【コミカライズ配信中!】 婚約破棄後の悪役令嬢~ショックで前世の記憶を思い出したのでハッピーエンド目指します!~
74話:遠征へ
「……様、お嬢様。お時間です」
「……ん」
意識が浮かび上がり目を開くと、照明に照らされた薄紫色の髪がぼやけた視界に映る。そしてその奥に、同じ髪色を持った少女。
「エミー……今、何時?」
「四時ちょうどでございます、お嬢様。そろそろお支度なさらないと」
「そう、ね」
ベッドから起き上がると、エミーが水の入ったコップを差し出してくれる。
冷たい水が喉を通ると、少しずつ頭が覚醒していく。
「……準備はできているかしら?」
「全て終了しております。ヘレナはただいま朝食を作っており、席を外しております」
どうやら、昨晩出した指示通りに動いてくれているようだ。
昨日の記憶を呼び起こしながら、エミーが用意してくれていた着替えに袖を通す。
ブレデル元伯爵領に行くことを決定した私達は、すぐにその遠征の計画を立て始めた。
その決定は午前中だったが、簡単なお昼休憩を挟みティータイムの時間になる頃には、大まかな人数と行路が確定した。
そして、取り潰しとなることが決まっている元伯爵領を現在管轄している王国法務院や騎士団に話を通し、いつでも行けるとなった段階のことだった。
再びラインハルト様が、当然のように、「明朝出発しよう」と言ったのだ。
未だにセルカから連絡がなかったこと、そして早く動かないと証拠が隠蔽されてしまう可能性を考えて、私達は突発的な作戦会議の翌日━━━つまり今日、出発することに決めた。
私が同行することを兄上は渋っていたが、私が譲らないとわかると了承してくれた。
昨晩の一時間にも渡る説得を思い出し、今日蒸し返すことはさすがにないだろうと半分願いながら、私はスカートの裾を伸ばした。
「お嬢様、ご用命の剣ですが、こちらでよろしいでしょうか?」
正体を隠すために、ズボンの上から行商人の女性が着るような簡素なワンピースを着た私に、エミーが剣を差し出す。
私の腕ほどの長さの剣は、見た目の割に軽い。
鞘から抜くと、淡く青みを帯びた刃が、照明の光を反射して光る。
「清青石の剣……上手く扱えるかしら」
「お嬢様がそちらを握られるような事態にならぬよう、尽力いたします」
「ふふっ、ありがとう」
クリスト領の南東、高く険しく魔物が大量にいるエゲール山。
エミーの生まれ故郷でもあるそこから採れる鉱石である清青石は、少々特殊な性質を持っている。
母上がよく好んでこの剣を使っていたらしく、譲り受けて長く仕舞っていたのを用意してもらったのだが、いざ実物を握ると緊張してしまう。
エミーの言葉に笑みを漏らし、剣を鞘に仕舞って腰に下げると、コンコンとドアがノックされた。
「失礼いたします。朝食の準備が完了いたしました」
そう言って入ってきたヘレナは、普段と違って私と同じような行商人風の服を着ている。嵩張らないように布で朝食を包んできてくれた彼女は、どうしてか入口辺りで止まっていた。
すぐにでも出発したい私の気持ちを汲んでくれたのかもしれないと思いながら、最低限の物を詰めた鞄を肩からかけ、髪を頭にかぶったスカーフの中に隠す。
「では予定通り、後で馬車の中でいただきましょう。兄上はもう起きてる?」
「実は……」
言葉を濁したヘレナの後ろから、「おはよ」と兄上が顔を出す。
「準備万端か……本気で行くのか、リリィ?」
「一人だけ安全なところで待っていることなんてできないわ。それに、交渉や街の調査できっと役に立てるから」
「……母上になんて言うかな」
「あら。母上ならきっと、よく決意したって褒めてくれるわ」
私が得意げにそう返すと、兄上は大きく溜め息をつく。
もう結論は出たのに、と思いながらそろそろ部屋を出ようと歩き出すと、「あっ」と兄上が声を上げた。
「どうしたの?」
「それ……母上の?」
「そう。セルカから魔力の操作を教わった今なら、上手く扱えるかもって」
「お前がそれを使う機会はないと思いたいけどな」
「穏便に終わるのが一番なのだけれど……」
