【コミカライズ配信中!】 婚約破棄後の悪役令嬢~ショックで前世の記憶を思い出したのでハッピーエンド目指します!~
73話:変えられた空気
「僕達だけで乗り込もう」
まるで昼食に行こうと言っているのかのような調子で告げられたその言葉は、静まり返っていた部屋の中によく響いた。
ラインハルト様に突き刺さる、驚いたような視線が全員分━━━いやダラン様だけは、その言葉を想像していたようで、むしろ驚いている私達に対して困惑しているようだった。
言葉を発することができない私達をよそに、主従が会話をする。
「ダラン、ブレデル元伯爵領への経路を割り出してくれ」
「承知しました。具体的な目的地はいかがします?」
「元領都ブリャートに。僕の補助も考慮した上で、最短で着く道順で頼む」
「転移魔法は?」
「人数的に厳しいだろう。基本は馬車での移動で考えてくれ」
「とりあえず草案を作ります。二十分ほどあれば」
ダラン様の言葉に頷いたラインハルト様が、私達をぐるりと見渡した。
彼の冷静な眼差しに、そういえば、と数分前を思い出す。
騎士団から協力を断られたと伝えられた時、ラインハルト様に動揺している様子はなかった。
ひょっとしたら、いい意味で、他人に期待していないのかもしれない。だから他者からの協力がないとわかっても、むしろ妨害があるかもしれないとわかっても、淡々と己のやるべきことを達成するために、他の手段を考えられるのだろう。
そんなラインハルト様だからこそきっと、諦めかけていた空気を変えることができたのだ。
「……アマリリス」
ラインハルト様に名前を呼ばれて、私は背筋を伸ばし腹に力を入れながら返事をする。
「はい。なんでしょう?」
「ララティーナ・ゼンリル含め、ブレデル元伯爵家の関係者の中核が全員揃っているとして、それを捕縛するために必要な人員と物資の計画を立てて欲しい。戦闘面に関しては僕が助言をする」
「かしこまりましたわ」
「兄さん。騎士団や法務院への根回しを頼みたい。協力までは望んでいないが、僕達の動きに文句は付けさせないようにしてくれ」
「わかった」
ラインハルト様が次々と指示を出して行くと同時に、停滞するかと思われていた状況が動き出しそうなことを、全員が肌で感じている。
「それとヴィンセント」
「待ってました。俺は何すればいい?」
兄上の問いかけに、ラインハルト様が十数枚程度の薄めの冊子を二冊手に取る。
兄上がそれを受け取ろうと近くに寄ると、ラインハルト様は一冊ずつ説明を始めた。
「まずこれは、黒持ちに関する資料だ」
「黒持ちに関する…?」
「あぁ。今、貴族の間で広がっている黒持ちへの風評を、少しは和らげられるはずだ」
一冊目を手渡された兄上が、パラパラと中身を捲る。
ほぉ、とか、ふーんなどと声を上げながら読み進める兄上の手が途中で止まった。
「…………そうか、そうかなるほど。そういうことだったんだな。……確かに理論的な説明だ」
魔法師団に所属している兄上は、実地での勤務が多くはあるが、魔法の専門家だ。
兄上は、普段とは違った真剣な眼差しで素早く文章に目を通し、何度か前のページに戻りながらぶつぶつと小さく呟いていた。
「これなら確かに……魔法師団の方でも再現できれば……いや、でもこれの著者は?」
「僕だ」
呟きとも取れるその小さな問いかけに、ラインハルト様が間髪入れずに回答する。
兄上は一瞬目を見開くが、すぐに眉間に皺を寄せた。
「……それはちょっと厳しいかもな。貴族の全員が、常に論理的で冷静な判断を下せるわけじゃない。著者が、実績もなく、しかも渦中のラインハルト様となれば、聞く耳持ってくれるかどうか……」
「僕は、ライ・フォンという名前で、魔法大学に研究室を持っている。専門は複合魔法で、いくつか魔法具を魔法師団に卸したこともあるから名前くらいは知っていると思うんだが」
「…………はぁぁ!?」
突然大声を上げた兄上に、話に耳を傾けながらも部屋を出る準備をしていたユークライ殿下が振り返り、地図に視線を落として集中していたダラン様も顔を上げ、他の面々も兄上の方を向いた。
たくさんの視線を集めていることにも気付かない兄上は、しばらく何秒も動かなかったが、やがてゆっくりと動き出したかと思うと、ラインハルト様の肩を両手で掴む。
