PMに恋したら
5
「串焼きうまい! ビール飲みたい!」
「優ちゃんまだ仕事があるでしょ」
「屋台の子たちにも買っていってあげようかな」
「お酒飲んでることがバレたら怒られるよ」
一応は仕事として来ているのだからビールはまずい。けれど優菜のテンションは上がる一方だ。高木さんの仕事をしている姿を見るのは初めてだから楽しみにしているのだろう。
「もう、実弥は本当に真面目なんだから」
そう言いながらフランス料理店が店頭でステーキを焼いているのを凝視する優菜には呆れてしまう。
人混みの合間から車が走っているのが見えた。歩行者天国の先の道路はもうすぐだ。
「あ、柴田さんいたよ」
優菜の声に背伸びをして前を見た。人混みの向こうに確かに制服姿のシバケンが立っていた。
「ご挨拶しなきゃね、実弥の未来の旦那様に」
「その言い方やめてって!」
怒る私を置いてはしゃいだ優菜はどんどんシバケンの方に進んでいった。シバケンに会いに行ったのではない。きっと近くにいるであろう高木さんを探しに行ったに違いない。
「ちょっと優ちゃん、待って!」
優菜を呼び止めた瞬間、「うわああああ!」と男性の叫び声が前方から聞こえた。
「何?」
「トラブルかな?」
「調子に乗ったガキがふざけてるんじゃない?」
周囲の人もその叫び声に不思議そうな顔をした。
「きゃああ!!」
続いて聞こえた女性の叫び声に、何かあったのだろうと視線が集まりだした。嫌な予感がした私は人を掻き分け前に進んだ。突然前にいた人が後ろに下がってきて何人も私にぶつかった。
「逃げろ!」
誰かがそう叫んだ瞬間人が一気に走り出した。
「ちょっと、通して……いたっ!」
私と反対方向に逃げる人と肩がぶつかった。
「なに?」
痛みによろけてしゃがみ込み、肩を押さえているこの瞬間も前からは叫び声が上がり続け、その内人の動きが止まって前には人垣ができていた。更にその先からは不気味な笑い声が聞こえる。
「何事?」
ふざけているのかと思うほど大げさに笑う男性の声に脅えつつ、立ち上がって人を押しのけ人垣の前に出た。
騒ぎの中心には包丁のようなものを握り締め、高らかに笑う全身黒い服を着た男が立っていた。男の足元にはお腹を抱えて地面にのた打ち回る若い男性がいた。服には大量の血が滲んでいる。
その光景にぞっとした。説明されなくてもこの状況を見れば何が起こったのかは明らかだ。ここにいる誰もがこの男がまだ捕まっていなかった通り魔だと瞬時に理解した。
「いやああ!」
一際恐怖心を含ませた声で叫んだのは優菜だった。包丁を握った男の斜め後ろで、腰が抜けたのか座り込んでいた。叫び声に振り向いた男は、目を見開いたまま固まる優菜を見つめた。体を反転させるとゆっくりと優菜に近づく。
「優ちゃん逃げて!」
思わず叫んだ私は自然と走り出していた。けれど間に合わない。
男が優菜に向かって包丁を振り上げたとき、男の体が一人の警察官に体当たりされ横に飛ばされた。私の目の前まで転がった男が地面に倒れこんだ衝撃で包丁が手から抜け、数十センチ飛んで鈍い音を立て地面に落ちた。
男に体当たりした警察官は態勢を立て直し、顔を上げたその人は高木さんだった。
ああ、優菜が無事でよかった。
高木さんが来てくれたことに安心して私の足も止まった。
腰が抜けたまま呆然としている優菜の前に立った高木さんは、しゃがむと優菜を強く抱きしめた。その姿に私は笑った。優菜を守ることしか頭になかったであろう高木さんは、優菜を救った今絶対に職務を忘れている。
「うっ……」
転がった男がうめいて立ち上がった。気づいたときには遅かった。男は今私の近くに立っている。私と目が合った男の顔は笑っていた。