どうにも胸がざわつく。
最近、胸騒ぎを感じると本当に何かが起きることが多いから、今日も何か起こるのかもしれないが、願わくはこの予感が外れて欲しいと、そう心の底から思った。
王城の近く、指定されていた小屋に着くと、一台の幌馬車が用意されており、その傍らにユークライ殿下と彼の二人の護衛騎士が並んでいた。
「おはよう、ヴィンセント、アマリリス嬢。ヘレナとエミー、エストレイも、昨晩はよく休めたかい?」
「よぉユークライ。そっちの首尾はどうだ?」
「必要なものは全部用意できてるよ」
そう言って、庶民らしい服を身に纏っているのにどこか高貴な雰囲気が隠しきれていないユークライ殿下が、微笑みながら馬をポンと叩く。
「とりあえず、時間がもったいないし出発しようか」
そうだな、と返事をした兄上に手を引かれ、馬車に乗り込む。
人一人分が通れるくらいの通路の左右にそれぞれ二人分の席が用意されていて、一番前の右側の列には、既にダラン様が座っていた。
「おはようございます。ラインハルト様、ダラン様」
「おはようございます、アマリリス嬢。……ちょっと今、ラインハルトは手が外せなくて」
振り返って苦笑するダラン様の視線の先を辿ると、ラインハルト様は何か作業をしているようだった。
御者席の後ろに、馬車には似つかわしくない、複雑な紋様の刻まれた金の筒が設置されている。その先端に固定されている金属板には、いくつかの水晶玉が嵌め込まれていて、どうやらその調整をしているようだった。
「あれが、この改造馬車の要ってわけか」
「えぇ。主に三つの機能を、あの金属板で制御しています。一つが、特殊な形の魔法障壁を生み出すことで、空気の抵抗を減らし馬車の走行速度を速める機能。土属性魔法で道を平らにし、馬の負担を減らす機能。そして最後が、風属性で馬の脚力を増強させる機能」
ダラン様に手で示されて、私はダラン様の後ろ、兄上は空いている最前列の左側に腰を下ろした。
「すげぇな。そんな複数の機能を、あれ一つで」
「お陰で、わずか一日程度で目的地に辿り着ける。しかも馬車内は快適に過ごせるから、体力も温存できるし作戦会議も可能。魔法の可能性には恐れ入るよ」
そう言いながら、兄上の隣に腰を下ろしたのはユークライ殿下だった。
「え、俺お前と座るの?リリィがいいんだけど」
「アマリリス嬢は慣れない長旅になるだろうから、広く席を使ってもらった方がいいという判断だよ。俺じゃ不満か?」
「もちろん不満だよ」
第一王子相手になんてことを言うんだと頭を抱えたくなっていると、「クリスト嬢」と呼ばれる。
その声に横を向くと、なんだかいつもより癖が強いように見えるダークブロンドに銀色の瞳の青年が、私の向かい側の席に腰掛けようとするところだった。
「あら、おはようございます、リズヴェルト。随分と眠そうですけれど」
「……朝食をご用意いただいていると聞きましたが、紅茶はございますか?」
「茶葉は持ってきていますわ。お湯さえ用意できれば……」
「僕が用意しよう。少し待ってくれ」
私とリズヴェルトの会話に入ってきたのは、ラインハルト様だった。
彼は、御者席から馬へと繋がるくびきの部分を触って何かを確認すると、金属板に再び触れて振り返る。
「全員乗ったか?」
彼の言葉に私も振り返って、馬車内の面々を確認した。
ついさっきユークライ殿下とリズヴェルトと共に乗ってきた、ユークライ殿下の護衛騎士であるイレーヴ殿とヘンリック殿は、荷台の中を通り抜けて御者席へ向かう。
その後に続いて来たヘレナとエミーは、私の後ろの席に腰を下ろした。
最後に乗って来たアレックスとエストレイが、荷台の後ろの縁に腰掛けた。
「合計十二人。全員いるね」
「では出発してくれ。発車してしばらくして馬車の走行が安定してから、魔法を発動する」
「承知いたしました。では、出発いたします」
パシリ、と鞭が振るわれる音がして、馬の蹄が地面を踏み鳴らす。
少しずつ馬車が動き出し、やがてスピードが上がっていった。
