣が生み出される。

「……五、四、三」

 手のひらを、エミーが今も男達と戦っている屋敷の庭園の片隅の方に向けたラインハルト様が、そうカウントを始めた。
 魔法陣が何重にも描かれ、回転を始める。

「二、一」

 パッとラインハルト様の手に炎の矢が生み出され、目にも止まらないスピードで飛び出していった。
 一瞬、エミーが大丈夫かと嫌な予感が頭を過るが、燃え盛る細長い炎が分裂し、男達に個別に襲い掛かったのを見て、杞憂だったことを知る。

 ほんの数秒で、炎に包まれる男達がバタバタと倒れて行き、やがて炎も何事もなかったかのように消え去った。
 そんな異様な事態を目の前にしたエミーは、私達に気付くと、倒れた男達の脈を取ってから、地面を蹴るとすぐに私達の前に姿を現す。

 エミーが、少し服に汚れが付いている程度で、特に目立った外傷はなさそうなことに私が胸を撫で下ろす中、彼女は深々と礼をした。

「ライ様。ご助力感謝いたします」

「構わない。それより、僕は今から解呪に集中するから、周囲の警戒を頼みたい」

 ラインハルト様のその言葉に顔を上げたエミーは、エストレイの状態に気付き、気遣わしげな視線を向けたが、すぐに妹から視線を外すと力強く頷く。
 それに頷き返したラインハルト様は、モノクルを外すと今度は違う魔法具を鞄から取り出した。

 一見、精緻な装飾が施されただけの小ぶりの箱のようにしか見えないが、ラインハルト様がそれを地面に置くと、一気に魔法陣が浮かび上がる。
 箱の隣に腰を下ろした彼は、宙に浮かんだ魔法陣をまるで掴むかのようにすると、呪いの上へと滑らせていった。

 私の知っている魔法の使い方とは全く違う、初めて見る離れ業に、驚きが隠せない。
 一種の芸術のように美しいそれに見惚れてしまった私は、ふとラインハルト様に袖を引かれていることに気が付いた。

「……側に、いてくれないか?」

 私を見上げる彼の瞳に、不安そうな影が揺れているのが見えて、私は迷わず膝をついて答えた。

「もちろんですわ」

 そう言って、ラインハルト様に笑いかける。
 さっきヘレナやエストレイに向けたものよりも、もっと自然になるようにと、表情筋一つ一つを意識した。
 今この人を不安にさせることなんて、できないから。

 誰よりも優れた魔法を扱うのに、誰よりも魔法で誰かを傷つけてしまうことを恐れていいる人。
 きっと彼は今日、何人もの人を斬り伏せてきたはずだ。それが、自分や家族の命を狙う者についての情報を集めるため、ひいては国の泰平のためとはいえ、何も感じない人ではないということは、よく知っている。

「私が側で支えます」

「ありがとう」

 ラインハルト様の表情が緩められ、視線がエストレイの方に戻された。
 どこかリラックスしているようにも見えるその横顔は、再び魔法陣に手を伸ばした瞬間に、真剣な鋭さを帯びたものになる。

 私は彼の集中を乱さないように、静かにその解呪の様子を見守った。
 一つ一つ魔法陣が重なり、そこから溢れる光の粒が降りかかる度に、蠢いている呪いが打ち消され、傷口が露わになる。その傷口も、柔らかい光に包まれて、正常な肌へと戻っていく。

 時間にしては、きっと数分ほどだったのだろう。
 最後に残った呪いの欠片を、魔法具の小箱の中に仕舞ったラインハルト様は、ふぅと息を吐いた。

「終了だ。足を動かしてみてくれ」

「はい」

 エストレイは、すっかり元通りになった自分の足をじっと見つめていたが、ラインハルト様にそう声をかけられて、ゆっくりと膝を曲げる。そして、ヘレナに差し出された手を握って立ち上がった。

「……完全に回復しました。感謝申し上げます」

「それは良かった」

 地面に座ったままのラインハルト様は、相変わらず感情の読めない平坦な声でそう告げると、ぱたりと私の方に倒れてきた。

「えっ、ラ、ライ様!?」

「すまない。一分だけ、こうさせてくれないか?」

 その声にどこか疲労感が滲んでいて、私はふと弟を思い出した。

 同時期に魔法学校に通っていた弟のレオナールが、時々こうやって学校終わりに寄りかかってくることがあった。
 あの時、どうしたら喜んでくれたか。

「……エミー、ヘレナ、エストレイ。三分だけ休憩させて頂戴。その間に、装備や消耗品の確認を」

「承知しました」

 代表してエミーが一礼し、気を遣ってくれているのか、三人揃って屋敷の方を向く。

 遠くからは、剣戟の音が未だに響いている。
 早く駆け付けなくてはと焦る気持ちがないわけではない。しかしそれ以上に、高度な魔法を使い続けているラインハルト様の様子が心配だった。

 私はかつて弟によくしていたように、肩に乗せられた頭を、フード越しにぽんぽんと優しく撫でる。
 厚手の布越しではあるものの、ラインハルト様の髪の毛の柔らかさを、何度も何度も確かめる。

 そうすれば、今なおこの手に残る人を傷つけた感触を忘れられるのではないかと、およそ戦場で抱くには似つかわしくない願望を込めながら。

コメント

コメントを書く

「恋愛」の人気作品

書籍化作品