【コミカライズ配信中!】 婚約破棄後の悪役令嬢~ショックで前世の記憶を思い出したのでハッピーエンド目指します!~
71話:不在の中で
「……おはよう、兄上」
朝、食事を摂りに下へ降りると、兄上が既に座っていた。
どうやらもう朝食を済ませたらしく、紅茶を片手に王都近辺の地図を眺めている。
「おはよ、リリィ。……おいおい、顔色悪りぃぞ。眠れてないのか?」
「ちょっと……なんだか、セルカのことが心配で。まだ連絡はないの?」
「今んとこないな」
セルカがララティーナを追って消息を絶ってから、およそ半日が経った。
昨日、全員で会議室に集まり情報を共有した後、陛下の応対のためにラインハルト様とユークライ殿下は席を外し、残った私や兄上で状況を整理していた。
目が覚めたサーストン殿下から話も聞いて、立てていた仮説がどうやら正しかったらしいことがわかってきたというのが今の状態だ。
ララティーナ・ゼンリルは、何者か……おそらくスニクス・ブレデルの命を受けて、王族の内部に入り込もうとしていた。そのためにサーストン殿下に接触して彼と深い関係になろうとしていたし、彼が廃嫡されるかもしれないと伝えると、利用価値のない彼を消そうとした。
サーストン殿下はというと、若干の疲れは見せていたものの精神的なものらしく、兄上と一緒にララティーナが逃げた先の予測を立てていた。
彼の心中を考えると、なんとも言えない気持ちになる。魔法の影響もあったとはいえ自分が好きだった女性に、容赦無く命を狙われたのだ。
私自身、彼の過去の言動に傷付けられたことはあるものの、どうにも気の毒に思えてしまう。
「うーん……」
昨日のことを思い返していたら、兄上の唸り声でふと我に帰る。
気付けば目の前には食事が配膳されていて、エミーが不安そうに私のことを見つめていた。
「あぁ、ごめんなさい。今いただくわね」
エミーにそう言って笑いかけると、彼女も眉尻を下げながら微笑んでくれる。
そんな彼女のすぐ後ろには、血の繋がった妹であるエストレイが立っていた。護衛であるセルカがおらず、敵が直接的に命を狙ってくるとわかった今、一番戦闘力のない私にはエミーとエストレイの姉妹がついてくれている。
なんだか気分が暗くなるようなことばかりだが、この二人が再会して今一緒に並んで立っている姿を見ると、少し心が軽くなるような心地がした。
ゆっくりとパンをちぎりながら、セルカのことが頭に過ぎる。
彼女はご飯を食べれているのだろうか。連絡できる状況にいないということは、未だにララティーナを追っているのだろうか。
夜通し逃げ回れるとは考えにくいし、逃走先にララティーナ側の人間がいないとも限らない。
ひょっとして、と嫌な予感がする度に、パンと一緒に飲み込む。
そんなことを黙々と繰り返していたからだろうか。
お嬢様、と小さくエミーに耳打ちされて顔を上げると、いつの間にかテーブルに腰掛けていた父上と目が合った。
「父上!?」
「アマリリス、考え事をすると周りに気付かなくなるところは相変わらずだな」
「申し訳ありません。……おかえりなさいませ、父上。お元気そうで何よりですわ」
「お前も、と言いたいところだが……ひどい顔色だ。倒れた後遺症か?」
陛下の外遊に外務大臣として同行していた父上と会うのは久しぶりだ。私が少し前に、前世の記憶を完全に取り戻したショックで倒れた時も、屋敷を空けていた。
「いえ。……友人が、昨日から連絡が取れなくて」
「ヴィンセントが朝から地図を広げていることと関係があるのか?」
さすがの洞察力だと思いながら兄上の方を見ると、兄上も同じことを思ったようで、苦笑を漏らしていた。
「父上もご存知でしょ?俺らの動き」
「残党を逃してしまった私の不手際でもあるからな。……これは独り言だが、父としてお前達を守りたい、そのために助力させて欲しいと進言したが、却下された」
誰が、と言わずとも、わざわざした前置きから誰のことを話しているかはすぐにわかった。
父上は、魔法学校時代から国王陛下と親交があったそうだ。今では王と臣下という立場の差こそあるが、公私共に信頼を置かれている仲だとよく聞く。
