PMに恋したら

秋葉なな

「………」

深い意味があって家に来てと言ったわけではないはず。けれどシバケンの家に行くなんて緊張で口数が少なくなりそうだ。

「それともどこかで時間を潰してもらえるなら……」

「いえ、行きます!」

だんだん不安そうな顔になるシバケンを見ていられなくて行くと言ってしまった。

「うん……じゃあ行こうか」

シバケンはほっと安心したような表情を見せ、伝票を持つと立ち上がった。



ファミレスを出て、しばらく無言でシバケンの半歩後ろを歩いていた。この先の展開を想像したら緊張と気まずさで何も言葉が出ない。

「実弥」

不意にシバケンが私の名を呼んだ。前を向いたまま歩く彼の伸びた手が目の前にあった。

「ん」

何かをしてほしいと言うでもなく、シバケンは腕を後ろに回したままだ。

「何ですか?」

「ん」

問いかける私に答えることなく手首を軽く振った。その行動の真意を理解した瞬間、顔が一気に火照った。

「ん、じゃわかんないです。言ってくださいよ」

どういう意味かなんてわかっているけれど、シバケンから言ってほしくてわざとそう言った。

「ん」

それでも変わらず手を私の前に出し、早くしろと言わんばかりに手首を振った。そんなシバケンの態度に私の心はどうしようもなく揺さぶられる。

「もう……」

呆れるふりをして差し出された手に自分の手を重ねると、彼の指が私の指に深く絡まった。





「お邪魔します……」

手を繋いだまま彼の部屋に入ると、シバケンは焦りだした。

「ちょっと待ってて!」

慌てて手を放すと私を玄関に待たせたまま部屋を片付け始めた。

「いつもはもっとキレイなんだけど……」

「お仕事が忙しいですもんね。それでも散らかってないですよ?」

「いや、まあ……あー日頃からちょっとずつ片付けとくんだった……」

ベッドに無造作に放られたシャツをハンガーにかけクローゼットにしまいながら、恥ずかしそうに私と目を合わせないシバケンに笑ってしまう。

「私は気にしませんから、お風呂に入ってきてください」

「……そうする」

ローテーブルの上に置いてあったマンガ雑誌を壁際の床に置くと、シバケンは部屋を見回して私に入ってもいいよと促した。

「じゃあ風呂入ってくるね。何か飲む?」

「いいえ、おかまいなく」

バスルームに行ったシバケンを確認すると、ローテーブルの前に座った私は部屋を見渡した。さっきの頑張りもあって綺麗に片付けられているけれど、ベッドにはまだ無造作にスウェットが置かれている。
私は立ち上がるとベッドの上のグレーのスウェットを取って畳んだ。畳んだはいいものの、どこにしまったらいいのかわからずに結局そのままベッドに置いた。
ふと見たベランダのカーテンの隙間から曇った空が見えた。カーテンを開けると空はどんよりと灰色に染まり、今にも雨が降ってきそうだ。

「実弥」

「はい!」

洗面所のドアが少し開いて隙間から名前を呼ばれた。

「スウェットとってくれる?」

「スウェット……」

ベッドの上から畳んだばかりのスウェットを取ると、洗面所のドアの隙間から中に差し出した。ドアの向こうに裸のシバケンがいると思うと緊張してしまう。

「ありがとう」

スウェットを受け取るとドアの向こうで穿く気配がした。バスルームから離れようとしたとき、ドアが開いてシバケンが出てきた。その格好に思わず口をポカンと開けてしまった。スウェットを穿いたシバケンの上半身は裸だった。高い身長に程よく筋肉のついた身体。制服やスーツを着ているだけではわからないスタイルの良さだ。
髪をタオルでふくシバケンと目が合い、濡れた髪と火照った身体の色っぽさに私の心拍数が上がった。

