霧の中に悪魔がいる

full moon

夜の息づかい

 店内の床には老父が死んでいる。

それを見ないようにしようとする。

しかし、自然と老父の方向へ目線が動く。

老婦はしくしくと涙を流していたが、もう穏やかになったようだ。

私は考えていた。

老父が死んだ時間は六時頃だった。

老婆は、アーからの預言を的中させていた。

次に起きる事がわかるならば、対処が出来る。

私は老婆に伺おうとした時、田堂の母は口を開いた。

「お婆さん、私達はこれからどうなるのです?」

田堂の母の表情は、くまが濃く、やつれている。

「私は、アーが来るまでの代弁者だ」

老婆は重みのある口調で言う。

「失礼しました。代弁者様、この後はどうなるのでしょうか?」

「そうだね、次は夜の間、皆が寝静まる頃、何かが起きる」

「何かって、何が起きるのですか!」

田堂の母は不意に大きな声になる。

田堂の母は動揺しているのがわかる。

不穏が続いて、心身共に疲弊しているようだ。

老婆は何も返答する事なく、開いてある分厚い本を見始めた。

田堂の母は立ち上がると老婆の元へ歩き出す。

老婆はすかさず、きりっと鋭い目で睨み付ける。

「その聖書に預言が書いてあるんでしょ? 見せなさいよ! あなただけ、生き残ろうとしているんじゃないの?」

田堂の母は動転した表情で言い放ちながら、老婆へ向かう。

足を床に付ける度に、どすどすと音が立つ。

「触れるな、触るな、近寄るな!」

老婆は剣幕で怒号を浴びせる。

それでも、田堂の母は足を進めて、老婆の目の前に立った。

老婆は分厚い本をばたんと勢い良く閉じて、田堂の母の顔を見上げる。

老婆は分厚い本を両手で抱え持つ。

「見せなさいよ! あなただけ助かろうとしても無駄なんだから」

田堂の母は、身を乗り出して、分厚い本に両手を伸ばす。

老婆は目を見開いて、その田堂の母の両手に恐れている。

老婆は息を吸い上げて、肩が上がり、首が震えている。

私は仲裁に入ろうと立ち上がった。

その時、老婆はその恐怖から逃れようと咄嗟に机にあったフォークを握る。

そして、そのフォークを田堂の母の腕に突き刺した。

私は立ちすくんだ。

田堂の母の動きが止まる。

「え?」

田堂の母から声が漏れた。

フォークが突き刺さった傷口から血が滲み出る。

血は滴り、床を染める。

田堂の母は、その滴りゆく血を見ている。

身に起きた事態がじわりじわりと理解するにつれて、顔が青ざめる。

「痛い」

痛みを認識すると歯を食い縛り、耐えている。

田堂の母は、不意に突き刺さるフォークの柄を握る。

「抜いてはいけない!」

篠生が言い放つ。

その声には焦りが含まれていた。

しかし、動転している田堂の母には、篠生の声も届かない。

田堂の母は不意に突き刺さるフォークを抜いた。

ぶわりと傷口から血が溢れ出る。

もう片方の手で傷口を抑える。

間もなくして、その手も皮膚のしわに血が染み込んで、赤く濡れた。

田堂の息子は車椅子の上で上体を左右に大きく振っている。

篠生は何も無かったかのように、ギターを演奏し始めた。

不穏に満たされた店内で、旋律がせめぎ合う。

先程演奏していた曲と同じだが、何となく、テンポが早い。

篠生は床の一点を見つめながら、手を動かし続けている。

篠生は演奏する事で、自らの精神状態を保っているようだった。

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