「……ブレデルの一件は、ガッドの大木ってか」
「そういうお人だ」
ガッドの大木。
かつて王国一と呼ばれた鍛冶屋が、最高の一振りを鍛えた際、試し斬りで村一番の大木を切り倒したことに由来するフレーズ。
その大木が村人にとっての憩いの場でもあったことから、何か大事なものを犠牲にしてでも最良を追い求めることを指す。
陛下にとっては、この一連の騒動でたとえ誰かが取り返しのつかないことになっても、それで次期王太子を選べれば良いのかと思うと、背筋が凍るような思いがする。
「……アマリリス」
そんな私の感情が顔に出てしまっていたのだろうか。
父上に諌めるように私の名前を呼ばれ、私はハッとする。続けて叱責の言葉が飛んでくるかと思えば、父上は「ヴィンセント」と兄の名前も呼んだ。
「頂点に立つ者は、取捨選択をせねばならない。その取捨選択に、正解も不正解もなく、善悪もない。では何があると思う?」
「……切り捨てられた人、ですか」
兄上の答えに父上は首を横に振った。
「もっと抽象的な話だ。……アマリリス、お前はどう思う?」
「……選んだ理由、でしょうか」
「その方が私の考えている答えに近い」
紅茶を一度飲んでから、父上が話を続けた。
「頂点に立つ者には、それに伴う権利と責任がある。決断を下す権利と、その決断に対する責任だ。しかし、その決断は全ての関係者にとって益があるものとは限らない。ゆえに、頂点に立つ者は取捨選択をする。何かを切り捨てたとしても、守り抜かなければならないものがある」
話を聞きながらチラリと兄上に視線を向けると、普段のおちゃらけている様子からは想像ができない、真剣な眼差しで父上のことを見つめていた。
今は魔法師団に勤めているとはいえ、いずれ兄上は父上の座を継いで公爵家当主……クリスト家の頂点に立つことになる。
兄は、線引きを間違えない賢い人だ。こんな風に真剣な表情をしているのを見ると、改めてそう思う。
「……あのお方にとってそれは、ウィンドール王国の存続だ」
そう告げられた言葉に、再び父上の方を向く。
どこか淡々とした様子で話しているが、その瞳の奥に密かに燃えている炎があった。
父上が、陛下について話す時はいつもこうだ。
口調はいつもと変わらないものの、内に秘めた熱情が隠し切れていない。
私にとっては、どこか苛烈なようにも思える陛下に、きっと父上は魅せられているのだろう。
「たとえ、非情だ、冷酷だ、外道だと罵られようと、あのお方はお前達に手をお貸しになることはないだろう」
「……それは、候補者の素質を見極めるために?」
「そうだ。……今、我が国は非常に緊張した状態に置かれている。ヴィンセントはもちろんだが、アマリリス、お前もだ。臣下の一員として、国のために自分に何ができるかを考え続けなさい」
「「はい、父上」」
私と兄上の声が重なると、父上はそこでやっと表情を緩めた。
それを見て、私と兄上も無意識の内に入っていた肩の力が抜ける。
「お前達の友人が早く見つかると良いな」
「本当ですよ。……父上、公爵家の私兵は借りれませんよね」
「すまないが無理だ。公爵領内ならまだしも、王都周辺で動かすわけにはいかない」
「ですよねぇ。困ったな……」
兄上は、父上が来て一度仕舞っていたらしい地図を再び開き、ペンを片手に唸っている。
人手が圧倒的に足りていない私達では、なかなかセルカを追うことができない。一応、王都周辺の警邏の報告で該当しそうなものがあれば報告するよう衛兵に要請はしているが、今のところ何も来ていなかった。
せめてもう少し人手があればと溜め息をつくと、ちょうどそれが兄上と重なり、父上が小さく苦笑を漏らした。
朝食を済ませた私は、兄上と共に王城へ向かう。
護衛としてついてきてくれているエミーとエストレイは、二人とも派手な髪色がわからないようにフードを被っていた。
クリスト家の侍女として来てくれているヘレナは、いつも通りの給仕服。兄上は魔法師団の制服ではなく、貴族としての装いだ。
私はというと、最近暖かくなってきたこともあり、袖のところがレースになっている淡い黄色のドレスを選んでいた。
屋敷を出た時にはちょうどいいと思っていたのだが、王城に着くとなんだか少し肌寒い気がしてしまう。