「あんたが、フォン!?」
「あぁ」
「…………まじかぁ」
大きく息を吐いた兄上は、息を吐き切ると乾いた笑みを漏らした。
「そりゃあ、どんな報酬を示しても全然なびかないわけだわ」
「魔法師団への勧誘の件か?それに関しては何度も断っているが」
「いや……うん……」
ポカンとしている部屋中からの視線に気付いたのか、兄上が「あぁ、いや」と手を振る。
「魔法師団は、直接戦闘する団員もいるんだけど、魔法が関わる事件の調査を専門にしている団員もいて、そこにずっとライ・フォンを……ラインハルト様を勧誘してたんだ」
「魔法大学から魔法師団への引き抜きは度々聞くな」
「そうなんだ。大学だと研究ばっかだから実地に出たいって言ってくれる人が多くて、大体は勧誘したら短期とかで来てくれるんだが……フォンは、調査書を送ればすぐによく練られた的確な助言を送ってくれるのに、なぜか現場には出てくれなくてよ。足が悪いだとかすごく高齢だとか、師団長の隠し子とか言うやつもいたんだ。ちなみに一番有力視されてたのは、深窓の令嬢説」
ユークライ殿下の相槌に頷いた兄上が口にしたラインハルト様の正体への考察に、思わず笑ってしまいそうになる。
確かに、艶やかな髪に透き通るような白い肌の持ち主であるラインハルト様は、深窓のご令嬢と言ってもぎりぎり許されるかもしれない。
なんて、失礼な考えを頭から振り払うために咳払いをすると、兄上も冷静さを取り戻したらしくわざとらしく咳をした。
「ごほん。……ともかく、フォンが書いた論文だとすれば、少なくとも魔法関係者は噂が迷信だって認めてくれるはずだ。王家とかクリスト家に個人的な因縁ある連中は微妙だが……」
「そこの対策は、後々俺も一緒に考えよう。ラインハルト、もう一冊の方は?」
「兄さんの夜会の襲撃犯が残した痕跡と、サーストンの持ち物に描かれていた魔法陣、そしてララティーナ・ゼンリルの痕跡を分析したものだ。……絶対とは言い切れないが、非常に高い確率で、兄さんの夜会を襲撃したのはララティーナだと考えられる」
「っ、そんなものまで用意してくれてたのか!くそっ、騎士団への協力の打診、先走りすぎたか……」
「いや。彼女の力量は、貴族令嬢の範疇を超えている。これを見せても信じてもらえないか、あるいは偽物だと主張されるだけで、結果は変わらなかっただろう。……兄さんの夜会で、直接襲撃犯とやり合ったセルカが戻って来てくれたら、同一人物かどうかを確かめられるかもしれない」
兄上にそう返答したラインハルト様は、「しかし」と続ける。
「現時点でも、魔法師団や魔法省、魔法大学なら誠実に対応してくれるはずだ。助言も貰えるかもしれない」
「そうだな。……あれ。これはラインハルト様自身の名義なのか。フォンの方がいいんじゃないか?」
「すまないが、ライ・フォンと僕自身はまだ切り離していたいんだ。一旦はこのままで頼む」
「了解。これを使ってどうすればいい?」
兄上が二冊の中身をもう一度パラパラと確認するのを、後ろから盗み見る。
何やら専門用語が多く、載っている図表も見慣れないものばかりだが、内容が整理されたものだということだけはわかった。
「魔法師団に、もう一度協力を要請して欲しい。同時に、黒持ち関連の噂への対処も頼みたい」
「よっしゃ任せろ」
そう言って自分の勢い良く胸を叩いた兄上は、なぜか私の方に真っ直ぐに向かってくる。
椅子に座ったままの私の前に立った兄上の顔を見上げるが、逆光で表情がよく見えない。兄上の顔を見ようと少し上を向こうとした時、頭に手が乗せられる。
兄上はそのまま、何も言わずに私の頭をぐしゃぐしゃにすると、すぐに部屋を出て行く。
「……兄上」
せっかく整えてきた髪に手を乗せられた時、つい反射的に振り払おうとしたが、兄上の目を見たらできなかった。
どこまでも優しいその瞳のまなじりが、私と視線が交わると柔らかく下げられた。
言葉なんて発せられなくても、この人の妹を十八年もやっていればわかる。
黒持ちである妹の私が災いをもたらすというのが嘘だと、根拠がないと、兄はずっと言い続けてきてくれていた。
ひどい言葉を投げつけられた私が、傷ついて立ち上がれなかった時に、あるいは何を言っても無駄だと諦めていた時に、代わりに怒ってくれたことも何度もあった。
