PMに恋したら

秋葉なな

Excelを開き、作りかけの履歴書の余白を調整する。市販の履歴書では学生でもないのに『好きな学科』の欄があったり、志望動機が少しだけしか書けない。それなら自分で履歴書を作り、企業にアピールしたい項目に合わせて枠の大きさを決めたい。
印刷のミスが続き、足りるかと思ったコピー用紙がついになくなってしまった。仕方なくコンビニに買いに行くことにして財布を掴む。

さすがに坂崎さんはもう帰っただろうと下りると、まだ父と一緒にソファーでくつろいでいた。
テーブルの上のパソコンや書類は片付けられ、父は大事にしていたはずのワインのボトルを開けている。報道番組を見ながら、坂崎さんと政治についてああでもないこうでもないと議論をしていた。
父の横で母までも座って一緒にワインを飲み、その三人の姿はまるで家族のようだ。この家で家族ではないのは私なのだと思わされた。
もうすぐこの家を出て行くから、いっそ坂崎さんを養子にすればいいのに。
三人に呆れながらスニーカーを履いて外に出た。車の横に置いてある自転車に跨りコンビニへの道を走る。

坂崎さんを家族同然のように扱う父に嫌気がさす。母も息子がほしいと思っていたことも知っている。子供は私しか授からなかったのだから、坂崎さんがうちに来て喜んでいるのだろう。その坂崎さんも坂崎さんだ。父に取り入れば会社で出世できるのかもしれないが、上司の家に入り浸るなんて図々しいのではないか。もう遠慮して帰ってもいい時間なのだ。
父への怒りがどんどん坂崎さんにも向いている。このままではよく知らない坂崎さんまで嫌悪してしまいそうだ。

コンビニでコピー用紙を買って家に戻り、自転車を置くと庭に赤い光が見えてぎょっとした。

「おかえりなさい」

聞き覚えのある声が向けられ、目を凝らすと坂崎さんがウッドデッキに腰掛けていた。手にはタバコを持っている。彼がふうと吐き出した煙のせいで、数メートル離れた私のところにまでタバコの臭いが届く。

「タバコ……吸われるんですね」

父はタバコが大嫌いだ。吸っている人の近くに行くだけでも嫌がる。

「はい。なのでお庭をお借りしています。吸殻はちゃんと持って帰りますから」

リビングの窓から薄っすら漏れる明かりで坂崎さんが微笑んでいるのがわかる。
父がタバコを敷地内で吸うことを許すなんて驚いた。それほど坂崎さんに甘いのだ。

「実弥さんはタバコがお嫌いですか?」

「嫌いと言うほどでは……吸わないですけど、父のように吸う人のそばに行きたくないと思うほどではないです」

この言葉に坂崎さんは笑った。父はタバコを吸う人が嫌いという嫌みを含めた言葉は坂崎さんに伝わった。けれどこの人は気を悪くするどころか笑うのだ。

「実弥さん、少しお話しませんか?」

「え……」

戸惑う私に坂崎さんは自分の隣に座るようにとウッドデッキの端をぽんぽんと叩いた。坂崎さんに近づきたくはないけれど断るのも悪い気がして、コピー用紙の入った袋を玄関のドアノブにかけてから坂崎さんに近づいた。間にもう一人座れてしまいそうなほどの距離を開けて隣に座った。
坂崎さんはポケットから携帯灰皿を出すとタバコを中に押し付け入れた。

「実は僕、前にも実弥さんに会っているんですよ」

「え?」

「4年前だったかな……夏にこの庭で社員とバーベキューをやったのを覚えていますか?」

「……ああ」

確かに4年前の夏に父の会社の社員を招いてここでバーベキューをやった。けれど当時大学生だった私は父への反抗心から積極的に参加はしなかった。自分の部屋に引き込もって社員が帰るのをじっと待っていた。挨拶程度の会話はしても、大人数の社員がいたから一々顔を覚えてはいない。

「すみません……坂崎さんのことは……」

「そうでしょうね。でも僕は覚えていますよ。お会いして可愛らしいお嬢さんだなって思いましたから」

「いえ、そんな……」

坂崎さんにお世辞とはいえそんなことを言われたら困ってしまう。

「この子が専務がいつも自慢しているお嬢さんかって」

「自慢……ですか? 父が?」

「はい。黒井専務はいつも実弥さんのことを話されています。早峰フーズに就職されたときは、それはもう嬉しそうで」

意外だった。父はいつも私を都合のいい道具扱いしているのだと思っていた。

「だからお話したことは少なくても、僕は実弥さんのことを知っているんです。どんな方なのかを」

そう言って坂崎さんは横を向き私を見つめた。その熱っぽい視線から逃げるように私は下を向いた。

「実際に近くでお会いして、僕は専務に目をかけて頂いて本当によかったと実感しています。実弥さんとこうしてお話できましたから」

思った以上に坂崎さんは私との結婚に前向きでいるのかもしれない。

「ここに近いところに家を建てましょうか」

「はい?」

突然の提案に間抜けな声が出た。

「実家に近いところなら、将来子供が産まれても安心ですから。車を置くスペースと遊べる広さの庭は外せませんね」

「え、あの……」

作ったような笑顔で淡々と未来を語る彼の考えがわからない。

「あの、坂崎さんは私と結婚するということでいいんですか?」

「はい。結婚できたら嬉しいです」

当たり前だとでも言わんばかりに私から目を離さない。

「それは父に言われたからですか?」

「いいえ。まあ最初はそれもありました。数年前から実弥さんを嫁にと言っていただいていたくらいですから」

知らなかった。父はかなり前から坂崎さんとのことを考えていたなんて、気持ち悪すぎて吐き気がする。

「けれど今は僕の意思でもあります。実弥さんは僕の理想です。結婚してほしい」

「………」

突然で驚くほどのスピードプロポーズに言葉が出ない。まだ坂崎さんをよく知らないし、もちろん付き合っているわけでもないのにプロポーズされてしまい動揺する。

「あの……すみません、突然のことで頭がついていきません……」

「実弥さんにはお付き合いしている人はいますか?」

当然聞くべき質問を混乱する私にぶつけてきた。

「……はい」

「そうですか」

嬉しいのか悲しいのかもわからない感情がこもっていない声に、この人は私の恋人の存在をどうでもいいと思っていると感じた。

「やはりあのとき見かけた方が恋人ですか」

「見かけた?」

「実弥さんと一緒に車に乗っているところを見かけた事があります」


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