風が吹いているからだろうかと思いながら会議室に入ると、そこにはユークライ殿下が待ってくれていた。
私達が来たことに気付くと、ユークライ殿下はいつも通りの笑顔で迎えてくれる。
「おはよう、ヴィンセント、アマリリス嬢」
「よぉ」
「おはようございます、殿下」
兄上のこの気安い態度も、未だに不敬だと誰かに言われないか少しだけ心配になるが、すっかり慣れてしまった。
慣れなのか諦めなのかわからないが、とにかく二人の仲が良いことはわかったから、前よりだいぶ安心だ。
それでも、部屋に入って真っ直ぐにユークライ殿下の方へ向かい、彼の肩に肘を置いて手元の書類を覗き込んだ瞬間、声が出そうになった。
どうにかそれを堪えて、二人の会話に耳を傾ける。
「どうだ。それっぽい報告あったか?」
「まだない。昨晩、街の情報屋にも怪我をしている赤みがかった茶髪の若い女性がいたら伝えるように言っているが、セルカに関するものはまだ来てない」
「おいちょっと待て。お前、あの後に街に下りたのか?一人じゃねぇよな?」
「イレーヴと一緒だ」
「イレーヴのこと信頼してないわけじゃねぇが、こんな時期に、夜に護衛一人で出かけるのは褒められたもんじゃねぇぞ。街の情報屋に声かけるくらいなら俺でもできる」
「……居ても立っても居られななかったんだ」
今までに聞いたことのない、拗ねた子供のような声に、そんな事態ではないとわかっていながらも、この人はやっぱりセルカのことを、とにやけてしまいそうになる。
が、同時に何もできない自分に焦りと無力感を感じているのは私も同じだから、すぐにその甘酸っぱさも消えていった。
「いやお前なぁ……ぶっちゃけ、セルカの実力、俺とあんま変わらないぞ?もちろん相性もあるけど、あいつで敵わないなら俺も厳しいだろうな」
「じゃあなんで戻ってこないし連絡もないんだ?」
「昨日も話したろ?ララティーナ・ゼンリルを追って行って潜伏かなんかしてて連絡を取れてないとか、普通に魔力切れで休んでるとか」
「……そうだな」
どこか思い詰めたような表情のユークライ殿下の肩を、兄上がバシバシと叩く。
「俺らが不安がっててもなんも変わんねぇよ。それより今後の動きをどうするか詰めていかねぇと」
「あぁ。……遅くなってしまったが、二人とも、昨晩はありがとう。報告書を読ませてもらったが、よくまとまっていた」
いえ、と軽く会釈をする私とは違って、兄上は得意気にニッと口角を上げる。
「俺の妹すげぇだろ?」
「元々すごいとは思っていたさ。……それでアマリリス嬢。ここにも書いているが、もう一度聞きたい」
真っ直ぐな賞賛に照れ臭さを感じながら、私は自分の手元に写しを用意しながらユークライ殿下に向き直る。
彼が聞こうとしていることは想像がついている。
昨晩、兄上やサーストン殿下と共に作成した報告書。その末尾に、今後打つべきであろう手立てをいくつか記しておいた。
「『ブレデル元伯爵家の実地調査』。君は、これをするべきだと?」
「セルカがララティーナを捕縛できていないのであれば、ララティーナはブレデル家側に自分達の動きが勘付かれていることを伝えるでしょう。そうすれば警戒心を強められ、余計に尻尾を掴みにくくなります」
「それは理解できる。だが、この少人数で本当にできると思うのか?」
「正式な捜査状を出して、騎士団や魔法師団の協力を仰ぎます」
「どうやって?表には、俺が主催した夜会の襲撃犯を探している、としか伝えられない。反逆のことを隠したまま協力を取り付けるのは困難だ」
「ブレデル元伯爵領で、不審な金銭の動きがありますの」
「前に出してくれたものか?」
そう言われると思っていて、朝少しいつもより早く起きて資料を作っていた。
エミーの方を振り返ると、彼女は既に鞄から私が必要としていたものを取り出してくれている。
彼女に礼を言ってから、その書類をユークライ殿下に渡した。
「……保存の効く食糧、傷薬、包帯、矢。それに、魔法用の触媒……こんな具体的な品目、どうやって」
「行商人は、自分にとって有利に動いてくれる相手に対してなら、どんなことでも教えてくれますわ」
