忘却不能な恋煩い

白山小梅

津山家、興奮冷めやらぬ

「か、母さん! 母さん! 大変だ!」

 尋人の父であるブルーエングループ社長・津山紀文つやまのりふみは大慌てで自室から出てくると、キッチンにいた妻・文野ふみのの元に走ってくる。

「あらあら、そんなに慌ててどうしたの〜?」

 文野は肉じゃがの火加減を調節しながら紀文を見た。

「さっき尋人から電話があって、彼女と挨拶に行きたいから空いてる日を教えてくれって!」

 鼻息を荒くし、興奮しながら紀文は話す。それを聞いて文野も大きな声を上げた。

「ま、まぁまぁまぁまぁ! とうとう尋人も結婚ってこと⁈」
「そうだよそうだよ〜! ってことは相手はきっと噂の美琴ちゃんだよね〜! 藤盛と尚政から話は聞いていたけど、やっと本物の美琴ちゃんに会えるんだ〜」

 紀文はモジモジしながら、嬉しくてたまらない様子だった。

「日にちは⁈ いろいろ準備しないとよね!」
「ちょっとでも早く会いたいから、来週の土曜日って言っちゃった!」
「あなたってば勝手に……」

 文野はリビングのテーブルに置きっ放しになっていたスマホを開き、予定を確認する。

「お母さんの予定もOKよ! それにしてもあの尋人が女の子を連れてくるなんて……なんか感慨深いわねぇ」
「本当だよ。上と下は簡単に女の子を連れてきたのに、尋人は真面目だし仕事人間だし……」
「共学に行けばモテモテだっただろうに、男子校に行っちゃたしねぇ」
 
 二人は揃ってため息をつく。

 自分たちがやりたいことを探しなさい、そう子供たちには言ってきた。どちらかといえば自由に育てたら、長男と三男は本当に自由に育ってしまったのだ。

 その中で尋人は、
『父さんの会社に興味がある。いつか手伝いたい』
と両親を安心させた。

 ただそれが空気を読んでのことなら申し訳ないと思い、何度も尋人に問いかけた。それでも、
『ちゃんとやりたいことだから大丈夫』
と返ってくる。

 もっとわがまま言っていいんだよと思いながら、尋人に期待してしまう自分たちもいた。

 社内でも尋人の信頼は厚かった。

 その完璧人間の尋人がたった一度、心を乱した相手が美琴だったのだ。珍しく仕事に身が入らない。アメリカ行きが決まっていただけに両親は心配した。

 尋人から初めて頼まれたのが、尚政を秘書としてアメリカに同行させたいとのことだった。もちろん両親は快諾した。

 アメリカでは兄との関係性が良く、仕事も順調だった。

 専務の退職が決まり、その席にまずは晴臣に打診した。だが両親が想像した通りの返事が帰ってきた。

『アメリカから出る気はないから』

 そして尋人を日本に戻すことになったのだ。

 帰国した日の夜に藤盛から電話が来るまでは、誰もが尋人は完璧人間に戻ったとおもっていた。

『尋人さんが来店して、あの方のことを聞いてらっしゃいました。どうやらまだ引きずっているようですね。三年前の席に座って、彼女と飲んだカクテルまで注文して。あれは重症ですよ』

 家族全員が絶句した。あの尋人が恋煩いなんて、誰もが信じられなかった。

 その後彼女と再会したと報告を受けたが、尚政からの報告に更に家族は絶句する。

『あの尋人がメロメロで、すっごい溺愛してますよ〜! いやぁあの表情とか、おじさんとおばさんに見せてあげたい! 完璧人間の面の皮が剥がれ落ちたところ!』

 あの尋人がメロメロ? 溺愛? 尚政が爆笑するくらいだから相当なものだろう。

 家族は次第に興味が湧いてきた。早く美琴に会いたいと思っていた矢先、尋人からの電話が来たのだった。

「尋人には家のことでいろいろ苦労かけちゃってるからね、幸せになってほしいねぇ」
「本当よ。あの自由過ぎる兄と弟に挟まれて、かなり我慢させちゃったもの」
「尋人をメロメロにした美琴ちゃん、どんな子だろうね。藤盛は真面目でかわいいお嬢さんって聞いたけど」
「キャサリンはハキハキしててキレイ系、ザ・ニューヨーカーって感じだから、また違うタイプなのね。男兄弟だから、女の子が来ると華やかになるわねぇ」

 早く尋人の面の皮が剥がれ落ちるところを見たい……というのが二人の本音だろうか。

 二人は顔を見合わせると笑い合った。

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