迷信と戦うことは、きっと途方もなかっただろう。
そんな終わりの見えない戦いに、一つ光明が差したのだ。
そして、自分自身のためではなく、私のために怒り戦ってくれた兄上は、ついさっきも、自分ではなく私のために喜んでくれていた。
きっと、直接言ったら調子に乗ってしまうから心の中でしか言わないが、やっぱりヴィンセント・クリストは、私の自慢の兄だ。
体の奥から、温かい何かが溢れてくるような感覚に思わず笑みをこぼすと、私の方を見て微笑んでいるユークライ殿下と目が合い、少し照れ臭くなる。
「……ラインハルト。俺も行ってくる」
「頼んだ、兄さん」
私ににこりと笑いかけて、ラインハルト様にそう告げたユークライ殿下が部屋を出て行く。
再び私とラインハルト様が残った室内には、もう一人、さっきまではいなかった人物がいた。
「……リズヴェルト。言いたいことがあるなら、おっしゃってくださらない?」
眼鏡の奥の銀の瞳を見ても、何を考えているのか全くわからない彼にそう告げると、彼はまるで誤解だと言わんばかりに大仰に腕を広げる。
「いえ。麗しい兄妹愛を拝見させていただきました。クリスト家は、家族仲が非常に良くていらっしゃる」
果たしてそれが、社交辞令なのか、それとも彼の本心なのか。
そこそこ長い付き合いだとは思うのだが、手がかりが足りなくて全く読めない。
優秀な男なのだが、何分優秀すぎて感情を隠すのも上手いから困ると、そう思いながら溜め息をつきそうになった時、ふとあるアイディアが浮かんでくる。
「……そういえば、あなたの手を借りてもいいのかしら?」
「とおっしゃいますと?」
怪訝そうな声を出すリズヴェルトに、私は微笑みかける。
「私達の人手不足は、あなたもよく知っているでしょう?」
「……もちろん、存じ上げておりますが俺は━━━」
「目と耳に過ぎない、とでもおっしゃるつもりですか?」
彼の発するであろう言葉を先回りする。
「宰相閣下の御子息であるリズヴェルトなら、事の重大さはわかっているのではなくて?」
「それはもちろん。ですが此度のことは両王子の資質を見極めるためのもので……」
「であれば、あなたという人材をどう活かすか、それを判断材料にしても良いのではなくて?」
今は一人でも多く人手が欲しい。特に、私の意図を汲んでくれる文官肌の人が。
魔法学校時代、共に活動をしていた彼なら、わざわざ今の状況について説明しなくても理解しているからぴったりだ。
「……」
リズヴェルトが私の言葉に即答できないのは予想通りだ。
かなり合理的な考え方をする彼は、きちんと論理立てて説明し、かつ利益を示せば、必ず味方してくれる。
「調査隊の内部で動くことで、ただ外から見ているだけではわからない殿下方の資質もわかるはずですわ。特に指導者の素質というものは、自分が実際にその方のもとで働いて初めてわかるものだと、わたくしは思っております」
「……いいでしょう。あなたに説得されますよ」
かちゃりと眼鏡を押し上げたリズヴェルトは、私の近くに腰を下ろす。
「それで、何をすれば?」
「まず、対象の規模の予測を。彼らが大量に購入している備蓄品の品目や数量、頻度から人数と編成を予測したいので、どのような立場の人間が関わっていると考えられるかの予想をしてくださる?」
「承知しました。……懐かしいですね、この感じ」
「あら。あなたにも魔法学校時代を懐かしむ心があったのですね」
「当然です」
ほんの数ヶ月前ではあるが、こんなやりとりが懐かしいと思いながら、ひとまずやることを紙に書き出そうとしていると、隣に座っていたラインハルト様が机をトントンと叩く。
ラインハルト様の方を向くと、「アマリリス」と小さく低められた声で名前を呼ばれた。
「僕はララティーナ・ゼンリルへの対策を考えようと思うんだが、何か君を手伝えることはあるか?」
「……そうですわね。もし可能であれば、この調査隊がどれくらいの規模の相手を制圧できるのかの試算を出してくださると助かります」
「わかった。やっておこう」
そこで会話が終わり、それぞれが自分の仕事に向かうと、部屋は静けさに包まれる。