私が殿下に手渡したのは、ブレデル元伯爵領内に立ち寄った行商人が、直近の三年間に販売した品目とその品数。
一つの商会だけでない。ブレデル元伯爵領の近辺を含む一帯で、一定以上の量を売った全ての商会、そして個人商人の全ての取引を計上している。
その結果あらわになったのは、異常に買い込まれている兵站と考えられる物資。
しかもそれを買った者は全て素性を隠していたらしく、商人達も不審がっていた。
だからこそ記憶に残っていて、私が問い合わせたら答えてくれたわけなのだが。
「……行商人や旅芸人の証言もある。これを、一晩で?」
「元々断片的な情報自体は集めていたのですが、なかなか精査に時間が取れず……。昨晩と今朝の時間を使って、急いでまとめました」
何か少しでも自分にできることをしたいと思っているのは、兄上やユークライ殿下だけではない。
セルカがどこにいるかは、私では突き止められない。
私ができることは、彼女がいる可能性が高いブレデル元伯爵領の正式な捜査状を得るために、必要な資料をかき集めてくることだけ。
「ブレデル元伯爵領内で正体不明な集団の不穏な動きがあり、呪術にも使用される触媒が大量に購入されていたとなれば、殿下の夜会の襲撃犯とも自然に結び付けられます。これを使えば、騎士団や魔法師団を動かせるのでは?」
「……今すぐにでも動こう。ヘンリック、ついて来てくれ」
「あ、俺も行く」
ジャケットを羽織り、壁に控えていた自分の護衛騎士に声をかけ、すぐに部屋を出て行くユークライ殿下を兄上が追いかける。
ふと、彼の座っていた机に視線が向いた。
夜食が入っていたのであろう食器や、いくつもの目撃情報を書き込んだ王都周辺の地図。何十枚とある探し人の依頼書の間から少し見えているのは、騎士団と魔法師団を動かすための陛下への請願書。
私が資料を渡したらあっという間にいなくなってしまった彼は、どうやら私達が来るまで、ずっとセルカのために色々なことを試して動いていたらしく。
「……セルカ」
どうか早く帰って来て欲しいと、そう強く再び思わざるを得なかった。
朝、食事を摂りに下へ降りると、兄上が既に座っていた。
どうやらもう朝食を済ませたらしく、紅茶を片手に王都近辺の地図を眺めている。
「おはよ、リリィ。……おいおい、顔色悪りぃぞ。眠れてないのか?」
「ちょっと……なんだか、セルカのことが心配で。まだ連絡はないの?」
「今んとこないな」
セルカがララティーナを追って消息を絶ってから、およそ半日が経った。
昨日、全員で会議室に集まり情報を共有した後、陛下の応対のためにラインハルト様とユークライ殿下は席を外し、残った私や兄上で状況を整理していた。
目が覚めたサーストン殿下から話も聞いて、立てていた仮説がどうやら正しかったらしいことがわかってきたというのが今の状態だ。
ララティーナ・ゼンリルは、何者か……おそらくスニクス・ブレデルの命を受けて、王族の内部に入り込もうとしていた。そのためにサーストン殿下に接触して彼と深い関係になろうとしていたし、彼が廃嫡されるかもしれないと伝えると、利用価値のない彼を消そうとした。
サーストン殿下はというと、若干の疲れは見せていたものの精神的なものらしく、兄上と一緒にララティーナが逃げた先の予測を立てていた。
彼の心中を考えると、なんとも言えない気持ちになる。魔法の影響もあったとはいえ自分が好きだった女性に、容赦無く命を狙われたのだ。
私自身、彼の過去の言動に傷付けられたことはあるものの、どうにも気の毒に思えてしまう。
「うーん……」
昨日のことを思い返していたら、兄上の唸り声でふと我に帰る。
気付けば目の前には食事が配膳されていて、エミーが不安そうに私のことを見つめていた。
「あぁ、ごめんなさい。今いただくわね」
エミーにそう言って笑いかけると、彼女も眉尻を下げながら微笑んでくれる。
そんな彼女のすぐ後ろには、血の繋がった妹であるエストレイが立っていた。護衛であるセルカがおらず、敵が直接的に命を狙ってくるとわかった今、一番戦闘力のない私にはエミーとエストレイの姉妹がついてくれている。
