【コミカライズ配信中!】 婚約破棄後の悪役令嬢~ショックで前世の記憶を思い出したのでハッピーエンド目指します!~
72話:黒持ちと噂
「……アマリリス一人か?」
乱雑に散らばった書類を片付けながら必要そうなものには目を通していた私は、突然声をかけられて思わず手に持った紙の束を落としてしまう。
バサリと広がった書類をかき集める前に、私は一度深呼吸をしてから振り返った。
「おはようございます、ラインハルト様。ユークライ殿下と兄上は、先ほど騎士団と魔法師団に協力を要請しに出て行ってしまって」
「おはよう。君が何か用意したのか?」
「えぇ。ブレデル元伯爵領で不穏な集団が動いていることの客観的な証拠を」
すぐに言い当てたラインハルト様に内心驚きながらそう返事をすると、彼はなんだか普段より険しい表情をしたまま頷く。
どうしたのかと尋ねようとした時、彼の後ろから現れたダラン様が口を開いた。
「アマリリス嬢、すごいですね。元々用意をしていたんですか?」
「元の資料はあったのですが、色々あって分析が追いついていなくて。それを昨晩と今朝、急いで完成させましたの」
「じゃあ今日は早起きを?」
「えぇ」
変なことを訊くな、と思いながら頷くと、ダラン様はにこりと人の良い笑顔を浮かべる。
「今朝、僕がセルカのことが心配だって言ったら、『きっとアマリリスも早起きしてセルカのために動いているはずだ』ってラインハルトに言われたんですが、当たってましたね」
「私もって……ラインハルト様も?」
「えぇ。隣の部屋で寝てた僕を六時くらいに起こしてくれたんですが、その前にもう起きていたみたいで」
「気になることがあっただけだ」
会話をしながら机の方に来た二人は、私を挟むように並び、書類をまとめるのを手伝ってくれる。
近辺の衛兵の巡回路や街の情報屋の名前など、セルカを見つけるためのものもあれば、ブレデル元伯爵家に関する捜査資料、国内の呪術師の名簿などがごちゃごちゃに混ざっている。
きっと昨晩、ユークライ殿下はずっとこれらをひっくり返していたんだろうなと思いながら遠くの紙に手を伸ばそうとした時、ラインハルト様と肩がぶつかってしまう。
「あ……申し訳ありません」
ずっと下を向いていたからか、それとも寝不足だからか、少しよろけてしまったのを、反対側のダラン様が支えてくれた。
風呼びの宴で初めて話した時は、細身でどこかやつれていてるような印象だったが、私を受け止めてくれた体幹の強さに、彼も大人の男性なんだなと感じる。
「こちらこそすまない。大丈夫か?」
「えぇ、大丈夫ですわ」
「あまり休めていないのでしょう?こちらに座っていてください。ラインハルトも。ここの整理は僕がやっておくので」
ダラン様に肩を優しく掴まれたまま、近くの椅子にストンと座らされる。
ラインハルト様はというと、目の前の書類の束を一瞥してから、私の隣に腰を下ろした。
「……アマリリス、兄さん達がいつ頃帰ってくるか見当がつくか?」
「しばらくは帰ってこないかと思いますが」
「そうか」
会話が途切れる。
朝からずっと頭を使って、常に手か口を動かしていたから、唐突な休憩にどう休めばいいかわからなくなってしまう。
なんだかそわそわしてしまって視線を彷徨わせている私に、ラインハルト様が「そういえば」と声をかけてくれる。
「魔力はどうだ?」
「大丈夫だと思いますわ。暴走もしていませんし、体調も変化ありません」
「良かった。……実は、少し前から行っていた実験の結果が昨晩出たんだ」
「実験ですか?」
私が聞き返すと、ラインハルト様が力強く頷く。
「風呼びの宴での話を覚えているか?一定以上の魔力出力における、黒い光の観測についてだ」
「あ……えぇ、もちろん覚えていますわ」
