霧の中に悪魔がいる

full moon

夜の息づかい(23)

「篠生さん、好きだよ」

妻は穏やかな語気で言う。

しかし、語尾は固く、緊張しているのがわかる。

妻の言葉を聞いた篠生は、目を丸くして、妻の顔を見る。

その目からじんわりと涙が滲む。

その涙は瞬く間に、涙袋を超えて、頬を伝う。

涙は、顔に付着している血液と混ざり、血の涙になる。

血の涙は、頬を伝い、床の血溜まりに滴る。

滴った涙は、血溜まりに呑まれ消えていく。

篠生は口を動かし、妻に何か話そうとする。

しかし、ぜいぜいとした息の抜ける音だけが漏れる。

そのぜいぜいとした息漏れに何とか口を動かして、言葉を乗せる。

「なんで」

篠生は、言う。

妻は、篠生の頬に手を添えると、流れて止まらない血の涙を親指で拭う。

「そんな事」

篠生は、やっとの思いで言うと、ごぼごぼとむせる。

「篠生さん、私は貴方が好きだよ」

妻は、息も絶え絶えの篠生の目を見て、優しく言う。

「やめてくれ」

篠生は、極限に怯えた表情で、妻を見る。

眉は下がり、目が泳ぐ。

「だから、生きて」

妻は言う。

「やめてくれ」

篠生は返す。

「貴方と幸せになりたいの」

「やめてくれ」

「お願い。死なないで」

突然、篠生は両手で自らの首の傷を覆った。

首の喉頭を両手で押さえる。

「死にたくない」

篠生は言う。

ぜいぜいとした声は、止めどなく溢れ出る血液に呑まれて消える。

篠生の体が震え出す。

その震えはどんどん激しくなり、全身が震える。

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