同期の御曹司様は浮気がお嫌い
4
下田くんからは相変わらず連絡が来るけれど、電話もメッセージもすべて無視した。また不倫を疑われたら今度こそ解雇されるのではないかと不安になった。
「はぁ……」
閉店間近のスーパーで割引された惣菜のパックを見ながらため息をつく。
引っ越すと会社からは遠くなり帰宅時間が遅くなってしまう。料理する気も起きず、一気に生活が乱れてしまった。
『見切り品』の商品ワゴンで品定めしていると、「安西さん?」と声をかけられた。
振り向くとそこには優磨くんが立っている。
「え? 優磨くん?」
何週間ぶりかに会った優磨くんは髪をきっちりまとめて今まで以上に上等なスーツを着ている。その姿は整った顔を余計に引き立たせている。
「どうしてここにいるの? 安西さんの家はこの辺じゃないよね?」
「あ……」
何と言って説明すればいいのだろう。生活できなくて引っ越したなんて城藤の人には恥ずかしくて言えない。
「………」
黙り込んでしまった私の持つカゴに優磨くんは視線を移すから更に恥ずかしくなる。中には惣菜と野菜ジュースが入っている。いずれも割引シールが貼られたものだ。
「安西さん痩せたね。大丈夫?」
優磨くんの優しい声に泣きそうになるのを堪える。
「大丈夫! ダイエット中なの。ここら辺に越してきたのも会社まで時間をかけて通勤しようと思って……」
苦しい言い訳なのはわかっているけれど嘘をつかずにはいられない。
優磨くんは寂しそうな顔をする。それが余計に私を焦らせる。
「優磨くんは家この辺なの?」
財閥の御曹司がこんな庶民的なスーパーにいるなんて違和感がある。
「うん。すぐそこに住んでるんだ」
「そっか……ここでいつも買い物するの?」
「ほとんど毎日来るよ。今の会社じゃまだ新人だから忙しくて、俺もいつもここで夕飯買うの」
失敗した。まさか優磨くんの家の近くに来てしまうとは。
「じゃ、じゃあね!」
「安西さん……」
呼び止められた気がしたけれど、私は優磨くんから逃げるようにレジに移動した。
こんなところを優磨くんに見られたくない。上等なスーツを着ている人に、こんな惨めな私が同期で恥ずかしいと思われたくない。
大口の顧客担当から外され、飲み会に誘われなくなってしまった。職場での信頼を崩すのってこんなに簡単なんだと痛感する。
たまたま給湯室で数人の社員が私の話をしているところを聞いてしまった。
「私なら恥ずかしくて辞めるのに、図太いよねー」
事務の子がバカにするような声を出す。
近くにいることを気づかれないようにそっと離れる。
私だって毎日恥ずかしくて情けなくて辛い。でも私の何が悪いのだろう。下田くんが結婚していたことは本当に知らなかった。どうして私が責められなければいけないのだ……。
会社の近くに来ると吐き気がして手が震えるようになった。
精神的に参っているのは自覚していたけれど、どうしたらいいかもわからない。減給処分が明けるまであと3ヶ月以上ある。
月曜日を終えて駅から家まで歩いていた。
今週あと4日間会社に行かなければいけないと思った瞬間また吐き気に襲われた。電柱に寄り掛かって口を押える。胃がムカムカする。
会社で何かをされるわけじゃない。陰で笑われるだけだ。たったそれだけでも辛い。もう無理だ働けない。
「安西さん?」
背後から声が聞こえて振り向くと、すぐ近くに止まった一台の車から優磨くんが顔を出している。
「優磨くん……?」
その車の後部座席から降りて慌てて私に駆け寄る優磨くんは心配そうな顔を向ける。
「どうした?」
ああ、私を気遣ってくれる優しい声だ。
吐き気が治まってくる。優磨くんの顔を見たらほっとする。
「安西さん!?」
「うぅっ……」
私はその場で泣き出した。
優しい声をかけないで。今の私の精一杯の強がりが崩れてしまう。
すると体が突然包まれる。優磨くんが私を優しく抱きしめた。腕と共に甘い香りが私を包むようだ。香水の香りだろうか。
驚いたのと同時に慰められたことが恥ずかしくて更に涙が溢れる。
「大丈夫じゃないじゃん……」
耳元で優磨くんの焦った声がする。
「なんで泣くんだよ……言ってよ……助けたいんだ」
「ごめ……ごめんなさい……」
「謝らないで……」
優磨くんの腕の中でボロボロと泣いた。いつかのように泣き止むまで何も言わずに待っていてくれる。抱き締めて頭を撫でながら。
「俺に話してくれない? 安西さんの今の状況を教えてほしい」
こくりと頷くと優磨くんは近くに止まったままの車に私を連れていく。
「乗って」
「でも……」
「いいから」
ドアを開けてもらい後部座席に座った。
前の運転席には一人の男性が座っている。バックミラー越しに私と目が合うと軽く会釈をした。私と優磨くんよりも少し年上の男性だ。
「泉さん、どこか個室のある店に行ってください」
「かしこまりました」
泉と呼ばれた男性は車を静かに走らせる。もしかして優磨くんの運転手だろうか。