だいぶ前の、しかもあまり詳しくない魔法に関する話題ではあったが、ラインハルト様の言葉に記憶を辿るとすぐに思い当たった。
あの時の熱を再び思い出し、そして結果が出たという言葉に、あの時以上に胸の奥底から熱いものが込み上がってくる。
「黒持ちへの関連をより明確にするために行っていた実験があったんだが……詳細は省くが、一定の条件で魔力をかけ続けた魔法石が黒くなる現象が観測された。同様の現象がに人体で起きているとすれば……」
「それが黒持ちが生まれる説明に!?」
興奮を抑え切れず、思わずラインハルト様の言葉に大声で被せてしまう。
自分の声が部屋の中に何重にも反響し、ダラン様やエミー達が驚いて私の方を振り向くのが視界の端に映ったが、それどころではなかった。
「災いをもたらすなんて言い伝えが事実無根だと、そう言えるのですね…!?」
あぁ、と力強く頷いたラインハルト様を見て、私は叫び出したい気持ちを堪えてゆっくり息を吐く。
黒持ちへの、謂れのない偏見。
ただでさえ公爵令嬢という人の注目を浴びる立場な私は、幼い頃から奇異と悪意の視線に晒され続けてきた。
しかし、そんな自分が恵まれた立場であるということを、前世の記憶を思い出したこともあり、より強く感じている。
愛情深く社会的立場があり、金銭的にも余裕があるクリスト家に、私は運良く生まれることができた。一方で、この国では精神的にも経済的にも苦境に立たされている家族のもとに生まれる子もいて、その子が黒持ちだった場合辿る運命というのは、多くの場合到底許容し難いものばかりだ。
それを変えることができる。
これからの未来を変えられるということが、どれだけ喜ばしくて、嬉しくて、私に力を与えてくれるのか。そして、この方に感謝しているのか。
到底言葉では伝え切れないであろうこの感情を、それでも伝えたくて、私は立ち上がりスカートの裾を摘んだ。
「実験のご成功、誠におめでとうございます。そして、同じ黒を持つ者として、心より感謝を」
深くゆっくりと頭を下げる。
「ありがとう。……本当は、途中で何度も諦めようと思った」
意外なその言葉に、私は顔を上げた。
「そもそも僕は、自分が再び社交界に出るとは思っていなかった。だから、自分が好きな魔法の研究だけできれば良いと思っていて、黒持ちの研究も片手間程度にしかやっていなかった。……人の考えを変えることなんてできないと、どこかで諦めていたんだ」
どこか過去を懐かしむかのように穏やかな表情で話すラインハルト様は、そこで一度話を区切ると、私の方を見て微笑んだ。
「しかし、ある時君と出会って、勇気を貰ったんだ」
「……お待ちください。以前にお会いしたことが、あったのですか?」
私の記憶の中でラインハルト様と初めて話したのは、魔法学校の卒業パーティーの後、風呼びの宴の招待状を貰った時だ。
それ以前にお会いしていたら絶対に覚えているはずなのに、記憶をいくら掘り起こしても思い当たる節がない。
「あぁ。魔法学校で一度だけ会ったことがある。あの時僕は髪の色を変えていて、直接会話もしなかったし、認識阻害の魔法もかけていたから覚えていなくて当然だ。……君はその時、黒持ちであることを理由に不当に貶められそうになっていた」
ラインハルト様にそう言われて、魔法学校時代の出来事を一つずつ記憶の引き出しを開けていくが、残念なことに黒持ちだからと難癖をつけられた経験が多すぎて、どの話をしているのかがわからなかった。
「しかし君は見事に立ち回り、自分を周囲に認めさせていた。……思えば、当時は僕も根拠のない偏見に囚われていたのだろう。黒持ちが社会で認められるわけがないと、抗おうともしていなかった。そんな僕を変えてくれたのが、アマリリス。君だったんだ」
だから、とラインハルト様が笑みを深くする。
「僕も君に感謝している。ありがとう、アマリリス」