「………」

シバケンは固まる私を気にかけることもなく、横を抜けてタンスの中からティーシャツを出して着た。布の下に隠れた肌が見れなくなると、私の呼吸も少しずつ落ち着いてくる。

「ほんと、だらしないとこ見せちゃったね」

そう言って私の手を引いて再びローテーブルの前に座らせる。私の横に座った彼は首にかけたタオルを頭に被せて髪をふいた。

「また幻滅したでしょ。思ってた男と違って」

「そんなことはないですよ」

タオルの間から覗くシバケンの顔は落ちこんでいて私は慌てて否定する。

「大丈夫です。この程度で嫌いになったりしないし、かっこいいのは変わらないですよ」

私の気持ちに一喜一憂する彼の姿も意外だった。こんな一面もあるのだと新しく知ることばかりだ。

「俺を知ってほしいとは言ったけど、知れば知るほど実弥の理想と違ってがっかりするかもしれない」

「そうですね。良いところも悪いところも、意外だと思うことはあります」

シバケンの瞳は不安そうに揺らいでいる。

「でもダメなシバケンももっと知りたい。私に弱いところを見せてもいいんですよ」

そう言うとシバケンは照れたように笑った。私も顔が赤くなるのを感じた。自分があまりにも正直に思ったことを言ってしまって恥ずかしくなる。

「仕事の愚痴を言っても?」

「それは……少しなら」

私だって仕事の悩みはあるのだ。シバケンがそれを吐き出すのなら受け止めてあげる方がいいに決まっている。

「最近仕事も前よりやる気出てきてるんだ。実弥のお陰」

「そうなんですか?」

「そう。実弥にかっこいい警察官、かっこいい男って思われていたいから」

またもシバケンは照れている。

「昇任試験を受けるんだ。階級上がるように頑張るから」

「はい。応援します」

私は特別何もしていないのにシバケンのやる気につながるのなら嬉しい。シバケンの昇進は私にとっても大事だ。出世をすれば父がシバケンのことを認めてくれるかもしれない。

「今から行って平気かな?」

「え?」

「実弥の家にだよ」

「ああ……」

そうだ、うちに来て父に挨拶したいと言っていたっけ。

「もうすぐにでも知ってもらいたい。俺がどんなに実弥を大事にしてるか」

嬉しい言葉だ。けれど不安は残ったままだ。

「でも……まだ坂崎さんがいるかもしれません……」

朝から来てまだ家にいるとは限らないけれど、可能性はゼロじゃない。私が帰るまで坂崎さんを家に待たせておくくらいのことは強引な父ならやりかねない。

「じゃあ尚更行かなきゃね」

ときっぱり言い切った。シバケンを見ると吸い込まれそうなほどに真剣な顔だ。

「実弥は俺の彼女だよって相手にも直接宣言できるじゃん」

シバケンの言葉は頭の中のごちゃごちゃした思考を吹き飛ばす。この人は何も怖がっていないのだ。自分の環境に脅えているのは私だけだ。

「嬉しいです……」

声が震えた。父が怖くて、シバケンとの未来が不安で、だからこそそばにいてくれるシバケンの存在が愛しくて。

「おいで」

軽く両腕を広げて私を呼ぶシバケンに、前屈みになってゆっくり近づくと両腕で抱きしめられた。同時にシャンプーと石鹸の香りが鼻をくすぐり、まるで香りが私の体まで包んだようだ。

「実弥を誰にも取られたくない」

耳元で感じる独占欲が心地良い。

「私もシバケン以外の男なんてどうでもいい。離れたくない」

シバケンの唇が私の髪にキスを落とす。

「ご両親にも挨拶して真剣だって伝えたい」

「行きたくない。挨拶なんてしなくていい。このままここに居たい……」

「挨拶には行かなきゃ。反対されたとしても、他の男と結婚されるのは困るから。俺の存在はきちんと印象付けたい」

「はい……」

私の口からだけの存在じゃない、確かに絆がある恋人なんだって両親に知ってもらわなければ。

シバケンの胸に顔をうずめた。
私もこの人が大好きで大切だから、きちんと父と母に紹介しよう。シバケンがどんなに真面目に仕事をしているのか、どれだけ私のことを大切にしてくれる人なのかを。

「どうしても反対されたら無理矢理連れ去るくらいの気持ちでいるから」


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