スノーホワイトは年下御曹司と恋に落ちない

紺乃 藍

愛着と執着(啓五視点)

(喋りすぎたか……)

 すっかりとぬるくなり泡が消えかけたシャンパンを口にしながら、自分で語った内容を少しだけ後悔する。

 ルーナ・グループや一ノ宮家の事情は、無関係の人間にとってはさぞ重たい話に感じるだろう。環は一ノ宮が『ややこしい』一族であることを知っているが、陽芽子は啓五を取り巻いている状況がこんなにも複雑かつ厄介であることを知らなかったはずだ。

 引かれたかもしれない――そう思う一方で、陽芽子には知っておいて欲しかった気持ちもある。

 何故なら陽芽子は、啓五の今後の人生に必要な存在だから。誰よりも自分の傍にいて欲しいと思っている人だから。どんな手を使ってでも自分に振り向いて欲しいと、本気で思った相手だから。

 環と話している陽芽子の楽しそうな横顔をぼんやりと眺める。

 今まで啓五に近付いてきた女性は、本当の意味では誰も本気になってくれなかった。

 ダーツもそうだし、ビリヤードもそう。むずかしいよぅ、出来ないよぅ、と猫なで声を出して、大した上手くもない遊戯の腕をわざとらしいほど大袈裟に褒める。彼女たちはそれが女の役目だと思っていて、啓五自身もそれで構わないと思っていた。

 けれど陽芽子は違う。純粋にゲームを楽しんで、勝負に本気になってくれる。女の象徴であるハイヒールを脱ぎ捨てて、負けず嫌いな子供のように真剣になってくれる。ただのゲームでも、啓五との時間を楽しんでくれる。そこには社会的地位も、年齢も性別も、一ノ宮も関係ない。

 そんな時間を過ごせることが嬉しくて、いつの間にか啓五も本気になっていた。ゲームだとわかっているのに、負ければやっぱり悔しかった。

 自分も夢中になっていたと気が付くと同時に、啓五の眼を『きれいでかっこいい』と言った陽芽子の言葉を思い出した。

 あの夜の陽芽子の言葉は、本心だったのだと思う。本当にそう思って言ったと気付いているから、また同じ言葉を聞きたいと思ってしまう。自分だけにその目を向け続けて欲しいと願ってしまう。

「たまちゃん、わたし次はムーラン・ルージュがいいな。さくらんぼ無しでいいから~」
「はいはい」

 勝利の美酒を別のカクテルにするため無邪気にオーダーを告げる姿に、つい気が抜けて笑ってしまう。環の後ろにずらりと並ぶリキュールの瓶を見つめて、楽しそうに瞳を輝かせている姿がなんだか無性に愛おしくて。

「ムーラン・ルージュ? なにそれ?」
「えっとね、ブランデーをパイナップルジュースで割って、シャンパンを入れるの」

 陽芽子は甘いお酒が好きみたいだ。いつもワインベースかリキュールベースの甘いお酒ばかり飲んでいる。啓五はどちらかと言えばラムやジン、ウイスキーなどをベースにした強いお酒を好むので、それだけで可愛いと思ってしまう。

「甘そう……」

 ぼそっと呟いたのは酒の話ではない。きっと今キスしたら甘いんだろうな、なんて中学生みたいな妄想が口に出てしまっただけだ。

「えー、甘いかな? 啓五くん、パイナップルきらい?」

 子犬のように小さく首を傾げる陽芽子の仕草に、会話の内容を一瞬だけ見失う。まるで自分の事をきらい? と聞かれているように錯覚して、

「好きだよ」

 と口にしてから、自分でも驚く。

 思ったことをそのまま口にして、勢いで愛の告白をしてしまった気がしてハッと我に返る。

 けれど陽芽子のご機嫌は相変わらずで『じゃあ後で飲んでみて』と微笑むだけだ。

「後で? いま一口飲ませて貰えればそれでいいけど」
「え、やだ。自分で頼んで」

 下心を隠すように悪戯めいた言い方をすると、陽芽子はぷいっとそっぽを向いてしまった。うっすらと淡く彩られたミルクティー色の爪先が、啓五の視線からカクテルグラスを遠ざけようとバーカウンターの上で動く。

