スノーホワイトは年下御曹司と恋に落ちない
華麗なる一族
「そういえば前から気になってたんだけど、一ノ宮伝説って本当なの?」
陽芽子の問いかけに、啓五と環の視線が同時に集中した。
一ノ宮家の名前が出たことで思い出した。実はルーナ・グループには、まことしやかな『都市伝説』が存在する。それはここ数年のうちに入社してきた若手社員や非正規社員にはあまり知られていないが、勤続年数が長い社員であれば皆知っている話だ。
「一ノ宮伝説?」
「あれ? たまちゃん、知らない?」
環が首を傾げるので意外に思う。環は陽芽子よりも啓五との付き合いの方が長そうなので、てっきり知っていると思っていた。
「一ノ宮家の人ってみんな名前に漢数字が入ってるんだけど、結婚して子どもが生まれたら、その子に自分の次の数字を入れた名前を付けるの」
陽芽子が勤めるクラルス・ルーナ社の社長の名前は怜四。そして副社長が啓五。前の副社長は四月という女性で、他の例を見ても陽芽子が知る限り全員の名前に漢数字が入っている。
「これを何世代も繰り返して、一番最初に『十』の名前に到達した人が、創始者が隠した巨額の遺産を相続できる、っていう都市伝説があるんだ」
「なにそれ、マジで!?」
まことしやかな都市伝説。それは創始者から数えて一番早く十代目に到達した人物が、初代の残した莫大な財産を手に入れられるというお伽噺。
この都市伝説が現在あまり語られない理由は、社長の怜四が『迷惑な噂話だ』と一蹴して以来、表立って口にする者がいなくなってしまったから。だが数年前までは、一ノ宮の繁栄の先には巨万の富が存在するというのが社内での共通認識だった。
「まぁ、本当なんだけどな」
「え、都市伝説じゃなくて!?」
「巨額の遺産、手に入んの!?」
社長がそう言うのだから、ただの都市伝説なのだろうと思っていた。だが何となく聞いてみた問いを、副社長の啓五があっさりと肯定してしまう。
これには陽芽子も驚いた。もちろん環も、珍しく大声を出して身を乗り出している。
けれど確かに、社長は噂話に迷惑しているとは言ったが、その噂が本当か嘘かの明言はしていないかった。
「啓五くんは興味ないの?」
「ん?」
「莫大な財産」
怜四は迷惑だと語っているが、啓五はどう思っているのだろう。もしも一ノ宮伝説が本当ならば、啓五は莫大な財産とやらに興味はないのだろうか?
「まあ、興味がないとは言わないけど、俺『五』だぞ? 下の世代が全員二十歳で結婚して、すぐに子どもが産まれていったとしても『十』の名前が付くころには俺も百十歳だ。それ死んでる可能性の方が高いだろ」
「あ、そっか……」
確かに啓五が莫大な財産を目にするには、厳しい条件だろう。仮に遺産を目の当たりにしたとしても、都市伝説の通りならそれを手にするのは『十』の名前を持つ者だけ。啓五には関係ないと言えば関係ない話である。
「それより俺は、もっと別のことに興味がある」
ふと啓五の瞳の奥に、小さな光が宿った。その一瞬の耀きを偶然発見した陽芽子は、啓五の横顔を見てそっと首を傾げた。
「陽芽子は、ルーナ・グループの経営陣が頻繁に入れ替わる理由を知ってるか?」
「え……知らない……」
急な話題の方向転換に、ちょっと間抜けな声が出る。さらに、ぽかんと口を開けて啓五の顔を見つめてしまう。きっと今の自分はかなり間抜けな表情をしているのだろう。
「ルーナ・グループは今、系列四社を束ねる『統括CEO』のポストをつくろうとしてるんだ」
「と、統括CEO……!?」
またスケールの違う話が飛び出し、思わず声が裏返る。
子孫繁栄の次は、経営戦略。しかしついつい大きな声が出てしまったが、内容そのものは青天の霹靂ではない。
ルーナ・グループはグループと謳ってる割には横の繋がりが希薄で、系列会社であることのメリットを活かしきれていない印象がある。扱う商品やサービスに差異はあれど、同じ食品関係の会社なのだから、もっと商品や情報を共有して然るべきだ。
まして経営者が全て一ノ宮一族ならば、やり方はいくらでもあるはず。末端の社員である陽芽子でさえそう感じているのだ。
啓五の口調から察するに、華麗なる一ノ宮一族の裏側は全員仲が良い優美な世界ではないようだ。しかし巨大グループの中には、無駄の多い今の状況を打破しようとする動きもあるのだろう。その初動として四社を総括する存在を配置するのだろうか。
「統括CEOは、全社の経営状態を熟知した上で上手くコントロールする技量を要する。だから俺たちの世代は大学卒業直後から二年ごとに全社を回って、経営状況と社内情報を頭の中に叩き込む訓練をする」
啓五がシャンパンに口を付けながら語る言葉を、極秘情報を聞いているような心地で聞き入る。この話、私なんかが聞いてもいいのかな、と思いながら。
「そのあと社長もしくは副社長のポストに腰を据えて、会社を適切に運営できる能力があるかどうかを試される」