「そんな」
なんだか照れ臭くなってしまって、はにかんでしまう。
ラインハルト様から視線を外して手元に落とした時、できた侍女であるエミーが紅茶を淹れようかと訊ねてくれる。
彼女に二重の感謝を伝えた私は、そのわずか数十分後にこの黒の色のせいで発生したトラブルに頭を抱えることになるなんて、思ってもいなかった。
「……大変なことになった」
ガチャリ、と突然ノックもなしにドアを開けたのは兄上だった。
互いの報告は兄上達が帰って来てからにしようということになり、書類の整理をしたり過去の報告書に注釈を加えたりしていた私達の視線を受け止めた兄上は、続いて部屋に入ってきたユークライ殿下を振り返る。
「どうする。俺から話すか?」
「……いや、俺が話そう。この件に関しては、お前より俺の方が冷静だ」
「そうだな」
話しながら入室してくる兄上達の後ろから、にこりと感情の読み取れない笑みを浮かべているリズヴェルトが入ってくる。
彼はラインハルト様に一礼してから、私の方にも目礼してきた。
眼鏡越しに合った目からも、やはり何を考えているのか全くわからない。
「……何かございましたの?」
どうしてわざわざ来たのか、という問いかけも含めてそう尋ねると、リズヴェルトは大仰に手を広げて肩をすくめる。
「昨日は、報告を差し上げる必要がありましたので。俺は皆様の側で、目と耳としての役割を果たすまでです」
私と同じくつい数ヶ月前に魔法学校を卒業したにも関わらず、既にこの国の中枢に深く食い込んでいると噂の彼は、陛下や自分の父である宰相閣下に、この調査隊での王太子候補のパフォーマンスを報告する役目を仰せつかっているらしい。
魔法学校時代は、同じ生徒会として意見を頻繁に戦わせていたから、彼が黙ってこちらを見ているだけという状況になんだか違和感を覚えずにはいられないが、今は元同級生よりも兄上の言った"大変なこと"が気になる。
一体何があったのかと思いながら、全員が席に着くのを待った。
机には、私とラインハルト様、兄上とユークライ殿下、そしてリズヴェルトが座り、ラインハルト様の後ろにはダラン様が控えている。
ユークライ殿下の従者のスロフォリオ殿はずっと別で動いているらしく、代わりに護衛騎士のイレーヴが彼の後ろに立っていた。
「……大変なこと、とヴィンセントが言っていたが、正直俺としてはその表現は誇張ではないと思っている」
全員の準備が整ったところで、ユークライ殿下が口を開く。
「順を追って説明する。アマリリス嬢も知っての通り、俺とヴィンセントは、ブレデル元伯爵領での調査を正式に魔法師団と騎士団に依頼するために、それぞれの詰所に向かった。魔法師団に関しては、ちょうどレゾット師団長がいらっしゃったこともあり説明を直接できたが、呪術師が本当にいる確証がないと魔法師団を動かすのは難しいとのことだった」
確かにそうだ。
共に高度な戦闘が可能な騎士団と魔法師団の扱う任務の違いは、魔法に関する特別な何かがあるかどうかである。特別な必要がない限りは、まず騎士団に調査を依頼するのが普通だ。
「そのため、俺達は一旦騎士団の方に行くことにした。……結論から言うと、俺達は協力を断られた」
「なぜです?犯罪組織の取り締まりは、騎士団の職分。特に、元貴族が関連しているとあれば」
「君の言う通りだ。……しかし、俺達が、災いをもたらすのではないかって言われてしまってね」
力なく苦笑するユークライ殿下が、椅子に体重をかける。
「黒持ちの第二王子と公爵令嬢、そして黒持ちの国と取引をしている俺。……今、国内外の情勢が安定していないのは、王家が黒持ちに近付きすぎたからだと、そう言われてしまったよ」
「……え」
想像もしていなかった話に、思わず声が漏れた。