 人のグラスを奪ってまで味見をするつもりはないが、大事なカクテルを渡さないようにがんばっている姿を見つければ、また恋に落ちた気分を味わう。

「陽芽子」
「ん? なに?」

 この笑顔を自分に向けて欲しい。ずっと傍に置いておきたい。何の約束もない週に一度の逢瀬じゃなく、本当は毎日会いたい。

 飲み友達の関係から脱却して、陽芽子を自分だけのものにしたい。触れ合って、キスして、その先のこともたくさんしたい。それが許される関係になりたい。


 陽芽子が結婚相談所に入会してまで結婚相手を探しているのは、確かに面白くなかった。けれどそれ以上に面白くなかったのは、上司の顔を見上げたときの陽芽子の表情だった。

『褒められたのなんて初めてですよ』

 そう言った彼女の頬は、少しだけ赤く染まっていた。自分には最初の夜にしか向けてくれなかった、柔らかな笑顔。自分には一度も向けられたことがない、喜びの感情を含んだ声。

 喉の奥で苦い感情が渦を巻いた。
 心臓の奥に黒い感情が生まれた気がした。

(やっぱり、あの上司に惚れてんだろうな……)

 陽芽子が惚れている、彼女の上司。春岡由人よしと、37歳。既婚者。

 そう、彼は既婚者だ。陽芽子がどんなに彼を好いていても、法的には絶対に結ばれることがない相手。

(見向きもしない奴のことなんか、好きになってもしょうがないだろ……?)

 もちろんそれは自分自身にも言えること。陽芽子にとって自分が恋愛対象外であることは、最初からわかっていた。だから見向きもしない人を好きになってもしょうがないなんて台詞は、まるでブーメランのように自分の元へ返ってくる。

 それでも、啓五と陽芽子は絶対に結ばれないわけではない。自分たちは法的に許されない立場じゃないし、可能性がゼロなわけじゃない。恋愛対象外だと言うのなら、その対象になればいい。

(結婚したいんだろ? ……俺なら、陽芽子と結婚できる)

 もし頷いてくれるなら、今すぐ結婚してもいいとさえ思っている。そのぐらい惹かれている。いつの間にか陽芽子のことばかり考えてしまう。

 結婚なんて今までは全く興味がなかったし、自分の目標を達成するまでは恋愛すら適当でいいと思っていた。

 でも今は焦っている。のんびりと結婚相手を探し始めた陽芽子よりも、結婚なんて眼中になかった自分の方がよほど焦っている自覚さえある。

 取られたくない。他の人の傍で笑う姿など見たくない。上司への想いを諦めた反動で、他の誰かと急に結婚してしまうかもしれない今の状況を黙って見ているつもりはない。そう、強く思うのに。
 
「いや……なんでもない」

 まだ言えない。一度あっさりフラれているから、今度はちゃんと好きになってもらってからじゃなければ踏み込めない。

 別に告白なんて何度してもいいと思うけれど、言えば言うほど安っぽい言葉になって信憑性が薄れる気がする。以前年下と付き合って傷付いた経験がある陽芽子に、若さゆえの遊びだと一度でも思われたら、もう修正が出来ないと分かっている。

 もちろんまったく意識されていないわけではないと思う。ちゃんと啓五が向けている感情に気が付いていて、それを拒否しないということは完全に『なし』ではないと思う。

 でも本気にされていない。啓五の想いを本気だと思っていない。ゲームには真剣に付き合ってくれるのに、啓五のアプローチは冗談だと言って取り合ってくれない。いちばん本気になって欲しいことだけ、いつもスルリとかわされてしてしまう。

 啓五の陽芽子への想いが本物であることを知ってもらうためには、週に一回のなんの確約もない偶然じゃない……もっと意識してもらえるようなきっかけが欲しいのに。

「酔ったなら早く帰って寝た方がいいよ? 今週、会議多いんでしょ?」

 ほら。あっさりと帰って寝ろなんて言われてしまう。

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