今度は私が襲われる。
そう思った瞬間恐怖で体が動かなくなった。
そのとき、再び男が勢いよく地面に伏せた。今度はどこからともなく現れた警察官二人が男の背中を押さえ込んだ。暴れる男を二人がかりで押さえる姿は刑事ドラマでしか見たことがないような光景だ。
いつの間にか悲鳴は歓声に変わり、気がつけば辺りには複数の警察官が集まっていた。数人で男を取り囲み立たせると、人混みから連行していく。一連の騒ぎの中心人物をあっという間に逮捕したことで、あちこちから盛大な拍手が沸いた。
先に刺された男性の横にしゃがみ容態を確認する警察官もいれば、現場を荒らさないよう大声で人を誘導する警察官もいた。私はショックで体が動かず、動き回る警察官をひたすら見ていた。
最初に男を押さえ込んだ二人の警察官のうち、一人が私に近づいてくる。その人の顔を見た瞬間、足に力が入らなくなり優菜と同じように地面に座り込んだ。警察官は私の前に来ると片膝をついて目線の高さまで顔を下げた。
「言ったでしょ。ちゃんと守るよって」
見慣れてしまった優しい笑顔を私に向けた。
「怪我はない?」
「大丈夫……」
「頑張ったね」
そう言って私の頭をぽんぽんと優しく撫でる。まるで子供のような扱いだけど、今の私には一番効く慰め方だ。恐怖から解放され、ほっとして涙で目が潤む。
「これからちょっとだけ事情を聞きたいんだけど立てる?」
「うん……」
「医療スタッフのいるところに連れていくよ」
腕を引っ張ってもらい立ち上がると、優菜も高木さんに連れられて人混みから抜けようとしていた。
私と優菜が案内されたのは古明祭りの本部として使われているビルの中にある事務所だった。用意されたパイプイスに座ると「ちょっとここで待ってて。すぐに戻るから」と言ってシバケンと高木さんは事務所から出て行った。
事務所にいるスタッフは事件のせいか忙しそうに出入りし、電話がひっきりなしにかかってくる。遠くから救急車のサイレンが聞こえた。そういえば先に刺された男性は大丈夫だろうか。
「怖かったね……」
呟く優菜に「そうだね」と返した。腰が抜けていた優菜は先ほどよりも落ち着いたようだ。
「高木さん、かっこよかったね。優ちゃんを抱き締めちゃって」
「うん……」
優菜は両手で顔を覆った。泣いているのかと思いきや「うー」と唸っただけだ。これは高木さんに落ちたな、と私は微笑んだ。
「高木さん、チャラチャラしてるかと思ったけど、仕事はちゃんとしてるんだもん。見直しちゃった」
顔を赤くして優菜は膝に置いた手を組んだ。
「惚れ直した、の間違いじゃない?」
「もー」
照れる優菜が可愛らしい。
「けど本当に、かっこよかったね」
高校生だった私を守ってくれたように今日のシバケンはかっこよかった。
事が全て収束して古明祭りが終了した。今日の出来事は全国ニュースになり、SNSは事件に対する投稿で賑わった。
優菜に抱きつく高木さんの画像も拡散されてしまい、上司からきついお叱りを受けたそうだ。身を挺して一般市民を庇うように見えなくもないことと、高木さんと優菜の顔は写っていない角度だったことから大事にはされなかった。
最初に刺された男性は命に別状はなく、現行犯逮捕された男は過去の傷害事件も認めたため、古明橋連続通り魔事件は解決した。
けれど社内では私と優菜がその場にいたことが知れ渡ってしまい、数日間注目を浴び続け仕事がやりにくい状態になった。
優菜は高木さんのことをからかわれるようになったため私の方がまだ楽かもしれないが、優菜はむしろ高木さんを誇りに思っているようで、からかわれることが嬉しそうだ。
後日優菜と高木さんが正式に付き合うことになったと聞いたときは驚かなかった。他部署の人にまで触れ回って惚気る優菜は幸せそうだ。