「……あぁ、思い出したらマジで腹立ってきた!国内が不安定なのは王太子選だからで、国外に関しては俺達関係ないっていうのに」
兄上が、どん、と机に拳をぶつける。
不作法だと注意しようとも思ったが、その苛立ちに私も共感してしまっているから、口を開く気にはなれなかった。
今まで生きてきて何度も、このような理不尽にぶつかったことはある。しかし、王族も兄上も関わっている調査隊に対しても、こんな言いがかりをつけてくることもあるなんて。
「論理的な根拠があるっつーのに……本気で迷信を信じてるやつもいるけど、俺らが功績上げるのを嫌がってる連中もこの話に乗っかってきてやがる。こりゃもう騎士団動かすのは厳しいから、呪い関連の情報を集めてから改めて魔法師団に打診するしかねぇな」
「それなら、一応僕の方で用意はある」
そう口を開いたラインハルト様が、持ってきていた紙を前に滑らせる。
「先日の兄さんの夜会での呪いと、昨日のララティーナ・ゼンリルがサーストンとヴィンセントにかけた呪いに多くの共通点が見られた。同一の術者によるものだと考えられる。ただ、このこととブレデル領を結び付けるのは少々無理があるかもしれない」
「だな。一応、俺の班なら無理言って動かせるが……」
「やめておいた方がいいわね」
「あぁ」
今、私達が反感を買っているとしたら、出来るだけ職権を濫用するようなことはやめておいた方がいい。
しかし、正攻法でどうしようもないとも思うと、溜め息しか出てこなかった。
少し前、ラインハルト様から黒持ちへの偏見を無くせるであろう実験結果について伝えてもらったこともあり、余計に歯痒さを感じてしまう。
全員が黙り込み、針がチクタクと鳴る音と、紙が捲られて擦れる音だけが聞こえてくる。
考えても考えても、良い打開策が出てこない。
重苦しい閉塞感が部屋を満たした時だった。
「……提案がある」
その沈黙をラインハルト様が破る。
「僕達だけで乗り込もう」
その好戦的な提案は、普段と変わらない淡々とした声で告げられた。
乱雑に散らばった書類を片付けながら必要そうなものには目を通していた私は、突然声をかけられて思わず手に持った紙の束を落としてしまう。
バサリと広がった書類をかき集める前に、私は一度深呼吸をしてから振り返った。
「おはようございます、ラインハルト様。ユークライ殿下と兄上は、先ほど騎士団と魔法師団に協力を要請しに出て行ってしまって」
「おはよう。君が何か用意したのか?」
「えぇ。ブレデル元伯爵領で不穏な集団が動いていることの客観的な証拠を」
すぐに言い当てたラインハルト様に内心驚きながらそう返事をすると、彼はなんだか普段より険しい表情をしたまま頷く。
どうしたのかと尋ねようとした時、彼の後ろから現れたダラン様が口を開いた。
「アマリリス嬢、すごいですね。元々用意をしていたんですか?」
「元の資料はあったのですが、色々あって分析が追いついていなくて。それを昨晩と今朝、急いで完成させましたの」
「じゃあ今日は早起きを?」
「えぇ」
変なことを訊くな、と思いながら頷くと、ダラン様はにこりと人の良い笑顔を浮かべる。
「今朝、僕がセルカのことが心配だって言ったら、『きっとアマリリスも早起きしてセルカのために動いているはずだ』ってラインハルトに言われたんですが、当たってましたね」
「私もって……ラインハルト様も?」
「えぇ。隣の部屋で寝てた僕を六時くらいに起こしてくれたんですが、その前にもう起きていたみたいで」
「気になることがあっただけだ」
会話をしながら机の方に来た二人は、私を挟むように並び、書類をまとめるのを手伝ってくれる。
近辺の衛兵の巡回路や街の情報屋の名前など、セルカを見つけるためのものもあれば、ブレデル元伯爵家に関する捜査資料、国内の呪術師の名簿などがごちゃごちゃに混ざっている。