時計の針とペンが紙の上を走る音だけが響く空間に、つい十数分前の重苦しさはなく、ここにはかすかな緊張感と、ゆっくりと燃え上がるような熱だけがあった。
まるで昼食に行こうと言っているのかのような調子で告げられたその言葉は、静まり返っていた部屋の中によく響いた。
ラインハルト様に突き刺さる、驚いたような視線が全員分━━━いやダラン様だけは、その言葉を想像していたようで、むしろ驚いている私達に対して困惑しているようだった。
言葉を発することができない私達をよそに、主従が会話をする。
「ダラン、ブレデル元伯爵領への経路を割り出してくれ」
「承知しました。具体的な目的地はいかがします?」
「元領都ブリャートに。僕の補助も考慮した上で、最短で着く道順で頼む」
「転移魔法は?」
「人数的に厳しいだろう。基本は馬車での移動で考えてくれ」
「とりあえず草案を作ります。二十分ほどあれば」
ダラン様の言葉に頷いたラインハルト様が、私達をぐるりと見渡した。
彼の冷静な眼差しに、そういえば、と数分前を思い出す。
騎士団から協力を断られたと伝えられた時、ラインハルト様に動揺している様子はなかった。
ひょっとしたら、いい意味で、他人に期待していないのかもしれない。だから他者からの協力がないとわかっても、むしろ妨害があるかもしれないとわかっても、淡々と己のやるべきことを達成するために、他の手段を考えられるのだろう。
そんなラインハルト様だからこそきっと、諦めかけていた空気を変えることができたのだ。
「……アマリリス」
ラインハルト様に名前を呼ばれて、私は背筋を伸ばし腹に力を入れながら返事をする。
「はい。なんでしょう?」
「ララティーナ・ゼンリル含め、ブレデル元伯爵家の関係者の中核が全員揃っているとして、それを捕縛するために必要な人員と物資の計画を立てて欲しい。戦闘面に関しては僕が助言をする」
「かしこまりましたわ」
「兄さん。騎士団や法務院への根回しを頼みたい。協力までは望んでいないが、僕達の動きに文句は付けさせないようにしてくれ」
「わかった」
ラインハルト様が次々と指示を出して行くと同時に、停滞するかと思われていた状況が動き出しそうなことを、全員が肌で感じている。
「それとヴィンセント」
「待ってました。俺は何すればいい?」
兄上の問いかけに、ラインハルト様が十数枚程度の薄めの冊子を二冊手に取る。
兄上がそれを受け取ろうと近くに寄ると、ラインハルト様は一冊ずつ説明を始めた。
「まずこれは、黒持ちに関する資料だ」
「黒持ちに関する…?」
「あぁ。今、貴族の間で広がっている黒持ちへの風評を、少しは和らげられるはずだ」
一冊目を手渡された兄上が、パラパラと中身を捲る。
ほぉ、とか、ふーんなどと声を上げながら読み進める兄上の手が途中で止まった。
「…………そうか、そうかなるほど。そういうことだったんだな。……確かに理論的な説明だ」
魔法師団に所属している兄上は、実地での勤務が多くはあるが、魔法の専門家だ。
兄上は、普段とは違った真剣な眼差しで素早く文章に目を通し、何度か前のページに戻りながらぶつぶつと小さく呟いていた。
「これなら確かに……魔法師団の方でも再現できれば……いや、でもこれの著者は?」
「僕だ」
呟きとも取れるその小さな問いかけに、ラインハルト様が間髪入れずに回答する。
兄上は一瞬目を見開くが、すぐに眉間に皺を寄せた。
「……それはちょっと厳しいかもな。貴族の全員が、常に論理的で冷静な判断を下せるわけじゃない。著者が、実績もなく、しかも渦中のラインハルト様となれば、聞く耳持ってくれるかどうか……」
「僕は、ライ・フォンという名前で、魔法大学に研究室を持っている。専門は複合魔法で、いくつか魔法具を魔法師団に卸したこともあるから名前くらいは知っていると思うんだが」
「…………はぁぁ!?」
突然大声を上げた兄上に、話に耳を傾けながらも部屋を出る準備をしていたユークライ殿下が振り返り、地図に視線を落として集中していたダラン様も顔を上げ、他の面々も兄上の方を向いた。
たくさんの視線を集めていることにも気付かない兄上は、しばらく何秒も動かなかったが、やがてゆっくりと動き出したかと思うと、ラインハルト様の肩を両手で掴む。
「あんたが、フォン!?」
「あぁ」