「優ちゃんまだ仕事があるでしょ」
「屋台の子たちにも買っていってあげようかな」
「お酒飲んでることがバレたら怒られるよ」
一応は仕事として来ているのだからビールはまずい。けれど優菜のテンションは上がる一方だ。高木さんの仕事をしている姿を見るのは初めてだから楽しみにしているのだろう。
「もう、実弥は本当に真面目なんだから」
そう言いながらフランス料理店が店頭でステーキを焼いているのを凝視する優菜には呆れてしまう。
人混みの合間から車が走っているのが見えた。歩行者天国の先の道路はもうすぐだ。
「あ、柴田さんいたよ」
優菜の声に背伸びをして前を見た。人混みの向こうに確かに制服姿のシバケンが立っていた。
「ご挨拶しなきゃね、実弥の未来の旦那様に」
「その言い方やめてって!」
怒る私を置いてはしゃいだ優菜はどんどんシバケンの方に進んでいった。シバケンに会いに行ったのではない。きっと近くにいるであろう高木さんを探しに行ったに違いない。
「ちょっと優ちゃん、待って!」
優菜を呼び止めた瞬間、「うわああああ!」と男性の叫び声が前方から聞こえた。
「何?」
「トラブルかな?」
「調子に乗ったガキがふざけてるんじゃない?」
周囲の人もその叫び声に不思議そうな顔をした。
「きゃああ!!」
続いて聞こえた女性の叫び声に、何かあったのだろうと視線が集まりだした。嫌な予感がした私は人を掻き分け前に進んだ。突然前にいた人が後ろに下がってきて何人も私にぶつかった。
「逃げろ!」
誰かがそう叫んだ瞬間人が一気に走り出した。
「ちょっと、通して……いたっ!」
私と反対方向に逃げる人と肩がぶつかった。
「なに?」
痛みによろけてしゃがみ込み、肩を押さえているこの瞬間も前からは叫び声が上がり続け、その内人の動きが止まって前には人垣ができていた。更にその先からは不気味な笑い声が聞こえる。
「何事?」
ふざけているのかと思うほど大げさに笑う男性の声に脅えつつ、立ち上がって人を押しのけ人垣の前に出た。
騒ぎの中心には包丁のようなものを握り締め、高らかに笑う全身黒い服を着た男が立っていた。男の足元にはお腹を抱えて地面にのた打ち回る若い男性がいた。服には大量の血が滲んでいる。
その光景にぞっとした。説明されなくてもこの状況を見れば何が起こったのかは明らかだ。ここにいる誰もがこの男がまだ捕まっていなかった通り魔だと瞬時に理解した。
「いやああ!」
一際恐怖心を含ませた声で叫んだのは優菜だった。包丁を握った男の斜め後ろで、腰が抜けたのか座り込んでいた。叫び声に振り向いた男は、目を見開いたまま固まる優菜を見つめた。体を反転させるとゆっくりと優菜に近づく。
「優ちゃん逃げて!」
思わず叫んだ私は自然と走り出していた。けれど間に合わない。
男が優菜に向かって包丁を振り上げたとき、男の体が一人の警察官に体当たりされ横に飛ばされた。私の目の前まで転がった男が地面に倒れこんだ衝撃で包丁が手から抜け、数十センチ飛んで鈍い音を立て地面に落ちた。
男に体当たりした警察官は態勢を立て直し、顔を上げたその人は高木さんだった。
ああ、優菜が無事でよかった。
高木さんが来てくれたことに安心して私の足も止まった。
腰が抜けたまま呆然としている優菜の前に立った高木さんは、しゃがむと優菜を強く抱きしめた。その姿に私は笑った。優菜を守ることしか頭になかったであろう高木さんは、優菜を救った今絶対に職務を忘れている。
「うっ……」
転がった男がうめいて立ち上がった。気づいたときには遅かった。男は今私の近くに立っている。私と目が合った男の顔は笑っていた。
今度は私が襲われる。