きっと昨晩、ユークライ殿下はずっとこれらをひっくり返していたんだろうなと思いながら遠くの紙に手を伸ばそうとした時、ラインハルト様と肩がぶつかってしまう。
「あ……申し訳ありません」
ずっと下を向いていたからか、それとも寝不足だからか、少しよろけてしまったのを、反対側のダラン様が支えてくれた。
風呼びの宴で初めて話した時は、細身でどこかやつれていてるような印象だったが、私を受け止めてくれた体幹の強さに、彼も大人の男性なんだなと感じる。
「こちらこそすまない。大丈夫か?」
「えぇ、大丈夫ですわ」
「あまり休めていないのでしょう?こちらに座っていてください。ラインハルトも。ここの整理は僕がやっておくので」
ダラン様に肩を優しく掴まれたまま、近くの椅子にストンと座らされる。
ラインハルト様はというと、目の前の書類の束を一瞥してから、私の隣に腰を下ろした。
「……アマリリス、兄さん達がいつ頃帰ってくるか見当がつくか?」
「しばらくは帰ってこないかと思いますが」
「そうか」
会話が途切れる。
朝からずっと頭を使って、常に手か口を動かしていたから、唐突な休憩にどう休めばいいかわからなくなってしまう。
なんだかそわそわしてしまって視線を彷徨わせている私に、ラインハルト様が「そういえば」と声をかけてくれる。
「魔力はどうだ?」
「大丈夫だと思いますわ。暴走もしていませんし、体調も変化ありません」
「良かった。……実は、少し前から行っていた実験の結果が昨晩出たんだ」
「実験ですか?」
私が聞き返すと、ラインハルト様が力強く頷く。
「風呼びの宴での話を覚えているか?一定以上の魔力出力における、黒い光の観測についてだ」
「あ……えぇ、もちろん覚えていますわ」
だいぶ前の、しかもあまり詳しくない魔法に関する話題ではあったが、ラインハルト様の言葉に記憶を辿るとすぐに思い当たった。
あの時の熱を再び思い出し、そして結果が出たという言葉に、あの時以上に胸の奥底から熱いものが込み上がってくる。
「黒持ちへの関連をより明確にするために行っていた実験があったんだが……詳細は省くが、一定の条件で魔力をかけ続けた魔法石が黒くなる現象が観測された。同様の現象がに人体で起きているとすれば……」
「それが黒持ちが生まれる説明に!?」
興奮を抑え切れず、思わずラインハルト様の言葉に大声で被せてしまう。
自分の声が部屋の中に何重にも反響し、ダラン様やエミー達が驚いて私の方を振り向くのが視界の端に映ったが、それどころではなかった。
「災いをもたらすなんて言い伝えが事実無根だと、そう言えるのですね…!?」
あぁ、と力強く頷いたラインハルト様を見て、私は叫び出したい気持ちを堪えてゆっくり息を吐く。
黒持ちへの、謂れのない偏見。
ただでさえ公爵令嬢という人の注目を浴びる立場な私は、幼い頃から奇異と悪意の視線に晒され続けてきた。
しかし、そんな自分が恵まれた立場であるということを、前世の記憶を思い出したこともあり、より強く感じている。
愛情深く社会的立場があり、金銭的にも余裕があるクリスト家に、私は運良く生まれることができた。一方で、この国では精神的にも経済的にも苦境に立たされている家族のもとに生まれる子もいて、その子が黒持ちだった場合辿る運命というのは、多くの場合到底許容し難いものばかりだ。
それを変えることができる。
これからの未来を変えられるということが、どれだけ喜ばしくて、嬉しくて、私に力を与えてくれるのか。そして、この方に感謝しているのか。
到底言葉では伝え切れないであろうこの感情を、それでも伝えたくて、私は立ち上がりスカートの裾を摘んだ。
「実験のご成功、誠におめでとうございます。そして、同じ黒を持つ者として、心より感謝を」
深くゆっくりと頭を下げる。
「ありがとう。……本当は、途中で何度も諦めようと思った」