「試される……?」
「そう。つまり今の俺たちはルーナ・グループの未来を背負う存在に相応しいかどうか、狸親父どもに査定されてる真っ最中ってことだ。まぁ、具体的に統括CEOを置く時期はまだ決まって………どうした?」
淡々と語る言葉に聞き入ってたが、話を聞く限り啓五は見えているよりもずっと大変な状況に身を置いているように思える。その一部を垣間見た気がして、つい言葉を失ってしまう。
「いや、やべえ一族だなと思って……」
「啓五くん、ダーツなんてやってていいの?」
「息抜きは大事だろ」
それはそうだけれど。
しかし過酷な環境で仕事をしていれば、そのうち身体を壊してしまうのではないかと心配になってしまう。
けれど陽芽子や環の心配を余所に、啓五本人は至って平然としている。あまりに飄々としているものだから、こっちが拍子抜けしてしまうほどだ。
「一ノ宮の本家は代々長男が跡を継いでいくと決まってるから、次男の息子の俺にはどうしようもない。伝説についても俺には確認不可能だろうから、あまり眼中にない」
「……」
「けど、やり方次第で手に入る統括CEOの座は別だ。今後そこが一ノ宮の『頂点』になるなら、俺はその椅子を目指す」
「……啓五くんって、意外と野心家なんだね」
真剣な語り口調とグラスの中を見つめる横顔を見て、ふとそんな印象を抱く。
一ノ宮という良家に生まれ、与えられた役職にふんぞり返って、お金に物を言わせて遊んでいるだけの御曹司だなんて思っていてごめんなさい。
いや、思っていないけれど。きっと努力家なんだろうなぁ、と感じていたけれども。でもそれほどの事情と熱意があるとは思っていなかったから、少しだけ意外だった。
「陽芽子は、必死な男は好きじゃない?」
穿った見解を反省していると、バーチェアを動かした啓五に顔を覗き込まれた。その黒い瞳がいつも以上に必死な気がして、心臓がどくんと跳ねる。
「……ううん。自分の夢とか目標に向かって突き進んでいけるのは、格好いいと思うよ」
野心家なのは決して悪い事ではない。明確な目標を持って高みを目指す決意ができることもある種の才能だし、才能を活かすには努力も必要だ。
啓五はその二つを兼ね備えている。その強い意志に惹かれてる自分にも、本当はもう気が付いている。それに。
「俺は、自分が欲しいものは必ず手に入れる。―――奪ってでも」
「……啓五くん?」
彼が夢中になって情熱を注ぐのは、きっと仕事だけではない。だから最後の言葉が自分へ向けられている気がしたのも、たぶん陽芽子の気のせいではなかった。
陽芽子の問いかけに、啓五と環の視線が同時に集中した。
一ノ宮家の名前が出たことで思い出した。実はルーナ・グループには、まことしやかな『都市伝説』が存在する。それはここ数年のうちに入社してきた若手社員や非正規社員にはあまり知られていないが、勤続年数が長い社員であれば皆知っている話だ。
「一ノ宮伝説?」
「あれ? たまちゃん、知らない?」
環が首を傾げるので意外に思う。環は陽芽子よりも啓五との付き合いの方が長そうなので、てっきり知っていると思っていた。
「一ノ宮家の人ってみんな名前に漢数字が入ってるんだけど、結婚して子どもが生まれたら、その子に自分の次の数字を入れた名前を付けるの」
陽芽子が勤めるクラルス・ルーナ社の社長の名前は怜四。そして副社長が啓五。前の副社長は四月という女性で、他の例を見ても陽芽子が知る限り全員の名前に漢数字が入っている。
「これを何世代も繰り返して、一番最初に『十』の名前に到達した人が、創始者が隠した巨額の遺産を相続できる、っていう都市伝説があるんだ」
「なにそれ、マジで!?」
まことしやかな都市伝説。それは創始者から数えて一番早く十代目に到達した人物が、初代の残した莫大な財産を手に入れられるというお伽噺。
この都市伝説が現在あまり語られない理由は、社長の怜四が『迷惑な噂話だ』と一蹴して以来、表立って口にする者がいなくなってしまったから。だが数年前までは、一ノ宮の繁栄の先には巨万の富が存在するというのが社内での共通認識だった。
「まぁ、本当なんだけどな」
「え、都市伝説じゃなくて!?」
「巨額の遺産、手に入んの!?」
社長がそう言うのだから、ただの都市伝説なのだろうと思っていた。だが何となく聞いてみた問いを、副社長の啓五があっさりと肯定してしまう。
これには陽芽子も驚いた。もちろん環も、珍しく大声を出して身を乗り出している。
けれど確かに、社長は噂話に迷惑しているとは言ったが、その噂が本当か嘘かの明言はしていないかった。
「啓五くんは興味ないの?」
「ん?」
「莫大な財産」
怜四は迷惑だと語っているが、啓五はどう思っているのだろう。もしも一ノ宮伝説が本当ならば、啓五は莫大な財産とやらに興味はないのだろうか?