「…………まじかぁ」
大きく息を吐いた兄上は、息を吐き切ると乾いた笑みを漏らした。
「そりゃあ、どんな報酬を示しても全然なびかないわけだわ」
「魔法師団への勧誘の件か?それに関しては何度も断っているが」
「いや……うん……」
ポカンとしている部屋中からの視線に気付いたのか、兄上が「あぁ、いや」と手を振る。
「魔法師団は、直接戦闘する団員もいるんだけど、魔法が関わる事件の調査を専門にしている団員もいて、そこにずっとライ・フォンを……ラインハルト様を勧誘してたんだ」
「魔法大学から魔法師団への引き抜きは度々聞くな」
「そうなんだ。大学だと研究ばっかだから実地に出たいって言ってくれる人が多くて、大体は勧誘したら短期とかで来てくれるんだが……フォンは、調査書を送ればすぐによく練られた的確な助言を送ってくれるのに、なぜか現場には出てくれなくてよ。足が悪いだとかすごく高齢だとか、師団長の隠し子とか言うやつもいたんだ。ちなみに一番有力視されてたのは、深窓の令嬢説」
ユークライ殿下の相槌に頷いた兄上が口にしたラインハルト様の正体への考察に、思わず笑ってしまいそうになる。
確かに、艶やかな髪に透き通るような白い肌の持ち主であるラインハルト様は、深窓のご令嬢と言ってもぎりぎり許されるかもしれない。
なんて、失礼な考えを頭から振り払うために咳払いをすると、兄上も冷静さを取り戻したらしくわざとらしく咳をした。
「ごほん。……ともかく、フォンが書いた論文だとすれば、少なくとも魔法関係者は噂が迷信だって認めてくれるはずだ。王家とかクリスト家に個人的な因縁ある連中は微妙だが……」
「そこの対策は、後々俺も一緒に考えよう。ラインハルト、もう一冊の方は?」
「兄さんの夜会の襲撃犯が残した痕跡と、サーストンの持ち物に描かれていた魔法陣、そしてララティーナ・ゼンリルの痕跡を分析したものだ。……絶対とは言い切れないが、非常に高い確率で、兄さんの夜会を襲撃したのはララティーナだと考えられる」
「っ、そんなものまで用意してくれてたのか!くそっ、騎士団への協力の打診、先走りすぎたか……」
「いや。彼女の力量は、貴族令嬢の範疇を超えている。これを見せても信じてもらえないか、あるいは偽物だと主張されるだけで、結果は変わらなかっただろう。……兄さんの夜会で、直接襲撃犯とやり合ったセルカが戻って来てくれたら、同一人物かどうかを確かめられるかもしれない」
兄上にそう返答したラインハルト様は、「しかし」と続ける。
「現時点でも、魔法師団や魔法省、魔法大学なら誠実に対応してくれるはずだ。助言も貰えるかもしれない」
「そうだな。……あれ。これはラインハルト様自身の名義なのか。フォンの方がいいんじゃないか?」
「すまないが、ライ・フォンと僕自身はまだ切り離していたいんだ。一旦はこのままで頼む」
「了解。これを使ってどうすればいい?」
兄上が二冊の中身をもう一度パラパラと確認するのを、後ろから盗み見る。
何やら専門用語が多く、載っている図表も見慣れないものばかりだが、内容が整理されたものだということだけはわかった。
「魔法師団に、もう一度協力を要請して欲しい。同時に、黒持ち関連の噂への対処も頼みたい」
「よっしゃ任せろ」
そう言って自分の勢い良く胸を叩いた兄上は、なぜか私の方に真っ直ぐに向かってくる。
椅子に座ったままの私の前に立った兄上の顔を見上げるが、逆光で表情がよく見えない。兄上の顔を見ようと少し上を向こうとした時、頭に手が乗せられる。
兄上はそのまま、何も言わずに私の頭をぐしゃぐしゃにすると、すぐに部屋を出て行く。
「……兄上」
せっかく整えてきた髪に手を乗せられた時、つい反射的に振り払おうとしたが、兄上の目を見たらできなかった。
どこまでも優しいその瞳のまなじりが、私と視線が交わると柔らかく下げられた。
言葉なんて発せられなくても、この人の妹を十八年もやっていればわかる。
黒持ちである妹の私が災いをもたらすというのが嘘だと、根拠がないと、兄はずっと言い続けてきてくれていた。
ひどい言葉を投げつけられた私が、傷ついて立ち上がれなかった時に、あるいは何を言っても無駄だと諦めていた時に、代わりに怒ってくれたことも何度もあった。