しばらくしてからラインハルト様が金属板に触れると、周囲の音が小さくなり、馬車の揺れが小さくなる。
きっと魔法が発動されたのだろう。
見た目は普通の幌馬車で、この中でほぼ丸一日を過ごすことに実は内心尻込みしていたが、想像していた何倍も快適だ。
ユークライ殿下が言っていた通り、魔法の可能性には感謝しきれない。
「よし、じゃあ最後の確認をしよう。アマリリス嬢、お願いしていいかな?」
「えぇ、ユークライ殿下。せっかくですし、朝食をとりながらにいたしましょう。ヘレナ、用意を。それと……」
どうにも頼みにくいと思いながらラインハルト様の方を向くと、彼は鷹揚に頷いてくれる。
「僕も紅茶を飲みたいところだった。お湯を用意しよう」
「ありがとうございます。……では、最終確認をいたします。必要に応じてお手元の資料を参照していただければ」
昨晩読み込んだ計画書の内容を思い出しながら、間違いのないようにと気を付けながら口を開く。
「これから約一日かけて、ブレデル元伯爵領の領都、ブリャートへ向かいます。道中は合計二度休憩をいたします。一度目は王都を抜けたところで昼食を兼ねて休憩を一時間ほど。二度目は、叡智の森を八割ほど進んだところで夜を越します」
叡智の森、というのは王都の南に位置する広大な森林だ。
かつてこの森を開拓しようという動きがあったが、木を伐ってもすぐに生えてしまい、開拓隊が道に迷わされてしまうことから、精霊の力が宿っていると言われている。
そのために道を整備することができず、本来なら通り抜けるために二日以上かかることもあるが、この魔法の馬車とラインハルト様のお陰で、一日で通り抜ける予定だ。
「明日の早朝に森を抜けて、予定としては午前八時頃、ブリャートの手前で二手に分かれます」
私が話しながら、ヘレナが朝食を配って行く。
同時に、ラインハルト様が沸かしてくれたお湯でエミーが紅茶を淹れ、馬車の中に爽やかな茶葉の香りが広がった。
「ユークライ殿下と私を中心とした聞き込み班は、朝市に立ち寄り情報収集を。ラインハルト様と兄上を中心とした潜入班は、閉鎖されているブレデル元伯爵の屋敷やその周辺の調査をお願いいたします。セルカの捜索も並行して行ってください。今から乗り込むのは敵地です。基本的には班で固まって行動し、一人にならないように注意してください」
全員が頷いてくれるのを見て、話を続ける。
「帰りは転移魔法で移動距離を短縮し、明日の夜には王都に戻る予定です。具体的な現地に着いてからの動きについては、これから詳細を詰めて、また夜に確認いたしましょう」
「ありがとう、アマリリス嬢。何か質問はあるかな?」
私の説明が終わったところで、ユークライ殿下が全体にそう尋ねる。
数秒待って誰も口を開かないのを確認してから、ユークライ殿下がパチンと手を叩いた。
「ひとまずは調査に備えるために、クリスト家が用意してくれた朝食をいただこう」
その言葉に、配られていた朝食に各々が手をつけ始めた。
ヘレナの用意してくれたサンドイッチを食べ終わり、持ってきていた資料をユークライ殿下やリズヴェルトと共に精査を始める。
今回、急ピッチでこの遠征を決めたこともあり、具体的にブリャートのどこに行くのかや何を確認するかは、まだ詳細が決まっていなかった。
ある程度私の頭の中で考えていたことこそあったが、二人と議論をする中でより考えが深まり、固まっていく。
こんな風に誰かと意見を交わしていた魔法学校時代のことを懐かしく思いながら言葉を交わしていると、ふとリズヴェルトが笑みを漏らした。
「どうなさいました?」
三人で並んで街の見取り図を眺めていただけなのに、何が面白かったのだろうとそう尋ねると、「いえ」と彼は首を振った。
「いつの間にか夢中になってしまっていました。……俺がおおせつかっていたのは、皆様の監視役でしたのに。すっかり取り込まれてしまっています」
「一人でも多くの手が欲しいからね」
「えぇ。それに、内部に入った方が見えることがあってでしょう?」
私の問いかけに、リズヴェルトは「えぇ」と頷く。
