草原五一五

華気心

地獄の果て


女は僧になれない、なりたくない。気が向かない。
我が「女」と言うのは「君」がいなければ存在しません。ただ佛になる才能はあります。
神話の林檎のような愛を食らいました。
失敗を改定するような気持ちではありません。
何も「ない」ところに声、心と線を引き
詩を書かれていますが、憧れます。
いつだって何も「ない」けど、それが冒険で
詩に表れる。それは主観客観が決定される事ではなく、
哲学は紐解くところ。天才も性も時間に関連します。だから時間とともにこの詩は「喋る」のですが、
愛をラブと言った若者や、そういう詩も
信じれませんが
自分の全てを使う事が許された場合を、愛と名づくとして
愛しています。
諦める事に燃える日々、
「佛、まがいない
いじわる
でも欲があった」
君は男。
なにかからは決して離れられないので、孤独になりますが、凍てついてしまう事を許可してください。
私はイザナミではないです。
譲歩する花弁は花弁で美しい。問題がどうでも良いことばかりになるよりかは。
まがいない、と言っても
気分ではどうしようもない欲があって、
聞こえない耳があって、
佛はすべて包括して海賊的な自由を得るが、
仏教徒は近代西洋的な潔癖になり、十字架の夢になる。
山も谷もあるでしょうが、端と端を捉えると間違いなく「それ」に向かって良くて満身創痍してられる姿が見えます。または行き止まり。
「今」はそんなに未来の事ではなく、だから私は詩で説得します。出来る事なら応援します。
良く遊びながら、貰った事を大切に。
私は自分だけの宗教(男)がほしかったのです。
何か疑問を感じて頂けたら幸いです。
南無阿弥陀仏。やまと

虎を捕まえる気はおありでしょうか?

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