なんだか気分が暗くなるようなことばかりだが、この二人が再会して今一緒に並んで立っている姿を見ると、少し心が軽くなるような心地がした。
ゆっくりとパンをちぎりながら、セルカのことが頭に過ぎる。
彼女はご飯を食べれているのだろうか。連絡できる状況にいないということは、未だにララティーナを追っているのだろうか。
夜通し逃げ回れるとは考えにくいし、逃走先にララティーナ側の人間がいないとも限らない。
ひょっとして、と嫌な予感がする度に、パンと一緒に飲み込む。
そんなことを黙々と繰り返していたからだろうか。
お嬢様、と小さくエミーに耳打ちされて顔を上げると、いつの間にかテーブルに腰掛けていた父上と目が合った。
「父上!?」
「アマリリス、考え事をすると周りに気付かなくなるところは相変わらずだな」
「申し訳ありません。……おかえりなさいませ、父上。お元気そうで何よりですわ」
「お前も、と言いたいところだが……ひどい顔色だ。倒れた後遺症か?」
陛下の外遊に外務大臣として同行していた父上と会うのは久しぶりだ。私が少し前に、前世の記憶を完全に取り戻したショックで倒れた時も、屋敷を空けていた。
「いえ。……友人が、昨日から連絡が取れなくて」
「ヴィンセントが朝から地図を広げていることと関係があるのか?」
さすがの洞察力だと思いながら兄上の方を見ると、兄上も同じことを思ったようで、苦笑を漏らしていた。
「父上もご存知でしょ?俺らの動き」
「残党を逃してしまった私の不手際でもあるからな。……これは独り言だが、父としてお前達を守りたい、そのために助力させて欲しいと進言したが、却下された」
誰が、と言わずとも、わざわざした前置きから誰のことを話しているかはすぐにわかった。
父上は、魔法学校時代から国王陛下と親交があったそうだ。今では王と臣下という立場の差こそあるが、公私共に信頼を置かれている仲だとよく聞く。
「……ブレデルの一件は、ガッドの大木ってか」
「そういうお人だ」
ガッドの大木。
かつて王国一と呼ばれた鍛冶屋が、最高の一振りを鍛えた際、試し斬りで村一番の大木を切り倒したことに由来するフレーズ。
その大木が村人にとっての憩いの場でもあったことから、何か大事なものを犠牲にしてでも最良を追い求めることを指す。
陛下にとっては、この一連の騒動でたとえ誰かが取り返しのつかないことになっても、それで次期王太子を選べれば良いのかと思うと、背筋が凍るような思いがする。
「……アマリリス」
そんな私の感情が顔に出てしまっていたのだろうか。
父上に諌めるように私の名前を呼ばれ、私はハッとする。続けて叱責の言葉が飛んでくるかと思えば、父上は「ヴィンセント」と兄の名前も呼んだ。
「頂点に立つ者は、取捨選択をせねばならない。その取捨選択に、正解も不正解もなく、善悪もない。では何があると思う?」
「……切り捨てられた人、ですか」
兄上の答えに父上は首を横に振った。
「もっと抽象的な話だ。……アマリリス、お前はどう思う?」
「……選んだ理由、でしょうか」
「その方が私の考えている答えに近い」
紅茶を一度飲んでから、父上が話を続けた。
「頂点に立つ者には、それに伴う権利と責任がある。決断を下す権利と、その決断に対する責任だ。しかし、その決断は全ての関係者にとって益があるものとは限らない。ゆえに、頂点に立つ者は取捨選択をする。何かを切り捨てたとしても、守り抜かなければならないものがある」
話を聞きながらチラリと兄上に視線を向けると、普段のおちゃらけている様子からは想像ができない、真剣な眼差しで父上のことを見つめていた。
今は魔法師団に勤めているとはいえ、いずれ兄上は父上の座を継いで公爵家当主……クリスト家の頂点に立つことになる。
兄は、線引きを間違えない賢い人だ。こんな風に真剣な表情をしているのを見ると、改めてそう思う。
「……あのお方にとってそれは、ウィンドール王国の存続だ」
そう告げられた言葉に、再び父上の方を向く。
どこか淡々とした様子で話しているが、その瞳の奥に密かに燃えている炎があった。
父上が、陛下について話す時はいつもこうだ。
口調はいつもと変わらないものの、内に秘めた熱情が隠し切れていない。