意外なその言葉に、私は顔を上げた。
「そもそも僕は、自分が再び社交界に出るとは思っていなかった。だから、自分が好きな魔法の研究だけできれば良いと思っていて、黒持ちの研究も片手間程度にしかやっていなかった。……人の考えを変えることなんてできないと、どこかで諦めていたんだ」
どこか過去を懐かしむかのように穏やかな表情で話すラインハルト様は、そこで一度話を区切ると、私の方を見て微笑んだ。
「しかし、ある時君と出会って、勇気を貰ったんだ」
「……お待ちください。以前にお会いしたことが、あったのですか?」
私の記憶の中でラインハルト様と初めて話したのは、魔法学校の卒業パーティーの後、風呼びの宴の招待状を貰った時だ。
それ以前にお会いしていたら絶対に覚えているはずなのに、記憶をいくら掘り起こしても思い当たる節がない。
「あぁ。魔法学校で一度だけ会ったことがある。あの時僕は髪の色を変えていて、直接会話もしなかったし、認識阻害の魔法もかけていたから覚えていなくて当然だ。……君はその時、黒持ちであることを理由に不当に貶められそうになっていた」
ラインハルト様にそう言われて、魔法学校時代の出来事を一つずつ記憶の引き出しを開けていくが、残念なことに黒持ちだからと難癖をつけられた経験が多すぎて、どの話をしているのかがわからなかった。
「しかし君は見事に立ち回り、自分を周囲に認めさせていた。……思えば、当時は僕も根拠のない偏見に囚われていたのだろう。黒持ちが社会で認められるわけがないと、抗おうともしていなかった。そんな僕を変えてくれたのが、アマリリス。君だったんだ」
だから、とラインハルト様が笑みを深くする。
「僕も君に感謝している。ありがとう、アマリリス」
「そんな」
なんだか照れ臭くなってしまって、はにかんでしまう。
ラインハルト様から視線を外して手元に落とした時、できた侍女であるエミーが紅茶を淹れようかと訊ねてくれる。
彼女に二重の感謝を伝えた私は、そのわずか数十分後にこの黒の色のせいで発生したトラブルに頭を抱えることになるなんて、思ってもいなかった。
「……大変なことになった」
ガチャリ、と突然ノックもなしにドアを開けたのは兄上だった。
互いの報告は兄上達が帰って来てからにしようということになり、書類の整理をしたり過去の報告書に注釈を加えたりしていた私達の視線を受け止めた兄上は、続いて部屋に入ってきたユークライ殿下を振り返る。
「どうする。俺から話すか?」
「……いや、俺が話そう。この件に関しては、お前より俺の方が冷静だ」
「そうだな」
話しながら入室してくる兄上達の後ろから、にこりと感情の読み取れない笑みを浮かべているリズヴェルトが入ってくる。
彼はラインハルト様に一礼してから、私の方にも目礼してきた。
眼鏡越しに合った目からも、やはり何を考えているのか全くわからない。
「……何かございましたの?」
どうしてわざわざ来たのか、という問いかけも含めてそう尋ねると、リズヴェルトは大仰に手を広げて肩をすくめる。
「昨日は、報告を差し上げる必要がありましたので。俺は皆様の側で、目と耳としての役割を果たすまでです」
私と同じくつい数ヶ月前に魔法学校を卒業したにも関わらず、既にこの国の中枢に深く食い込んでいると噂の彼は、陛下や自分の父である宰相閣下に、この調査隊での王太子候補のパフォーマンスを報告する役目を仰せつかっているらしい。
魔法学校時代は、同じ生徒会として意見を頻繁に戦わせていたから、彼が黙ってこちらを見ているだけという状況になんだか違和感を覚えずにはいられないが、今は元同級生よりも兄上の言った"大変なこと"が気になる。
一体何があったのかと思いながら、全員が席に着くのを待った。
