忘却不能な恋煩い

白山小梅

本心(2)

 静かな部屋に、尋人の声が響く。

「さっき二人の話を聞いて、俺たちいろいろ思い違いをしてる気がしたんだ」
「思い違い?」

 やっと美琴が尋人の方を向く。表情はまだ固いままだ。尋人は握り合った手とは反対の手で美琴の頬を撫でる。

「嘘つきは泥棒の始まりだよな? 俺は嘘はつかない。全部正直に話す。約束する。だからお前も嘘はつかずに本心で話してほしい」

 美琴はしばらく黙っていたが、小さく頷いた。本心ってなんだろう。不安になるが、紗世の最後の言葉が背中を押してくれる。

 尋人は安心したのかソファの間合いを詰め、美琴の隣に移動した。

「一応言っておくけど、俺はそんなに遊んでないから。ちなみに今恋人もいないし結婚もしてない」

 嘘は言わないと今宣言してくれたばかりじゃない。信じないと……。

「あの夜のことは俺が一番驚いたんだ。今まであんなことなかったからさ。恥ずかしい話、あんなに夢中になったセックスは初めてで、処女って聞いても止められなかった」

 尋人は美琴の手にそっとキスをする。

「お前が疲れて寝た後にさ、次に目を覚ましたらもうお前がいなくなってるような予感がした……。ほら、ドラマとかでも真面目な子ほど大体男を置いて帰っちゃったりするだろ? あんな感じ。まぁその通りになったわけだけど」

 美琴は言葉を失った。そんなことを彼が思っていたなんて、微塵にも思わなかった。

「……ピアスは? どういう意味だったの?」

 尋人は微笑むと美琴にキスをした。

「寝ているお前にこうやってキスしたら、月の形のピアスが目に入ってさ。女々しいて言われたらおしまいだけど、何か俺の痕跡を残しておきたくなっただけ」
「……戦利品とかじゃないの?」
「それって俺が遊び人前提じゃん。どんな目で見てんだよ」
「だって……女慣れしてる感じがしたから……。津山さん素敵だから、私みたいな女を相手にするわけない、好きになったりして重いとか拒絶されたらどうしようとか思って……」
「逃げたわけか」

 頷くしかなかった。その途端、美琴は尋人に抱きしめられる。

「一人で勝手に暴走すんなよ。だからこんな遠回りをするハメになるんだ」

 彼の腕の中は温かいのに、美琴は実感が湧かずまだ不安感に包まれていた。

「もし朝起きた時に私がまだいたら、何か変わってた……?」
「……それは正直わからない。あの後すぐに仕事で海外に飛ばされたんだ。付き合ってすぐに遠距離なんて、きっと無理だったんじゃないかと思う」

 その言葉は美琴を現実に引き戻す。そっか、未来は同じだったのか。そもそもこの出会い自体ががなければ良かったのかもしれない。この人との未来がないのなら、いっそのこと出会わなければ良かった。

「でもあの後何度も店に行って、マスターに美琴が来たら連絡してくれるように頼んでたんだ。恋人は難しくても、友達でもいいから繋がっていたいと思った」
「……まさか今日お店に来たのって……」
「マスターが連絡くれた」
「……なんて記憶力。三年前にたった一度来店しただけのこんな平凡な顔を覚えていてくれただなんて……」
「まぁ接客業だし。でもマスターのおかげでこうして再会出来た」

 美琴は尋人の胸を両手で押して離れようとする。

「でも……この再会って必要だった? どうせこの先なんてないんだし……」
「あるよ。なかったのは三年前の話」

 尋人は美琴をソファに押し倒すと、何も言えなくなるほど唇を押し付けた。

「俺も美琴も三年前の二人に囚われてる。あの日から時間が進んでない。俺はお前のことがずっと心に引っかかっていて、あの日の続きを想像したこともあるよ。でもそれはただの幻想。今は……ようやく現れた本物のお前を離したくない」
「そ、そんなこと言われたって……どうしたらいいのかわからないよ……」
「なぁ美琴、ここで一緒に暮らさないか?」
 
 思いもしない尋人の言葉に美琴は固まる。一緒に暮らす……?

「何言ってるの? 私たち、一晩しか一緒に過ごしてないんだよ。お互いのことを何も知らないのにそんなことを……」
「そうだよ、何も知らない。なのにこんなにお前のことばかり考えてる。だから知りたいと思ったんだ」

 尋人の言葉に戸惑いながらも、嬉しい気持ちも混在する。

「で、でも私まだ……」
「不倫相手のこと?」

 そう、まだ別れていない。しかも相手は関係を続ける気でいる。

「でもさっき別れたいって言ってたよな」
「言った……もちろん別れるつもりでいるの。でも……」
「……でも?」

 こんなこと言ったら、先程の話は無くなってしまうかもしれない。自然と涙が出てくる。

「さっき聞いてたなら知ってるでしょ? あの日から私の中で欲が出ちゃったの。私だって馬鹿みたいに何回も、ありもしないあなたとの未来を想像しては虚しくなった……」
「……俺に会いたかったんだ?」
「……」

 尋人は笑いながら起き上がると、美琴の腕を引いて座り直させる。美琴の涙を親指で拭い、そのまま頬を撫でる。

「ならその想像を現実にしないか? 俺は三年前に止まったままの時計の針を進めたいんだ。お互いのことをこんなに引きずってるくらいだし、相性はいいと思う。それに……」

 尋人の表情に怒りが見て取れる。

「お前をあの男のところに行かせたくない。俺がお前の呪いを断ち切ってやるよ」

 美琴の頬を撫でていた指が、ゆっくりと唇の上をなぞるように動く。

「……愛してるよ」

 彼の言葉がすごく嬉しいはずなのに、美琴は顔を背けてしまった。

「やっぱりダメ。信じたいのに……また信じて嘘だったらって思うと怖くなる……」
「……言っただろ? 俺は嘘はつかない」

 何を言われても今は否定的な言葉しか思いつかない。この人はきっと違うと思うのに、この人も私を裏切るかもしれないとも思ってしまう。

 尋人は美琴の心の傷に触れた気がした。それは尋人の想像以上に深いもののようだった。そんな時に信じろって、無理な話だよな。

 どうしたら彼女の傷を癒せるだろうか。

 どうしたら俺のことを心から信じてくれるようになるのだろうか。

「慌てなくていいよ。俺はただ美琴と向き合って、美琴のそばにいたいだけ。美琴はゆっくり俺を見極めればいい」

 信じるとかそういうことは言わず、美琴の気持ちを尊重したい。

 首筋に、耳元に、そして唇に。あの日と同じ、熱いキスをする。尋人の指が美琴のシャツのボタンを一つずつ外していく。

 美琴は抵抗しなかった。

「でも今夜は、他のことしか考えられないくらい、寂しいなんて思えないくらい一晩中美琴を愛したい……」

 胸が締め付けられる。もうその言葉だけで十分だった。美琴は返事の代わりに、尋人の首にそっと腕を回した。

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