「まあ、興味がないとは言わないけど、俺『五』だぞ? 下の世代が全員二十歳で結婚して、すぐに子どもが産まれていったとしても『十』の名前が付くころには俺も百十歳だ。それ死んでる可能性の方が高いだろ」
「あ、そっか……」
確かに啓五が莫大な財産を目にするには、厳しい条件だろう。仮に遺産を目の当たりにしたとしても、都市伝説の通りならそれを手にするのは『十』の名前を持つ者だけ。啓五には関係ないと言えば関係ない話である。
「それより俺は、もっと別のことに興味がある」
ふと啓五の瞳の奥に、小さな光が宿った。その一瞬の耀きを偶然発見した陽芽子は、啓五の横顔を見てそっと首を傾げた。
「陽芽子は、ルーナ・グループの経営陣が頻繁に入れ替わる理由を知ってるか?」
「え……知らない……」
急な話題の方向転換に、ちょっと間抜けな声が出る。さらに、ぽかんと口を開けて啓五の顔を見つめてしまう。きっと今の自分はかなり間抜けな表情をしているのだろう。
「ルーナ・グループは今、系列四社を束ねる『統括CEO』のポストをつくろうとしてるんだ」
「と、統括CEO……!?」
またスケールの違う話が飛び出し、思わず声が裏返る。
子孫繁栄の次は、経営戦略。しかしついつい大きな声が出てしまったが、内容そのものは青天の霹靂ではない。
ルーナ・グループはグループと謳ってる割には横の繋がりが希薄で、系列会社であることのメリットを活かしきれていない印象がある。扱う商品やサービスに差異はあれど、同じ食品関係の会社なのだから、もっと商品や情報を共有して然るべきだ。
まして経営者が全て一ノ宮一族ならば、やり方はいくらでもあるはず。末端の社員である陽芽子でさえそう感じているのだ。
啓五の口調から察するに、華麗なる一ノ宮一族の裏側は全員仲が良い優美な世界ではないようだ。しかし巨大グループの中には、無駄の多い今の状況を打破しようとする動きもあるのだろう。その初動として四社を総括する存在を配置するのだろうか。
「統括CEOは、全社の経営状態を熟知した上で上手くコントロールする技量を要する。だから俺たちの世代は大学卒業直後から二年ごとに全社を回って、経営状況と社内情報を頭の中に叩き込む訓練をする」
啓五がシャンパンに口を付けながら語る言葉を、極秘情報を聞いているような心地で聞き入る。この話、私なんかが聞いてもいいのかな、と思いながら。
「そのあと社長もしくは副社長のポストに腰を据えて、会社を適切に運営できる能力があるかどうかを試される」
「試される……?」
「そう。つまり今の俺たちはルーナ・グループの未来を背負う存在に相応しいかどうか、狸親父どもに査定されてる真っ最中ってことだ。まぁ、具体的に統括CEOを置く時期はまだ決まって………どうした?」
淡々と語る言葉に聞き入ってたが、話を聞く限り啓五は見えているよりもずっと大変な状況に身を置いているように思える。その一部を垣間見た気がして、つい言葉を失ってしまう。
「いや、やべえ一族だなと思って……」
「啓五くん、ダーツなんてやってていいの?」
「息抜きは大事だろ」
それはそうだけれど。
しかし過酷な環境で仕事をしていれば、そのうち身体を壊してしまうのではないかと心配になってしまう。
けれど陽芽子や環の心配を余所に、啓五本人は至って平然としている。あまりに飄々としているものだから、こっちが拍子抜けしてしまうほどだ。
「一ノ宮の本家は代々長男が跡を継いでいくと決まってるから、次男の息子の俺にはどうしようもない。伝説についても俺には確認不可能だろうから、あまり眼中にない」
「……」
「けど、やり方次第で手に入る統括CEOの座は別だ。今後そこが一ノ宮の『頂点』になるなら、俺はその椅子を目指す」
「……啓五くんって、意外と野心家なんだね」
真剣な語り口調とグラスの中を見つめる横顔を見て、ふとそんな印象を抱く。
一ノ宮という良家に生まれ、与えられた役職にふんぞり返って、お金に物を言わせて遊んでいるだけの御曹司だなんて思っていてごめんなさい。
いや、思っていないけれど。きっと努力家なんだろうなぁ、と感じていたけれども。でもそれほどの事情と熱意があるとは思っていなかったから、少しだけ意外だった。
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穿った見解を反省していると、バーチェアを動かした啓五に顔を覗き込まれた。その黒い瞳がいつも以上に必死な気がして、心臓がどくんと跳ねる。
「……ううん。自分の夢とか目標に向かって突き進んでいけるのは、格好いいと思うよ」
野心家なのは決して悪い事ではない。明確な目標を持って高みを目指す決意ができることもある種の才能だし、才能を活かすには努力も必要だ。
啓五はその二つを兼ね備えている。その強い意志に惹かれてる自分にも、本当はもう気が付いている。それに。
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