「まさか、ここまでとは思っておりませんでした。……あなた方でしたら……」
目を細めたリズヴェルトが、小さく何かを呟く。
私とユークライ殿下が怪訝な視線を向けたことに気付いたらしい彼は、感情を覆い隠すように笑みを浮かべると、わざとらしく首を傾げて見せた。
「どうかなさいましたか?」
「……いや、なんでもないよ。それより、商会を訪問する時なのだけれど━━━」
ユークライ殿下が話の軌道を修正したことで、私も一度リズヴェルトの不思議な行動については頭の隅に置き、これから向かうブリャートに再び意識を向けた。
「…………ふぅ」
パチパチと焚き木が燃える音を聞きながら、ペンを置いた青年は眼鏡を押し上げた。
交代で周囲を警戒している騎士と侍女を除き、王子や公爵令息はテントの中で、公爵令嬢は馬車の中で睡眠をとっている。
規則正しい生活を送っている彼らに対し、青年は普段から夜遅くに活動しているからだろうか。むしろ日中よりも鋭い視線が、小さな野営地を見つめていた。
「……さてと」
青年が書いていた文章は、一見するとただ風景を描写しただけの旅行記だ。
上質な紙に書かれたそれをクルクルと巻くと、彼は懐から鳥の形をした人形を取り出し、人形の足に付いている筒に仕舞う。
指に鳥を止まらせ、胸のところについている魔法石に魔力を込めると、鳥が生きているかのように羽を震わせた。
「頼みましたよ」
青年が腕を伸ばし、さらに魔力を込めると、魔法仕掛けの鳥が空へと羽ばたいていく。
「"朝日"も"夕日"も、我々の想定以上でしたが……"月"がここまでとは」
━━━日が登っている間も、月は輝くものとは知り得ませんでした。
━━━常に月があればこそ、太陽も己のあるべき場所と進むべき方向を見誤らずにいられるようでございます。
━━━月光が街の影をも照らし、我々に道を示しております。
「彼女を中枢から失うのは、惜しいですね」
眼鏡のレンズの奥の瞳が、空に浮かぶ白銀の月を見つめる。
腕を上げたままだった彼は、自分の掌を空に浮かぶ半月に重ねると、ゆっくりとその手を握った。
「……ん」
意識が浮かび上がり目を開くと、照明に照らされた薄紫色の髪がぼやけた視界に映る。そしてその奥に、同じ髪色を持った少女。
「エミー……今、何時?」
「四時ちょうどでございます、お嬢様。そろそろお支度なさらないと」
「そう、ね」
ベッドから起き上がると、エミーが水の入ったコップを差し出してくれる。
冷たい水が喉を通ると、少しずつ頭が覚醒していく。
「……準備はできているかしら?」
「全て終了しております。ヘレナはただいま朝食を作っており、席を外しております」
どうやら、昨晩出した指示通りに動いてくれているようだ。
昨日の記憶を呼び起こしながら、エミーが用意してくれていた着替えに袖を通す。
ブレデル元伯爵領に行くことを決定した私達は、すぐにその遠征の計画を立て始めた。
その決定は午前中だったが、簡単なお昼休憩を挟みティータイムの時間になる頃には、大まかな人数と行路が確定した。
そして、取り潰しとなることが決まっている元伯爵領を現在管轄している王国法務院や騎士団に話を通し、いつでも行けるとなった段階のことだった。
再びラインハルト様が、当然のように、「明朝出発しよう」と言ったのだ。
未だにセルカから連絡がなかったこと、そして早く動かないと証拠が隠蔽されてしまう可能性を考えて、私達は突発的な作戦会議の翌日━━━つまり今日、出発することに決めた。
私が同行することを兄上は渋っていたが、私が譲らないとわかると了承してくれた。
昨晩の一時間にも渡る説得を思い出し、今日蒸し返すことはさすがにないだろうと半分願いながら、私はスカートの裾を伸ばした。
「お嬢様、ご用命の剣ですが、こちらでよろしいでしょうか?」
正体を隠すために、ズボンの上から行商人の女性が着るような簡素なワンピースを着た私に、エミーが剣を差し出す。
私の腕ほどの長さの剣は、見た目の割に軽い。
鞘から抜くと、淡く青みを帯びた刃が、照明の光を反射して光る。