今まで立場の違いを感じたことは無かったけれど、運転手がいるなんて本当にすごい人みたい……。
「どこ行くの?」
「落ち着いて話せるとこ」
怒っているわけではないようだけど、優磨くんの声は低い。座席の上で私の手はずっと優磨くんに握られている。強く握られていないのになぜか振りほどけない。
「着きました」
5分ほどしか走っていないのにもう着いたのだろうか。駐車場に停まると優磨くんに手を引かれ車から降りる。
「泉さんはここで結構です。帰りは歩きますので」
「かしこまりました。明日もいつもの時間にお迎えに参ります」
「その話は今はいいですから……」
何故か私に聞かれたくなさそうな優磨くんは慌てて泉さんを制する。
車を見送ると手を引かれたままライトアップされた庭を抜けて目の前の洋館に入った。どうやら食事のできる店のようだ。
店員に個室の希望をすると私のアパートよりも広い部屋に案内された。
ライトアップされた庭が見渡せる大きな窓と、壁には美しい絵と花が飾られている。
円形のテーブルが中央に置かれ、何人も座れそうなほどイスが置いてある。けれど優磨くんは敢えて私の隣に座るから緊張する。
優磨くんはワインとカクテルを頼んだ。
「アルコール苦手だったよね。カクテルも1杯なら大丈夫かな?」
私の好きなものを覚えていてくれることが嬉しかった。
「優磨くんはいつもこんなところで食事してるの?」
「まさか。ここに連れてこられるとは思ってなかったよ。居酒屋って言えばよかった……」
「あの方は運転手さん?」
「まあ……今だけね。本当は父親の秘書」
優磨くんは気まずそうに目を逸らす。
プライベートの話をあまりしない人だから今も嫌なのかもしれない。だから私はそれ以上優磨くんのことを詮索しないようにする。
「安西さんのこと聞かせて」
運ばれてきたお酒を飲みながら優磨くんが退職してからのことを話した。口を挟むことなく私が落ち着いていられるように料理にもお酒にも手をつけなかった。
「そんな感じで生活もボロボロ……男を見る目がないんだよ……」
「大変だったね。安西さんはとっても頑張ったよ」
優磨くんの言葉にまた目頭が熱くなる。この人に優しくされたら弱い部分がどんどん出てしまう。
「会社行くの辛い?」
「うん……転職しようかな……」
なんとなく考えていたことを初めて口に出す。優磨くんは微笑んで「いいと思うよ」と言ってくれる。まだ本気で考えていなくてもそう言ってくれる人がいるだけで気持ちが楽になる。
「はぁ……」
閉店間近のスーパーで割引された惣菜のパックを見ながらため息をつく。
引っ越すと会社からは遠くなり帰宅時間が遅くなってしまう。料理する気も起きず、一気に生活が乱れてしまった。
『見切り品』の商品ワゴンで品定めしていると、「安西さん?」と声をかけられた。
振り向くとそこには優磨くんが立っている。
「え? 優磨くん?」
何週間ぶりかに会った優磨くんは髪をきっちりまとめて今まで以上に上等なスーツを着ている。その姿は整った顔を余計に引き立たせている。
「どうしてここにいるの? 安西さんの家はこの辺じゃないよね?」
「あ……」
何と言って説明すればいいのだろう。生活できなくて引っ越したなんて城藤の人には恥ずかしくて言えない。
「………」
黙り込んでしまった私の持つカゴに優磨くんは視線を移すから更に恥ずかしくなる。中には惣菜と野菜ジュースが入っている。いずれも割引シールが貼られたものだ。
「安西さん痩せたね。大丈夫?」
優磨くんの優しい声に泣きそうになるのを堪える。
「大丈夫! ダイエット中なの。ここら辺に越してきたのも会社まで時間をかけて通勤しようと思って……」
苦しい言い訳なのはわかっているけれど嘘をつかずにはいられない。
優磨くんは寂しそうな顔をする。それが余計に私を焦らせる。
「優磨くんは家この辺なの?」
財閥の御曹司がこんな庶民的なスーパーにいるなんて違和感がある。
「うん。すぐそこに住んでるんだ」
「そっか……ここでいつも買い物するの?」
「ほとんど毎日来るよ。今の会社じゃまだ新人だから忙しくて、俺もいつもここで夕飯買うの」
失敗した。まさか優磨くんの家の近くに来てしまうとは。
「じゃ、じゃあね!」
「安西さん……」
呼び止められた気がしたけれど、私は優磨くんから逃げるようにレジに移動した。
こんなところを優磨くんに見られたくない。上等なスーツを着ている人に、こんな惨めな私が同期で恥ずかしいと思われたくない。
大口の顧客担当から外され、飲み会に誘われなくなってしまった。職場での信頼を崩すのってこんなに簡単なんだと痛感する。
たまたま給湯室で数人の社員が私の話をしているところを聞いてしまった。
「私なら恥ずかしくて辞めるのに、図太いよねー」
事務の子がバカにするような声を出す。
近くにいることを気づかれないようにそっと離れる。