机には、私とラインハルト様、兄上とユークライ殿下、そしてリズヴェルトが座り、ラインハルト様の後ろにはダラン様が控えている。
ユークライ殿下の従者のスロフォリオ殿はずっと別で動いているらしく、代わりに護衛騎士のイレーヴが彼の後ろに立っていた。
「……大変なこと、とヴィンセントが言っていたが、正直俺としてはその表現は誇張ではないと思っている」
全員の準備が整ったところで、ユークライ殿下が口を開く。
「順を追って説明する。アマリリス嬢も知っての通り、俺とヴィンセントは、ブレデル元伯爵領での調査を正式に魔法師団と騎士団に依頼するために、それぞれの詰所に向かった。魔法師団に関しては、ちょうどレゾット師団長がいらっしゃったこともあり説明を直接できたが、呪術師が本当にいる確証がないと魔法師団を動かすのは難しいとのことだった」
確かにそうだ。
共に高度な戦闘が可能な騎士団と魔法師団の扱う任務の違いは、魔法に関する特別な何かがあるかどうかである。特別な必要がない限りは、まず騎士団に調査を依頼するのが普通だ。
「そのため、俺達は一旦騎士団の方に行くことにした。……結論から言うと、俺達は協力を断られた」
「なぜです?犯罪組織の取り締まりは、騎士団の職分。特に、元貴族が関連しているとあれば」
「君の言う通りだ。……しかし、俺達が、災いをもたらすのではないかって言われてしまってね」
力なく苦笑するユークライ殿下が、椅子に体重をかける。
「黒持ちの第二王子と公爵令嬢、そして黒持ちの国と取引をしている俺。……今、国内外の情勢が安定していないのは、王家が黒持ちに近付きすぎたからだと、そう言われてしまったよ」
「……え」
想像もしていなかった話に、思わず声が漏れた。
「……あぁ、思い出したらマジで腹立ってきた!国内が不安定なのは王太子選だからで、国外に関しては俺達関係ないっていうのに」
兄上が、どん、と机に拳をぶつける。
不作法だと注意しようとも思ったが、その苛立ちに私も共感してしまっているから、口を開く気にはなれなかった。
今まで生きてきて何度も、このような理不尽にぶつかったことはある。しかし、王族も兄上も関わっている調査隊に対しても、こんな言いがかりをつけてくることもあるなんて。
「論理的な根拠があるっつーのに……本気で迷信を信じてるやつもいるけど、俺らが功績上げるのを嫌がってる連中もこの話に乗っかってきてやがる。こりゃもう騎士団動かすのは厳しいから、呪い関連の情報を集めてから改めて魔法師団に打診するしかねぇな」
「それなら、一応僕の方で用意はある」
そう口を開いたラインハルト様が、持ってきていた紙を前に滑らせる。
「先日の兄さんの夜会での呪いと、昨日のララティーナ・ゼンリルがサーストンとヴィンセントにかけた呪いに多くの共通点が見られた。同一の術者によるものだと考えられる。ただ、このこととブレデル領を結び付けるのは少々無理があるかもしれない」
「だな。一応、俺の班なら無理言って動かせるが……」
「やめておいた方がいいわね」
「あぁ」
今、私達が反感を買っているとしたら、出来るだけ職権を濫用するようなことはやめておいた方がいい。
しかし、正攻法でどうしようもないとも思うと、溜め息しか出てこなかった。
少し前、ラインハルト様から黒持ちへの偏見を無くせるであろう実験結果について伝えてもらったこともあり、余計に歯痒さを感じてしまう。
全員が黙り込み、針がチクタクと鳴る音と、紙が捲られて擦れる音だけが聞こえてくる。
考えても考えても、良い打開策が出てこない。
重苦しい閉塞感が部屋を満たした時だった。
「……提案がある」
その沈黙をラインハルト様が破る。
「僕達だけで乗り込もう」
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