スノーホワイトは年下御曹司と恋に落ちない

紺乃 藍

大人の遊び:D

 コールセンターを訪れた啓五が不機嫌な表情をしていたので、次にIMPERIALで会うまで、陽芽子は妙な緊張感を覚えていた。

 しかしプライベートで会う啓五は先週の態度となんら変わらず、濃いめのハイボールを口にしながら楽しそうに陽芽子の顔を眺めるだけだ。

 どうして啓五は無言で見つめてくるのだろう。言いたいことがあるのなら言えばいいのに、何も語らずただ視線を向けられるのは気恥ずかしい。

「啓。そういえば、ダーツ直ったぞ」

 じっと見られている右頬に熱っぽさを感じていると、環が思い出したように話しかけてきた。

「じゃ、久しぶりにやるか。陽芽子、俺と遊ぼ?」
「……うん?」

 ハイボールのグラスを手にしてバーチェアから立ち上がった啓五が『ほら』と陽芽子を誘い出す。言っている意味はわからなかったが、啓五のご機嫌につられるように、陽芽子もクランベリークーラーのグラスを手にして席を立った。

 陽芽子のいつもの指定席は、奥から二番目のカウンター席だ。背後の通路の向こうにテーブル席がある事は知っていたが、一人で来店するため利用したことはない。

 はじめて入る店の奥は想像よりも広く、ゆったりと座れる大きな椅子とテーブルのセットがいくつも置かれていた。その場には二組の利用客がいたが、どちらも陽芽子と啓五を気に留める様子はない。

 一番奥のハイテーブルにグラスを置いた啓五が、陽芽子の顔を見てそっと首を傾げた。

「何賭ける?」
「え、賭けるの!? 私、ダーツなんてやったことないよ!?」
「大丈夫だって。線から出ないように、的に向かってダーツこれ投げるだけだから」

 テーブルの上のハウスダーツを手にした啓五が壁際の機械に電源を入れると、上部の画面が派手な光と音を発しながら動き始める。

「面積の広いところが書いてる通りの点数で、外側の小さい枠が点数二倍。内側の小さい枠が点数三倍。一回三投を八周繰り返して、点数が多い方の勝ち。簡単だろ?」
「う、うん」

 その説明を聞いて、なんとなくルールを把握する。要するに二十四回ダーツを投げて、相手より高い点を取ればいいと言うことだろう。

 しかしダーツなどやったことがないのに、遠い的に投げて上手に当たるのだろうか。そもそも届かなかったらどうしよう、と考え込んでいると、ただでさえ薄暗いフロアの視界がさらに暗くなった。

 あれ? と視線を上げると、すぐそこに啓五の顔が迫っていた。急な接近に驚く暇も与えられないうちに、啓五が耳元に唇を寄せてくる。

「俺が勝ったら、陽芽子にキスしてもらおうかな」
「は……? えっ、やだよ!?」

 告げられた言葉に驚き、思わず大声で拒否する。

 その瞬間、せっかく忘れていたあの夜のことをまた思い出してしまう。耳元で何度も『可愛い』と囁かれて乱されたことまで思い出し、そのまま後退ってしまう。

「よーし、絶対勝たないとなー」
「し、しないってば!」

 尻込みする陽芽子に対して、ジャケットを脱いで意気込んだように肩を回す啓五は、やけに楽しそうだ。

「陽芽子は何賭ける?」

 にやりと笑うその表情はゲームに夢中な少年のようだ。とても本気でキスを欲しがっているようには見えない。

 だから気付く。
 きっと啓五は、陽芽子をからかって楽しんでいるのだろう。

 確かに啓五は上司だが、プライベートの時間は上下関係を気にしなくていいと言われている。もちろんその言葉を全て鵜呑みにするわけではないが、今の啓五は陽芽子の上司ではない。ただの年下の飲み友達、のようなものだ。