「清青石の剣……上手く扱えるかしら」
「お嬢様がそちらを握られるような事態にならぬよう、尽力いたします」
「ふふっ、ありがとう」
クリスト領の南東、高く険しく魔物が大量にいるエゲール山。
エミーの生まれ故郷でもあるそこから採れる鉱石である清青石は、少々特殊な性質を持っている。
母上がよく好んでこの剣を使っていたらしく、譲り受けて長く仕舞っていたのを用意してもらったのだが、いざ実物を握ると緊張してしまう。
エミーの言葉に笑みを漏らし、剣を鞘に仕舞って腰に下げると、コンコンとドアがノックされた。
「失礼いたします。朝食の準備が完了いたしました」
そう言って入ってきたヘレナは、普段と違って私と同じような行商人風の服を着ている。嵩張らないように布で朝食を包んできてくれた彼女は、どうしてか入口辺りで止まっていた。
すぐにでも出発したい私の気持ちを汲んでくれたのかもしれないと思いながら、最低限の物を詰めた鞄を肩からかけ、髪を頭にかぶったスカーフの中に隠す。
「では予定通り、後で馬車の中でいただきましょう。兄上はもう起きてる?」
「実は……」
言葉を濁したヘレナの後ろから、「おはよ」と兄上が顔を出す。
「準備万端か……本気で行くのか、リリィ?」
「一人だけ安全なところで待っていることなんてできないわ。それに、交渉や街の調査できっと役に立てるから」
「……母上になんて言うかな」
「あら。母上ならきっと、よく決意したって褒めてくれるわ」
私が得意げにそう返すと、兄上は大きく溜め息をつく。
もう結論は出たのに、と思いながらそろそろ部屋を出ようと歩き出すと、「あっ」と兄上が声を上げた。
「どうしたの?」
「それ……母上の?」
「そう。セルカから魔力の操作を教わった今なら、上手く扱えるかもって」
「お前がそれを使う機会はないと思いたいけどな」
「穏便に終わるのが一番なのだけれど……」
どうにも胸がざわつく。
最近、胸騒ぎを感じると本当に何かが起きることが多いから、今日も何か起こるのかもしれないが、願わくはこの予感が外れて欲しいと、そう心の底から思った。
王城の近く、指定されていた小屋に着くと、一台の幌馬車が用意されており、その傍らにユークライ殿下と彼の二人の護衛騎士が並んでいた。
「おはよう、ヴィンセント、アマリリス嬢。ヘレナとエミー、エストレイも、昨晩はよく休めたかい?」
「よぉユークライ。そっちの首尾はどうだ?」
「必要なものは全部用意できてるよ」
そう言って、庶民らしい服を身に纏っているのにどこか高貴な雰囲気が隠しきれていないユークライ殿下が、微笑みながら馬をポンと叩く。
「とりあえず、時間がもったいないし出発しようか」
そうだな、と返事をした兄上に手を引かれ、馬車に乗り込む。
人一人分が通れるくらいの通路の左右にそれぞれ二人分の席が用意されていて、一番前の右側の列には、既にダラン様が座っていた。
「おはようございます。ラインハルト様、ダラン様」
「おはようございます、アマリリス嬢。……ちょっと今、ラインハルトは手が外せなくて」
振り返って苦笑するダラン様の視線の先を辿ると、ラインハルト様は何か作業をしているようだった。
御者席の後ろに、馬車には似つかわしくない、複雑な紋様の刻まれた金の筒が設置されている。その先端に固定されている金属板には、いくつかの水晶玉が嵌め込まれていて、どうやらその調整をしているようだった。
「あれが、この改造馬車の要ってわけか」
「えぇ。主に三つの機能を、あの金属板で制御しています。一つが、特殊な形の魔法障壁を生み出すことで、空気の抵抗を減らし馬車の走行速度を速める機能。土属性魔法で道を平らにし、馬の負担を減らす機能。そして最後が、風属性で馬の脚力を増強させる機能」
ダラン様に手で示されて、私はダラン様の後ろ、兄上は空いている最前列の左側に腰を下ろした。
「すげぇな。そんな複数の機能を、あれ一つで」