私だって毎日恥ずかしくて情けなくて辛い。でも私の何が悪いのだろう。下田くんが結婚していたことは本当に知らなかった。どうして私が責められなければいけないのだ……。
会社の近くに来ると吐き気がして手が震えるようになった。
精神的に参っているのは自覚していたけれど、どうしたらいいかもわからない。減給処分が明けるまであと3ヶ月以上ある。
月曜日を終えて駅から家まで歩いていた。
今週あと4日間会社に行かなければいけないと思った瞬間また吐き気に襲われた。電柱に寄り掛かって口を押える。胃がムカムカする。
会社で何かをされるわけじゃない。陰で笑われるだけだ。たったそれだけでも辛い。もう無理だ働けない。
「安西さん?」
背後から声が聞こえて振り向くと、すぐ近くに止まった一台の車から優磨くんが顔を出している。
「優磨くん……?」
その車の後部座席から降りて慌てて私に駆け寄る優磨くんは心配そうな顔を向ける。
「どうした?」
ああ、私を気遣ってくれる優しい声だ。
吐き気が治まってくる。優磨くんの顔を見たらほっとする。
「安西さん!?」
「うぅっ……」
私はその場で泣き出した。
優しい声をかけないで。今の私の精一杯の強がりが崩れてしまう。
すると体が突然包まれる。優磨くんが私を優しく抱きしめた。腕と共に甘い香りが私を包むようだ。香水の香りだろうか。
驚いたのと同時に慰められたことが恥ずかしくて更に涙が溢れる。
「大丈夫じゃないじゃん……」
耳元で優磨くんの焦った声がする。
「なんで泣くんだよ……言ってよ……助けたいんだ」
「ごめ……ごめんなさい……」
「謝らないで……」
優磨くんの腕の中でボロボロと泣いた。いつかのように泣き止むまで何も言わずに待っていてくれる。抱き締めて頭を撫でながら。
「俺に話してくれない? 安西さんの今の状況を教えてほしい」
こくりと頷くと優磨くんは近くに止まったままの車に私を連れていく。
「乗って」
「でも……」
「いいから」
ドアを開けてもらい後部座席に座った。
前の運転席には一人の男性が座っている。バックミラー越しに私と目が合うと軽く会釈をした。私と優磨くんよりも少し年上の男性だ。
「泉さん、どこか個室のある店に行ってください」
「かしこまりました」
泉と呼ばれた男性は車を静かに走らせる。もしかして優磨くんの運転手だろうか。
今まで立場の違いを感じたことは無かったけれど、運転手がいるなんて本当にすごい人みたい……。
「どこ行くの?」
「落ち着いて話せるとこ」
怒っているわけではないようだけど、優磨くんの声は低い。座席の上で私の手はずっと優磨くんに握られている。強く握られていないのになぜか振りほどけない。
「着きました」
5分ほどしか走っていないのにもう着いたのだろうか。駐車場に停まると優磨くんに手を引かれ車から降りる。
「泉さんはここで結構です。帰りは歩きますので」
「かしこまりました。明日もいつもの時間にお迎えに参ります」
「その話は今はいいですから……」
何故か私に聞かれたくなさそうな優磨くんは慌てて泉さんを制する。
車を見送ると手を引かれたままライトアップされた庭を抜けて目の前の洋館に入った。どうやら食事のできる店のようだ。
店員に個室の希望をすると私のアパートよりも広い部屋に案内された。
ライトアップされた庭が見渡せる大きな窓と、壁には美しい絵と花が飾られている。
円形のテーブルが中央に置かれ、何人も座れそうなほどイスが置いてある。けれど優磨くんは敢えて私の隣に座るから緊張する。
優磨くんはワインとカクテルを頼んだ。
「アルコール苦手だったよね。カクテルも1杯なら大丈夫かな?」
私の好きなものを覚えていてくれることが嬉しかった。
「優磨くんはいつもこんなところで食事してるの?」
「まさか。ここに連れてこられるとは思ってなかったよ。居酒屋って言えばよかった……」
「あの方は運転手さん?」
「まあ……今だけね。本当は父親の秘書」
優磨くんは気まずそうに目を逸らす。
プライベートの話をあまりしない人だから今も嫌なのかもしれない。だから私はそれ以上優磨くんのことを詮索しないようにする。
「安西さんのこと聞かせて」
運ばれてきたお酒を飲みながら優磨くんが退職してからのことを話した。口を挟むことなく私が落ち着いていられるように料理にもお酒にも手をつけなかった。
「そんな感じで生活もボロボロ……男を見る目がないんだよ……」
「大変だったね。安西さんはとっても頑張ったよ」
優磨くんの言葉にまた目頭が熱くなる。この人に優しくされたら弱い部分がどんどん出てしまう。
「会社行くの辛い?」
「うん……転職しようかな……」
なんとなく考えていたことを初めて口に出す。優磨くんは微笑んで「いいと思うよ」と言ってくれる。まだ本気で考えていなくてもそう言ってくれる人がいるだけで気持ちが楽になる。
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