「……じゃあ、このお店で一番高いカクテルを奢ってもらう」
「いーよ?」

 啓五は陽芽子と遊んでいるだけだ。本気でキスなんて思っていないに違いない。仮に本気で望まれていとしても、いざとなったら頬にキスぐらいで誤魔化せるだろう。たぶん。

 啓五からダーツを受け取り、最初だけ持ち方と投げ方を教えてもらう。脳内でダーツを投げる状況をシミュレーションし、まずは三本のうちの一本を的に目掛けて投げてみる。

 ヒュッと空を切った針先が、的の角に勢いよく突き刺さった。

「お、上手いじゃん」

 啓五の言葉にうーん、と首を傾げる。上手い、と言っても刺さった場所は得点の対象外だ。これでは勝てるわけがないので、次はもう少し中央に寄せるように意識して投げる。二本目も的の外で得点にはならなかったが、三本目はどうにか的に刺さった。

 投げたダーツを回収して啓五と順番を交代すると、彼の初投は十点のダブルに刺さった。上部の画面には二十と表示されている。

「わぁ、すごい!」

 賭けていることをすっかり忘れ、つい啓五の腕前を褒めてしまう。さすがに慣れているらしい啓五は簡単に得点したが、陽芽子が褒めた後からは二点と五点しか加点できなかった。

 再び自分の番になった陽芽子は、ラインのギリギリに右足を置くと左足を後ろに引いてみた。さきほど啓五が投げるフォームを見て気付いたが、線に対して平行に立つよりも前後の重心移動に遊びがあった方が上手く投げられるらしい。

 物の試しにその姿勢で投げてみると、今度は十五点の場所に刺さった。

「陽芽子、実は運動神経いいだろ」
「えー、どうだろ?」

 やはりこの体勢の方が、適度に力が抜けて上手く飛んでくれるらしい。それに正面を向いて投げるよりも肘の位置が下がるので、腕がブレずに軸が安定しやすい。

 啓五の投げ方や姿勢や得点の狙い方を観察し、自分が投げるときは少しずつ姿勢と軌道を修正していく。五週目を終える頃にはなんとなく狙ったところへ刺さるようになってきたが、啓五に勝つためにはまだまだ点数が足りない。

 やっぱり初心者が経験者に勝つのは無謀だったかな? なんて考えながら投げると、突然得点の画面が派手に光り出した。

「ブル!?」
「……ぶる?」

 ハイボールを口にしていた啓五が、驚いたような声を出した。聞こえた言葉を反復すると、啓五が

「真ん中に当たったら五十点」

 と肩をすくめながら教えてくれた。確かに陽芽子の投げたダーツは中央の黒い点に刺さっている。さらに上の画面の表示には一気に五十点が加算されており、あっという間に啓五の点数を抜き去っていた。

 そんなビギナーズラックで高得点を獲得した陽芽子とは対照的に、今日の啓五は調子が良くないらしい。

「ヤベ……外した!」

 啓五は二十点の三倍で六十点になる箇所を狙っていたようだ。確かにそこに命中すれば高い点数が得られるが、結局外してしまったので高得点にはならなかった。

 調子が悪い。もしくはお酒に酔ってうまく当てられなくなってしまったのだろうか。

 ゲームをはじめた最初は調子が良かったように見えていたのでちょっとだけ申し訳ない気分になったが、

「これじゃ、陽芽子にキスしてもらえないな」

 と呟かれた瞬間、やっぱり調子が悪いぐらいで丁度いいかも、と思ってしまった。

「って、負けたじゃん」
「やった、私の勝ちー!」

 結局二十四投目も狙った通りの場所に刺さらなかったらしく、最終的に表示された得点を見ると、啓五の得点よりも陽芽子の得点のほうが十点ほど高かった。

「なんだ、キスはお預けか」
「しませーん」

 ふっと笑った啓五に、勝ち誇った笑みを返す。

 しかし冷静になって考えてみると、啓五は最初から負けるつもりだったのかもしれない。本気でキスしようと思っていたわけじゃないから、陽芽子を楽しませるためにわざとに負けてくれたのかもしれない。

(そっか、それはそうだよね)

 啓五が陽芽子のキスを本気で望んでいるとは思えない。だからダーツの経験がない陽芽子に、からかいながらもちゃんと遊び方を教えてくれた。

 新しい遊びを覚えた陽芽子は、楽しい時間を過ごせた。と思ったのに。

「じゃあもうひと勝負」
「え……またやるの!?」
「いや、ダーツじゃなくて」

 大人の遊びはまだ終わらず、第二ラウンドへ突入するらしい。

「上の階にビリヤードがあるんだ」

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