「お陰で、わずか一日程度で目的地に辿り着ける。しかも馬車内は快適に過ごせるから、体力も温存できるし作戦会議も可能。魔法の可能性には恐れ入るよ」
そう言いながら、兄上の隣に腰を下ろしたのはユークライ殿下だった。
「え、俺お前と座るの?リリィがいいんだけど」
「アマリリス嬢は慣れない長旅になるだろうから、広く席を使ってもらった方がいいという判断だよ。俺じゃ不満か?」
「もちろん不満だよ」
第一王子相手になんてことを言うんだと頭を抱えたくなっていると、「クリスト嬢」と呼ばれる。
その声に横を向くと、なんだかいつもより癖が強いように見えるダークブロンドに銀色の瞳の青年が、私の向かい側の席に腰掛けようとするところだった。
「あら、おはようございます、リズヴェルト。随分と眠そうですけれど」
「……朝食をご用意いただいていると聞きましたが、紅茶はございますか?」
「茶葉は持ってきていますわ。お湯さえ用意できれば……」
「僕が用意しよう。少し待ってくれ」
私とリズヴェルトの会話に入ってきたのは、ラインハルト様だった。
彼は、御者席から馬へと繋がるくびきの部分を触って何かを確認すると、金属板に再び触れて振り返る。
「全員乗ったか?」
彼の言葉に私も振り返って、馬車内の面々を確認した。
ついさっきユークライ殿下とリズヴェルトと共に乗ってきた、ユークライ殿下の護衛騎士であるイレーヴ殿とヘンリック殿は、荷台の中を通り抜けて御者席へ向かう。
その後に続いて来たヘレナとエミーは、私の後ろの席に腰を下ろした。
最後に乗って来たアレックスとエストレイが、荷台の後ろの縁に腰掛けた。
「合計十二人。全員いるね」
「では出発してくれ。発車してしばらくして馬車の走行が安定してから、魔法を発動する」
「承知いたしました。では、出発いたします」
パシリ、と鞭が振るわれる音がして、馬の蹄が地面を踏み鳴らす。
少しずつ馬車が動き出し、やがてスピードが上がっていった。
しばらくしてからラインハルト様が金属板に触れると、周囲の音が小さくなり、馬車の揺れが小さくなる。
きっと魔法が発動されたのだろう。
見た目は普通の幌馬車で、この中でほぼ丸一日を過ごすことに実は内心尻込みしていたが、想像していた何倍も快適だ。
ユークライ殿下が言っていた通り、魔法の可能性には感謝しきれない。
「よし、じゃあ最後の確認をしよう。アマリリス嬢、お願いしていいかな?」
「えぇ、ユークライ殿下。せっかくですし、朝食をとりながらにいたしましょう。ヘレナ、用意を。それと……」
どうにも頼みにくいと思いながらラインハルト様の方を向くと、彼は鷹揚に頷いてくれる。
「僕も紅茶を飲みたいところだった。お湯を用意しよう」
「ありがとうございます。……では、最終確認をいたします。必要に応じてお手元の資料を参照していただければ」
昨晩読み込んだ計画書の内容を思い出しながら、間違いのないようにと気を付けながら口を開く。
「これから約一日かけて、ブレデル元伯爵領の領都、ブリャートへ向かいます。道中は合計二度休憩をいたします。一度目は王都を抜けたところで昼食を兼ねて休憩を一時間ほど。二度目は、叡智の森を八割ほど進んだところで夜を越します」
叡智の森、というのは王都の南に位置する広大な森林だ。
かつてこの森を開拓しようという動きがあったが、木を伐ってもすぐに生えてしまい、開拓隊が道に迷わされてしまうことから、精霊の力が宿っていると言われている。
そのために道を整備することができず、本来なら通り抜けるために二日以上かかることもあるが、この魔法の馬車とラインハルト様のお陰で、一日で通り抜ける予定だ。
「明日の早朝に森を抜けて、予定としては午前八時頃、ブリャートの手前で二手に分かれます」
私が話しながら、ヘレナが朝食を配って行く。
同時に、ラインハルト様が沸かしてくれたお湯でエミーが紅茶を淹れ、馬車の中に爽やかな茶葉の香りが広がった。
