霧の中に悪魔がいる

full moon

シナモンは人を選ぶ(8)

 老婦は立ち上がり、厨房へ入ると、間もなくして出てきた。

右手には、やかんを持っている。

老婦は、田堂の母の隣に行くと、両膝を曲げて床に付ける。

田堂の母と目線を合わせ、コップにシナモンティーを注ぐ。

老婦は田堂の母に寄り添いながら、背を撫でる。

田堂の母は、くしゃっと顔を歪めて静かに泣いている。

ふと気がつけば、娘がどこにも居なかった。

先程まで、郷珠の隣に居たはず。

丁度同じ時に、妻も娘が居ない事に気が付いた。

「あれ、居ない!」

妻が慌てた声を発して立ち上がる。

「どうして見ていないんだ!」

私は思わず妻に怒鳴る。

妻はびくっとする。

「ごめん。くそっ」

私は怒鳴ってしまった罪悪感に苛まれる。

今まで妻に怒鳴る事は一度も無かった。

焦りか不安か恐怖か。

私の頭を不幸が飛び交い、混乱させる。

思考が理解不能と簡単に結論付けて考える事から逃げてしまう。

冷静で居なくちゃ。

家族には冷静を見せて、安心させないと。

そう思えば思うほど、その大きさの分、私自身の不安感を慰めるものを求めてしまう。

妻は私に何をしてくれた?

妻は私の心境を理解してくれているのか?

不安感を妻のせいにする感情が現れるも、すぐに理論が見つけて抹殺する。

妻にどう弁解しようか。

いや、私の気持ちを妻に理解させるにはどう言うべきか。

どうしても、私を正当化しようと妻を否定する思考が生まれる。

その度に、家族一緒に力を合わせなくてはと理性が粛清する。

妻は私の怒号に目を見張ったまま動かない。

その眼差しが私の心を槍のように貫く。

私は優しい言葉もかけられず、妻の眼差しから目線を外した。

シナモンの苦味が口に残っている。

今は、娘だ。

そう結論付けた。

これなら、妻も納得してくれるだろう。

私は妻を横目に郷珠へ駆け寄った。

「娘を知りませんか?」

私は訊ねる。

「おそらく、厨房の方向へ駆けていったようです」

郷珠は静かに答える。

私と妻は厨房へ慌てて向かう。

厨房の中へ駆け入る。

娘は、厨房の床にある鉄格子で塞がれている排水口を覗き込んでいた。

私と妻は安堵した。

沸いた胸騒ぎは次第に穏やかになっていく。

娘は小さな両手で鉄格子を握りしめている。

鉄格子を何とか開けようと、腰を使って持ち上げようとしている。

しかし、厳重に鍵が施錠されているので、びくともしない。

手を滑らせて、尻餅をつく。

それでも諦めない。

鉄格子に顔をつけて、中を覗き込む。

「心配したんだから! 何しているの、汚いでしょ」

妻は娘に言う。

安堵したからこそ、尖りのある口調になる。

「ごめんなさい」

娘は両手を鉄格子から離し、妻を見る。

両手は錆びで汚れ、膝や臀部は黒く汚れている。

マスクも錆びで汚れていた。

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