私にとっては、どこか苛烈なようにも思える陛下に、きっと父上は魅せられているのだろう。
「たとえ、非情だ、冷酷だ、外道だと罵られようと、あのお方はお前達に手をお貸しになることはないだろう」
「……それは、候補者の素質を見極めるために?」
「そうだ。……今、我が国は非常に緊張した状態に置かれている。ヴィンセントはもちろんだが、アマリリス、お前もだ。臣下の一員として、国のために自分に何ができるかを考え続けなさい」
「「はい、父上」」
私と兄上の声が重なると、父上はそこでやっと表情を緩めた。
それを見て、私と兄上も無意識の内に入っていた肩の力が抜ける。
「お前達の友人が早く見つかると良いな」
「本当ですよ。……父上、公爵家の私兵は借りれませんよね」
「すまないが無理だ。公爵領内ならまだしも、王都周辺で動かすわけにはいかない」
「ですよねぇ。困ったな……」
兄上は、父上が来て一度仕舞っていたらしい地図を再び開き、ペンを片手に唸っている。
人手が圧倒的に足りていない私達では、なかなかセルカを追うことができない。一応、王都周辺の警邏の報告で該当しそうなものがあれば報告するよう衛兵に要請はしているが、今のところ何も来ていなかった。
せめてもう少し人手があればと溜め息をつくと、ちょうどそれが兄上と重なり、父上が小さく苦笑を漏らした。
朝食を済ませた私は、兄上と共に王城へ向かう。
護衛としてついてきてくれているエミーとエストレイは、二人とも派手な髪色がわからないようにフードを被っていた。
クリスト家の侍女として来てくれているヘレナは、いつも通りの給仕服。兄上は魔法師団の制服ではなく、貴族としての装いだ。
私はというと、最近暖かくなってきたこともあり、袖のところがレースになっている淡い黄色のドレスを選んでいた。
屋敷を出た時にはちょうどいいと思っていたのだが、王城に着くとなんだか少し肌寒い気がしてしまう。
風が吹いているからだろうかと思いながら会議室に入ると、そこにはユークライ殿下が待ってくれていた。
私達が来たことに気付くと、ユークライ殿下はいつも通りの笑顔で迎えてくれる。
「おはよう、ヴィンセント、アマリリス嬢」
「よぉ」
「おはようございます、殿下」
兄上のこの気安い態度も、未だに不敬だと誰かに言われないか少しだけ心配になるが、すっかり慣れてしまった。
慣れなのか諦めなのかわからないが、とにかく二人の仲が良いことはわかったから、前よりだいぶ安心だ。
それでも、部屋に入って真っ直ぐにユークライ殿下の方へ向かい、彼の肩に肘を置いて手元の書類を覗き込んだ瞬間、声が出そうになった。
どうにかそれを堪えて、二人の会話に耳を傾ける。
「どうだ。それっぽい報告あったか?」
「まだない。昨晩、街の情報屋にも怪我をしている赤みがかった茶髪の若い女性がいたら伝えるように言っているが、セルカに関するものはまだ来てない」
「おいちょっと待て。お前、あの後に街に下りたのか?一人じゃねぇよな?」
「イレーヴと一緒だ」
「イレーヴのこと信頼してないわけじゃねぇが、こんな時期に、夜に護衛一人で出かけるのは褒められたもんじゃねぇぞ。街の情報屋に声かけるくらいなら俺でもできる」
「……居ても立っても居られななかったんだ」
今までに聞いたことのない、拗ねた子供のような声に、そんな事態ではないとわかっていながらも、この人はやっぱりセルカのことを、とにやけてしまいそうになる。
が、同時に何もできない自分に焦りと無力感を感じているのは私も同じだから、すぐにその甘酸っぱさも消えていった。
「いやお前なぁ……ぶっちゃけ、セルカの実力、俺とあんま変わらないぞ?もちろん相性もあるけど、あいつで敵わないなら俺も厳しいだろうな」
「じゃあなんで戻ってこないし連絡もないんだ?」
「昨日も話したろ?ララティーナ・ゼンリルを追って行って潜伏かなんかしてて連絡を取れてないとか、普通に魔力切れで休んでるとか」
「……そうだな」
どこか思い詰めたような表情のユークライ殿下の肩を、兄上がバシバシと叩く。
「俺らが不安がっててもなんも変わんねぇよ。それより今後の動きをどうするか詰めていかねぇと」