「ユークライ殿下と私を中心とした聞き込み班は、朝市に立ち寄り情報収集を。ラインハルト様と兄上を中心とした潜入班は、閉鎖されているブレデル元伯爵の屋敷やその周辺の調査をお願いいたします。セルカの捜索も並行して行ってください。今から乗り込むのは敵地です。基本的には班で固まって行動し、一人にならないように注意してください」
全員が頷いてくれるのを見て、話を続ける。
「帰りは転移魔法で移動距離を短縮し、明日の夜には王都に戻る予定です。具体的な現地に着いてからの動きについては、これから詳細を詰めて、また夜に確認いたしましょう」
「ありがとう、アマリリス嬢。何か質問はあるかな?」
私の説明が終わったところで、ユークライ殿下が全体にそう尋ねる。
数秒待って誰も口を開かないのを確認してから、ユークライ殿下がパチンと手を叩いた。
「ひとまずは調査に備えるために、クリスト家が用意してくれた朝食をいただこう」
その言葉に、配られていた朝食に各々が手をつけ始めた。
ヘレナの用意してくれたサンドイッチを食べ終わり、持ってきていた資料をユークライ殿下やリズヴェルトと共に精査を始める。
今回、急ピッチでこの遠征を決めたこともあり、具体的にブリャートのどこに行くのかや何を確認するかは、まだ詳細が決まっていなかった。
ある程度私の頭の中で考えていたことこそあったが、二人と議論をする中でより考えが深まり、固まっていく。
こんな風に誰かと意見を交わしていた魔法学校時代のことを懐かしく思いながら言葉を交わしていると、ふとリズヴェルトが笑みを漏らした。
「どうなさいました?」
三人で並んで街の見取り図を眺めていただけなのに、何が面白かったのだろうとそう尋ねると、「いえ」と彼は首を振った。
「いつの間にか夢中になってしまっていました。……俺がおおせつかっていたのは、皆様の監視役でしたのに。すっかり取り込まれてしまっています」
「一人でも多くの手が欲しいからね」
「えぇ。それに、内部に入った方が見えることがあってでしょう?」
私の問いかけに、リズヴェルトは「えぇ」と頷く。
「まさか、ここまでとは思っておりませんでした。……あなた方でしたら……」
目を細めたリズヴェルトが、小さく何かを呟く。
私とユークライ殿下が怪訝な視線を向けたことに気付いたらしい彼は、感情を覆い隠すように笑みを浮かべると、わざとらしく首を傾げて見せた。
「どうかなさいましたか?」
「……いや、なんでもないよ。それより、商会を訪問する時なのだけれど━━━」
ユークライ殿下が話の軌道を修正したことで、私も一度リズヴェルトの不思議な行動については頭の隅に置き、これから向かうブリャートに再び意識を向けた。
「…………ふぅ」
パチパチと焚き木が燃える音を聞きながら、ペンを置いた青年は眼鏡を押し上げた。
交代で周囲を警戒している騎士と侍女を除き、王子や公爵令息はテントの中で、公爵令嬢は馬車の中で睡眠をとっている。
規則正しい生活を送っている彼らに対し、青年は普段から夜遅くに活動しているからだろうか。むしろ日中よりも鋭い視線が、小さな野営地を見つめていた。
「……さてと」
青年が書いていた文章は、一見するとただ風景を描写しただけの旅行記だ。
上質な紙に書かれたそれをクルクルと巻くと、彼は懐から鳥の形をした人形を取り出し、人形の足に付いている筒に仕舞う。
指に鳥を止まらせ、胸のところについている魔法石に魔力を込めると、鳥が生きているかのように羽を震わせた。
「頼みましたよ」
青年が腕を伸ばし、さらに魔力を込めると、魔法仕掛けの鳥が空へと羽ばたいていく。
「"朝日"も"夕日"も、我々の想定以上でしたが……"月"がここまでとは」
━━━日が登っている間も、月は輝くものとは知り得ませんでした。
━━━常に月があればこそ、太陽も己のあるべき場所と進むべき方向を見誤らずにいられるようでございます。
━━━月光が街の影をも照らし、我々に道を示しております。
「彼女を中枢から失うのは、惜しいですね」
眼鏡のレンズの奥の瞳が、空に浮かぶ白銀の月を見つめる。
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