そう思った瞬間恐怖で体が動かなくなった。
そのとき、再び男が勢いよく地面に伏せた。今度はどこからともなく現れた警察官二人が男の背中を押さえ込んだ。暴れる男を二人がかりで押さえる姿は刑事ドラマでしか見たことがないような光景だ。
いつの間にか悲鳴は歓声に変わり、気がつけば辺りには複数の警察官が集まっていた。数人で男を取り囲み立たせると、人混みから連行していく。一連の騒ぎの中心人物をあっという間に逮捕したことで、あちこちから盛大な拍手が沸いた。
先に刺された男性の横にしゃがみ容態を確認する警察官もいれば、現場を荒らさないよう大声で人を誘導する警察官もいた。私はショックで体が動かず、動き回る警察官をひたすら見ていた。
最初に男を押さえ込んだ二人の警察官のうち、一人が私に近づいてくる。その人の顔を見た瞬間、足に力が入らなくなり優菜と同じように地面に座り込んだ。警察官は私の前に来ると片膝をついて目線の高さまで顔を下げた。
「言ったでしょ。ちゃんと守るよって」
見慣れてしまった優しい笑顔を私に向けた。
「怪我はない?」
「大丈夫……」
「頑張ったね」
そう言って私の頭をぽんぽんと優しく撫でる。まるで子供のような扱いだけど、今の私には一番効く慰め方だ。恐怖から解放され、ほっとして涙で目が潤む。
「これからちょっとだけ事情を聞きたいんだけど立てる?」
「うん……」
「医療スタッフのいるところに連れていくよ」
腕を引っ張ってもらい立ち上がると、優菜も高木さんに連れられて人混みから抜けようとしていた。
私と優菜が案内されたのは古明祭りの本部として使われているビルの中にある事務所だった。用意されたパイプイスに座ると「ちょっとここで待ってて。すぐに戻るから」と言ってシバケンと高木さんは事務所から出て行った。
事務所にいるスタッフは事件のせいか忙しそうに出入りし、電話がひっきりなしにかかってくる。遠くから救急車のサイレンが聞こえた。そういえば先に刺された男性は大丈夫だろうか。
「怖かったね……」
呟く優菜に「そうだね」と返した。腰が抜けていた優菜は先ほどよりも落ち着いたようだ。
「高木さん、かっこよかったね。優ちゃんを抱き締めちゃって」
「うん……」
優菜は両手で顔を覆った。泣いているのかと思いきや「うー」と唸っただけだ。これは高木さんに落ちたな、と私は微笑んだ。
「高木さん、チャラチャラしてるかと思ったけど、仕事はちゃんとしてるんだもん。見直しちゃった」
顔を赤くして優菜は膝に置いた手を組んだ。
「惚れ直した、の間違いじゃない?」
「もー」
照れる優菜が可愛らしい。
「けど本当に、かっこよかったね」
高校生だった私を守ってくれたように今日のシバケンはかっこよかった。
事が全て収束して古明祭りが終了した。今日の出来事は全国ニュースになり、SNSは事件に対する投稿で賑わった。
優菜に抱きつく高木さんの画像も拡散されてしまい、上司からきついお叱りを受けたそうだ。身を挺して一般市民を庇うように見えなくもないことと、高木さんと優菜の顔は写っていない角度だったことから大事にはされなかった。
最初に刺された男性は命に別状はなく、現行犯逮捕された男は過去の傷害事件も認めたため、古明橋連続通り魔事件は解決した。
けれど社内では私と優菜がその場にいたことが知れ渡ってしまい、数日間注目を浴び続け仕事がやりにくい状態になった。
優菜は高木さんのことをからかわれるようになったため私の方がまだ楽かもしれないが、優菜はむしろ高木さんを誇りに思っているようで、からかわれることが嬉しそうだ。
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