水晶を覗くばあさん

文戸玲

戻りたい女⑤ カフェ

「美帆・・・・・・ねえ,美帆ったら!」


 へ,と間の抜けた声とともに,今自分がいる場所を理解してパニックに陥った。

 体が沈むように柔らかいソファに座っている私の顔を,心配そうにこと葉が覗き込む。
 こと葉とは大学からの中で,関西から一人で上京した私を気にかけてくれたのがきっかけで仲良くなった。以来,大学卒業後も定期的に会っている。


「ごめんやん。ほんで,何の話やっけ?」
「急に気を失ったみたいになったと思ったらなに? 具合でも悪いの?」


 疲れてるんじゃない,とこと葉が言った直後,後ろで女の人と従業員の叫ぶ声が重なった。
 驚いて振り返ると,その光景に息を呑んだ。
 
 コーヒーを運んでいた店員が誤ってお客さんにこぼしてしまったようだ。店内は従業員が慌ただしく動いて対応をしている。
 白のカーディガンとハイブランドのバッグに染みができているようで,女性客はかなりご立腹だ。
 この光景,一ヶ月前ほどに出くわした場面と酷似している。いや,女性の服装も横に置かれたバッグも,泣きそうな顔で頭を下げている女性授業員も,全てが同じだ。


なんやんねんこれ。ほんまに過去に戻ってへん?


 まだ信じきれない私にそのことを確信させたのは,こと葉の言葉だった。


「あーあ,ありゃ相当へこむね。頑張れよアルバイトちゃん。人生なんて・・・・・・」
「死ぬこと以外はかすり傷」


 私とこと葉の声が重なった。一瞬訝しんだこと葉は,ただの偶然だと思ったのか「私の思考はお見通しってわけね」と言ってコーヒーカップに手を伸ばし,香りを楽しんで美味しそうに飲んだ。


やばいやん。ほんまに過去に戻ってきてる。これ,美帆に言ってもええんかな。いや,絶対信じひんやろし,ほんまに頭おかしなったと思われて病院に連れていかれるかもしれへん


「何よ〜難しい顔しちゃって。それで,美帆はどうしたいの? 卓也さんと」


 そうだ,卓也さんとの関係に悩んだ私は,今日の夜卓也さんと会う前に美帆に相談を持ちかけていたのだ。このまま関係を続けるべきか,それとも・・・・・・


「そこやねん。私は卓也さんとずっと,これからも一緒にいれたらな最高やなって思うねんけど,卓也さんがどう思ってるかイマイチ掴みきれへんくて」


 ディズニーみたいな真実の愛はないでしょ,と笑いながら美帆は言う。「やんな。夢見がちやねん」と笑い返してコーヒーをすする。コーヒー飲んでもいいのかな,と考えていると,「でもね」と美帆は真剣な顔つきになった。


「まがいもんは,ほんまもんにはかなわんのよ。ってうちのばあちゃんがよく言ってるわ。卓也さんの愛が,まがいもんかどうか見極めてやりなさいよ」


 美帆が決めたならそれが正解,となぜか自分の胸を叩くこと葉にツッコミを入れて,私たちは笑い合った。


 こと葉の言葉を胸に,私は今日,卓也さんに会いに行く。
 そして,あの時は伝えられなかったことを,聞きたかっとことをこの耳で聞こう。そう決意した。
 
 



 

「文学」の人気作品

コメント

コメントを書く