迷信と戦うことは、きっと途方もなかっただろう。
そんな終わりの見えない戦いに、一つ光明が差したのだ。
そして、自分自身のためではなく、私のために怒り戦ってくれた兄上は、ついさっきも、自分ではなく私のために喜んでくれていた。
きっと、直接言ったら調子に乗ってしまうから心の中でしか言わないが、やっぱりヴィンセント・クリストは、私の自慢の兄だ。
体の奥から、温かい何かが溢れてくるような感覚に思わず笑みをこぼすと、私の方を見て微笑んでいるユークライ殿下と目が合い、少し照れ臭くなる。
「……ラインハルト。俺も行ってくる」
「頼んだ、兄さん」
私ににこりと笑いかけて、ラインハルト様にそう告げたユークライ殿下が部屋を出て行く。
再び私とラインハルト様が残った室内には、もう一人、さっきまではいなかった人物がいた。
「……リズヴェルト。言いたいことがあるなら、おっしゃってくださらない?」
眼鏡の奥の銀の瞳を見ても、何を考えているのか全くわからない彼にそう告げると、彼はまるで誤解だと言わんばかりに大仰に腕を広げる。
「いえ。麗しい兄妹愛を拝見させていただきました。クリスト家は、家族仲が非常に良くていらっしゃる」
果たしてそれが、社交辞令なのか、それとも彼の本心なのか。
そこそこ長い付き合いだとは思うのだが、手がかりが足りなくて全く読めない。
優秀な男なのだが、何分優秀すぎて感情を隠すのも上手いから困ると、そう思いながら溜め息をつきそうになった時、ふとあるアイディアが浮かんでくる。
「……そういえば、あなたの手を借りてもいいのかしら?」
「とおっしゃいますと?」
怪訝そうな声を出すリズヴェルトに、私は微笑みかける。
「私達の人手不足は、あなたもよく知っているでしょう?」
「……もちろん、存じ上げておりますが俺は━━━」
「目と耳に過ぎない、とでもおっしゃるつもりですか?」
彼の発するであろう言葉を先回りする。
「宰相閣下の御子息であるリズヴェルトなら、事の重大さはわかっているのではなくて?」
「それはもちろん。ですが此度のことは両王子の資質を見極めるためのもので……」
「であれば、あなたという人材をどう活かすか、それを判断材料にしても良いのではなくて?」
今は一人でも多く人手が欲しい。特に、私の意図を汲んでくれる文官肌の人が。
魔法学校時代、共に活動をしていた彼なら、わざわざ今の状況について説明しなくても理解しているからぴったりだ。
「……」
リズヴェルトが私の言葉に即答できないのは予想通りだ。
かなり合理的な考え方をする彼は、きちんと論理立てて説明し、かつ利益を示せば、必ず味方してくれる。
「調査隊の内部で動くことで、ただ外から見ているだけではわからない殿下方の資質もわかるはずですわ。特に指導者の素質というものは、自分が実際にその方のもとで働いて初めてわかるものだと、わたくしは思っております」
「……いいでしょう。あなたに説得されますよ」
かちゃりと眼鏡を押し上げたリズヴェルトは、私の近くに腰を下ろす。
「それで、何をすれば?」
「まず、対象の規模の予測を。彼らが大量に購入している備蓄品の品目や数量、頻度から人数と編成を予測したいので、どのような立場の人間が関わっていると考えられるかの予想をしてくださる?」
「承知しました。……懐かしいですね、この感じ」
「あら。あなたにも魔法学校時代を懐かしむ心があったのですね」
「当然です」
ほんの数ヶ月前ではあるが、こんなやりとりが懐かしいと思いながら、ひとまずやることを紙に書き出そうとしていると、隣に座っていたラインハルト様が机をトントンと叩く。
ラインハルト様の方を向くと、「アマリリス」と小さく低められた声で名前を呼ばれた。
「僕はララティーナ・ゼンリルへの対策を考えようと思うんだが、何か君を手伝えることはあるか?」
「……そうですわね。もし可能であれば、この調査隊がどれくらいの規模の相手を制圧できるのかの試算を出してくださると助かります」
「わかった。やっておこう」
そこで会話が終わり、それぞれが自分の仕事に向かうと、部屋は静けさに包まれる。
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