「あぁ。……遅くなってしまったが、二人とも、昨晩はありがとう。報告書を読ませてもらったが、よくまとまっていた」
いえ、と軽く会釈をする私とは違って、兄上は得意気にニッと口角を上げる。
「俺の妹すげぇだろ?」
「元々すごいとは思っていたさ。……それでアマリリス嬢。ここにも書いているが、もう一度聞きたい」
真っ直ぐな賞賛に照れ臭さを感じながら、私は自分の手元に写しを用意しながらユークライ殿下に向き直る。
彼が聞こうとしていることは想像がついている。
昨晩、兄上やサーストン殿下と共に作成した報告書。その末尾に、今後打つべきであろう手立てをいくつか記しておいた。
「『ブレデル元伯爵家の実地調査』。君は、これをするべきだと?」
「セルカがララティーナを捕縛できていないのであれば、ララティーナはブレデル家側に自分達の動きが勘付かれていることを伝えるでしょう。そうすれば警戒心を強められ、余計に尻尾を掴みにくくなります」
「それは理解できる。だが、この少人数で本当にできると思うのか?」
「正式な捜査状を出して、騎士団や魔法師団の協力を仰ぎます」
「どうやって?表には、俺が主催した夜会の襲撃犯を探している、としか伝えられない。反逆のことを隠したまま協力を取り付けるのは困難だ」
「ブレデル元伯爵領で、不審な金銭の動きがありますの」
「前に出してくれたものか?」
そう言われると思っていて、朝少しいつもより早く起きて資料を作っていた。
エミーの方を振り返ると、彼女は既に鞄から私が必要としていたものを取り出してくれている。
彼女に礼を言ってから、その書類をユークライ殿下に渡した。
「……保存の効く食糧、傷薬、包帯、矢。それに、魔法用の触媒……こんな具体的な品目、どうやって」
「行商人は、自分にとって有利に動いてくれる相手に対してなら、どんなことでも教えてくれますわ」
私が殿下に手渡したのは、ブレデル元伯爵領内に立ち寄った行商人が、直近の三年間に販売した品目とその品数。
一つの商会だけでない。ブレデル元伯爵領の近辺を含む一帯で、一定以上の量を売った全ての商会、そして個人商人の全ての取引を計上している。
その結果あらわになったのは、異常に買い込まれている兵站と考えられる物資。
しかもそれを買った者は全て素性を隠していたらしく、商人達も不審がっていた。
だからこそ記憶に残っていて、私が問い合わせたら答えてくれたわけなのだが。
「……行商人や旅芸人の証言もある。これを、一晩で?」
「元々断片的な情報自体は集めていたのですが、なかなか精査に時間が取れず……。昨晩と今朝の時間を使って、急いでまとめました」
何か少しでも自分にできることをしたいと思っているのは、兄上やユークライ殿下だけではない。
セルカがどこにいるかは、私では突き止められない。
私ができることは、彼女がいる可能性が高いブレデル元伯爵領の正式な捜査状を得るために、必要な資料をかき集めてくることだけ。
「ブレデル元伯爵領内で正体不明な集団の不穏な動きがあり、呪術にも使用される触媒が大量に購入されていたとなれば、殿下の夜会の襲撃犯とも自然に結び付けられます。これを使えば、騎士団や魔法師団を動かせるのでは?」
「……今すぐにでも動こう。ヘンリック、ついて来てくれ」
「あ、俺も行く」
ジャケットを羽織り、壁に控えていた自分の護衛騎士に声をかけ、すぐに部屋を出て行くユークライ殿下を兄上が追いかける。
ふと、彼の座っていた机に視線が向いた。
夜食が入っていたのであろう食器や、いくつもの目撃情報を書き込んだ王都周辺の地図。何十枚とある探し人の依頼書の間から少し見えているのは、騎士団と魔法師団を動かすための陛下への請願書。
私が資料を渡したらあっという間にいなくなってしまった彼は、どうやら私達が来るまで、ずっとセルカのために色々なことを試して動いていたらしく。
「……セルカ」
どうか早く帰って来て欲しいと、そう強く再び思わざるを得なかった。

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